序章5『預言者』
ゲームの開始が宣言されてから一日がたった。カリーナは普段と変わらない朝を過ごしている。
しかし、彼女もまた昨夜のことが忘れられないでいた。奇妙な機械声が耳にこびりついて離れない。
『まさかな』
あの面を付けた人物は、自分の知り合いなのだろうか。いやいや、自分はおそらく産まれてすぐに此処に来たと、母が言っていた。ならば本当の両親や親戚と関わりがある可能性が高い。
カリーナは生まれてから一度も、本当の両親については聞いたことがない。つい半年前までは人間だと思っていた。
両親と血がつながっていないことは、何となく幼少期のころから気付いてはいたが、自分がまさか人外のものであるとは思わなんだ。
「お母さーん」
呼ぶと、母のケイティ・ホルズワースが台所から顔を出した。ダイニングテーブルにはコーヒーと新聞、というよくある朝の組み合わせを手にした父がいる。
「どうしたの?」
「ねえ、一つ聞いていい?」
カリーナはそう言うと、一呼吸置いた。
「私って、どこから来たかわかる?」
唐突な質問に、ケイティは虚を突かれたようだった。しばらくそうしていたが、困ったように息をついた。
「それを話してあげることが出来ればいいんだけど……誰もあなたがどこから来たのか分からないのよ。雨の日に家の屋根の下にいたんだもの」
ですよねー。カリーナは想像通りの答えすぎて苦笑した。
「やっぱりそうかあ……」
「急にどうしたの?」
「いや、私の出自を調べたら何か敵の手がかりとか掴めるかなあ、って」
ふと、引っかかるものがあった。ならばどうして自分の親は、ここに置いて行ったのだろう?人狼だというのに、どうしてここを知っていたのだろう。
「お客さんの中に、私に似た人っていなかった?」
「さあ……、カリーナみたいに金髪で綺麗な瞳をしていたら、きっと忘れないと思うのだけど……あ、そういえば、名前はもうカリーナって決まってたみたいよ。手紙が入ってたから……見る?」
「!見る!」
ケイティは微笑むと、棚の一番上の引き出しから、丁寧に折りたたまれた、しかし所々寄れている部分がある紙を取り出した。
どのような筆跡なのだろう。そう思って開いた。カリーナは思わず息をのんだ。筆跡は決して乱れてはいないが、どこか急いでいたように思える。
その字を見て、カリーナはどうしてか思った。
何かから必死に守っていたみたいだと。
宛先も、送り主の名前も書いていない。
只々、娘を頼むということと、成長したら拳銃を渡してほしいという旨だけが書かれていた。
「あなたのそばにこの手紙と拳銃があったわ。濡れないように傘も置いてあったから、本当は優しい人なんじゃないかって私は思っているのよね……」
カリーナはまじまじと手紙の文字を見る。
「魔物の世界って筆跡鑑定とかあるのかな……?」
そう呟いて即座にその考えを打ち消した。多分あっても実行しないのが魔物だ。
「うーん」
一度魔界で詳しく調べてみる必要がありそうだ。名前が決まっていたなら、もしかすると自分を知っている魔物がいるかもしれない。
「あ、そうだカリーナ。お使い頼んでもいいかしら?トマトとズッキーニ買ってきて。今日の夕ご飯はラタトゥイユにする予定だから」
「わかった。行ってくるね!」
ちょうど良い気分転換になる。カリーナは買い物鞄を手に外へ出た。
ふと、何か黒いものが視界を掠めた気がした。
「……?」
振り返ってみたが何もいない。ブロンドの髪が風になびく。
その場を去る少女を見つめる影が一つ。その影の周りに、黒い靄がかかり、やがて見えなくなった。
カリーナのパン屋から少し離れたところにある、商店街。アラン、水月、シャロンはそれぞれ別れ、町に潜む魔物達に情報収集をしていた。
「……なるほど。助かった」
人間に化けた人虎が頭を下げて去っていく。
結果はアラン達の推測と概ね合致しており、シュヴァルツに堕とされたものは皆人狼だという事だ。しかも急激に増えている。
元々人狼のコミュニティは狭い故、全滅の線も考えなければいけない。
勿論そんなことは絶対に食い止めるのだが、英国の魔界に住む人狼はかなり少ない。
小さなフェウルーア領内の三か所に主に分布しており、レルフ邸がある街、フェウルーア領の四割を占める森の中、そして最後が魔女の谷と呼ばれる場所である。
人狼が住むフェウルーア領は不運なことに、人間界に一番近い場所に位置している。
今までは害をなさないことにより、お互い干渉しないようにしていたが、これだけシュヴァルツが現れると、人間界の霊能者や退魔師が黙ってはいないだろう。
彼らは魔界に入ることを許される数少ない人間の職業である。まだ実害が出ていないものの、警戒しているはずだ。
「水月とシャロンのところはどうなったか……」
ふと、吹いた風に違和感を覚えた。この独特な生温い感じ、その中にピリピリとした痛みも覚える風。何度この気配に出会ってきただろう。まさか昼間に出るとは。
「まだ陽が落ちていないのに……!」
アランは小さく舌打ちした。昼間ではあまり目立つ行動はできない。その時、後ろに気配を感じ、振り払った。
「わあっ!」
「……カリーナ?」
背後には買い物かばんを手に持ったカリーナが立っていた。中身が入っていることから、どうやら帰り道の途中だったらしい。
「ご、ごめん……驚かすつもりはなかったんだけど」
「いや、俺の方こそすまない」
不思議と、カリーナに会ったとたん安堵した自分がいた。
「どうしたの?」
「昼間から仕掛けてきたらしい。あの白い面」
アランは拳銃の安全装置を下げた。もうすぐそこまで来ている。風の中に紛れる気配が一段と濃くなっているのだ。
「……上だな。躱すぞ」
その合図で二人は飛びのいた。刹那、二人がいた場所に黒い影が落ちてきた。痩せ細った身体に剥き出しの鋭利な牙と爪。ギラギラと血走った眼はアランを凝視している。
『――――――――――――――――!』
狼が咆哮したとたん、黒い霧が辺りに広がった。
「っ!アラン!」
カリーナは思わず叫んだ。辺りが黒に染まり、何も見えない。
シュヴァルツ独特の負の気が、体温を奪っていくのが分かる。四肢の末端から徐々に冷えていく。寒さと負の気の重さに耐えきれなくなったカリーナは、思わずしゃがみ込んだ。
何か視える。響く銃声、重なる金切り声。辺りに紅い飛沫、投げ出した身体に紅いものが広がっていく。瞳から生の光が失われていく。大事な何かを抱えながら。
知らない、知らない、こんなの知らない。
怖い。痛い。寒い。苦しい。
「呑まれるな」
凛と響いた声、振り返ると、アランの紅い瞳が煌めいていた。
「アラン様!」
甲高い声が聞こえたその時、霧の奥から炎を纏った魔力が炸裂した。それに合わせ、アランも魔力を開放する。間にいたと思われる狼はいち早くその気配を察知し、二つの魔力の爆発の直撃を免れた。爆風が辺りの霧を一掃する。奥から現れたのは、魔導書を開いたシャロンと水月だった。アランの目が据わる。
今絶対、俺たちの場所が分からないのに、術を発動させたな。
「殺す気か」
アランがじろりとシャロンを睨む。シャロンはへっ、と斜に構えた。
「これしきの魔力を粉砕できないなんて、次期支配者の名が廃れますよ」
「シャロンも言うようになったよな……」
水月は遠くを見た。最近こういうやり取りが増えてきた。反抗期か。反抗期なのか。
「次が来るぞ」
砂塵が舞う中から、狼は躍り出た。狼はアランめがけて牙をむいた。
「アラン!……っ!?」
「もう一体……!?」
「いや、こっちにももう一匹……!」
いつの間にか水月とシャロン、カリーナも狼に囲まれていた。狼一匹分を挟んで、アランが数匹と対峙している。
すると、十匹のうちの一匹が襲い掛かってきた。水月が刀で斬り払い、シャロンが魔力のかまいたちで、カリーナは拳銃で応戦する。
一方アランは一人で五匹を相手にしていた。一番最初に襲ってきた奴を拳銃で撃ち殺す、が、それと対になる場所にいた狼がアランの肩に牙を立てた。
傍らにいたもう一匹も襲い掛かってくる。肩に噛みついているのを無理やり引きはがすと、まさに襲い掛かろうとしていたもう一匹に投げつける。
重なり合った獣に向かって、アランは魔力を込めた弾丸を打ち込んだ。
人狼の魔力がシュヴァルツの気を粉砕し、二匹は魔力を維持できなくなり灰と化した。
「っ、流石に数が多い」
アランの魔力は人狼の中でも圧倒的な強さを誇る。歴代のレルフ家の中でも随一といわれているくらいだ。
アランは残りの二匹も攻撃をかわしながら一発ずつ撃った。そして、目の前のひと回り大きいシュヴァルツを凝視した。
禍々しい気が狼の身体を覆っている。
じりじりと間合いを詰めている。
「俺を殺すように仕向けたのか」
支配者の後継という立場である以上、命を狙われるのは当たり前と言っても過言ではない。あの霊媒師とかいう者との面識もなければ、恨まれるようなことをした記憶もないのだが。
「悪いが、お前達を人間界で好き勝手させるわけにはいかない」
そう冷たく言い放つと、拳銃を構えた。と、その時狼が牙をむいて襲い掛かってきた。アランは躱し、再び攻撃してきたところを狙って銃を撃とうとするが、狼の動きの方が速い。仕方なく狼の脇腹に蹴りを入れ、壁の方に跳ばす。衝撃で立てないところを、すかさず魔力を込め、引き金を引いた。
狼の撃たれた個所からアランの魔力が炸裂し、狼は赤い光に飲み込まれた。
ひとまず自分の周りの敵を倒し、一つ息をつくと、今度は水月達の方を援助しようと、そちらの方を向いた。
一方カリーナ、水月、シャロンはかわるがわる襲い掛かってくるシュヴァルツに応戦していた。
だが、水月は少しその襲い方に違和感を覚えた。
『……?』
狼たちの襲う動きが本来の物より少し鈍い。躊躇っているのか。それともう一つ。誰かを執拗に狙っているのだ。ふと、一匹の視線が水月より奥に行っているのに気が付いた。水月の後ろにはカリーナがいる。水月はカリーナを庇うようにして立った。
「超えれるもんなら超えてみろ……!」
それを合図にしたかのように、シュヴァルツが一斉に襲い掛かってきた。シャロンはともかく、拳銃だけのカリーナが数匹を相手にするのは難しい。
「っ……、きゃあ!?」
カリーナは突然肩をつかまれ、後ろに引き寄せられた。その手の主を見上げると、水月が刀の切っ先を狼たちに向けている。
「み、水月!?」
「お前たちの狙いは丸分かりなんだ、よ!」
襲い掛かる狼たちを、刀の切っ先が横一文字に斬り払う。
「何故かお前も狙いだしてる。気をつけろ」
「わ、分かった」
カリーナは銃弾を込めなおす。狼たちは大分減っていたが、続々と新手が襲い掛かってくる。人狼だけではなく、他の魔物も混ざっているようだった。
三人だけでは追いつかない。確実に水月もシャロンもカリーナも、かすり傷や切り傷が増えていった。
突然、カリーナの目の前に三匹同時に襲い掛かってきた。
あ、これまずい。
そう思った瞬間、黒髪が眼前に割り込んできた。アランは手に魔力を集めると引き裂くように爪を振りかざした。アランの頬と手に黒い血がこびりつく。
アランの腕に魔物が噛みつくが、それを振り払って拳銃を撃つ。カリーナも援護にまわる。
そんな戦いの中だというのに、やけにはっきりと手を叩く音が二回聞こえた。それを聞いたシュヴァルツたちはあっという間に四人の目の前から退いていく。
「?」
「なんだ?」
闇の中から声が聞こえる。だが、あの耳障りな機械音ではなかった。
「撤退です。力と姿は見たのでもう十分です」
少年のような声だった。姿が見えない。
「誰だ!」
「東洋の少年、そうがなりなさんな。また近いうちに会えることでしょうから」
では、という声と共に、シュヴァルツたちが消えていく。
「あ、そうそう。早くお家に帰った方が良いですよ。特に、次期支配者様は」
その言葉を最後に、路地に静寂が戻った。カリーナと水月、シャロンは顔を合わせる。早く帰った方が良いとはどういうことだろう。
「アラン、ひとまず帰るぞ……、アラン?」
反応がない。
「大丈夫?」
カリーナがアランを覗き込む。戦ったとはいえ、やけに息が荒かった。
「アラ……」
「……っ」
触れようとしたその時、アランが膝から崩れ落ちた。地に手を付き、浅く速い呼吸を繰り返すアランに三人が慌てて寄る。
「アラン様!?」
「おい、しっかりしろ!」
「すごい汗……!」
カリーナがアランの髪をそっとかき分ける。尋常ではない汗の量だった。
「この反応、毒とか瘴気にやられたんだと思います……」
「俺が背負うから、二人は補助を頼む」
「わかった」
「っ……いや、大丈夫、だ……」
「そんな体で大丈夫なわけあるか!」
水月がアランの腕を自分の肩に回し、立って背負う。水月は時々アランを落としそうになりながら歩みを進めた。カリーナは落ちていたアランの拳銃を回収する。
「ひとまずレルフ家に届けよう。サラが治療してくれるはずだ」
「うん。それに、今の出来事も報告しないと……」
水月とシャロンが同時にカリーナの方へ振り返る。
突然視線を向けられたカリーナは、目を瞬かせた。
「え?何?」
「カリーナも一緒に来て!初めて魔界に行くのがこんな形で申し訳ないけど……」
「それに、これからのこともある。魔界のことを知っておいた方がいい」
水月の言葉に、カリーナは少々の沈黙ののち、頷いた。
いつの間にか、目の前にはトンネルのような、門のような物がある。その傍に佇む一軒の小屋から銀髪の妖精が顔を出した。
「おや。通行許可を得ていない奴が1人紛れ込んでるみたいじゃが」
「今はそれどころじゃない。アランが全て責任を持つから通してくれ」
「全く、どうなっても知らんぞ、儂は。支配者に報告はさせて貰うからな」
四人は足早に魔界へ通ずる門を潜った。
仕方なし、と息をつくバンシーがパラパラと何かの資料をめくる。
ふと、その手を止めた。
しかし既に、アランらは通り過ぎたあとだ。
「……いや、許可は得ていたか」
ぼそりと呟いたバンシーの言葉に、クー・シーが不思議そうに首を傾けた。