序章 4 『霊媒師』
カリーナは鍵を閉めると、慌てて階段を降りた。
小走りで学校へ向かう。このくらいのスピードなら余裕を持って学校に着けるはずだ。
ふと、大きな道路を挟んだ向こう側の路地に見慣れた三人を見かけた。
「?何かあったのかな」
本当ならば話を聞きたいところだが、今は遅刻をするかしないかの瀬戸際なのだ。夜に聞いてみようと思いながら、カリーナは道を駆けて行った。
カリーナが通り過ぎ去ったのも気付かずに、三人は路地の中を進む。人間界で情報屋をしている魔物から聴取を終えたところだった。
「……人狼のシュヴァルツが増えている……」
アランが顎に指を添え、思案する。
「水月。どう思う」
水月は肩をすくめて続けた。
「異常だな。そも、シュヴァルツ自体見る回数が増えたことも気になる。掟を破るやつなんてそうそういないし、ましてや魔界で人間に手を出すこと自体困難だ。それに加えて人狼の発現頻度が増えているときたら……まあ、最初に怪しまれるのは魔界の門番、バンシーとクー・シーか、人間界に最も近く、人狼たちが住むフェウルーアの管理人、レルフ家だろ」
「同感だ」
アランが首肯する。
人間界へ自由に行き来出来るのは、支配者たちとその関係者、人間界側の門番、バンシーとクー・シーの許可を得た者だけだ。
何らかの形で、レルフ家と門番が関わっていると思われても仕方がない状況である。
「門番のお2人はどうします?話、聞いてみますか?」
「一応な。あの2人ははっきりさせておきたい」
もし黒であれば、即刻処断するしかないだろう。もしくは拘束して、父の前に引き摺り出すか。
「行くぞ」
3人は門番の元へと歩みを進める。
その道中、アランは昨夜の出来事を思い出していた。
シュヴァルツを倒した時、感じた違和感の正体。
何故あの時、逡巡する謎の間があったのだろうか。自我が残っていたとでも言うのか。そもそもどこで人間を傷つけたのだろうか。
答えを得ることの出来ない疑問と予測が次々と浮かんでくる。
ふと冷たく鋭い眼差しを向ける昨夜の父の顔が思い浮かんだ。
先ほどよりも眉間にしわが寄っている様子を見て、シャロンと水月は一つ嘆息する。
「アラン様、全部顔に出てますよ。自覚ないんでしょうけど」
「お前ほんとにあの人嫌いだよな」
また一段と不機嫌になるのを避けるため、敢えてあの人、と言葉を濁らす水月である。アランは渋い顔をして答えた。
「別に、嫌いなわけじゃない」
そう言って、ふい、とそっぽを向いた。
「嫌いっていうか、苦手か」
「……」
図星か。水月とシャロンが胸中で突っ込む。
「……実の父親に苦手とか、無い」
歯切れの悪いアランに、水月は嘘つきめ、と一つため息をついた。
しばらく歩くと昨日のシュヴァルツが消滅した場所に来ていた。残滓などは全て消えている。
ふと、アランは視線を感じた。思わずうなじ辺りを抑える。
「……?」
ざっと周囲を見渡すが、通行人ばかりで見ているような人影はない。
「アラン、どうした?」
「アラン様?」
側近二人が胡乱げに眉を寄せる。アランは暫く気配を探る。
「いや……ちょっとな……」
誰かに見られている。だが、姿は見えない。
アランは視線の主を警戒しながら、再び歩き始めた。
そうこうしている間に、魔界の出入り口へ辿り着いた。来客を予測していたかのように、外灯が灯される。暗緑色の番犬、クー・シーは不機嫌そうに目を据わらせている。
窓がひとりでに開いた。
「これはこれは、次期支配者様におかれましてはご機嫌麗しくはないようで。……シュヴァルツのことで何かあったのかい」
バンシーが不敵な笑みを浮かべながら、長い前髪を指で弄ぶ。
「可能性を先に潰しに来た」
「おや、もしかして儂等、疑われているのかい?」
「今はまだ可能性だ。1番に疑われるのはレルフ家とお前達だ」
くっくっく、と女は喉の奥で笑った。
「被疑者同士、仲良くしようって魂胆だね。儂はそう言うの好きだよ、面白そうじゃないか」
「人狼のシュヴァルツが増えている。何か知っていることはないか。もし嘘をつくなら、命はないと思え」
アランが銃口をバンシーへ向ける。バンシーはひらひらと手を振った。
「特に無いね。シュヴァルツになった者と許可証を持った者以外ここの門からは出てないよ。信じるか信じないかはお前達次第だが、一つ言わせてもらおう」
バンシーはクー・シーを窓から一撫でする。
「妖精は嘘をつかない生き物さ」
夜。バンシー達の聴取を終えたアラン達は、カリーナと合流し、巡回がてら情報を共有していた。
「レルフ家まで疑われてるの!?」
「まだ世間的には広まっていなし、可能性の話だ。が、ゆくゆくは支配者間で共有され、王家に共有され、魔界全土に知れ渡るだろうな。だがさっきも言った通り、バンシー達はおそらく白だ。人狼だけを狙う理由のメリットが欠ける」
「国家転覆を狙うなら、直接王都に侵入して支配者を全滅させた方が早いしな」
水月の発言に、シャロンも頷く。
「人狼だけを狙う理由は、おそらく人狼という種族に怨みでもあるか……」
「レルフ家や王家単体に恨みがあるかだな」
カリーナは魔界の事情については詳しく知らない。というか未だに訪れたこともない。
普段は学校に家の手伝い、夜にはこうしてシュヴァルツ狩り。結構忙しい毎日を送っている。いつかは行ってやろうと考えているのだが、如何せん時間がない。
故に、歴史も現状も知らないわけである。
「ねえ、アラン。レルフ家って恨まれたりするの?」
カリーナの問いに、アランは何故か明後日の方角を見た。
「俺は恨まれるようなことをした覚えはない。だが、歴代の支配者たちのことになると知らん。100年も恨むような奴は少ないと考えると……4,50年支配者の座にいる父さんの分が降りかかってきているとしか思えない」
「え。アランのお父さんって、何かしたの……?ていうか、現役よね?」
アランは渋面を作った。
「俺も詳しいことは知らないが、噂によれば、あの人を良く思っていない輩がごまんといるとかなんとか」
カリーナは絶句する。水月とシャロンは苦笑いを浮かべていた。
「支配者の命が狙われる事例も結構見かけるし」
「実際、私の親戚もそれ関係で亡くなってますし」
うんうんと頷く水月とシャロンの言葉に、カリーナはさあ、と青ざめる。
「そっ、そんなに重いもの背負ってるの?3人とも……」
「気にするな。魔物は人間と違って、一人一人がそこそこの戦闘力がある故に、殺すか殺されるかの世なだけだ」
人間界の常識と魔物の常識が異なることに思わず息を呑む。
「だから、魔物同士の殺し合いに人間のような同情、憐憫は挟まないほうがいい。命取りになるぞ」
「わ、わかった」
アランの警告に素直に従っておこうと決めるカリーナである。次期支配者の言葉の重みは桁違いだ。
ふと、風が変わった。涼しい夜風から、生温い嫌悪感を抱くものに変わる。
「来るぞ」
3人はアランの言葉にはっとし、近くに禍々しい気が滞っていることに気が付いた。その時、四つ足の霧に包まれた魔物が飛び出した。とがった耳、鋭い牙と爪。
「また人狼か」
アランは拳銃の安全装置を外した。カリーナも弾丸の用意をする。狼は二人めがけて襲い掛かってきた。躱してアランが放った弾丸は人狼の足を掠めた。すると。
『……シロ……カメン…』
「?自我がある?」
アランは撃つのをやめた。狼の体が傾いだ。血を吐きながら呻く。
『……シロイ、カメン……ノ、オトコ……ニ』
言葉が途切れ、人狼は塵となる。風に舞上げられ、夜空に虚しく消えていく。カリーナはアランを心配そうに見上げた。
「これは……どういうこと?」
「分からん。白い仮面の男……?」
アランは黒い靄を凝視した。また違和感が残る残滓だ。発しているのではなく、纏っている。一体何が起こっているというのだ。
「…………!?誰だ!」
アランが振り返る。今確かに視線を感じた。
カリーナ、水月、シャロンも感じたらしく、辺りを探っている。
水月は刀の柄に手をかける。
「気のせいか?」
刹那、背後から迫る気配に気づくのが遅れたアランは、そのまま何者かに押し倒された。
「アラン!」
「くっそ……!」
目の前には白い面があった。首を片手で圧迫されて息ができない。なんという力だ。アランが全力で振りほどこうとするが、びくともしない。
『貴様がアラン・レルフだな』
「っ……!名を……!」
抑揚のない機械声が淡々と告げる。
『ここで死んでもらう』
「断る」
アランは紅い瞳を烈しく煌めかせた。アランの魔力が炸裂する。それに思わず白い面も手を離したようだった。しかし、急に酸素が入ってきたため、アランは暫く咳き込んだ。
『なるほど。……これはもっと早く片付けておくべきだったか』
カリーナが拳銃を放った。が、造作もなく躱される。
『……まさかな』
ゆっくりと白い面が振り返る。カリーナははっと息をのんだ。
まずい。
硬直して動けないカリーナに向かって面は近づいてくる。カリーナにあと少しで手が届きそうになった瞬間。
アランがカリーナを庇い、さらに面の動きが止まった。
「動くな、動けばその首刎ねてやる」
面の眼前に水月の白銀の刃が突き付けられる。水月がアランとカリーナの前に出、シャロンも束縛の咒を唱えた。
足のみを拘束された面は手を上げる。
『……いいことを思いついた』
あたかも今思いついた、という言葉はしかし計画性の高いものだと、白面の声音が語っている。
「…………」
『これはゲームだ』
刹那に沈黙が流れる。白面が放った言葉を理解するのに、1秒かかる。
「は?」
胡乱げに呟く水月をよそに、面は続ける。
『君たちと私達のだ。君たちは私達から逃げ、私達は君たちを追う。逆もまた然りだ。それで最後の1人になるまで命を奪い合おうではないか』
「黙れ」
アランが白い面に弾丸を撃ち込む。命中したと思われたが、どろりと空に溶けた。
『せいぜい頑張ってくれたまえ。私はそうだな……霊媒師とでも名乗っておこうか』
そう言って、白い面は掻き消えた。取り逃がしたどころか、完全に抑え込まれた悔しさに、アランは歯噛みする。何がゲームだ。他人の命を弄ぶようなこと、絶対にさせるものか。
「おいアラン、喉大丈夫か?」
「っ……取り敢えず声は出る」
まだ若干嗄れ声だが、何とか気管はやられていないらしい。しかしかなりの力で圧迫され、僅かに内出血している。
「何だったの?あいつ……」
「霊媒師とか名乗ってましたね」
霊媒師。水月はその言葉を呟く。
「なんか……単語が人狼ゲームみたいだな」
「人狼ゲーム?」
アランは胡乱げに眉を寄せた。
「人狼ゲーム?」
アラン(様)と同じトーンで言ってる……。
支配者クライヴの言葉に、アランの隣にいる水月とシャロンは同じことを思った。どれほどアランに嫌そうな顔をされようとも、これだけは断言できる。二人は似ている。
そんな埒もないことを考えている二人だったが、一方アランはというと、二人がわかるくらい不機嫌な顔をして父親と向き合っていた。
「私の聞き間違いか?もう一度行ってみろ」
クライヴの機嫌も相当悪い。瞳が苛立ちを孕んでいる。普段は冷静沈着な人なのだが。
二人とも人狼達の命を弄ぶようなことを「ゲーム」にしようとしていることが許せないのである。
「誰がゲームだ。くだらない」
時の支配者が、吐き捨てるように言ったその言葉は、今まで聞いたことがないような冷たさと怒りを孕んでいた。水月とシャロンが震え上がる。
「あのー……ゲームが従来の『人狼ゲーム』を指すなら……これってどう考えても、こちら側が不利な内容ですよね?」
「シャロン?」
シャロンが控えめに口をはさむ。どういう意味かよく分かっていないのか、クライヴ、アランも怪訝そうな顔をしている。
紙を広げてシャロンは何かを書き込んでいく。それを三人は覗き込んだ。
「まず、人狼ゲームの基本的な説明をします。ゲームに参加している人が十人だったとします。参加者にはGMから各役職が配られます」
「GMってなんだ?」
「そのゲームの終始の合図や、参加者のサポートをするゲームマスターと呼ばれる人。所謂運営って呼ばれる人の事です。今回は気にしないでください」
紙に十個の丸を書き、その中に文字を書く。
「役職は村人あるいは人間、霊媒師、預言者。これが人間側の役職です。そして人狼、狂人の人狼陣営。ゲームによっては第三陣営として、吸血鬼や妖狐が入る場合もあります。人間側は人狼陣営の全滅、人狼側は人間陣営の全滅が勝利条件です。吸血鬼や妖狐はどちらかの陣営が全滅した時、自分が生存していると勝利となります」
「はあ」
「預言者は誰が人狼かを見極める事が出来ます。霊媒師は、死んだ人の役職を調べる事が出来ます。ただし、人狼に協力する狂人は、両者に調べられても人間としか出ません。ゲームによって狂人が人狼を判別できる、人狼が狂人を把握している場合に分かれます。他にも様々なルールや様式がありますが、大体こんな感じです」
へえ。と三人が声をそろえる。次に口を開いたのはクライヴだ。
「つまり、シャロンが言いたいのは、本来は互いに敵の全滅を目指して戦うものが、『掟』というものによって、人狼は人間……霊媒師側に危害を加えられない。一方通行のものになっていると。人間側は増えもしなければ、減りもせず。人狼は減る一方。なるほど。これは不利だな」
しかも掟は人狼だけではなく、他の魔物達にも有効なものだ。助けは求められない。
魔界における掟というものは、生まれて5年目の誕生日に専用の魔法紙に署名することで効力を発揮する。もちろん魔界で生まれた以上、全員が義務だ。
ふと、カリーナの存在がアランの頭の中をよぎった。
彼女の言い方からして、5歳未満の時に人界へ渡ったことは間違いない。なら、カリーナなら倒せる?
アランはその思考をすぐさま打ち消した。
だめだ。彼女に背負わせるには危険すぎる。それは戦闘経験の面でも、自分を魔物と理解した期間の短さでも言える懸念点だ。
そして万が一、白面側が人間だった場合、人界で育った彼女は人間を殺せないだろう。
「アラン、水月、シャロン。お前達は情報収集を優先しろ。向こうが本当に『ゲーム』を始めるのかどうか、霊媒師の狙い、正体など。戦力はこちらで確保する。だがもし遭遇した場合、問答無用で叩き潰せ」
「分かりました」
話はそこで終わった。取り敢えず、明日に備えるつもりだ。シャロンと水月はどこかぐったりした様子で帰っていった。アランは自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。何故か圧迫された首がまだ痛む。そっと首元を抑えた。
『なるほど。……これはもっと早く片付けておくべきだったか』
あの白面の男は自分を知っていた。
いつ出会った。いつ、自分が狙われた。
「……っ」
ずきりと頭が痛む。思い出すことを脳が拒否している。自分が逃げたがっている。
そしてもう一つ。
『……まさかな』
あの白い面が、カリーナを見て言ったのだ。アランはそのことがずっと引っかかっていた。
「カリーナを知っている……?」
執務室に1人残ったクライヴは、シャロンの書き残した図を眺める。
「敵は人間か、それとも魔物か」
どちらにせよ、厄介なことが一つだけ。
卓上に広げられた、ここ数十年の人狼の死亡・失踪者リストを睨む。死亡者は大抵欠損が激しく、失踪者は未だ見つからない。
「シュヴァルツは奴らの手中か」