3話 疑いと受け止めた現実と
──カタン……──
何か物音がして、意識を失っていた私は、ようやく目を覚ました。
周囲はまだ暗いから夜は明けていないのだろう。ぼーっとした頭が覚醒するよりも早く、声をかけてくるものがあった。
「ルーファウス?……いるのか?」
男の人の声。その声に、一瞬で意識がはっきりとしてくる。
彼を探しに、別の誰かがやって来たのだ。そこでようやく自分の置かれている状況に気が付く。
医務室の寝台の上には引き裂かれた衣服が散乱し、意識を失った彼は未だ私に覆いかぶさっている。この状況を他の者が見たら何と思うか。
やって来た人物は返答がないのにも関わらず立ち去る気配はなく、寧ろ彼の存在を確信して中へと入ってくる。
「……ルーファウス?」
散乱した棚や薬に怪訝な様子で再び問いかけてくる声。すぐにその人物は、寝台の上にいる私たちを見つけるだろう。観念した私は、見つかるよりも先に自ら声を上げることにした。
「あの……」
「っ──!!君は……」
驚いて息を飲む声がする。そしてすぐにその人物が持つ明かりがこちらへと向けられてた。
「これ、は……」
目に入ったその光景に、一瞬で状況を理解したのだろう。薄暗い中でもその人物が青ざめているのが良くわかる。だけど疲れ切っていた私には、弁解の言葉も、相手を責めるような気持ちも残ってはいない。
ただ自分だけの力では覆いかぶさる彼をどうにかすることができないので、やって来た人物に助けを求めた。
「あの……抜け出せないので……その……」
「あっ……あぁ……」
事故だったとはいえ、流石に羞恥心が勝って言葉を全て紡げずにいると、その人物は直ぐにこちらの意図を理解してくれ、覆いかぶさる彼の身体をどけてくれた。
痛む身体に鞭打って私は直ぐに抜け出すと、ビリビリに破けて無残な姿になってしまった衣服を無理やりにでも纏う。
そんな私の様子をやって来た人物――きっと彼の同僚なのだろう騎士は、どこか不審気に眺めてくる。
不躾な眼差しを避けるようにして体ごと背けるも、指が震えてうまく着替えられない。そうしてもたつきながらも着替えを終えれば、その人物はようやく終わったのかといった様子で深い溜息を吐き、私を問いただし始めた。
「それで?……君はどこの誰だ?なんでここにいた?」
「あ、……私は薬を届けに……」
「あぁ……いつもの配達か……けどこんな時間に?」
その騎士はまるで容疑者を見るような目つきで、ジロジロと私を眺めていた。確かにこんな時間に配達など疑われても仕方ない。けれど実際に届けに来たのはもっと早い時間だったし、あれからどれだけの時が経っているのかわからなかったが、状況的に帰れなかったのは明らかだ。
「き、来たのは閉門前の時間でした………あ、あと机の上に、持ってきた薬が……」
震える声でそう告げれば、騎士の男はつかつかと机の前へ行き、私が持ってきた薬の入った荷物を検分し始める。そしてようやく納得したのだろう。再び大きなため息を吐くと、こちらへと向き直った。
「……そちらの言い分はわかった……だが………」
騎士の男は再びジロジロと不躾な眼差しを寄越すと、更に問いかけてきた。
「薬師というなら、何故この状況ですぐに逃げ出さなかった?ルーファウスに媚薬が使われていたことなど、すぐにわかっただろう?」
「っ……それは……」
確かにあれが媚薬のせいだと気が付ける機会は、こうなってしまう前にもあったかもしれない。不自然に荒い息。紅潮した頬に、何かを耐えるような様子。解熱剤ではなく睡眠薬を求めていたのも、彼が己の性欲によって誰かを傷つけないようにと考えた結果だとすれば納得がいく。
それ以上言葉を紡げずにいれば、騎士の声音が更に低いものになったのが分かった。
「この辺りに配達にくるということは、花街にも届けているだろう。それなら媚薬の効果や対処法を知っているはずだ。ましてや薬師なのだからな……なのに君は逃げずにいた。あのルーファウスがそう簡単に本能に負けるはずがない。こんなことになる前に逃げる機会はあったんじゃないか?」
「っ……」
──触るなっ!離れていろっ!!──
脳裏にこだまするのは、彼のどこか焦ったような声。あれは媚薬に犯されている彼が、必死で投げかけた私への警告だったのだ。
それなのにその警告を無視して近づいたのは私だ。あの時、何がなんでも抜け出して、医師や他の騎士を連れて来ていれば、こんなことにはならなかったのに。
「……媚薬に犯されているとわかっていながら近づき、関係を持って金でもせびるつもりだったか?それとも潜入した間諜の類か?一体誰の指図だ?」
「っ──」
投げつけられる言葉のどれも意味が分からない。けれど明らかな蔑みと嫌悪の色をのせたその声は、深く私の心に突き刺さる。私は必死に首を横に振って、それを否定した。そうすることしかできなかったから。
「……はぁ、…………そうでなかったとしても、これは……」
騎士は深い溜息を吐きながら、今度は寝台に横たわるルーファウスの方へと視線を向けた。欲望を発散しきった彼は今、深い眠りについており、起きる気配はない。
「……君はこれがどういう事態を引き起こすかわかっているのか?」
「え……?」
「君が今日の出来事を訴え出た時に、どうなるかわかっているのかと聞いているんだ」
「そ、それは……」
訴えることなど一切頭の中になかった私は、どういうことかわからず言葉に詰まる。けれど騎士が続けたその言葉に、冷や水を浴びせかけられた心地がした。
「合意なく君と関係を結んだルーファウスは、罪に問われて裁かれることになる。例えそれが意図せずに飲まされた媚薬によるものだったとしてもだ。彼の名誉に傷がつくのは避けられない。下手をすると騎士もやめなければならなくなる」
「そ、そんな……私……そんなつもりは……」
「君が訴えなかったとしても、真面目なルーファウスのことだ。責任を取らなければと思うだろう。だが俺は納得がいかない……こんなこと………」
「……」
「それに君は本当に邪な気持ちがなかったと言えるのか……?あわよくばなんて思ってたんじゃないのか?」
「そんな……そんなこと…………」
騎士に責められて涙が滲んでくる。けれど同じ問いかけを自分自身にしてみて、はっきり違うと言い切ることができない。
心のどこかで彼に会えたことが嬉しいと思ったのは事実だ。
人づてにその活躍を聞くだけで幸せだった憧れの騎士。そんな彼が突然目の前に現れて、自分に縋るように弱っている様を見て、果たして本当に邪な気持ちがなかったと言えるのだろうか?
気づこうと思えばできたのに、不純な気持ちで媚薬の存在を忘れようとしていただけではないのか?
見つからない答えに沈黙が続けば、騎士の声は更なる冷酷さをもって降り注ぐ。
「……はっ……純粋な恋心のせいとでも言いたいのか……だがそのせいで一人の未来ある騎士が、犯罪者の烙印を押されるんだぞ?そんなの許せるかっ!」
「っ……!!」
怒りをぶつけるような叫びに、身を竦めて固まるしかない。涙を浮かべて震える私に、目の前の騎士は流石に罪悪感を感じたのか僅かにその怒りを緩めたようだ。そして今度は自嘲するようにしてその思いを口にした。
「……俺だって全てが君のせいではないのはわかっている………わかってはいるが……、ルーファウスが失うものを考えると……どうしたって……クソっ……!」
やりきれないのだろう。誰が悪いわけでもない。全ては媚薬が起こした悲劇。そして不運な状況が重なってしまっただけだ。けれどそれがもたらす結果は……ルーファウスという騎士が、あるべき人生を失ってしまう未来。
私はルーファウスと自分との間に起こった出来事が、いかに彼にとって危険なものであるかを理解した。そして──
「あの……わ、私は何もされてません!」
「………………は?」
「薬を届けには来ましたが……その、す、すぐに帰ったので………だから彼……いえ、騎士様にも、どなたにも会いませんでした!だから………」
「君は…………」
騎士は目を見開き固まっている。けれどすぐに私が意図していることが分かったのだろう。痛まし気に眉を寄せた。
「……誰にも言いません……だから、その……安心してください………」
「だが……」
「何も………何もなかったんです……本当に…………」
そう必死に訴えかければ、こちらの決意の固さを理解したのか、小さく頷く。そして申し訳なさそうに呟いた。
「……すまない……そうしてもらえると助かる………」
重たく横たわる沈黙。気まずくて互いに視線を外すも、これ以上言葉は見つからない。
私はここにいても仕方ないと思い、急いで散乱してしまった荷物をまとめると、その場を立ち去ろうとした。
「おい……その、身体は大丈夫か?」
「大丈夫、です……これでも薬師の見習いですから……」
「っ……そうか……そうだったな……」
あれだけ恐ろしく責め立ててきた騎士も、今はこちらを気遣ってくれているようだ。けれどその気遣いに甘えることはできない。本当は引き裂かれるような痛みが体中に走っていたけど、何とか必死にそれを我慢して、私は入り口へと歩き出す。
けれどふと思い出したことがあって、私は振り返ると騎士へ声をかけた。
「あの……彼……僅かですが睡眠薬を自分で飲んだんです。使われた媚薬にもよりますが、飲み合わせのこともあるので、後でちゃんと医師の方に見てもらってください」
「あ、あぁ…………わかった」
「それじゃ………私はこれで………」
そうして私はその場から逃げるようにして去ったのだった。