2話 彼と彼女の悲劇
薬師見習いとなって二年目、その頃には私もだいぶ色々な仕事を任されるようになってきていた。
自ら調合をしたり、それをお客さんの下へ届けたり。そうして様々な場所へと足を運んだけれど、中でも特別に心躍ったのは騎士団の詰め所への配達だ。
詰所と言っても王都には何か所もあり、そこに足りない薬品を届けるだけの仕事だから、目当ての騎士に会うことなどそうそうあるわけがない。それでも彼に会えるかもしれないと思うだけで、詰所への配達は日々の楽しみの一つになっていた。
その日は薬を届ける場所が多くて、いつもよりもかなり遅い時間に詰所へと寄ることになった。
南門近くの繁華街付近にある詰所の一つで、花街が近いこともあって夜も騎士が外へ出ていることが多い。その詰所にいつも通りやって来た私は、既に顔見知りとなっていた見張りの騎士に軽く挨拶だけすると、詰所の敷地内にある医務室へと向かう。
いつもならそこには常駐している医師がいるのだけど、流石に遅い時間もあって詰めておらず、薬だけ置いて帰ろうと中に入った。
机の上は相変わらず書類や雑多な物が散乱しており、薬を置く場所に困ってしまう。少しだけ整理してしまおうかと思った、その時だった。
──バンッ……!ダンッ──
「っ……!!」
扉が勢いよく開く音と、壁に何かがぶつかるような物音に、私は咄嗟に振り向いた。そこには背の高い騎士の一人が、壁にもたれるように立っている。
「あぁっ……クソっ……」
何やら具合が悪いのか、胸を掻きむしるような仕草をして悪態をつき、よろよろと中へ入ってくる。苦し気に歪んでいるその人物の顔を見て、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
(彼だ──)
憧れの騎士、ルーファウスとの二度目の邂逅。けれど相変わらず彼の視界に私が入っている様子はない。そして酷く調子が悪そうなその様子に、呆然と見つめていた私はハッと我に返った。
「……いな、い……のか……」
その問いかけはここにはいない医師へと向けたものだろう。室内の明かりは消えており、外から差し込む光と手持ちのランプがあったので、付ける必要性を感じずにそのままにしていた。
彼は医務室に医師がいないとわかり落胆した様子だったが、そのまま薬品棚へと近づいていくと、棚をひっくり返すようにして何かを探していた。
「くっ……どこだ?どこにあるっ!?」
酷く焦って何かを探しているその様子に、私は流石に見ておれず、勇気を振り絞って声をかけた。
「あの……何かお探しですか?」
「っ──!……君、は……」
誰かいるとは思っていなかったのだろう。酷く驚いた様子で彼が振り返る。その顔立ちは相変わらず美しいものだったが、今は苦し気に歪み、熱でもあるのか紅潮していて汗も酷い。
「薬の場所ならわかります。熱さましですか?それとも痛み止め?」
薬師として何度も配達に来た場所。忙しそうな時には医師に乞われて助手のようなこともしたことがある。薬品がどこにしまわれているかくらいならわかるだろう。
そう思って聞いたのだが、彼は首を横に振るだけで、辛そうに深く息を吐く。
「ちが……う……深く、眠れる…………やつを……」
「睡眠薬ですか?……それならこちらの棚の………」
想像していたものとは違った答えを意外に思いつつも棚の場所を指し示せば、彼は乱暴にその棚を引き出して中の薬の包みを取り出して開いていく。そこでようやく彼が自分だけの判断でそれを口にしようとしているのだとわかり、慌てて止めた。
「ま、待ってください!それは医師の診断がないと処方できないもので、量を間違えると危ないです!」
そう言っても彼は止まることなく、開いた包みを口へと運ぶ。しかし手がうまく動かせないのか、震えてほとんどの粉薬が飛び散ってしまった。
「クソっ……!」
そう言って悪態をつくと、また一つ包みを開けだした。明らかに睡眠薬では治らないようなその症状。しかも一包目を僅かだが口にしているのに、二包目を開けだしたのを見て、私は慌てて彼の腕を掴んだ。
「ダメです!こんな状態で……寧ろ薬でもっと症状が悪くなるかも………あの、医師を呼んできますので、寝台で休んでてください!」
そう言って寝台の方へと彼を引っ張り連れて行こうとする。しかし背も高く騎士である彼を動かすことは叶わず、寧ろギロリと睨まれてしまう。
「触るなっ!離れていろっ!!……クソっ……手が、うまくっ………」
「っ……!!」
酷く乱暴なその物言いに、思わず身を竦めてしまう。しかし尋常ではない彼の様子に再び勇気を振り絞ると、今度は優しく声をかけた。
「騎士様、どうか聞いてください。睡眠薬でその症状は治らないと思いますよ?それは貴方様が一番わかっていらっしゃるのではないですか?」
「っ……それ、は……」
「落ち着いて……気を静めてください。そちらの寝台に横になって……今、医師の方を呼んできますから……」
そう言って宥める様に腕をさすれば、今度は縋るような切ない眼差しが返ってきた。気が動転して、自分だけで何とか対処しなければと焦っていたのだろう。
先ほど睡眠薬を口に含んだせいか、それまでの鋭い気配が霧散し、今度は素直に私の声に耳を傾けているようだ。
私は内心安堵の息を吐くと、彼の身体を支えるようにして寝台へと連れて行く。触れる肌は酷く熱い。やはり発熱しているのだろう。酷く苦し気な息遣いが頭上から聞こえてきて、私まで辛くなってくる。
「うぅ…………はぁ……はぁ……」
「もう少しです、頑張って」
最早意識が朦朧としているのか返事はなく、荒い吐息が聞こえるのみ。私は何とか彼を引きずるようにして寝台まで連れて行き、一緒に倒れこむようにしてその体を横たえた。
「はぁっ……重かった………」
重たいその身体を何とか運びきって、深く息を吐く。起き上がって医師を呼んでこなければならないが、共に倒れこんだせいで彼の上半身が私の身体を抑え込む形になっていた。
「うっ……抜けられない……」
身体をどけようにも重くて中々思うようにいかない。仕方ないので彼の方で何とか動いてもらおうと思い顔を上げたその時だった。
「っ──!!」
暗闇の中、近づいてきた美しい顔立ち。アッと思った瞬間には既に彼の唇が私のそれを塞いでいた。
「んんっ……!!」
強引に割り入ってくる分厚い舌。それは欲望のままに、酷く乱暴な動きでこちらの口腔内を貪ってくる。そのあまりの衝撃に思考が一瞬停止するも、より近づいたことで感じた甘い香りに、彼を蝕んでいるものの正体に気が付いた。
(──媚薬だ!!)
色んな花や果実のような甘い匂いが混ざったような香り。薬師として働いていれば、それがどんな役割で使われる薬かくらいは知っている。
今のルーファウスの尋常ではない様子は、強力な媚薬の効果によるものだった。
「騎士さっ……あっ!」
だがそれが分かったからと言って、今の状況をどうにかできるわけではない。寝台の上で自分よりもずっと体格の優れた男──それも騎士に上から押さえつけられてしまえば、抜け出すことなど不可能だろう。
元々媚薬で意識が混濁していたところに少量でも睡眠薬を口に含んだことで、微かに残っていた彼の理性は完全に吹き飛び、今は本能のままに媚薬によって高められた性欲を発散しようとしているのだ。
(なんで……どうしてこんなことに………)
我が身に降りかかったとんでもない事態に、私は叫び声をあげることすら叶わず、引き裂かれていく自分の衣服を、まるで他人事のように眺めていた。
獣のように豹変した憧れの騎士。それが薬のせいだとわかっていても、今目の前で起きていることが現実とは思いたくない。
悪夢のようなその時が、ただただ早く終わることを願って、私は溢れ出す涙を拭うこともできずに、目をきつく閉じたのだった。