22話 流れ着いたその先で
「ミオさん、次はこちらもお願いしたいんですけど………」
「はい、わかりました。大丈夫ですよ」
「あぁぁ!ありがとうございます!きっとそうおっしゃってくださるとわかってました!でも本当に無理してないですか……?今にもそんなはちきれそうなお腹をしているのに………」
そう言って不安そうに私を覗き込むのは、サミュエルという直属の上司だ。私は彼の心配そうな顔に問題ないと微笑むと、頼まれた仕事を済ませる為に書類机へと向かう。
ミオと呼ばれた私──フィオナは、祖国の王都を離れ、はるばる隣国のそのまた先にある国の一つへと身を寄せていた。
「今は八ヶ月だから生まれるのはまだ先ですよ。それにご領主様も生んだ後も働いて良いとおっしゃってますから、すぐにでも復帰するつもりですし」
「えぇぇぇ?ミオさんてホントスゴイ。まさに職業婦人の鑑みたいな人ですよねぇ。まぁお陰様で私らは非常に助かってますけども」
そう言ってのけるサミュエルは、大学の薬学部に勤める教授の一人だ。腰が異常に低い人物だが、これでも彼はこの国では薬学界のトップに君臨する人である。
そんなスゴイ人にこれだけ頼りにされているのは、私が祖国の学園で必死に勉強し、様々な専攻を取っていたからに他ならない。
薬学に関することは当然のこと、特に力を入れていたのが語学の分野で、周辺諸国の言語については、それこそ専門的な論文に至るまでかなりの数を読み漁っていた。
おかげで日常会話は当然のことながら、普通では翻訳の難しい専門的な分野の言葉まで、特に苦労なく読めるのだ。そんな私が今任されているのは、各国の論文の翻訳。そして各国からこの大学へと訪れる研究者たちの通訳だ。
元々は王都にある学園の図書館にある書物を全部読めたらいいなという、そんな思いで学び始めた語学だった。けれどそれが今こうして役に立っているのだからわからないものである。
「んん~っ!ちょっと休憩!」
「あ、ミオさん。お茶入れますよ。いつものでいいですよね?」
「すみません、教授!……いつもありがとうございます!」
「いえいえ!こちらこそ!ミオさんがいないともう、書類仕事が溜まっちゃって、溜まっちゃって………いつも感謝してるんですよ」
翻訳の書類をひと段落させれば、いつものごとく教授がお茶を淹れてくれる。分厚い眼鏡の奥で楽し気に目を細め、鼻歌を歌っているその様は、彼の方がこの研究室の助手に見えるだろう。
毎度のことながら恐縮しつつお茶を受け取れば、華やかな香りがふわっと鼻腔をくすぐった。ほっとする一時だ。
「美味しい……教授って本当にお茶を淹れるのがお上手ですよね?何かコツがあるんですか?」
「ぇぇえ?コツですか……んん、そうですねぇ……」
そう言って暫し考えこむサミュエルは、難しそうな顔をしているもののまるで二十代前半のような若々しさだ。実際は三十をとっくに超えているというのだが、実年齢はよく知らない。
「やっぱり誰かを笑顔にする……そんなことを思いながらお茶を淹れることでしょうか?だからきっと美味しく淹れられるのかもしれないですね」
へへ、と照れたように笑うサミュエルに、私は彼と初めて会った時のことを懐かしく思い出していた。
王都を出ると決めてから、私は自身の行く先について考えを巡らせた。同じ馬車にずっと乗っているのはあまりよくないかもしれない。けれどこのまま国に留まるのも危険だ。
だから一旦は王都を出る馬車に乗ったものの、隣町に入ってすぐに降りて別の道を行くことにしたのだ。そしてその伝手は直ぐに見つかった。隣国へと戻る商隊がいたのだ。
最初は女の一人旅ということで煙たがられ、断られそうになったのだが、私が見習いでも薬師であると知ると、彼らは旅の不安を少しでも解消できると喜んで迎え入れてくれた。
そうして私は彼らと共に国境を越え隣国へと入った。しかしいつまでも彼らと共にいるわけにはいかない。常に旅をして商売をしている彼らと違い、私は身重の身体だ。このまま商隊の薬師として雇われないかと誘われたが、私はそれを断り、また一人旅に戻った。
そして隣国の地でどう生計を立てて行こうか悩んでいた時のことだ。街中をぶらついていた私は、よそ見をしていたせいで人とぶつかってしまった。
「わっ!!」
「きゃっ!」
バサバサッと大きな音がしたかと思うと、目の前に散らばったのは大量の紙と本。それらは相手が落としてしまったものだった。
私は慌ててそれらをかき集めた。そして内容ごとに並べてから相手の男性へと渡そうとしたのだが、気が付けばがっしりとその腕を掴まれていた。
「き、君っ!この論文が、もしかしてよ、読めるの?!」
「え?え?」
ものすごく切羽詰まったようなその様子に、思わずがくがくと首を縦に振ったのを覚えている。それが薬学の教授であるサミュエルとの出会いだったわけだが、今思えば彼は相当に怪しい人だった。
けれど彼の言葉に手元の資料を見れば、それは私がこれまでずっと学んできた薬学の分野に関する論文。しかも読み慣れた母国の言葉だった。
勿論読めるとそう答えてから、はたと彼が話している言葉が、今いる場所のそのまた隣の国の言葉であることに気が付く。彼は薬学には非常に精通している人だったが、言語の分野は得意ではないらしく、その場で資料を私に見せては、これは読めるか、こっちはどうだと次々と質問をしていった。
あまりに唐突で目を白黒させていると、ナンパでもしないような強引さで近くのカフェに連れていかれ、それから小一時間ほどは彼に質問攻めにされたのだ。おかげでこうして就職先を手に入れたわけだが、あの時、ようやく一息ついたと頼んでくれたお茶と、彼の照れたような嬉しそうな笑顔が今でも印象に残っている。
私の方は事情が事情だけに全部の説明はできていないが、それでも身重の身体であることを承知の上で雇ってもらった彼には、感謝の念しかない。
そうしてフィオナだった私は、誰も知らないミオという女性として、サミュエルの勤める大学に彼の通訳兼助手として雇われることになったのだ。




