20話 嫌な予感(ルーファウス)
遠征から戻った僕はいつも通りを心がけて過ごしていたはずだった。けれどどうにも心身の不調は戻らないようで、医師に暫くの間、休養を取るようにと命じられてしまった。
休養と言ってもただ寝ているばかりでは余計なことを考えてしまう。だから敢えて外出をして気を紛らわせようとしたのだが──
「っ──……」
何気なく歩いていたはずなのに、足が勝手にフィオナの勤めている薬局へと向かってしまう。
もう何度この道を歩いただろう。彼女と出会ってからというもの、何の変哲もないこの道のりを行くことが、自分にとってかけがえのない時間で会ったことを思い知らされる。
通りの先にある薬局が見えてきて、慌てて踵を返そうとしたその時、薬局から出てきた人影に思わず足を止めた。
(あれは──誰だ?)
忘れ物をした客を追いかけて店先まで出てきたのであろう店員の姿に、僕の目は驚きで見開かれた。
背の高い若い男の店員──フィオナからは、店員は年老いた店主と彼女だけと聞いていたから、それが新しく入った人物だとわかる。だが何故かその事実に、心の奥底がヒヤリとするのを感じた。
(いや──彼女は妊娠していたんだ……だから代わりの人間が入っていたとしても何もおかしくはない……)
そう自分に言い聞かせるようにして、僕は来た道を戻った。けれど真実は想定していない別のところからもたらされるものだ。
外出から戻った僕を待ち構えていたように、ヒースクリフが詰め寄ってくる。その顔はどこか青ざめているようだった。
「おい、話がある。来い──」
有無を言わせないようなその物言いに、僕は断ることもせずにただの後についていく。
元々休日だったヒースクリフは、僕を連れて騎士団の寮にある部屋ではなく、彼の実家の屋敷へと向かったのだが──
「っ──アンタはっ!」
「お前は──」
案内された屋敷の客間に入ってすぐ、目に入ってきた人物に僕は思わず手が出そうになった。それを寸でのところで押しとどめたのは、他でもないヒースクリフだ。
「落ち着けっ!馬鹿な真似をするんじゃない!」
「っ──!……わかってるっ!……わかってるさ………」
客間にいたのは、あの日、フィオナと共にいたヘンリーとかいう医者だ。そして彼女のお腹の子供の父親でもある。憎たらしいことに──
もう数か月も前の出来事だと言うのに、未だに目の前が真っ赤になるくらい、怒りでどうにかなってしまいそうになる。だが相手も僕の存在が憎たらしいのか、ものすごい剣幕で睨まれた。僕からすれば彼女を奪っていった男に、そんな目で見られる筋合いはないのだが。
けれどそんな僕たちを冷静にさせようと、ヒースクリフが間に割って入り、離れた席を指し示してそこに座るように告げた。
未だ燻る怒りはそのままに、僕はなるべく憎らしい相手の姿を見ないようにと顔を背けて席に着く。相手も同じようにして座るが、ヒースクリフだけは一触即発の空気を感じ取ってか、立ったままだった。
「……それで?話っていうのは?」
本当なら話したくもないような気分だったが、早く切り上げる為にも自分が先を促さなければならないと思い、ヒースクリフに向けて問う。その言葉に僅かに安堵の表情を見せた彼は、思ってもみないことを口にした。
「……お前、彼女が…………フィオナ嬢が妊娠してたことを知ってたのか?」
「はっ……!そのことか……それなら目の前にいるその男の方がよく知っているだろう?」
どこでどう知ったのか、ヒースクリフは彼女の妊娠について聞いてきた。もしかしたらお腹の出てきた彼女の姿をどこかで見たのかもしれない。だからその父親が俺ではないかと心配になり、この場を設けたのだろう。勿論彼女とはそんなことになった事実はないのだから、ヒースクリフの懸念は見当違いもいいところなのだが。
だが僕の言葉に答えたのは、ヒースクリフではなく相手の男の方だった。
「はぁ?!なんだそれ?アンタ、あの後フィオナと話したんじゃないのか!?なんでそんな言葉が出てくるんだ!」
「何だとっ!?」
「落ち着けって!怒鳴り合っても話が進まないだろうに!」
立ち上がり互いに掴みかかりそうな雰囲気に、すぐにヒースクリフが止めに入る。
馬鹿馬鹿しいこの話し合いを一刻も早く切り上げてしまいたかったが、相手の男に文句の一言でも言ってやらねば気が済まないと思い直し、再び席へ着く。相手も同じようにして腰を下ろした。
「……全く、普段怒らない奴がこうなると、手が付けられんな……だが今はそれどころじゃない事態だ。冷静さを失うんじゃない」
「……わかってる」
渋々頷けば、今度はヒースクリフは相手の男へと体を向ける。そして似たような内容のことを男に向けて問いかけた。
「……貴殿はフィオナ嬢の妊娠について、どういった経緯で知った?」
「……そりゃあ俺が医師だからに決まってる」
「──というと?」
憤然とした様子の男に、更に続きを促す様にヒースクリフが問いかける。すると男は苛立ちを含ませながらも言葉を続けた。
「……あの日、久しぶりに再会して飯でも食いながら話そうとしたら、フィオナが気分が悪いってなって……その後は俺の師匠が診察して妊娠していると判断した。だから彼女の妊娠を俺が知っているのは当然だ。同じ医局に勤める医師として患者の容体を把握してないでどうする」
怒りを押さえつけながらも淡々と事実を述べていく男に、僕はそれまでと違う何か──酷く嫌な予感がしていた。何かとても、大きな間違いを犯してしまったかのような。
そんな僕をよそにヒースクリフは更に男に問いかけた。
「庭園で騒ぎになった時に、フィオナ嬢と一緒にいたのはどうしてだ?彼女と付き合いがあったのか?」
「それは……フィオナとは学生時代の付き合いだったけど、ただの友人関係だよ。でも……妊娠を知った彼女はとても放っておけるような状態でなかったから……だから知り合いの店に妊婦用の料理を出しているところがあって、それを朝食に届けるついでに話を聞こうと思って、それで…………」
うまく言葉が紡げないのか、男はそれきり黙ってしまった。だがそれだけでもヒースクリフは十分だと思ったのか、僕の方へと向き直った。その目には酷く何かを後悔しているような色を滲ませて──
「……まさかこんなことになるとは……………いやあの日、ちゃんと俺が真実をお前に伝えてさえいれば…………」
そう言って顔を覆い項垂れるヒースクリフに、頭の中でずっと鳴っていた警鐘が次第に大きくなる。そして決意したような彼がその視線を上げた時、ついにそれが弾けた。
「……フィオナ嬢のお腹の子の父親はお前だ……ルーファウス……」
誤字報告ありがとうございますm(__)m




