1話 報われない恋物語の始まり
私の名前はフィオナ。苗字も何もない、ただのフィオナだ。
ごく普通の両親のもとに生まれた私は、少しばかり賢かったのと両親の支援のお陰で、王都にある学園に通うことができた。田舎出の平民にとって王都の学園に通うということは、かなり恵まれた環境だけど、勿論努力も必要だったのは言うまでもない。
学園は貴族の子女や裕福な商人の子が多くいて、時には随分と肩身が狭い思いもした。そんな中でも頑張れたのは、苦労して学校へ通わせてくれた両親に恩返しがしたかったからだ。
けれど残念なことに、両親は私の卒業を待たずして二人とも流行り病で亡くなってしまった。
それで一時は人生の目標を見失い途方に暮れてしまったけど、教師の強い勧めと友人の励ましもあって、結局は薬学の道へと進み、両親のような病で亡くなる人を一人でも減らす為に生きることにした。
そうして必死で努力し続けた結果は裏切ることなく、私は優秀な成績を修めることができ、卒業後には薬師見習いとして王都の薬局で働けることになった。
そんな私が彼と出会ったのは、薬師見習いとして勤め始めて一年目のこと。
出会ったと言っても、一方的に私が知っていただけで、彼の方は私のことなど知りもしなかったのだけど──
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「お嬢さん!危ない!」
「え?きゃっ……!」
買い物の為に街中を歩いていた時のこと。
突然の声に振り向けば、大きな荷車がこちらに傾いているのが見えた。視界いっぱいに迫るその影に、身動き一つ取れずにいると、横から大きな力で引き寄せられる。
「っ……!」
何が起こったのかわからないまま、視界がぐるりと回転する。体ごと倒れこんだのだと理解した時には、大きな何かに包まれていた。
「……大丈夫?」
「え……と…………」
「下敷きになりそうだったから咄嗟に引き寄せたけど、どこかくじいたりしていない?」
耳元で低く囁かれた声に、驚きや恐怖よりも羞恥心で溢れた。頬が熱い。
今私を包み込んでいるのは、荷車に轢かれそうになっていた私を助けてくれた人なのだろう。突然の出来事に、私の頭は混乱していた。
「だ、大丈夫です……どこも……い、痛くないので」
私は挙動不審になりながらも、何とかその言葉を紡いだ。我ながら情けないほどにどもってしまっている。
「怪我がないならよかった。すまないが、急いでいるからこのまま失礼するよ。もし何かあったら騎士団のルーファウスを訪ねてきてくれ!それじゃぁ!」
そう言った彼は爽やかな笑顔を見せると、あっという間に立ち去ってしまった。
その言葉の通り彼は騎士団の制服を着ており、とても急いでいるのだろう。美しい金の髪が乱れるのも構わずに、人混みを掻き分け走っていく。通りの奥が酷く騒がしいから、事件か何かがあったのかもしれない。
立ち去るその後ろ姿を暫し呆然と見つめた後、私は抱きしめられたその熱を頭の中で反芻しながら帰路に就いた。
それが彼と出会った最初。
出会いと言っても互いにほとんど顔を合わせてないし、私が見たのはほんの僅かな横顔と後ろ姿だけ。抱き寄せられていたから彼の方はきっと、私の顔を見ていないだろう。
それでも私にとっては、一瞬で彼に心を奪われてしまうほどの出来事だった。
とはいえ私はしがない平民の薬師見習い。騎士で多分、貴族である彼とどうこうなろうという気は毛頭なく、それまでと変わって騎士団に興味津々なただの一ファンになっただけ。
時折、街中で騎士団の制服を見かければ、ついつい覗きに行ってしまったりもしたけれど、勿論そう簡単に出会うことなく、彼との出会いはいい思い出の一つとなって心にしまわれただけだった。
それがあんなことになってしまったのは、彼との最初の出会いから一年が経った、あの2度目の時──
もしあれがなければ、今も彼は隣にいてくれただろうか。変えられない過去についてあれこれ考えてしまうのは、虚しいことだとわかっていても止められない。
それほど私にとって彼、ルーファウスの存在は大きくて、忘れられないものになってしまったのだから。