13話 恐れていたこと
「おそらく妊娠してますね」
「え――?」
連れてこられた医局で、ヘンリーの師にあたる医師に診てもらえば、返ってきたのは私が一番恐れていた答えだった。
「元々不安定だったとはいえ月の物が来てないということだし、匂いに敏感になったのも妊娠の兆候でしょう。ご自身でも心当たりがあるのでは?」
「それは…………」
心当たりがある──けれどそれは無意識の内に避けていた答えだ。
その後も医師からあれこれと説明されたが、正直ほとんど頭の中を素通りしていった。妊娠したという事実と、それがルーファウスの子であるという事実だけが、重たく私の胸の内を占めていて、それ以外のことは何も入ってこなかった。
診察を終え部屋から出た私を、ヘンリーが待っていた。
「なぁ、送ってくよ。アイツまだ来てないみたいだし」
「あ、……うん……」
診察自体はそこまで時間がかからなかったから、このまま戻る方がいいかもしれない。そう思い、ヘンリーの提案に頷いた。
医局を出てヘンリーと二人、雑踏の街を歩く。日も傾く時間帯になってきて、人通りも少しは落ち着いているようだったけど、ヘンリーは私を庇うようにして手を握り歩いた。
いつもの私なら、ルーファウスに申し訳ないと、その手を振り払っていただろう。けれど今の私には、そうして誰かに手を引いてもらわなければ、道の真ん中で立ち尽くしてしまっていたかもしれない──それほどまでに妊娠という事実が私に与えた衝撃は大きかった。
「なぁ……あの騎士との関係ってさ。聞いてもいいか?」
歩きながらおもむろにヘンリーが聞いてきた。俯けていた顔を上げると、少しだけ困ったような顔をしたヘンリーと視線がぶつかる。
「……嫌なら答えなくていいけどさ……フィオナって、自分の中に色々溜め込むだろ?学生時代もそうだったし」
「っ……」
両親が亡くなった時のことを言っているのだろう。あの頃の私は、突然の両親の死に耐えられず、一人で部屋に閉じこもっていた。愛する家族の死とともに目指すべき目標を見失い、自分の居場所が分からなくなっていたのだ。
そんな時に親身になって声をかけ話を聞いてくれたのは、担任の教師とヘンリーだった。
『フィオナが授業に出てこないと、俺が困るんだよ!他でもないこの俺に必要とされているんだから、いつまでも部屋に閉じこもってんな!』
優しく声をかけてくる教師に対し、ぶっきらぼうで自己中心的なその言葉に、思わず笑ってしまったのを今でも覚えている。それがヘンリーなりの優しさであることを、よく知っていたから。
「……変わらないね。ヘンリーって」
「そうか?遅刻はしなくなったけどな」
「ふふ……そうだね……でも変わってないよ。いい意味で」
「あぁ、そうかもな」
他愛の無い会話。それ以上ヘンリーは何かを聞いてくることなく、ただ黙って二人で歩いていく。学生時代に黙々と図書室で勉強していた時のことが思い出され、懐かしさと共にふとした切なさが胸に去来する。
(あの頃は、こんなことになるなんて、思ってもみなかったな……)
予期せぬ妊娠。しかも相手はその時のことを覚えていない上、貴族で婚約者がいる。
いつかは子供を産んで自分の家族を作って──そういう未来を思い描いていたこともあった。けれど今、目の前に突きつけられた現実は全く違うものだ。
決めなければいけない──自分の未来を、このお腹に宿った小さな命の未来を──
(……生む……それは絶対…………)
ただ黙々と歩いていれば、やがて色々なことに思考が巡っていく。一番最初にたどり着いた答えがこの子を生むというものだった。
(堕ろすなんて絶対に無理……でも………)
次に思い浮かんだのがルーファウスのこと。
彼は貴族であの女性と婚約をしている。私との将来を考えていると言っていたけど、それが結婚や子供のことも含まれているかどうかはわからない。どう考えても世間一般の常識では、平民が貴族とどうこうなるなどあり得ないのだから。
(ルーファウス様なら生んでいいって言ってくれるはず……でもその先を望んでも、本当に許されるの?……あの女性がいるのに……彼女が許さないって言ってたのに……)
あの日見た光景が頭をちらつく。私の前では見せないような貴族的な笑みで、見たこともないような豪華な衣装を着ていて。
あの日見た貴族然としたルーファウスの姿。そんな彼の前で真実を告げて、それでも本当に私を──私とこのお腹の命を受け入れてもらえるのだろうか?
……正直に言えば自信がない。もし少しでも拒絶されれば、きっと心が折れてしまうだろう。それほどまでに今の自分の精神状態は危うい。
(でも──……伝えないわけにはいかない……だって彼が父親なのだから)
妊娠さえしていなければ、あの夜のことをずっと黙っているつもりだった。今でもそうしたいと思う。
けれど、あの夜がなければこの命は授かることはなかったのだ。ルーファウスに子供ができたことを伝えるなら、あの夜のことを説明するのは絶対に必要なことだ。
「……でも、信じてもらえるかな……」
「あ?……」
「ううん……何でもない」
「あぁ……」
再び堂々巡りのような思考の迷路に迷い込んだ私は、首を横に振って黙々と歩みを進めた。
その後、ヘンリーと共に薬局へと戻ったけれど、ルーファウスとは入れ違いになってしまった。配達についてはルーファウスが途中でいくつか代わりに届けに行ってくれたようで、もういいからと薬局の店主に言われた。ただただ申し訳なさばかりが募る。
結局そのままルーファウスと話すこともできず、私は仕事を休むことになり、ヘンリーに送られ家路につくことになった。
そうして色々な事を考えながら家に帰れば、疲れのせいかすぐに眠りについたのだった──