12話 医者と騎士と
「その手をどけろ」
「えと……騎士様、何か誤解があるようですが……」
剣呑なルーファウスの様子に驚きつつも、ヘンリーは私を庇うように手を握りしめる。すると更に低い声でルーファウスが詰め寄って来た。
「その手をどけろと言っている!」
「ちょ、ちょっとアンタ何すんだよ!」
ヘンリーの腕を掴み、私から引き離そうとするルーファウス。腕を捻られたヘンリーは堪らず尻もちをついた。
「フィオナ!大丈夫か?!」
ルーファウスはヘンリーを押しのけ、慌てた様子で私の前に跪く。その頃にはようやく少しだけ落ち着いたので、彼の問いかけに小さく返答することができた。
「……大丈夫……」
「そっか……よかった……」
ほっとして息を吐くルーファウスに対し、今度はヘンリーがその頭上に怒りの声を落とした。
「いいや、大丈夫じゃない!その証拠にこんなにまだ顔色が悪い!」
「っ……さっきから何なんだ貴様は……」
声を張り上げ睨みつけるヘンリーに、再び険しい顔をしたルーファウスが立ち上がり、相手を睨み返す。
体格のいいルーファウスに見下ろされ僅かに怯んだヘンリーだったが、彼はキッと視線を鋭くするとその持ち前の勢いの良さでルーファウスに詰め寄った。
「フィオナは具合が悪いんだ。だからきちんと診察をする必要がある。あと俺のこと不審者みたいに思っているようだけど、こう見えて俺は医者だ。あと彼女とは昔馴染みで友人。ついでに言えば、俺からしたらいきなり怒鳴って来たアンタの方が不審者だから」
「っ……!」
騎士姿のルーファウスに対して一つも臆することなくズケズケと言い放つヘンリーに、冷や汗が出てくる。けれど未だ続く気分の悪さもあって、二人の間に割って入ることができない。
暫し二人の間に剣呑な空気が漂っていたが、白衣を着ているヘンリーを見て彼の言葉が真実であるとわかったのだろう。僅かに態度を和らげたルーファウスは、私に振り返って心配そうに声をかける。
「フィオナ……具合が悪いのか?どこか痛むのか?」
「…………っ」
その言葉に私はうまく答えることができずに、首を横に振った。具合が悪いが身体が痛むわけではない。だがルーファウスは困ったように眉を下げると、私の手を握る。
「配達に出てたんだな……だがもう休んだ方がいい。送っていくよ」
そう言って私を横抱きにしようと背中に手を回すが──
「ちょっとアンタ、それはダメだ」
「……なんだと?」
横抱きにするのを止めに入るヘンリーに対し、低い声で聞き返すルーファウス。だがそんな騎士の怒りに動じることなく、医者であるヘンリーは至極真っ当な答えを突き付ける。
「そんな金属やら硬い革やらでゴテゴテに装備付けてるアンタが抱き上げたら、体が痛いだろ?そうやって抱き上げられるのも結構体力を使うんだ。あと今は特に気分が悪いみたいだから、下手に動かす方が良くない」
「っ……それは……」
「フィオナ、眩暈はするか?」
ヘンリーが突然私へ向けて声をかけてきたので、私は一呼吸して気分を落ちつけてから答えた。
「……今は大丈夫……でも揺れると辛いかも………」
「……そっか。もう少し休んだら自分で歩けそうか?辛いならおぶるけど」
「……大丈夫………」
「ん。じゃあもうちょっと待ってから俺の勤めてる医局に行こう。すぐそこだから」
「おい!」
会話から疎外されたルーファウスが声を荒げる。だがヘンリーはそんな彼を冷たく見据えると、ズバッ己の意見を言い切った。
「今フィオナに必要なのは医者だ。医者の俺が言うんだから間違いない。あとフィオナの知り合いで騎士なんだったら、アンタには他にやるべきことがあんだろ?」
そう言ってクイと顎で私の配達の荷物を指し示す。ハッとしたルーファウスがそちらへ視線を移した。
「フィオナの勤めている薬局に彼女の不調を伝えるなら、騎士のアンタが行った方がいい。このまま配達が遅れてフィオナが叱られるの、アンタだって望まないだろう?」
「あ、……あぁ………」
「うまいこと言っておけよな。あとできれば彼女が明日も休めるようにしてやれ」
「ヘンリー、私そんなつもりは……」
「いいからフィオナは黙って休んでおけ。そんな顔色して、倒れでもしたらどうする?医者の言うことは素直に聞くべきだろ?」
「……でもヘンリーだし……」
「学生時代の遅刻魔ヘンリーならな。だけど今は歴とした医者で遅刻をしないヘンリーだぞ。素直に俺の言うことを聞いとけよ。な?」
「……そうだね」
休むのを渋る私に、ヘンリーが茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。その態度に思わず笑みを零せば、いくらか気分が良くなってきた。まだ胸の奥がもやもやする感じだが、立ち上がれないほどではない。
「……じゃあ一応診てもらうことにする。もうだいぶ落ち着いたから歩けそうだし」
「ん、じゃあ行こうか」
そう言って手を差し伸べようとするヘンリーだったが、ルーファウスが先に立ち上がり私の手を取った。
「フィオナ……荷物はこれで全部?薬局に伝えたらすぐに迎えに行くから」
「あ、………でもお仕事中なのに悪いですから……」
「っ……これくらい大丈夫だ。寧ろこんな時くらい頼ってほしい……」
「……すみません……」
「いいんだ……じゃあまた後で……」
互いにどこかぎこちなくなってしまったまま、暫しの別れを告げる。ルーファウスは私の荷物を持つとそのまま振り返ることなく雑踏へと姿を消した。
その後ろ姿に、私は彼に感謝の言葉一つ伝えてないことにようやく気が付いた。仕事の邪魔をしてしまったとか、貴族の彼に雑用をさせてしまったとか、そんなことばかりに気がいっていて、一番大事なことを伝え忘れてしまっていたのだ。
(……最低だ………私……)
自己嫌悪で酷く落ち込む。そんな私を傍らで見ていたヘンリーが、ぱっと手を取り声をかけてくる。
「医局へ行くぞ。あの通りの向こうだ」
何も聞かずにいてくれるそんな不器用な優しさに、今はただ素直にうなずいた。