9話 遭遇
ルーファウスとの一夜を過ごした翌日。仕事が休日だった私は、一旦家に戻ってから買い出しの為に再び出かけることにした。
しかし家を出てすぐに思いもよらぬ人物と遭遇することになる。
「貴女がフィオナさん?」
「え?……はい、そうですが……」
呼びかけられて振り返った先にいたのは、明らかな貴族の恰好をした女性。侍従らしき人物と護衛とに囲まれて、こちらに鋭い視線を向けている。
私は瞬時に彼女がルーファウスに関わる人物だと理解した。私と繋がりがある貴族と言えば、彼くらいしかいないだろうから。
勿論、平民である私にとって複雑な貴族社会での人間関係など知る由もなく、家名を聞いてもそれがどこのどんな貴族かさえわからない。だが目の前の女性が向けてくる明らかな敵意に、直観的にそう思った。
「フィオナさん、貴女にお話があるの。少々お時間よろしくて?」
「……は、はい……」
一応こちらの都合を聞いてはくるが、彼女や周囲の侍従が放つ雰囲気は、有無を言わさないものだ。私は大人しく彼女の後についていき、用意されていた馬車に乗った。
馬車はこれまでの人生で一度も乗ったことがないような、貴族用の豪華なものだった。外装もさることながら、内装も贅が尽くされており、平民である自分が本当に座ってもいいのかと恐縮してしまうほどだ。
だがいつまでも立ったままの私に、貴族女性は眉を顰めて顎でついと座るように指示をする。そのなんともいえぬ威圧感に私は俯くことしかできず、浅くそれに腰かけた。
「……何のお話かわかっていらっしゃるかしら?」
「…………」
挨拶もそこそこに冷たい声でそう言われ、返事に窮する。問われているのがルーファウスとのことだと分かっていても、心がそれを口にするのを拒絶する。
いつまでも黙っている私にしびれを切らしたのか、女性は大きくため息を吐くと、自ら語り出した。
「……ルーファウス様についてよ。貴女、あの方が高貴な出の方とわかっていらっしゃるのかしら?」
「あ………え、と……」
「しがない平民の薬師の分際で、あの方に付きまとって、迷惑になっていないとでも本気でお思いなのかしら?だとしたら流石平民とでも評するべきね。図々しいというか愚かというか……」
呆れたようなその言葉は、明らかにこちらを蔑むものだ。だがそれに何一つ反論できるものを私は持ち合わせてはいない。
貴族と平民という明確な身分差。それに加えて私では知りえないルーファウスに関する物事を、彼女は数多く知っているのだろう。そしてそれは貴族としてのルーファウスを助け、支えることができるものなのだ。
相変わらず彼女の言葉に何も返すことができない私に、目の前の女性は冷たい視線を投げつけたまま言葉を重ねる。最早、私の返答など求めていないかのように。
「いいこと?貴女がいつまでもルーファウス様に付きまとうということは、彼の立場をとても危うくするの。彼には平民ごときには理解できない、やんごとない事情があるのよ。
恋をすること自体は罪ではないし、私もそこまで鬼じゃないから、想うだけなら一人で勝手にすればいいと思うわ。
けれどそれを直接あの方へとぶつけるのは許さない。──これ以上付きまとうようだったら、平民である貴女に対して貴族としての力を存分に使うつもりよ」
「っ──」
馬車の中にヒヤリとした空気が流れる。今は侍従や護衛の騎士は外にいるが、彼らはみな、目の前の女性の味方なのだ。その言葉の通り、私という存在を排除しようと思えば、今すぐにでもできるのだろう。
あの夜感じた恐怖とは違う命の危機に突然晒されて、身体が小さく震えだす。そしてそんな私を冷たく見据えたまま、彼女は最後にとどめを刺した。
「何故わざわざこんなことを言うのか、わかるかしら?これでも貴女が傷つかないよう最大限優しくしてあげているのよ。貴女はご存じないかもしれないけど、あの方には婚約者がいるの。
──この私という婚約者がね」
「っ!!?」
婚約者──その言葉が深く胸に突き刺さり、心臓が凍り付く気がする。そしてそれまで言葉にできなかった想いが、混乱して口をついて出ていた。
「で、でも……私との未来を真剣に考えているって………」
「はっ!そんな言葉遊びを真に受けたの?まぁ愚かだこと。本気でその言葉を信じていたのなら、とんでもなくおめでたい子ね」
「っ……」
真っ向からルーファウスのくれた言葉を否定され、思わず怒りに拳を握る。
けれど貴族社会に疎い私には、どれが真実でどれが嘘なのかわからない。何か反論したとしても、きっとすぐにねじ伏せられ敵わないと思い知らされるのだろう。
それが分かっていたから、ただ口を噤むことしかできなかった。
「……これ以上あの方に付きまとうなら覚悟しておいて。世間的には貴女という存在はただの浮気相手。けれどそんな卑しい存在があの方の周囲にいるなんて、例えそれが噂だったとしても許さないから」
そう言って彼女はすくっと席を立った。いつの間にか馬車は停車しており、女性は一人、外へと出ていく。私はそのままその場にいる様にと外の侍従から命じられた。
女性は護衛と共にどこかの屋敷の敷地へと入っていく。進む先には彼女を待っている人物がいて、それを見た私は驚愕に目を開いた。
(ルーファウス様…………)
優雅にお辞儀をした彼女に艶やかな笑みを見せるルーファウス。そしてその華奢な手を取ると、物語の王子様のようにキスを落としていた。
それはまるで一つの絵画のような麗しい光景。平民の私にはとても現実とは思えないほど遠くにあるような──
衝撃に身を固めていると、暫くしてから馬車が走り出す。まるでその光景を見せつける為だけに出発を後らせていたかのように。
そうして私は放心したまま場違いなほど豪華な馬車に揺られ、自宅へと戻ってきたのだった。