極上の捕虜生活②
いつまでも浴室の前で待つわけにもいかず、ロランと先に新しいアシュリーの部屋へと向かう。
「拷問にはご満足いただけるでしょうか」
「女は風呂好きだからな。放っておけば何時間でも浸かっているに違いない」
ロランに問われて自信満々に笑う。
俺には理解できないが、姉妹も親族も皆、風呂が好きだった。髪や肌の手入れに恐ろしいほどの時間をかけるのだ。それで何が変わるのか分からないが、彼女たちは風呂上りに決まって満足げな顔をしていた。
浴室には魔術式がふんだんに使用され、常に適温の湯が湧き出るようになっている。湿度の調整も適切だし、美肌効果も足されているのだとか。
室内の温度も一定に保たれ風邪をひく心配もないし、きっと皮膚がふやけるまでこの拷問を堪能するはずだ。
香油もマッサージ用の精油も存分に使えと言ってある。
ジゼルはアシュリーに満足のいく入浴をさせることだろう。
「そろそろ嘘が混ざり始めるころですかね」
ソファに腰かけ、冷静な声でロランが言う。
アシュリーを気に入っているようだったが、信用はまったくしていないというのがよく分かる。
「かもしれん」
いくら阿呆だとしても、直接的に自国を滅ぼすほどの秘密は明かせないはずだ。
それにそろそろネタも切れてくる頃だろう。
「だとしても俺たちがやることは変わらん」
もちろんそんなことは織り込み済みで、いくつかの嘘の中に真実がひとつでもあれば十分だと考えていた。
それよりも、情報確認の度に密偵をカラプタリア城から抜け出させるのが難しくなってきていることの方が問題だ。そんなに頻繁に仕事を休ませていては、周囲に怪しまれてしまう。
これからはいくつか情報を引き出したあとで、まとめて密偵に確認させる必要があるだろう。
「王女にはしばらく着替えは粗末なものを与えておけよ」
「なぜです?」
そう指示すると、ロランが首を傾げた。
普通、地上階に部屋を与えられるほど身分の者の場合、身に着ける物もある程度好きなものが許されている。もちろんアクセサリーなどの華美な贅沢品は無理だが、基本は囚人服ではなく上流階級向けの上質でシンプルな服を選ぶことが可能だ。
「噂のように贅沢を好む女なら、ドレスを与えるたびに情報を吐くかもしれん」
拷問の内容をいちいち考えるのも面倒だ。
一着ごとに吐くのであれば、これほど楽なことはない。
「それちょっとセコくないですか」
「うるさいな。年頃の娘が好むようなことなど他に知るか」
呆れたように言われてムッとする。
流行のドレスに化粧品。それに煌びやかなアクセサリー。
若い女性が喜ぶのはそんなものばかりだ。社交界に顔を出さなくなって久しいが、いつの時代もそう変わらないだろう。
囚人として制限がある中では、それらを与えるのが手っ取り早いはずだ。
「そんなだからランドルフ様は未婚なんですよ。せっかくモテてらっしゃったのに」
ため息交じりにロランが余計なことを言う。
「結婚がどれほどのものか。おぞましい」
若い時分に、身分と容姿に目の色を変えて群がってきた女性たちを思い出してゾッとする。
責任が増えて仕事に集中したかったのに、私のご機嫌を取らないなんてありえないと憤慨する婚約者候補たち。彼女らの相手に辟易していた頃を思えば、独身を許された今の状態がどれほど快適か。
諦められたともいえるが。
「ランドルフ様はもう少しご自分の立場というものを考えていただかないと」
ソファでくつろいでいるせいで気が緩んでいるのか、仕事中にも関わらずロランが砕けた口調でお説教じみた愚痴を言い始める。
こうなると頼れる部下もただの面倒な親族と化してしまう。
「うるさいうるさい。宰相としての役割を果たしていれば十分だろうが」
「失礼いたします」
いつものお小言が始まってしまった腹心の部下を適当にいなしていると、ジゼルが扉を開けて入ってきた。
後ろに、ホカホカと湯気を立てながら上気した頬のアシュリーが続く。
髪も肌も小ざっぱりと綺麗になっている。
満足げな顔をしているのを見て、ジゼルが良い仕事をしたらしいのがすぐに分かった。
「入浴が完了いたしました」
「ご苦労。一旦下がっていい」
労いの言葉をかけてジゼルを下がらせようとする。
けれど彼女は一瞬ちらりとこちらを窺い見て、何か言いたそうな顔をした。
「どうした、他に何かあるのか」
不思議に思って問うと、彼女は何事か言い淀んだあとで、結局何も言わずフルフルと首を振った。
「……いえ、なんでもございません。それでは失礼いたします」
ジゼルはぺこりと会釈して退室した。
アシュリーが何者で、どういう事情でこの部屋に移されることになったのか。
聞きたいことが山ほどあるのだろう。だが自分の立場を弁えてすんなり引き下がるジゼルは有能だ。
メイド長の人を見る目の確かさに感心しながら、アシュリーに向き直る。
「それで、本日の拷問はお気に召したか」
正面のソファにぽふんと腰を下ろした腑抜け顔の王女に早速問う。
「ええ、降参ですわ……」
はふぅ、と至福のため息をつき、アシュリーは背もたれに頭を預けとろけるように脱力した。
どうやら予想以上に効果抜群だったらしい。
「……三月の第二月曜日。各地の領主たちが王宮の一室に集い警備が集中するため城全体の警備が手薄になりますわ」
ふわふわとした口調でとんでもない情報をアシュリーが漏らす。
「ロラン、確認を急げ」
「はっ!」
声を鋭くして即座に指示を出す。
ロランは風のような速さで部屋を出ていった。
いくつかまとめてから確認だなんて悠長なことは言っていられない。これが本当ならば大変なことだ。
普通、有力貴族の動向や王城内の警備情報は国外に漏れないように厳重に隠されている。戦時下ならばなおさらだ。敵国に知られれば命取りになる可能性があるからだ。
なぜアシュリーはそんな情報を。
それもたかが風呂と引き換えに。
残された二人の間に沈黙が落ちる。
アシュリーは自分がどれだけ重要な情報を吐いたのか自覚していないのか、ふやけたような体勢のままだ。
彼女は疑念に満ちた視線が向けられていることにも気づいていないようで、血の巡りの良くなったバラ色の頬を満足そうに撫でている。その姿は無防備で油断しきっているようにしか見えず、未だに真意を掴めないままだ。
着古されてペラペラの囚人服に再び着替えさせられても不満もなさそうで、その恰好が妙に馴染んでいた。
何か深い考えがあるようで、やはり何も考えていないようにも見える。
不思議な女だった。
「……貴様の幸せレートは随分と安いのだな」
少しでも本心を探りたくて、あえて小馬鹿にするように言ってみる。
「あら、まだ何かありますの?」
けれどようやく弛緩状態から上体を起こした彼女は挑発には乗らず、まだいたのかというやや迷惑そうな顔で言った。
「いや……」
悪役を演じたのがスルーされた気恥ずかしさに目を泳がせると、アシュリーがハッとした顔になる。
「あっ、この部屋のソファとベッドに関してはノーカウントですわよ!? 同じ内容の拷問で徐々にバージョンアップさせていくのはズルですわ!」
焦ったように子供の遊びみたいなことをムキになって言うので、拍子抜けしてしまう。
ここは敵国の、貴人用とはいえ監獄には変わりないのに、この緊張感のなさはなんなのか。
呆れて少し笑いそうになった。
「馬鹿め。そんなセコイことはせん」
ドレスを段階的に与えて情報を小出しにしようと考えていたことはなかったことにして、鼻で笑う。
「そう……ならいいのですけど」
疑わし気な表情で、ちっともよくなさそうにアシュリーが言う。
その大人げない態度に、どんな裏があるのだろうと気にしていたのが馬鹿らしくなってきた。
「ふん、明日以降の拷問に備えてせいぜい休むといい」
そう言ってソファから立ち上がる。
扉に向かう背中を、アシュリーの視線が追うのを感じた。どうやらまだ疑っているらしい。
廊下に出てから振り返り、閉じかけた扉の隙間から何気なくアシュリーを見た。
その顔には、なんの感情も浮かんでいなかった。
高飛車な笑顔も不審げな表情もない。不気味なほどの無表情だった。
眉間にシワが寄る。
確かめる間もなく扉が完全に閉まった。
見間違いだろうか。まるですべての感情が抜け落ちたかのような顔だった。
だがそれもほんの一瞬のこと。開けて確認するには些細な違和感で、気にする必要もないはず。
何か不穏なものを感じながらも、外から鍵をかけ歩き出す。
部屋に一人きりになるのだから、真顔に戻るのは普通だ。俺だって仕事中執務室に一人でいれば、あんな顔をしているはず。そもそも、囚人が捕らえた相手の前で常に笑顔でいる方がおかしいのだ。
そう思いはするものの、執務室に戻ってからもなんとなくモヤモヤしたものが胸に残った。
もしかして、先ほどもたらされた情報が嘘なのだろうか。
あるいは、脱獄でも企んでいるのか。
だが確認すれば嘘はすぐにバレてしまうし、逃げようにも窓は嵌め殺しで女の細腕では分厚いガラスを割ることもできない。
鎖は外してやったが、魔力封じの手枷はつけたままだ。
何か企んでいたとしても、逃げられる可能性は万に一つもない。
だというのに、最後のアシュリーの表情がいつまでも頭の中から消えてはくれなかった。




