極上の捕虜生活①
その日のうちに再び部下を走らせた。
国境付近の村に滞在させていた密偵に情報を渡し、カラプタリアに戻らせる。
それが正しいことを知ったのは、四日後の夜だった。
「カラプタリアでは王女が行方不明になったと大騒ぎらしいですよ」
「だろうな」
報告書を片手にのんびりと言うロランに笑う。
一国の王女が消えたのだ。騒ぎにならない方がおかしい。
「捕らえた騎士を解放してやるといい」
「よろしいので?」
「王女がこちらの手にあることが知れれば、あちらも下手に動けまい」
ここ数日、久しぶりに前線に動きがあって鬱陶しく思っていたところだ。
少し間が空くと、カラプタリアが思い出したように攻撃してくる。応戦しようとするとすぐ撤退する覚悟のなさに、一体何がしたいのか分からない。
だがそのせいで停戦に持ち込むこともできずにいた。
「かしこまりました」
ぺこりと頭を下げ、部下への指示のためロランが速やかに執務室を出ていく。
静かな部屋の中、新たに得た情報をもとに戦略を練り直す。
アシュリーのもたらす情報の大きさには目を瞠るものがあった。
この先も同等の情報が得られるのであれば、終戦に向かう足掛かりになるどころか年内にも決着がつくかもしれない。
もちろん、すべてが真実であればの話ではあるが。
自らも情報の正しさを検証するために、しばし膨大な資料に没頭する。
ふと顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
そろそろロランが戻ってくる頃だろうかと考えていると、タイミングよくノックの音が聞こえた。
「大喜びで逃げていきましたよ」
入室するなりロランがため息交じりに言う。
王女の解放と引き換えに自分の身を差し出すくらいの気概はないものか。
なんというか、カラプタリアの騎士はあまり質が良くないようだ。
うっかりアシュリーに同情しそうになるのを慌てて中断する。
護衛の騎士がしっかりしていたら、第一王女が敵国に捕まるなんてヘマはしなかったはずだ。
情報を引き出すきっかけを作ってくれた彼らには感謝すべきだ。
「悪逆宰相は慈悲深いという噂が流れてしまうな」
「それで困るのはあなたでしょう」
冗談を言うと、ロランが呆れた顔になる。
「それもそうだ」
肩を竦めて同意する。
拷問なんて手間のかかることに時間を割くほど、宰相というものは暇ではない。
この顔と噂を利用して手っ取り早く情報を吐かせることに慣れてしまったから、噂は尾ヒレが大きいほど歓迎だ。
「だと思って最後に釘を刺しておきました。これは命がけの追いかけっこですので捕まったら鬼に食べられてしまいますよと」
「おまえな……」
その場合、鬼はもちろん俺のことを言っているのだろう。
露骨な脅し文句だ。
文句を言おうとロランを見ると、彼は褒められ待ちの得意げな顔をしていた。
「……まあいい。王女のところへ行くぞ」
「は」
その顔にやる気が失せて、仕方なく立ち上がる。
それから仕上げたばかりの書類を脇に積んで、ロランと地下牢のある監獄塔へ向かう。
三度目の拷問の内容はすでに考えていた。きっと強欲王女様のお気に召すことだろう。
あの女のご機嫌を取っていれば、戦況は大きく変わる。
そんな確信があった。
独房に辿り着くと、余裕の笑みを崩さぬままソファにゆったり腰掛け、王女の貫禄を滲ませてアシュリーが口を開いた。
「それで、今日は一体どのような拷問をご用意いただけましたの? 悪虐宰相様」
自分のもたらす情報の有用性をアシュリーも分かっている。
そしてそれをもっと引き出すために、こちらがどんな対応を取るのかも。
「アシュリー・エヴァーグレン。地下牢からの出獄を許可する」
アシュリーが満足そうに目を細める。
過度の喜びはない。
まるでそう言われるのをあらかじめ知っていたかのように。
ロランが看守から預かった鍵で独房の鍵穴に差し込んだ。
彼女は優雅に立ち上がり、扉が開くのを静かに待った。
魔法を封じる鎖は繋がったままだ。いきなり逃亡を企てる心配はない。
扉が開いて、アシュリーが焦る様子もなくゆったりとした動作で独房を出る。
鎖に繋がれ、くたびれた囚人服に身を包み、風呂で身体を清めることもできていないというのに。
少しも惨めにならない彼女は一体なんなのだろう。
「それで、私はどこへ移されるのかしら?」
地下牢から出ることを許されたからといって、さすがにすんなり解放されるとは思わなかったようだ。
そしてそれは正しい。
「この塔の三階に個室を用意した。カラプタリアの敗戦が決まるまで、せいぜいくつろぐといい」
アシュリーを移送するのは、罪を犯した王族や高位貴族が刑の沙汰を待つ間軟禁される部屋だ。
平民の家よりもよほど質のいいその部屋は、地下牢とは段違いに環境が整っているが、扉には外側からしか開閉できない鍵がついている。
敵国の捕虜とはいえ、王女という身分を持つアシュリーをそこへ入れるのは適切だろう。
陛下からの許可はすでに下りている。これからアシュリーは、正式な捕虜として丁重に幽閉されることになるのだ。
「なるほど。貴族の罪人用の監禁部屋、といったところかしら」
それも想定内だったのだろう。納得したように彼女は頷く。
「ついて来い」
やや不機嫌になりながら言う。
別に感謝しろと言う気はなかったが、こうも当然のように受け止められるとなんだか面白くない。
途中通りかかった雑居房の中から、アシュリーに向けた下種な歓声が上がる。
女の囚人が珍しいわけでもないのに奴らが反応するのは、やはりアシュリーに他の囚人とはどこか異質なものを感じるからだろう。
振り返ってアシュリーの反応を見るが、彼女は涼しい顔のまま囚人たちの歓声を受け流していた。
「わたくしを丁重にもてなすことが次の拷問ということかしら? だとすれば的外れですわね。わたくしは地下牢のままでも一向に構いませんもの」
階段を上りながら、アシュリーが歌うように言う。
ジャラジャラと鳴る鎖の音がまるで伴奏のようだ。
刑場に近いこの塔は、塔全体が虜囚を管理するものとなっている。
今いる地下牢の他に、罪人を裁く裁判施設もあるし、それこそ拷問部屋だってある。
そして囚人の食事を作る厨房もあれば、彼らの身を清める施設だって。
「部屋を移すのはあくまでもついでだ」
三階に辿り着き、アシュリーに与える個室とは別の部屋の扉の前で足を止め振り返る。
「ついで?」
後ろをついてきていたアシュリーがきょとんとした顔で俺を見上げた。
同時に、中から扉が開く。
「お待ちしておりました、アシュリー様」
その中からメイド服に身を包んだ女性が現れ、深々と頭を下げた。
「ジゼルと申します。精一杯のお世話をさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
顔を上げたジゼルの顔に、不満がちらりと覗いてすぐに消えた。
彼女は王宮勤めの使用人だ。長年働くメイド長に、口が堅くて浮ついたところのないメイドをという要望を出したら派遣されてきた。
没落貴族の出身で、礼儀作法がしっかりしているらしい。不満があるからといってわざとミスをして自分の評価を下げるような真似もしない。外部に秘密を漏らすほど愚かでもない。
他人にも自分にも厳しいメイド長には珍しいほどの高評価だ。
どこに配属されてもしっかりこなせる万能さを持っているらしい。
真面目過ぎるがゆえに少し融通の利かない面もあるらしいが、かなり優秀な人材のようだ。
本人もそれを誇りに思い、ゆくゆくは貴婦人の侍女になることを目指していたという。
それなのに罪人塔で罪人の世話をさせられることになるなんて。話が違うと言いたいのだろう。
だがジゼルには申し訳ないが、彼女ほどの適任はいない。今はまだアシュリーの機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「湯浴みの準備は整っております。心ゆくまでおくつろぎくださいませ」
言いながらジゼルが身体を引いて、部屋の中が見えるようにする。
「……まあ!」
そこは貴族の罪人用の浴室だった。
監獄に似つかわしくないほど豪華に作られたそれは、王宮の浴室とほとんど遜色はない。
おそらく、カラプタリアのものにも負けないだろう。
「まあまあまあまあ!」
その証拠に、アシュリーは目を輝かせている。
どんなに図太い女でも、さすがに一週間も風呂に入れないのは堪えたのだろう。
俺が何か言うより先に、アシュリーは勝手に浴室の中に入っていった。
「ジゼル、おまえにはすまないが、アレの世話と監視を頼む」
「お任せください、アーキンズ宰相閣下」
「何か妙な動きがあればすぐに報告するように」
「かしこまりました。必ずやご期待に応えてご覧に入れます」
恭しく頭を下げて、ジゼルが内側から浴室の扉を閉める。
不満そうな態度はもうカケラもなかった。
「プロですね」
ロランが感心したように言う。
「これが済んだら我が国の王女殿下の侍女に取り立ててもらえるよう推薦状を書くことにしよう」
「賢明なご判断かと」
ジゼルを気に入ったのだろう。
茶化すでもなくロランが言って、閉まった扉に向かって敬礼を送っていた。