二度目の拷問①
「あの女の話、どう思う」
地下牢からの帰り道で確認のための指示を終え、執務室に戻ってロランに問う。
アシュリーからの情報は予想よりもはるかに有用だった。
カラプタリア城の敷地内にある厩舎の裏側。北に五十メートルほど行くと、地下に続く秘密の扉がある。その中は敵の急襲から王族が隠れるための避難部屋となっているらしい。
「真偽はともかく、こちらに有利なカードではありますね」
「ああ。攻め入った際に王族に逃げられたら厄介だ」
そういった秘密の小部屋があるだろうことは予想していた。
城内の人間を殲滅できたとしても、王族さえ逃げ延びられたら再興の目はゼロではなくなるからだ。
実際アストラリス城にも、王族のみが知る隠し部屋や通路はあちこちにある。
「鍵の在処は別の拷問で、とのことでしたけど」
「何が拷問だか……だがその情報もほしい」
「もし本当だったら、ですが」
「まあな」
同時に嘆息する。
アシュリーの提案は、拷問を先延ばしにするための嘘だと思っていた。
だからもっとしょうもない情報を小出しにしてお茶を濁すか、そもそも最初から大した情報なんて持っていないのではとも考えていたが、どうもそうではないらしい。
せめてワガママ王女お気に入りの商人でも分かれば密偵を潜入させやすくなる。引き出せる情報なんてそれくらいで、それすらちょっと脅せば簡単に吐くと思っていた。
あとは人質としての役割さえ果たしてくれれば、それでいいと思っていたのだ。
だからこれは思わぬ収穫だった。
もし小手調べのように提示された今回の情報が本物であるなら、他の情報も期待できるということになる。
「確か今回調べさせていたのがちょうど厩舎周辺だったな」
果たしてこれは偶然だろうか。そこも気になっていた。
アシュリーは馬丁の正体を見抜いていた。あれがハッタリでないのなら、囚われる前に密偵の動きに気づいていて、それを示唆するためにこの情報を明かしたのではないか。
「こちらをからかうための嘘という可能性も」
「だが密偵に確認したらすぐに分かることだ」
すでに確認のため部下を走らせている。
戻ってくるまで真偽は分からないが、なんとなくアシュリーは本当のことを言っている気がしていた。
「……いくつか本当のことを言って信用させた後、こちらにとって致命的な嘘を混ぜるつもり、とか」
ロランもそう感じているのだろう。
あれが嘘ではないとした上で、別の可能性を考えていたようだ。
「かもしれん。これから先どんな秘密が飛び出しても、あの女を信用するなよ」
「誰に言っているんです」
優秀な部下が嫌そうな顔をする。
虜囚に対しても丁寧な物腰は崩さないが、決して情に流される男ではない。
ロランは誰よりも信頼している部下だ。
「確認はいつになる」
「ちょうど明日が密偵と落ち合う日です。明後日の夕刻には戻りましょう」
密偵は国境付近の小さな村に定期報告にくる。
その密偵と落ち合うために、今頃部下は馬を飛ばしているはずだ。
「明後日か……待ち遠しいな」
壁掛け時計を見て呟く。
もしアシュリーから本当にカラプタリアの情報を得られるのだとしたら、これほど嬉しいことはない。
そこまで愚かには見えなかったが、できれば噂通り自己保身のため平気で国を売るようなワガママ放題の悪女であってほしい。
「独房の硬い寝床にお姫様が根を上げる方が先かもしれませんね」
ロランが薄く笑う。
普段感情の読めない微笑ばかりの男の、楽しそうな笑顔というのは気味が悪い。
「……今回の要求を呑んだ後は、柔らかいベッドでも餌にしてみるか」
「餌じゃなくて拷問でしょう」
ロランが余計な訂正を入れてくる。
どうやらアシュリーの提案を楽しんでいるらしい。
「もうワケが分からんな」
短く嘆息して頭を抱える。
こんな馬鹿らしい提案を囚人から受けるのは、宰相の座について以来初めてのことだった。
◇◇◇
「それで、貴様はなにを望む」
アシュリーを捕らえた二日後の夜。
自ら地下牢まで出向き、挨拶もなく彼女に問う。
「あら、もう確認が済んだんですの?」
不躾な態度にちらりとも不快な顔をせず、たおやかな笑みでアシュリーが迎えた。
まるでこうなることが予測済みだったように。
「思ったよりお早いご来訪ですこと。優秀な部下をお持ちのようで羨ましいですわ」
本心なのか皮肉なのか。
薄暗い照明下の表情は読みづらく、眉間にシワが寄る。
「無駄口を叩くな。早く望みを言え」
彼女の言う通り、密偵は秘密の小部屋を発見していた。
厩舎の裏の手入れもされていない無造作に草の生えた区画の地面に、隠し扉があったのだ。
世紀の大発見だと大興奮で報告する密偵に、確認に行った部下がすでに入手済みの情報だと伝えるのは心苦しかったらしい。
「せっかちですこと。モテませんわよ」
からかうようにアシュリーが言う。
三日間も地下牢に閉じ込められているというのに、その余裕の笑みはとても強がりには見えなかった。
看守の報告によると、ランドルフたちが去った後ものほほんとした様子で過ごしていたらしい。
硬いベッドにも繋がれた鎖にも文句を言わず、それどころか引くほどに熟睡していたそうだ。
それを裏付けるように、アシュリーは妙にすっきりした顔をしている。普通の囚人であれば、少なくとも最初の一週間は恐怖と緊張でまともに眠れないはずなのに。
娯楽もなく風呂にも入れないのに文句を言う様子もなく、初日と変わらぬ偉そうな態度だ。
どうやら隣国の姫君は相当に神経が太いらしい。
すでにドレスは没収され粗末な囚人服に着替えさせられているというのに、みすぼらしく見えないのはなぜだろう。
「ちょうど定時報告だったのかしら。タイミングばっちりでしたわね」
「余計な詮索をするな。俺は望みを聞いている」
見透かすようなことを言われても不遜な態度は崩さない。
慣れ合うつもりも下手に出る気もなかった。
密偵からの報告を聞いた後、ロランは「こちらがすでに得た情報だったということで別の情報を引き出すべきでは」と言った。
それも一理ある。
だが今回の目的はアシュリーが話す情報の正確さと、対価にどの程度のものを望むか知ることだ。
ロランもそれで納得したのか、今は背後におとなしく控えている。
拘束を解けとか、捕虜用の地下牢ではなく貴人用の牢に移せとか。その程度だったら対応してやってもいい。それ以上を望むようであれば、身の程知らずめと笑ってやるつもりだった。
アシュリーは「うーん、そうですわね」と考えるそぶりを見せた後、パッと顔を輝かせた。
「では、パンを所望いたします」
「……は?」
思わず間の抜けた声を上げてしまう。
「パンだけでよろしいのですか?」
二の句が継げない俺の代わりに、ロランが訝しげに問う。
するとアシュリーは「まさか」と鼻で笑った。
それはそうだ。あの情報の対価がパンひとつであるはずがない。
少しホッとして続く言葉を待つ。
「柔らかいパンと、具だくさんの温かいスープ。それから食後の紅茶を一杯。ああもちろん一度きりではなくてよ? 決まった時間に三食必ず。これだけは譲れませんわ」
アシュリーが胸を張って言い切るのを聞いて、再び言葉を失う。
確かに囚人に出される食事はカチカチの黒パンと冷え切ったスープ、それに水だけだ。
不満があるのは分かる。改善を望むのも理解できる。
だがこれではまるで庶民の望みだ。しかもかなりの貧困層の。
「幸せレートぶっ壊れてませんか」
ロランが背後でボソリと言う。
彼の言うことはもっともだ。
あの情報の対価としてはとても釣り合わない。せめて城の使用人レベルの食事を要求するべきだ。
果たしてアシュリーは本気で言っているのだろうか。それとも情報の価値が分かっていないのか。分かった上でこちらをからかっているのか。
投獄されてから変わらぬ不敵な笑みからは、その真意を読み取ることはできなかった。
「……看守に伝えておこう」
とはいえこちらからもっといいものを提供しようと言うのもおかしな話なので、前言撤回される前にその条件を呑むことにする。
「明日の朝食からお願いいたしますね」
要求が通ったと見て、今日の夕食をすでに終えているアシュリーが嬉しそうに言う。
冗談だと言われるかと身構えたのに、それもない。
無茶苦茶な要求をされるだろうと出方を窺うつもりだったのに。
完全なる肩透かしを食らって、ムッツリした顔で黙り込むしかできなかった。