エピローグ
終戦から半年が経った。
カラプタリアが正式にアストラリスの属国となり、両国ともにようやく落ち着きを見せ始めた頃。
「無事収まるところに収まったな……」
ようやく終戦処理を終え平穏を取り戻した私室の中で、一人ぼんやりと呟く。
「失礼します」
「入れ」
ノックの音に表情を引き締めると、入室の許可と同時に上機嫌な部下がひょっこりと顔を覗かせた。
「いやぁ~今日も清々しい一日でしたねぇ」
弾んだ声でロランが入室する。いつもの胡散臭い薄笑いが嘘のような爽やかな笑顔で、やたら肌艶が良い。
誰だおまえはと言いたいのをグッと堪え窓の外に目をやると、外はあいにくの曇り空だった。
「どこが清々しいんだ」
呆れてため息をつく。
この天気でよくもそんな爽やかな気分でいられるものだ。
「えー? 指の先まで活力がみなぎって最高の日じゃないですか」
ロランはお構いなしに言って、上司の承認が必要な書類をバサッと机に置いた。
「おまえ……頬に返り血が飛んでいるぞ」
「おっとこれは失敬」
懐からハンカチを取り出し差し出すと、ロランは軽い調子で言ってそれを受け取り頬を拭う。
どうやらここに来る前に監獄塔に寄ってきたらしい。
もはや日課の趣味感覚だ。
最高の気分転換を得て、終戦以来ロランは今まで以上に素晴らしい働きを見せている。
「いやぁ捗っちゃって捗っちゃって」
「大切な部下が楽しそうで何よりだよ……」
溌剌と言うロランに、げんなりして返す。
例の罪人どもはよほどロラン好みだったようで、飽きもせず足繁く通っているそうだ。
アシュリーにしてきたことは未だ許していないが、さすがに彼らに同情しそうになるから詳細報告は聞かないようにしている。
「閣下こそ新婚生活はいかがです? 新妻のご両親への挨拶は私が代わりにしておきましょうか」
揶揄を込めてロランが邪悪に笑う。
ここのところ腹心の部下は変にハイになっていて、長年の付き合いがある俺から見ても薄気味悪い。
「いらん。余計なことはするな。あれらにアシュリーの名を聞かせることすら穢らわしい」
盛大に顔を顰めて言うと、ロランが「それもそうですね」とあっさり引き下がった。
それから少しの間報告と雑談をして、ロランは足取り軽く部屋を出ていった。
◇◇◇
カラプタリア元王妃が流布したアシュリーの悪い噂は、宰相ヒューゴらの尽力により払拭されつつあるらしい。
むしろ国王夫妻の悪政に憤り、アストラリスに助力を請うため単身敵国に乗り込んだ勇気を称えられ、英雄扱いされ始めているのだとか。
「さすがにそこまで大言壮語が過ぎると、なんだか申し訳ない気持ちになりますわね……」
ロランからの報告をそのまま伝えると、アシュリーが困ったように眉尻を下げた。
婚約以後、監獄塔を出てアシュリーは王宮内の隣の部屋に移り住んでいる。
それに合わせて俺は執務室ではなく私室を仕事場に変更し、休憩のたびこうしてアシュリーの部屋に顔を出すようになっていた。
「なに、噂なんてものは利用してやるくらいがちょうどいい」
ジゼルの淹れてくれた紅茶を飲みながら笑う。
俺自身これまで散々な噂を流されてきたが、今のところ損はしていない。
どちらかといえば尋問の手間が省けて得だし、こうして大切な人と出会えたのだから。
「……それもそうですわね。おかげでわたくしたちの結婚は盛大に祝福されたわけですし」
アシュリーが目元を染めて幸せそうに微笑む。
その自然な笑みを見ていると、やはりあの頃の高飛車な笑い方は無理をしていたのだなと改めて思った。
「そうですよ。国民だって自分たちの都合のいいようにしか信じないんですし。アシュリー様はもっと堂々とされた方がいいです」
アシュリーの侍女に昇格したジゼルも、彼女の微笑を見て嬉しそうに目を細めた。
それからハッとした顔になる。
「そうだ、庭師さんからアシュリー様のお部屋用にお花をいただく約束でした! 行ってまいりますね!」
「ありがとうジゼル。よろしくね」
突如慌ただしく部屋を出ていくジゼルを見送って、アシュリーがくすくす笑っている。
本物の主従となって、ジゼルは以前よりさらに精力的に働いている。
堂々とアシュリーの世話をするのが楽しくて仕方ないらしい。
アシュリーもそんなジゼルが可愛いようで、用もなく呼んでは一緒にお茶をしているようだ。
部屋に残され、シンと静寂が訪れる。
少し落ち着かない気持ちになって、誤魔化すように咳払いをした。
「……ところで、なにか今の暮らしで不足しているものはないか」
戦後の処理から婚約の手続き、それから挙式の準備や挨拶回り。
この半年間やることが山積みで、二人きりで落ち着いて話すのが一ヵ月ぶりだということに今更気付いて、少し緊張してくる。
「とんでもない。十分すぎるくらいですわ。わたくしは本当に幸せ者です」
アシュリーが笑う。
その笑顔が、日々穏やかなものへと変わっていくのが嬉しかった。
アーキンズ公爵家の所領としてアストラリス南方に居城を与えられているが、彼女は王宮暮らしを選んだ。
宰相という役職柄、社交シーズン関係なく王宮に住んでいるようなものだ。
それに付き合う必要はない、田舎でのんびり暮らしていいんだと言うと、彼女は迷いなく「あなたのそばにいたい」と言ってくれた。
「こんなもので満足してもらっては困る。まだこれからだ」
必ず自分が幸せにすると誓った。
なのに住まいを移しただけでは、何もしていないのと同じだ。
「ふふ、これ以上があるんですの?」
「当たり前だろう。相変わらずおまえの幸せレートは低いな」
「一国の宰相様と結婚して満足できない方がおかしいのではなくて?」
呆れたようにアシュリーが言う。
それは確かに一理あるかもしれない。
社交界デビュー当時、将来有望株ということで大量の女性が殺到してきたことを思い出す。
皆目が血走っていた。公爵家の人間と結婚することによって、自分の付加価値が上がるとでもいうように。
「だが将来の安定が約束されただけでは幸せとは呼べぬのではないか?」
自分としては王族に生まれついて選べる選択肢の中で一番やりがいを感じる職についたというだけなので、己にそんなありがたみがあるとは思えないが。
「逆にランドルフ様の幸せレートが高すぎるのですわ」
「それはそうかもしれないな。なにせ一国の王女の笑顔が幸福の最低条件なのだから」
ツンと澄ました顔で言われて素直に肯定する。
これまでどんな女性に言い寄られても心惹かれなかったのは、相手がアシュリーではなかったせいだ。
泣き顔さえも美しく、芯が強い。それに気高い振る舞いに折れない心を持ち合わせている。
そんな女性は稀有だ。
彼女にしか心が動かないというのなら、それは確かに高レートと言える。
「……撤回します。やはりあなたのレートは低すぎよ」
怒ったように言うけれど、熟れた林檎のように頬が赤い。
誘いこまれるように頬にそっと手を添える。
恥ずかしそうにアシュリーがまぶたを伏せるが、嫌がるそぶりはなかった。
バラ色に染まった頬は滑らかで、いつまでも撫でていたくなる。
「……それだけですの?」
その手に自分の手をそっと重ね、アシュリーが不服そうに見上げてくる。
その仕草と表情にグッときて、ためらうことなくアシュリーに口づけた。
愛しさが溢れて、背中を優しく撫でて柔らかく抱きしめる。
もう誰にも傷つけさせたりしないと、心に誓いながら。
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