最後の拷問①
書類の山をひとつ片付けて執務室を出る。
時計を見れば昼食まであと少しというところだ。
ため息をついて立ち上がる。足は重かったが、避けては通れない。
覚悟を決めて、昼食ついでにアシュリーの部屋へと向かった。
「いらっしゃいませ、ランドルフ様」
部屋に入るなり、ジゼルが微笑みを浮かべて挨拶してくる。
「ああ、すまないな仕事を増やして」
先触れを出していたため、二人分の給仕をしているジゼルに詫びる。
彼女は皿を並べる手を止めず、「お気になさらず」と笑った。
「ごきげんよう、宰相様」
ソファに優雅に腰掛け、俺が正面に座るのを待ってアシュリーが微笑む。
「今日もお忙しいのかしら?」
「そうでもない。お前の国との戦争以外、平和そのものだ」
「ほほほ、戦争中なのに平和だなんて面白いお方だこと」
アシュリーが淑やかに笑う。
だが実際のところ、アシュリーがアストラリスの手中にいることが判明して以来カラプタリアは大人しいものだ。
こちらの出方を窺っているのだろうが、いつまで経ってもなんの声明も出さないことに不気味さすら感じている。
「では午後はわたくしに付き合ってくださる?」
アシュリーが意味深に笑う。
「今日は最後にとっておきの秘密をお話ししようと思うの」
「最後」という言葉に衝撃を受け、一瞬呼吸が乱れた。
覚悟はしていた。
むしろ今日はこちらから「そろそろ遊びの時間は終わりだ」とかなんとか言って、終わりが近いことを知らせるつもりでいたくらいだ。
だというのに、アシュリーの口からその言葉が出たことに、思った以上のダメージを受けている。
だってアシュリー側はこちらが切り出さない限りもっと引き延ばせるのだ。
戦争に関わらないくだらない情報なんて、捏造だろうと気分次第でいくらでも出せるだろうから。
つまり、アシュリーはもう終わらせたいのだ。
そう気づいて視線が揺れる。
前回珍しくこちらのことを聞きたがったのも、もう終わりを決めていたからなのだろう。
「……それはこちらが満足するような情報なのだろうな」
ひとつ大きく呼吸をして心を落ち着かせて問う。
「ええもちろん。ですから今日は特別に、わたくしから拷問内容を提案いたしますわ」
すんなり肯定して、とびきりの笑顔でアシュリーが言った。
「いいだろう。望みを言え」
それに対して躊躇なく頷く。
こちらから条件を付けるつもりはない。ここから逃がしてくれと言われても許可するつもりだった。
とっておきの情報とやらが嘘でも構わなかった。
すでに情報は十分すぎるほどだし、アシュリーがカラプタリアに帰りたくないというのなら、どこか安全な国に逃がしてやることもできる。
もちろん国王にバレたら叱責だけでは済まないだろう。
それこそロランに拷問されるような事態に陥る可能性も高い。
だがそれでもアシュリーの望みを聞いてやりたかった。
「わたくし、恋をしたことがありませんの」
「……うん?」
固い決意でアシュリーの言葉を待ち構えていたのに、予想外の言葉に肩透かしを食らった気分で思わず顔を顰める。
「王族というのは不自由なものです。特に女というものは」
俺の反応がお気に召さなかったのか、アシュリーがやや憤慨したように眉尻を上げた。
言っていることは理解できる。
基本的に王女というものは国内の有力貴族との信頼関係を深めるためだったり、他国との友好を結ぶための駒として扱われることが多い。護衛の騎士との恋愛などご法度だし、有力貴族の子息とでさえ二人きりで話すなんて状況は許されないものだ。
だがなぜ突然そんな話になるのだろう。
さっぱり分からなくて沈黙していると、アシュリーが小さく笑う。
「この情報を渡せばきっとすぐにでもカラプタリアは制圧されることでしょう。そうなればわたくしもどうなるか分かりません」
口元に笑みを刻んではいるが、そこにどんな感情が含まれているのか俺には見抜くことができなかった。
ただ、視線は真っ直ぐで揺れることはない。
アシュリーはとっくにいろんな覚悟を決めているようだった。
「ですから最後に恋をしてみたいのです。真似事でも一向にかまいませんわ」
「……その相手を俺にしろと?」
「察しが良くて助かります。乙女の口からは恥ずかしくて言えませんもの」
どの口が言うのかと呆れつつ、その突拍子もない提案を却下する気はなかった。
最後なら、拷問なら。それに乗じて自分の望みを叶えても許される気がした。
「いいだろう。期限を決めろ」
「……よろしいのですか?」
二つ返事で頷くと、自分から言い出したくせにアシュリーが訝しむように眉根を寄せた。
「なんだ、怖気づいたのか」
あからさまな挑発に、アシュリーがムッとした顔になる。
スカした笑顔より、こっちの方がずっといい。
「まさか。ではそうですね……今から丸一日と言うことでいかが?」
「よかろう。では早速」
そう言っておもむろに立ち上がる俺を、アシュリーが不思議そうに見上げる。
その表情のまま、彼女の隣に移動するのを顔全体で追うのが可愛らしかった。
「ジゼル、悪いが俺の皿をこちら側へ移動してくれ」
アシュリーの隣に腰を下ろしてジゼルに指示を出す。
「かっ、かしこまりました」
ジゼルが視線を泳がせながら、速やかに皿を並べ替える。
隣では、アシュリーが目を白黒させていた。
「ど、どういうつもりですの?」
突然大男に隣に座られたアシュリーが、硬直したように身体を縮こまらせるのを見てニヤリと笑う。
「どうもこうも、今から俺たちは恋人同士なのだろう?」
いつもペースを乱されてばかりだから、少しは意趣返しができたようで嬉しい。
「隣に座るのになんら不思議はない」
したり顔で言うと、アシュリーがハッとした顔になる。
「確かにそうですわね」
そうしてすぐに拷問の一環だと理解したのか、肩の力を抜いた。
「ではわたくしが『あーん』で食べさせてあげますわね」
恋人ですものね、とすぐにいつもの調子を取り戻して、上機嫌に料理をスプーンに載せて差し出してくる。
短い天下だった。
気を利かせたのか、給仕を終えたジゼルがそそくさと出ていく。
申し訳ないがそれを見送る余裕はなかった。
口を開けず無言の抗議をする俺に、負けじとアシュリーが無言のまま笑顔でスプーンを構え続けているから。
「……わかった。俺が馬鹿だった、んぐっ」
根負けして口を開けば、すかさずその中にスプーンが突っ込まれた。
恋人同士の甘い空気など皆無なその行為にアシュリーは満足げだ。
その顔を見て、頬が微かに熱くなる。我ながらチョロいと思う。
余計なことを言った。こんなのが丸一日続くのか。
咀嚼しながら思わず頭を抱えると、アシュリーがクスクスと笑い声をあげた。
「……どうした?」
「いえ、いつかの逆だわと思ったらおかしくて」
大市でのことを言っているのだろう。
心底楽しそうに笑う彼女につられて自分の口元も緩む。
こんな他愛のない出来事に、アシュリーは嘘ではなく幸せを感じるらしい。
噂とは違って、彼女は素朴で善良な人間に見える。
なのに自国の情報をあっさり売る、いわば極悪非道ともとれる二面性はどこからくるのだろう。
それも今日の秘密が明かされれば納得のいく答えに辿り着けるのだろうか。
分からなかったが、今はこの屈託のない笑顔を信じていたかった。




