悪逆宰相と強欲王女①
ノックの音が聞こえ、顔を上げる。
「入れ」
許可の言葉に「失礼します」と涼やかな声が聞こえ、部下のロランが入ってきた。
「大変ですランドルフ様」
ロランの表情には緊迫感があって、いつもの穏やかな微笑は鳴りを潜めている。
「何かあったのか」
「カラプタリアの第一王女を捕えました」
沈着冷静な銀髪の美丈夫が珍しく深刻なトーンで上擦った声で言った。
思いがけない言葉に、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。
「監獄塔だな」
「はい」
処理中の書類もそのままに、先導するロランについて宮殿の執務室から監獄塔へと急ぐ。
カラプタリアはこのアストラリスと長年に渡り冷戦状態にある隣国だ。
最近ではすっかり小競り合いも減ってきたが、いつまでもこのままにはしておけない。
王女を捕えたのが本当ならば、この緊張状態に終止符を打つ足がかりになる。
「本当に王女なのか」
「先に捕らえた騎士二人に吐かせました。間違いありません」
そんな期待を胸にロランに問うと、彼は確信をもって頷いた。
「一体どこで捕らえたんだ」
「国境付近のストラフ大森林だそうです。騎士二人と、少し離れた場所に豪奢なドレスを身にまとった王女がいたそうです」
「森にドレス? イカれているな」
足を止めず、呆れて鼻を鳴らす。
冷戦状態とはいえいつ戦火が上がるかも分からないこの状況で、一国の姫がなぜそんな危険な場所に。
物見遊山でもしていたのだろうか。だとしたら頭が悪いにもほどがある。
カラプタリアの第一王女についてはいい噂を聞かない。
きっと噂通り、非常識で自分勝手な女なのだろう。
嘲る気持ちでそんなことを思う。
「ピクニックに行きたいと、王の制止も振り切って飛び出してきたとか」
「騎士が簡単に情報を吐いたのか?」
「ええ。閣下のお名前を出したらすぐに」
「根性のない奴らだ」
呆れて嘆息する。
拷問するまでもなく主人の不名誉な情報を吐くなど。
我が国であればそんな簡単に陥落するようなやつらに、第一王女の護衛騎士なんて務まらない。
「人材不足でしょうか」
「あちらの王も娘に手を焼いているのかもしれんな」
言っているうちに監獄塔に着き、歩調を緩めず階段を降りていく。
窓がないせいで、地下はひんやり湿った空気で満たされていた。
ここは罪人や他国の捕虜を捕らえておく場所だ。
薄暗く陰気で、女性なら泣いて嫌がるだろう。他国とはいえ高貴な身分の女性であれば尚更だ。
今頃、恐ろしくて泣いているかもしれない。
話になるだろうか。
泣き喚いて面倒なことにならなければいいが。
想像だけでややうんざりしながら、ロランの先導で王女を捕らえているという一番奥の独房へ向かう。
途中の雑居房でチンケな罪で投獄された罪人たちが助けを求めるように呻き声を上げていたが、構っている暇はなかった。
石の床に靴音を響かせながら辿り着いた最奥の独房。
その鉄格子の中に、彼女はいた。
項垂れていて表情は見えない。
泣き疲れて悄然としているのだろうか。
独房は雑居房よりはマシな造りで、簡易のベッドと簡素な椅子があった。
敵国の指揮官や名のある騎士を捕らえておくための場所だ。
敵国民とはいえ王族であるため、一応は椅子に座らされているが、両手首に枷を嵌められ足首は鎖で繋がれている。
ロランの報告通り、豪奢なドレスが薄暗い地下牢にひどく不釣り合いだった。
そのドレスも逃げ惑う時に木の枝に引っ掛けたのか、あちこちかぎ裂きのように破れている。
「……貴様がアシュリー・エヴァーグレンか」
声を掛けても彼女はうつむいたままだ。
囚われてすぐここに連行されたのだとすれば、訳も分からず怯えているのかもしれない。
だがそんなもの、知ったことではなかった。
「顔を上げろ」
凄むように声を低くして言う。
それでも反応はない。
さすがに訝しく思い、一歩近づき耳を澄ませる。
規則的な寝息が聞こえてきて、思わず眉をひそめた。
「まさかとは思うが寝ているのか……?」
「だいぶお疲れのようでしたので……」
首を傾げロランに問うと、なんとも言えない微妙な表情で頷いた。
「こいつ図太すぎないか」
「ある意味大物ですね」
苦笑いで言われてため息をつく。
もちろん起きるまで待っていてやるつもりはなかった。
「起きろ!」
鉄格子を思い切り蹴ると、ガァンと大きな音が響き彼女の身体がびくりと跳ねた。
ついでに別の牢からも「ひえっ」と情けない声が聞こえてきたが気にしない。
「お目覚めの時間だ、アシュリー・エヴァーグレン!」
「ん……」
ランドルフの怒号にアシュリーが小さく声を漏らし、ゆっくりと顔を上げる。
薄暗い明かりの下であらわになった顔は、泥か何かでところどころ汚れていた。
ドレスも薄汚れ、綺麗に結い上げられていただろう髪も乱れほつれている。
「ここは……」
ぼんやりと虚ろだった目に光が宿り、それからキョロキョロと忙しなく動き始める。
石壁、石床、牢獄特有の鉄格子。
自分が座らされている粗末な椅子と、それに繋がれた鎖へ。
緩慢に視線が移っていき、自分の華奢な足首に繋がっているのを認めた瞬間、目が大きく見開かれた。
どうやらようやく現状を把握できたらしい
「何か言いたいことがあるなら聞こうか、カラプタリア第一王女殿下」
厭味ったらしくお前の素性は把握しているのだということを告げて、陰惨に見える笑みを浮かべる。
百九十センチを越える長身に鍛え上げた肉体。
それに黒髪黒目の三白眼のこの容姿が、相手にどんな印象を与えるかなんて知り尽くしていた。
「ええと……おはようござい、ます……?」
怯えて青褪める姿を想像していたのに。
場違いな挨拶の言葉が返ってきて、膝からがくりと力が抜けそうになった。
どうやらアシュリーはまだ覚醒しきっていないらしい。
寝ぼけ眼の彼女に怯えた様子はない。
間の抜けた返答に脱力しながらも険しい表情を崩さずに、これ見よがしなため息をつく。
「状況が把握できていないなら教えてやろう。貴様はアストラリスの虜囚となったのだ。どんな扱いを受けるかくらい、想像ができるだろう」
ストレートに脅しをかけると、アシュリーが微かに眉根を寄せた。
「そう……あれはアストラリスの兵でしたのね……私と共にいた騎士はどうなったのです?」
記憶を探るように視線をさまよわせながら、囚われた時の状況を聞いてくる。
「安心しろ。奴らの拷問はすでに済んでいる」
酷薄に見えると評判の笑みを浮かべて答える。
ロラン曰く騎士どもは拷問をするまでもなく吐いたらしいが、こう言って脅しておけば大した手間もかけずにベラベラ喋ってくれることだろう。
「まあ、根性なしですこと」
けれど彼女は呆れたような顔で俺と同じ感想を漏らした。
「……恐ろしくはないのか」
意外に思いながら問う。
「ええ恐ろしいですわ。そんな情けない者たちが我が国の騎士だなんて」
ズレたことを答えながら、アシュリーががっくりと肩を落とす。
拷問という単語に一切反応を示さないのは、聞こえていなかったのか強がっているだけなのか。
これから自分もその騎士たちと同じ目に遭うとは考えられないのだろうか。
もしかしたら一国の王女が拷問をされるなんて、想像すらできないのかもしれない。
「貴様にもこれから同じことをする」
「同じこと……? あなた一体何者ですの?」
「ランドルフ・アーキンズ。一度くらいこの名を聞いたことがあるだろう」
ならば分からせてやろう。
意地の悪い気持ちで名乗れば、どこか呑気な顔をしていたアシュリーがようやく表情を強張らせた。