王国祭デート③
アシュリーを手放したくないなど、俺は何を考えているのだろう。
一国の宰相として確実に間違っているのに。
「次はあそこがいいわ!」
混乱する思考を遮るように、アシュリーが楽し気な声を上げる。
「連れていっていただけますわよね? とっておきの情報がありますもの」
彼女は得意満面で交換条件を盾にして、夕暮れに佇む背の高い建物を指さした。
それを聞いて妙にホッとする。
そうか、まだ情報は残っているのか。
その気持ちが、冷戦を終結するためという大義名分に結びついていないことはもう自覚していた。
「あれは教会だ」
「あんなにカラフルなのに?」
彼女の言う通り、今は祭り仕様に魔法でカラフルに染め上げられていて、厳かさのカケラもない。
教会では毎年子供向けの催しものを多く企画していて、年齢的には物足りないかもしれないが、なんにでも幸せを感じるアシュリーなら間違いなく楽しんでくれるだろう。
だけど。
もし残している情報があとわずかなら。
自然と足が止まる。
アシュリーが不思議そうな顔で振り返った。
「……今日はもう情報はいらん。確認の手が足りないからな」
語り尽くしてしまう日を、少しでも先延ばししたいと考える俺はおかしいのだろう。
後ろめたさを感じながら、それでも自分を止められなかった。
「そんな……では今日の拷問はもうおしまいですの……?」
アシュリーが嘆き、悲し気に眉尻を下げる。
心底残念そうだ。
「ふん、馬鹿なカラプタリア人め。ここからは拷問より恐ろしい目に遭わせてやるから覚悟せよ」
「え……?」
「いいかこれは我が国最大の祭りだ。存分に味わって国力の違いに恐れ慄くがいい」
わざと芝居がかったセリフを並べ、恐ろしい拷問官の顔で言う。
「まあ……!」
すぐに言いたいことを理解したらしいアシュリーが、しょぼくれていた顔を輝かせ始めた。
「ではとっておきの演目を見せてくださいませ! ひれ伏す準備はできておりますわ!」
嬉しそうにぴょんと跳ねて、アシュリーが歩き出す。
その後ろ姿は嬉しそうで、それが演技だとは思いたくなかった。
せっかく寝る間も惜しんで用意した王国祭だ。あとはもう駆け引きなしに目一杯楽しんでもらいたい。
今日くらい、そう思っても許されるだろう。
そうしてアシュリーの気の向くままに王国祭を遊び歩いているうちに、あっという間に日が暮れていく。
夜になり、酔客も増え始めた頃。
厳かな音楽が流れ始め、夜空が一瞬ピカッと光った。
つられたようにアシュリーが顔を上げる。
「今度はなにが始まりますの!?」
疲れも見せずにワクワクした声でアシュリーが言う。
同時に、夜空に色とりどりの光の花が打ち上がった。それらは形を変え、色を変え、様々な模様を描き始めた。
アストラリス王国祭最大の見せ場である、光魔法を駆使したイベントだ。空だけでなく、あちこちに光の玉が現れては消え、幻想的な風景を作り出している。
「まあ、これはなに……?」
目の前に現れた青い光球を、アシュリーが指先でおっかなびっくりつつく。
「きゃっ」
触れた瞬間、青い球体はパチンと割れ、七色の光の粒になって消えていった。
「素敵……これも魔法ですの?」
光の奔流に見惚れて、アシュリーがうっとりと呟く。
「こら、こんなところで立ち止まるな」
「きゃっ」
往来の真ん中で足を止めたアシュリーの腰を抱き、道の端の座れる場所まで誘導した。
それからふと気づく。
わざわざ移動しなくても、皆同じように足を止めていたからあまり必要なかったかもしれないと。
「すまん、また誰かとぶつかって転ぶと」
楽しい気持ちに水を差してしまったかと慌てて謝る。
「いえあの……お気遣い、ありがとうございます」
珍しく歯切れ悪く、モゴモゴと俯いてアシュリーが言う。
どうかしたのかと不思議に思いひょいと屈んで顔を覗き込むと、なぜか頬が赤くなっていた。
一体なぜ、と問おうとして気づく。
アシュリーの腰を抱いたままだということに。
「悪いっ」
慌ててパッと手を離し、一歩下がって距離を取る。
「いえべつに……」
はにかむように言われ、アシュリーの頬の熱が伝染したように俺の頬も熱くなる。
気まずい空気が流れた瞬間、音楽が盛り上がり光の花々が王都中の空を覆い尽くした。
「うわぁ……!」
再び夜空にアシュリーの視線を奪われ、ホッとするのと同時に少し寂しい気持ちになる。
「素敵……この国には綺麗なものがたくさんあるのね……」
次々に光の花が夜空に咲き乱れ、アシュリーが魅入られたように目を潤ませた。
その横顔の美しさに目を奪われる。
せっかくすぐそばにベンチがあるのに、アシュリーは座る気はなさそうだ。
仕方ない奴だと思いながらも、その表情から目を離すことはできなかった。
しばらく会話もなく祭りの最後の演目を静かに堪能する。
やがて夜空を彩る魔法が消えて、音楽がフェードアウトしていった。
祭りに参加していた人々はそれを見届けてから、今日の感想を楽し気に語らいながら帰路へとつき始める。
「……もうすぐ終わってしまいますのね」
ゾロゾロと帰っていく人たちを眺めて、寂しげにアシュリーが呟く。
その言葉がどうしてだか自分たちのこの奇妙な関係を示唆するものに思えて、頷くことができなかった。
「ねえ、これ外してくださらない?」
アシュリーが自分の両手を胸のあたりまで上げて手枷を示す。
「せっかくのお祭りが台無しですわ」
「……逃げられたら困る」
建前を口にするが、本当はもうそんなこと思っていない。
手足の枷を外したって、アシュリーは逃げないし、カラプタリアに帰りたがらないだろう。
それだけはなんとなく理解していた。
「なら、あなたが捕まえていてくださる?」
からかいを滲ませてアシュリーが笑う。
了承するはずないと思って言ったのだろう。
「いいだろう」
その期待していないみたいな表情にイラついて、ため息をつく。
「え?」
アシュリーの戸惑いを無視して、手枷足枷に解除の魔力を込める。
カシャンと軽い音を立てて、特殊な金属の枷が地面に落ちた。
枷の外れた手首を見て、アシュリーが微かに目を瞠る。
それから真意を伺うようにこちらを見上げた。
「帰るぞ」
何も答えずにアシュリーの手を取る。
それから手を繋いで歩き出した。
「……はい」
アシュリーは小さく返事をして、その手を振り払うことなくそっと握り返してきた。
人波に逆らうように王宮に向かって無言で歩く。
周囲はガヤガヤとうるさいのに、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる気がした。
監獄塔に戻るまで、どちらも何も言わなかった。




