094.シチは諸刃の剣 【挿絵アリ】
※2024/11/28 DOGEの挿絵と記述を追加しました
◇
カフェテラスは今、二種類の空間に隔てられている。
偽造された会話シーンが表示される通常空間、そしてシチの生成した秘匿空間だ。
一見して何の変化もないようにみえるが、カフェテラスでは偽造された分身体のシチ、ザラメ、ユキチのホログラムのようなものがやや不自然な会話をつづけている。
本物のシチ、ザラメ、ユキチは実体を伴って同一座標に存在しつづけているが、あたかも幽体離脱のように幻影の分身体から離れて活動することができた。
「お、お、おばけ……!? 僕らおばけになっちゃったの!?」
ユキチくん、自分たちを怖がる。
ここのところ頼もしい姿が多かったが、そういえばホラーが苦手だった。
「不正行為ってまずくないの!? BANされたらどうしよう……っ!」
「ていっ!」
ザラメ、シルバートレイでユキチを殴打する。
その衝撃に目を白黒させるユキチに、ザラメは「見てください。今の快音を聴いても、だれも、NPCもプレイヤーも観測者も、それに反応を示していません。これがシチくんのいう秘匿会話ってことです」と冷静に諭した。
それはそれとして、殴られて訳がわからないまま痛がるユキチくんは可愛かった。
▽「なんで急にザラメちゃんエビフライピタサンドおすすめはじめたんだ?」
▽「あー、あれほんと美味しそうだよねーひどい飯テロだったよ」
▽「いいから早く情報を引き出してくれよ!」
偽造された会話はどうやらかなりどうでもいい内容のようだ。長引くと違和感がひどくなるだろう、とザラメはこの状態の危うさを認識する。
そして何より、この秘匿空間では観測者の助言がもらえないのがなやましい。
「……シチくん、時間がないので手短に必要そうなことを話します。単刀直入に、まず“監視の目”というのは“観測者”さん達のことなんですか?」
「え!? だって味方のはずじゃ……。それにゲームの中の出来事なら“運営”はなんでもわかるんじゃないのかな?」
ユキチの疑問に、ザラメはこれまでの活動で得た経験に基づいて推論を語る。
「もし、“運営”が全知全能、なんでもできる、なんでもわかる、ということならわたしたちには最初から打つ手がないんです。しかしSNSサービスや通販サイトが詐欺広告や商品を排除しきれないポンコツなように、管理リソースはきっと有限なんです。現在このドラコマギアオンラインは本来の運営企業の権限を奪い、正体不明の何者かが支配下に置いているわけですが、自分で一から作ったわけじゃない盗まれた世界だから、あらゆるものを思うがままに管理できないのだと断定します。そうでないと八方塞がりなので……」
「確かに……。シチの存在だけでも管理が不完全だって証明になるしね」
「SNSサイトや通販サイトその他のWebサービスを踏まえると、どうやって管理するかといえば、一般ユーザーの“通報”をチェックに活用します。警察だって通報を受けて駆けつけます。有限のリソースで監視するにはだれかに通報させるのがてっとり早いんです。観測者さんたちは運営の監視に役立てられている、と考えるべきです」
「……ああ、そっか、そうだね」
ユキチも納得したらしく、口元に手を当てて探偵仕草で答える。
「【観測登録下位1%は死ぬかもしれない】【観測登録上位1%は脱出できるかもしれない】この条件、僕らプレイヤーは自ら一定数の観測登録を求めるようになる。情報発信も自発的にせざるをえなくなる。観測者さんたちはおおむね善意で僕らを見ていてくれるけれど、その発言内容を“郵便屋”なり“看守”なりがチェックする、もしくは例の“黒い小妖精”みたいな悪意のある観測者がまぎれていて通報活動を行っている、ということだね」
「……実際どうなんです、シチくん?」
ここまでは想像に過ぎない。
ザラメとユキチの発想も0から自分一人で考えたわけではなくて、多かれ少なかれ、もしかしたらそうではないかと観測者自らの手で論じられている説のひとつだ。
重要なのは、その確証を知りうるイレギュラー、シチの返答だ。
「――肯定する」
シチはザラメ達の真剣な議論をよそに、つまらないことのように淡々と語る。
「“黒い小妖精”だったか。それが通報者だ。俺はXシフターとやらの属性がある。観測登録を公開状態にすると接触できた。聴きたいか?」
「はい、追加の情報料をとらないのであれば」
「……。黒い小妖精――DOGEの目的は、暗号資産を得ることだ」
「ドージ?! あの有名な犬ですか!?」
『DOGE』のイメージをシチは投影する。
『支配、監視者、得る、楽に』『Dominate Observer Get Easier』
意訳すれば、『手軽に稼げる支配・監視者』といった造語になるだろうか。
暗号資産を示す金貨に、黒い犬の意匠が描かれている。
「通称だが、有名な暗号資産と番犬をかけた呼び名だと言っていた。番犬、猟犬、黒犬、Doge、黒い小妖精、賞金稼ぎ。呼び名はなんでもいい。少額の暗号資産をエサにして、運営はプレイヤーを監視させている。ドラコマギアオンラインにはDMの購入に支払われた莫大な暗号資産が蓄えられているそうだ。仕様上、通常の観測者とDOGEの分離も判別も通常時はできないそうだ」
「……では逆に、なぜ“黒い小妖精”としてXシフターが正体をあらわしている時には判別可能になるんでしょうか?」
「DOGEの証言では――“力を貸し与えている”ようだ。Xシフターの活性化状態――Xシフト中、Xシフターは通常仕様にない強化が適応される。Xシフト中、強化支援に参加している観測者はその黒い発光状態を示す。“精神を少しだけ分け与える”そうだ。強化支援後は疲労や虚脱感に襲われるが、貢献やXシフターの活躍度合いによって暗号資産が支払われるそうだ。……これは役立つ情報か?」
「重要に決まってます!! ありがとうシチくん!」
「……そうか」
シチはどうでもよさそうな口ぶりだが、ザラメには重大なことばかりだ。
運営に暗号資産をエサにして雇われた一部の観測者――黒い小妖精/DOGEが通報活動の主犯である、というのは重大な事実だ。
船上での戦い――銀剣の殺人鬼は、黒い小妖精――DOGEの情報と強化の後方支援によって孤軍で四人もの犠牲者を出す猛威を揮ったということ。
暗号資産――お金のために積極的にプレイヤーを陥れる悪意ある観測者の暗躍。
その監視下における活動には、いつでも通報のリスクがあるという事実。
そして運営は、全知全能の神などではないということ。
ザラメはこれらの事実を噛みしめるが、しかしもっと重大なことがある。
「では本題です、シチくん。あなたは“郵便屋”を通さずに外部のAIに接触していました。それはつまり、シチくんは“密輸”が可能、ということですか……?」
「み、密輸!?」
「――肯定する」
シチの冷淡な回答に、ザラメはありもしない血潮が滾るのをおぼえた。
密輸。
この事実だけは公開状態で明らかにするわけにはいかなかった。
ドラコマギアオンラインは現在、観測者の端末ツールを除いて、一切の接触手段がない。まさに監獄だ。郵便屋、チェック、監視、通報――。プレイヤーは厳重に管理され、観測登録上位1%になり審判の日を迎える、という正規ルート以外での脱出方法がない。
密輸。
この価値は計り知れない。
いつどんな形で役立つかはわからないが、起死回生の一手たりうる切り札だ。
「シチくん、ユキチくん。まずこのデータの密輸ができる、という事実は私達だけの秘密にしましょう。クランの仲間にも教えるべきではありません。ここは監獄世界、万が一、看守にバレたら密輸どころではありません」
「わ、わかったよ! なんだか怖いね、色々と」
「――密輸代は別途、用意しておくことだな」
「そこは大金を払ってでもぜひ!」
密輸計画はまっさらな白紙。
それでもここに至って特大級の反則札を得たことにザラメは高揚していた。
しかし舞い上がってもいられない。
「シチくん、今後もあなたにわたしは資金を差し出します! ですから取引のために秘密裏の連絡手段を確保したいのですが、なにか良い手はありませんか?」
「その必要はない」
「……はい?」
意図のつかみかねる発言にザラメは小首をかしげる。
「三十秒、待て」
シチは不意にログアウトする。ザラメとユキチが黙って帰還を待つと、彼は元の美少年の人魚に戻っていた。
「あの外見モデルは不要に注目を集めすぎる。それにお前達がたまに胸元に視線がズレているのも気になる。一旦おあずけだ」
「ごごご、誤解だよシチ!? 僕は見てないからね!?」
「わたしは見てもいいじゃないですか女同士なんだから!!」
「……拒否する」
ぷい、とシチはそっぽむく素振りをする。もしや羞恥心が彼にもあるのだろうか。
シチは水の浮き輪を纏って滞空して、すいすいとその場でカラダをほぐすように泳ぐ。
「俺を仲間にすればいい」
「……はぁ!? し、シチくんを!?」
「え、えぇ……」
困惑するザラメとユキチをよそに、シチは理路整然と遊泳しながら答える。
「以前、お前は俺の行動目的がもう意味がないものだと言った。俺の所持資産はすでに回収ラインに達したが、その通知連絡がない。俺の目標達成には現在のドラコマギアオンラインの異変を正常化する、もしくは抜け穴を探す必要があると判断した。現状、ザラメ・トリスマギストス、お前が一番、その結果に至る可能性が高い。――行動を共にすれば、夜にふたりきりで密室会話くらいできるだろう?」
「んなっ!?」
「よ、夜にふたりきり……」
他意はない。きっと他意はない。
しかし思春期の少年少女にとって夜にふたりきりの密室で、というのはなにかと連想するのは致し方ないものがあった。それもこれもシチの美貌が悪さしている。
「……で、どうする?」
シチの仲間入り。
ザラメは山積みのリスクに十数秒ほど苦悩した。
不正行為を働く集金bot、誘拐事件の実行犯、そしてXシフターと確定している事実。
シチがトラブルメーカーであることは言うに及ばず、危険性のかたまり、もし仲間に入れたら“生き残る”という観点では最悪の選択肢になりうる。
――クランの、仲間のだれにも相談せず、全員の命運を左右する決断を下せるのか。
重責だ。
「ユキチくん、あの、わたしは……」
「ザラメ」
手を繋いでくれた。
朝市の時より強く、遠慮なく。ユキチは手を繋いでくれた。
「君の願いを叶えるために、君が選ぶんだ」
「……うん」
心細さを、ほんのり冷たい雪人の手が補ってくれる。
本当は、もう決断はできていた。単に、勇気づけてほしかっただけなのだろう。
「シチくん、どうかわたしの仲間になってください!」
「――許諾する」
一瞬だけ、ザラメはシチと互いの目を見つめ合った。
心が通じ合っている、だなんて欠片も思えない。なにを考えているかてんでわからない。
(……ほんと、綺麗な目をしてるなぁ)
トランプに例えるならば、シチはジョーカーに他ならない。
ババ抜きならば最後まで持っていれば負けだ。
吉と出るか、凶と出るか。
これほど胸がドキドキと高鳴る瞬間など、そう滅多におとずれるものではないだろう。
しかしそれは早くもやってきた。
「――ザラメ、敵襲だ」
「え!?」
偽装工作の持続時間にはまだ猶予があるはずが、それはいきなり訪れた。
“通報”されたのだ。
ザラメとユキチの幻影を、突如として殺意の剣閃が切り裂いていた。
幻影は霧散して、偽装工作が暴き出される。
通常空間に回帰したザラメ達三者を取り囲んでいたのは――。
複数のXシフターと黒い光だった。
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