088,ドキドキのランチタイム
◇
第二帝都パインフラッドは海に面している上、石造りの街中に水路が多数存在している。
イタリアの水の港ヴェネツィアほどに極端でこそないが、印象はとても近い。大小の石橋をたんびたんびに渡り、異世界情緒溢れる街並みをながめるのは観光映えする。
ドラコマギアオンラインは本来こうした異世界観光体験も売りのひとつとなっている為、異変後も同じくして、風光明媚な美しく安全な地域というものが多い。
災害被害に見舞われたはじまりの港とちがい、第二帝都は平穏そのものだ。
水面に映る古風な建物をながめながら食事のできる店『右川亭』のカフェテラス。
ここでユキチ隊の残りの面々――ネモフィラ、ガルグイユ、ドットが優雅に食事しながらザラメ達のことを待っていた。
「遅刻よ、ユキチ! あんまり遅いから勝手にあんたらの料理を頼んじゃったけど文句はないわよね? こっちはこっちで大変だったんだから」
「待たせてごめん! 文句なんてないない! 僕らもおなか空かせてたからうれしいよ」
ユキチのやわらかに微笑む横顔を、ザラメはしっかりと見ていた。
まふまふのあらいたてタオルみたいな微笑みに、ネモフィラがつられて微笑むのも見た。
「じゃあ早いとこ食べちゃってよね。あたし達の頼りないリーダーがおくちをもごもごさせたままじゃあ作戦会議にならないもん」
「あははは……、ど、努力します」
(……あれ、もしかして)
ザラメは今更に、とんでもない地雷を踏んでしまった可能性に気づく。
(……ネモフィラさん、ユキチくんのことがまさか好きだったりして!?)
ザラメはここまで恋愛的観点を一切踏まえずに人間観察を怠っていた。
しかし一連の、今日に至るまでのユキチとネモフィラの関係性を踏まえるとありえない話しではない。ユキチは自ら泥をかぶって隊を追放され、そのことを責めもせず、ネモフィラの窮地を救い、パーティーリーダーの座を譲られている。
目立ちたがり屋のネモフィラがあえてユキチを盛り立てて一歩後ろに控えている上、今まさに最優先でユキチに絡みにいく挙動をみせたり、お気に入りなことは明白だ。
(これ、ネモフィラさんが恋愛ロールを狙ってた可能性が否定できない――! ネモフィラさんも成長の鍵集めに躍起で、積極脱出派最先鋒! わたし程度が考えつく安直なレベリング手段を、ネモフィラさんが考えつかない保証がどこにもない――!)
修羅場。
ザラメの脳裏によぎる、セフィーの警告。
ザラメだって11歳なりに人生経験がある。なかよしの友達の奪い合いでケンカしたことが幼稚園の頃にあるし、親友の詩織をだれか他のクラスメイトに奪われまいと警戒や牽制をすることはよくあった。あとドラマや少女漫画でも色々そういうのを見てる。
(わたし、もろに泥棒猫になっちゃってる可能性が……)
「なに突っ立ってるのよ生徒会長。あんぐりお口に熱々アヒージョぶちこまれたいの?」
「ひゃがっ! 自分で食べます!」
「はっはっはっ! 火傷しないようにするんだぞ」
ザラメの内心を知る由もないガルグイユが豪快に笑って、その熱々アヒージョを食む。
火竜人である彼女は涼しい顔して食べてるが、ザラメはふーふーしないと食えなかった。
六人が着席した後、一段落ついたとみて烏賊墨蓮太が恭しく頭を垂れて挨拶する。
「ネモフィラ様、ガルグイユ様、ドット様。お初にお目にかかりやす。おいらはしがたない商人の烏賊墨蓮太と申すでやんす。今朝は良縁あって商いの手伝いをさせていただき、ザラメお嬢らに食事の同席をお誘いいただいた次第。長々と挨拶は食事の邪魔と心得れば、手短にして、お三方にも同席のゆるしをいただければ、とおねがいするでやんすよ」
蓮太に対していち早く返答したのは『はい』とイメージボードの筆談で答えたドットだ。
無口というか徹底して喋らないドットは大抵『はい』『いいえ』なので返事は早い。
そして大雑把そうなガルグイユも「ザラメが稼がせてもらったそうじゃないか! メシ代くらいおごるからさぁ食べてくんな!」と豪快に答える。
ネモフィラは少々怪訝な表情をするが、すぐに営業スマイル的に“歓迎した方が好感度が上がりそう”とでも計算したかのように「もちろんよ!」と最後に応じた。
「……店員、ワインを貰えるか?」
そしてセフィーは六人席から離れた一人席で、静かに一人飲みをはじめた。
(この流れで海をながめてお一人様メシ……!?)
物静かに川辺のカフェテラスで葡萄酒を嗜むエルフの女。
額縁に入れて絵画に飾ってみたくなる構図なのに、ザラメはその哀愁に言葉を失う。
(想像よりずっと変人です、このひと……)
こうして不安がいっぱいの昼食時がはじまった。
地中海風や南欧風のここの料理には本格的すぎてザラメの口に合わないものも少々ある。
イカスミのリゾット、真っ黒なこの料理がまさにそれだ。
烏賊墨蓮太のいる真隣でイカスミパスタを注文するのは避けたい一方、イカ料理は名物のひとつなので観光体験として食べたかったのもある。小憎たらしいことに、ドラマギの仕様上、食べたことがない食品に挑戦すると今まさに足りない基礎経験点ががっつりともらえる。逆に、錬金術協会のNPCメシは一度食べると二度目以降はもういいかな、といえる程度の質素な味と経験点しか得られない。
このイカスミのリゾットは、フライパンでオリーブオイルを熱して少量のにんにく、イカと玉ねぎを炒める。お米も軽く炒めて、リゾットスープを入れて煮るといった感じだ。口に合わなかったのはイカスミじゃなくてにんにくか玉ねぎで軽く気分が悪くなってきた。
ホムンクルスという自分の種族が、味覚に影響を与えている可能性がある、といわれた。
「わたし、たかがにんにくに負ける虚弱体質なんですか……?」
「ザラメお嬢の種族の基礎属性は【神秘/闇】でやんすからね。魔除けのアイテムの原料にもなるにんにくや玉ねぎは相反する【神秘/光】の属性値がものによっちゃ強すぎて悪い方向に働くんでやんすよ。完成した料理もれっきとしたアイテムでやんすからね」
「魔除けに弱いなんて、ちょっとショックです……」
錬金術の秘儀によって誕生する、条理を逸した人造生命体――ホムンクルス。
この設定を「火、水、土、風、神秘」に分類しろといわれたら神秘の闇側というのは納得といえば納得である。
「ユキチくんは辛いのがダメ、ガルグイユさんは激辛もいける。わかりやすい」
「僕だって熱くても火の属性値が低ければ別にいけるんだけどね」
とユキチはホットコーヒーをふーふーしながら飲んでいる。ホントに大丈夫かは不安だ。
「ちなみにあたしや黒騎士みたいなライカンも【神秘/闇】ね。ドットのような普通の人間種族は【神秘/光】だからにんにくや玉ねぎへっちゃらってわけ」
「雑学でよく目にしますけど、動物の中では人間は毒に耐性がある方なんですっけ」
「多量の塩分やカフェインだけでも犬猫は動物病院に連れていくハメになりやすからね。ドラマギの解釈だと人間の種族特徴のひとつは【適応力】で毒や病気に有利なことだったりするくらいでやんす。ね、ドットの旦那」
話題を振られた人間のドットであるが一言筆談で【食事中はノーコメント】と断った。
――食事中も全身甲冑を脱がず覆面で平然と食べられるのはゲーム的な都合を感じる。
(……ん? あれ、今蓮太くん、人間種族の話題をドットに振った……?)
「あの、蓮太くん、もしかして種族が人間じゃないんですか……?」
▽「ステータスは非公開設定だから確かにわからんね」
▽「ライカンじゃねーの? 見た目的に」
▽「いやイカスミパスタ食べてるぞ、にんにく入りの」
一同注目を集めた蓮太はごまかすようにニコッと笑って「種族、種族ねぇ」とつぶやく。
そこですかさずユキチが「種族は明かさなくても大丈夫だよ。気にしないで」とまた気遣いコメントを入れてくれるが蓮太は「ではお言葉に甘えて、この場はナイショにしとくでやんすよ」とクイズの出題者みたいに意地悪そうに言って流した。
(種族不明――。でもライカンは絶対ないんですよねぇ)
ザラメは直感だけでそう考えたのではない。
『学者lv4』と『SP:学識A』そして『知力[S+]』のザラメは、初見のエネミーのデータを確認でき、隠された情報を暴くことに長けている。
すなわち、プレイヤーのステータスの非公開設定についても条件次第では秘匿を破って、データの閲覧ができるという強みがある。
(打たれ弱くてどんくさくても、わたしのザラメには知の暴力があるんですよ)
データの閲覧は、0か100か、ではなくて、段階的により詳細に確認できるようになる。
閲覧対象との接触をはじめ、より手がかりが多いほどデータの開示は容易くなる。
(約四時間と少々――これだけ接すれば手がかりは十分すぎますね)
ザラメの想定通り、『烏賊墨蓮太』のステータスは【敏捷】と【筋力】が大きくライカンの基準ラインより低い。近接前衛職としてはまず使い物にならず、ライカンのネモフィラが【敏捷:S】【筋力:A+】とはそこで天地の差がある。
初登場の時こそ馬車の屋根に身軽そうに降り立っていたものの、もしネモフィラやセフィーの敏捷さがあれば、大きな着地音もさせず、ほぼ無音でいきなり出現できた。
逆に【知力】と【精神】に優れていることはこれまでの活躍を裏づける。
ステータス傾向から類推するに、可能性は二つ。
人間か、ホムンクルスか、だ。
(……蓮太くんがわたしの、同族?)
この考察結果に、欠けていたパズルのピースがうまくハマった感覚をザラメはおぼえた。
初めてみた時、なんとなく第一印象が良かったこと。
今もなお、なぜだか気になって仕方ないこと。
そのシンプルな理由。
烏賊墨蓮太はホムンクルスである。
よってザラメ・トリスマギストスは同族の異性に対して無意識に好意を抱きやすい。
(証明完了――。なんてキメ顔で思ってる場合じゃないんですけど!?)
味覚に種族適性が働くことが良い証拠だ。
無意識下でプレイヤーは種族というものに左右されることは自明の理だ。
無論、同族というだけで無条件に好感度MAXになるような破綻した雑な仕様でこそないが、もし他が同条件だとすれば同種族の方がより好感度を稼ぎやすいということはゲームでも現実でも同じで、そうした無意識下の働きがプレイヤーにあるとする。
ザラメはまだいい。
今こうしてシステムを理解した以上、“種の本能”というものに理性でセーブができる。
(烏賊墨蓮太という人物が朝市でいきなり秒で接触してきた理由。単なる利益狙いじゃなくて、もし、同じホムンクルスのわたしに異性として興味があったとしたら……?)
――気持ち悪い、とはザラメは思えなかった。
もしかしたら考えすぎの早とちり、さらさら興味がないってこともありえる。
現に、一言も口説き文句をいわれたわけでもなく、軒並み商談と冗談しか話していない。
「でね! ついに師匠に会得した流派アーツをぶっぱなして修行完了しちゃったのよ半日で! あたしったら天才でしょ!」
「そりゃすごいでやんすねネモフィラの姉御! よ、天才バトルガール!」
食卓ではネモフィラの自己アピールが長々と続く中、ザラメは完全に聞き流していた。烏賊墨蓮太のにやけた笑みの裏側を気にして横顔を見つめてしまっていた――。
(わたしが、いえ、“ザラメ・トリスマギストス”が彼を気にしてるとでも?)
ザラメ――甘草 心桜は、ザラメ・トリスマギストスと同一にして非同一の存在だ。
この不思議な感覚を、ザラメはこの数日間でつよく実感している。
現実と幻想の自分。
自分というものがあやふやになる感覚の不安感のせいだろうか。
(いわゆる吊り橋効果、というやつですよね、これ)
胸が高鳴る。ドキドキする。心地よいのか、気持ち悪いのか、それさえわからない。
しかしひとつだけ理解した。
黒騎士やシチとの出逢いを思い起こせば、なぜユキチとのデートにドキドキしなかったのかはわかりやすかった。
不安と緊張。
それがザラメの心理に強く影響してるのだとしたら、これほどわかりやすくなぜ彼らを気にしてしまうのかが説明できる。
(じゃああれもこれも錯覚、気の迷い、状況のせいだって言い切れる……? わたしがシチュエーションに酔いがちな惚れっぽいアホなマセガキだと自分で認めろとでも!? わかんない! 恋愛なんて何もわかんないんですけど!! わかった気になったら余計にわからなくなってるんですけど!? ああもう自分が一番わけわかんない!)
「ザラメ」
不意に、ザラメの手を、ほんのり冷たいなにかがやさしくつつんだ。
「ひゃっ!」
「あ、ごめん。大丈夫? 様子がおかしかったから、手を繋いだら安心できるかなって。すこしなれなれしすぎたかな?」
「だ、大丈夫です! 料理のせいで調子悪いだけですから!」
気遣ってくれるユキチのやさしい言葉。
それはきっといつも通りなのだけれど、ザラメは明確に、まさに“アホ”と自分を笑った通りに、不安と緊張でいっぱいのところにやさしくされてドキドキしていた。
安直に、シンプルに、もうドキドキしているとしか表現できないほど自分がわからない。
(安易に恋愛ロールだなんて攻略法にとびついた結果がコレですか……っ!?)
ユキチも蓮太も直視しがたくてザラメは視線の逃げ場を探す。
そこでは一部始終を離れて観察していたと思わしきセフィーがワイン片手に優雅に野菜サラダをつつき、ザラメのことを苦笑していた。
「おいで。料理をすこし頼みすぎた。野菜でもモサモサ食めばすぐ治るさ」
「は、はい! よろこんで!」
修羅場だぞ。そう警告した人生の先輩、歴戦の戦士セフィー。
仲間の輪に入らずぼっちメシしてた彼女が、ザラメには後光を背負ってみえた。
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