063.ザラメ、もふもふ寝顔を盗撮する
◇
馬車がゆりかごのように揺れる中、ザラメの意識はいつの間にか暗転しかけていた。
客船での幽霊騒動があったその日のうちに誘拐事件なわけで体力の限界だったのだろう。
ザラメは安心した拍子に、緊張の糸が途切れてしまったのだ。
(……安心?)
これから第二帝都錬金術師協会の本部敷地内にある宿舎へ移動するはずだ。
そこには何一つ確かな拠り所もなく、この馬車内にだってザラメの兄を自称するNPCシロップ・トリスマギストスと秘書のロゼしかいない。
どうしてそれでザラメは安心することができたのか。
ザラメが一考するに、それは“匂い”のせいだったかもしれない。
ホムンクルスは伊達に幻獣の本性を持つわけではないらしく、そういう動物的な嗅覚を持ち合わせているのだとしたら――。
“家族の匂い”として、存在しないはずの記憶に安らぎをおぼえても不思議ではない。
――すこし違う。
これは錯覚のはずだ。
現実世界で無事を祈っているはずの、ザラメの家族との記憶が呼び起こされたのだ。
偽物の家族の匂いに、本物の家族への恋しさを抱いてしまう。
それくらいは自分を甘やかしてもいいはずだ。
今日はとっても、がんばったのだから――。
◇
被災生活三日目の目覚めの朝は、見知らぬ天蓋つきのベッドの上だった。
いや、訂正。
ホムンクルスであるザラメの起床は必ずフラスコの中と決まっている。
寝ている間、人化の擬態を解き、フラスコに守られて小さな幻獣の姿で休息しなければ正しい睡眠回復効果は期待できず、そもそも寝ると自然と幻獣態に戻ってしまうのだ。
その小さなフラスコが、天蓋つきのベッドのまくらの上に安置されているというわけだ。
察するに、ここは来賓用の寝室だろうか。
高級ホテルのような装いは初日が野宿、二日目が森の安宿だったことを思い返せばずいぶんとグレードが上がっている。
なお、ホムンクルスはどこでも安眠できるせいで逆に快適な睡眠環境による恩恵がない。
これだけ快適そうな寝室で寝泊まりしたのにステータスに快眠ボーナスが若干つくのはいつも通りに過ぎず、なんだか損した気分だ。
そう、この天蓋つきの豪華なダブルベッドを独り占めしておいて何も――。
(……ん? ダブル?)
ザラメは室内を見回すうちに違和感に気づく。
ダブルベッドの片側のまくらの上にフラスコが安置されているということは、もう反対側にもまくらが置いてある。当初、そこに誰も寝ている様子がないと見落としていたが、まさかとまどろみを払って注目すれば、そこに“ソレ”があった。
フラスコだ。
偽物の兄、シロップのフラスコがそこにあったのだ。
(は? え、なぜここにフラスコが?!)
ザラメは狐の白毛を逆立て、大いに驚かされてしまった。
無防備で小さな幻獣態のシロップは、ああ、比較して体格がちょっとだけ大きい以外はザラメそっくりの白狐でまるっきり小動物やマスコットの類だった。
すぅすぅと寝息を立て、ペット動画で見飽きるほど漁ったかわいい絵面がそこにある。
白いふわふわの天使みたいな子狐ちゃん。
(なんです、これ……か、かわいすぎる……)
面白いのはこの状態でもしっかりと[Lv.12 シロップ・トリスマギストス]の表記が確認できることで大仰な名前や凶悪なレベルとのギャップがじわじわと利いてくる。
ザラメはそっと静かに人化の変身をして、冒険の書の画像メモ機能を起動する。
パシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ。
50枚を撮ったところでアングルを変えてもう20枚、もちろん自撮りも10枚ほど保存した。
そしてすかさず冒険写真を広場にアップロードした。
(これでよし、と)
無心だった。
――これは映える。
そう直感したものを撮影してアップすることはもはや女子小学生の本能だった。
承認欲求や共感やその他諸々とにかくかわいい、面白いは共有せねばならない。
そして友達に見せびらかして話題にする。
それが日常の一コマだった。
「……あ」
でも、そうだった。
いつも一番争いをするようにコメントつきで拡散してくれる親友が、今はいない。
詩織はまだ死んだままなんだって、忘れてた。
ここが楽しい夢の遊園地じゃなくて、死と隣り合わせの異世界になってしまったことを、ザラメはまだ心の何処かで忘れたがっていたのだろうか。
我に返ってみれば、はしゃいでいる場合じゃない。
隣で寝ているのは死者蘇生の秘法に携わる最重要NPCにして、目下最強の錬金術師だ。
それがなぜか同じベッドで熟睡している。
冷静になると時限爆弾がすぐそばにあるようなものだ。
(そもそもなぜ、シロップがここに……?)
そう疑問をいだいた拍子に、ザラメの目と耳に待ちわびていたメッセージたちが届いた。
▽「ザラメちゃん生存確認!!」
▽「なんか盗撮してる、通報しなくちゃ」
▽「生きてた! よかった!!」
▽「ザラメ発見! 黒騎士様に伝えてきますわ!!」
まだ時刻は朝六時台なのに、写真をアップしてすぐに観測者らの小妖精が集まってきた。
その賑やかさとあたたかい声に、ザラメはほっと一息をつく。
「やれやれ、まるで休み時間の教室じゃないですか」
▽「大人ブルドッグ」
▽「無事でなによりだけど、まずは状況を教えて。みんな心配してたんだよ」
「……そうですね。では、えと……」
ザラメは簡潔に、要点だけをまず迅速に伝えようとした。
「今、わたしは第二帝都錬金術師協会の敷地内のどこかにいます。窓から見える風景を写真にとってアップしますね。安全、無事……な状況です。経緯がややこしいんですけど、ひとまず、錬金術師協会はわたしに協力的な様子ですから、あわてて乗り込んできたりはしないように黒騎士さん達に伝えてください」
▽「そっか、あの盗賊はもうそばにいないんだね?」
「はい。シチくんは……」
カーテンを開く。朝日が部屋にまばゆく差し込んだ。
ここから見える景色は、近くにはやはり第二帝都錬金術師協会の敷地なのか、立派な研究棟など学術機関らしい建物がある。遠くには町並みや広場、時計塔のようなものが見えるので撮影してアップすれば確実にここがどこか突き止めてくれるはずだ。
そのアップロード直後、背後からあくびを噛む声が聴こえてきた。
シロップが目覚めてしまったのだ。
▽「ザラメちゃんうしろうしろ!」
▽「NPCに妖精契約語は聴こえてなくても小妖精は見えているからね! 注意して!」
「は、はい! すみません、連絡はまたあとで!」
▽「ザラメまたね! がんばって!」
▽「え!? ザラメちゃんいつから!? あ、ちょ」
公開状態を非公開に変更、観測者――小妖精らはそれに合わせてパッと消える。
――心細い。
けど、心強い。
ザラメは小妖精らとの短い再会を惜しみつつ、兄シロップと対峙する。
こうして被災生活三日目は波乱のうちにはじまった。
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