060.ただの石くれ
◇
石碑の広場一帯を盗賊ギルドのガードが固める厳戒態勢の中、悠然と進むシチ。
大組織に取り囲まれているというのにシチは微塵も不安な様子を見せない。
あるいは不安がるような人間的思考を持ち合わせていないかのように、無感動な面構えですたすたと広場中央の石碑の下までシチはやってくる。
仲介人のゴードンは厳しい岩山のような顔つきでシチを見やる。
「俺が仲介人のゴードンだ。円滑で実りある取引が無事に済むよう願う。……シチ、まさかお前があのホムンクルスを捕まえてくるとはな」
「……まずは目当ての品か、確認を」
シチはそう手短に言葉して、ザラメのフラスコを山羊頭のゴードンに突き出した。
金色の瞳に横長の瞳孔。
大きな目玉がフラスコにぐいっと近づいて、ザラメは寒気をおぼえた。
Lv11のネームドNPCは最強格のプレイヤーと同等か、あるいはそれ以上に強いわけで現状のザラメには逆立ちしても勝ち目がない相手というのもあるが、白山羊頭の異形かつ盗賊ギルドの大幹部という肩書だけあって強烈な威圧感がある。
それもフラスコの中に収まるような小動物の姿では、何十倍と大きさが違うのだからまさに生きた心地がしなかった。
(でも、なんだろう、敵意みたいなものは感じない……気がする。ああ、わたしは“商品”だからこいつにとっては敵ですらないんだっけ……)
「……確認はできたな」
シチは懐にフラスコを引き戻して、ゴードンの凝視からザラメを遠ざけた。
「ああ、本物のホムンクルスだと判断する。ここでしばし依頼人の到着を待て」
「わかった」
シチは周囲を見回して警戒を示す。
そのうち不意に、なぜか石碑に目を奪われている様子でじっとそれを眺めはじめた。
「……セサミ・ゴードン、これが何かを知っているか?」
「いや、興味がない。こんなもの、ただの古びた石くれに過ぎない」
「そうか」
するとシチはいきなり無造作にフラスコを放り投げ、ザラメは空を舞う羽目になった。
こうなるとフラスコを割らないためには人化して着地するしかない。
(ちょ、なんで!?)
あわてて人間態になるも、不意のことでザラメは石畳にどすんと尻もちをついてしまう。
「いたたっ……! シチくん! 大事な商品のつもりなら丁寧に扱ってください!」
「ザラメ・トリスマギストス。これが何かを知っているか?」
そう問われて、ザラメは石碑に近づいてみる。
そしてじっくりと観察する。
修正補助。
ザラメ・トリスマギストスというこの世界の人物ならば知っている可能性がある知識ならば、それを知る由もないプレイヤーに掲示する機能――。
SP【学識A】と学者技能を有するザラメには、当人が見たことも聞いたこともない謎めいた石碑を一目することで蛇口をひねったように知識が溢れ出してきた。
その情報量たるや、まるで一瞬、津波に呑まれるような錯覚をおぼえるほどだった。
「……どうした? 不調か?」
「あ、そっか、これ、もしかして……」
巨大な崩れた石碑。
これが石くれにみえる山羊男にはきっと見慣れた風景にすぎず、彼はNPCであるから石碑についての特別な情報源として定められていないとすれば、それについてなにか有力な会話を引き出せないこともゲームの理屈としてはうなずける。
ゴードンに与えられた役割の範囲外なのだ。
むしろそういう仕組がわからず、無関係そうなNPCに質問したシチの方こそ、これがゲームの世界だという認識に欠けている。
しかしここをゲームの世界だときちんと理解していないからこそ、シチには感じ入るものがあったのかもしれないと、ザラメは石碑の正体をみて思った。
「これは……戦没者の慰霊碑ですよ。大昔、ここは地下の避難壕として使われていたそうです。大きな争いが過去にあって、とうとう避難壕に隠れていた人々も大勢が亡くなってしまったのでその慰霊のために石碑を築いたそうです。……読み間違ってなければ」
崩れた石碑のまだ読める箇所や、歴史知識を統合するとそういうことになる。
無論、たったサービス開始三年のドラコマギアオンラインのゲーム内においてそれは“そういう過去があったという設定”に過ぎないのだけれど。
そう考えると、むしろ「ただの石くれ」というゴードンの言葉は真理だ。
「不必要な歴史情報がドッと押し寄せてきてわずらわしいので少しめんど……」
「残念だ」
「え?」
「別に、ただ、崩れる前の石碑を見てみたかっただけだ」
「そんなものはじめっから存在しな……」
巨大な崩れた石碑として作られた背景建築。
ザラメは想像すらしなかった過去の光景を、シチは今、イメージしているのだろうか。
その横顔は――。
まるで満天の星空の下で星座を紡ぐ羊飼いの少年のように夢想家めいていて。
すこし、羨ましくなった。
「――復元、できるとおもいます。時間とお金と苦労はかかるでしょうけど、実現不可能なことではないでしょうね」
「じゃあ別に要らない」
「はぁ!?」
「無駄なコストを費やすことは俺に与えられた命令に反する行為だ」
「ぐぬ、結局そこですか……この集金マシーンめ」
「それに、これはこれでいい気がする。復元は不要だ」
「……まぁ、それもそうですね」
巨大な崩れた石碑は、はじめっからこう作られた完成品なのだ。
長い歳月が過ぎたことで壊れてしまい、今は地下街の片隅で忘れ去られた慰霊碑というこの現在の構図が、このロケーションを作った設計者の意図した通りなのだ。
それを石碑だけ復元するのはむしろ作品の破壊でしかない。
そこまでシチが理論立てて理解しているわけもないし、ザラメだってぼんやりと“これはこれがいいんだ”とわかる程度。
なんだか、久しく忘れていた感覚だ。
ドラコマギアオンラインは本来こうして広大な世界の観光を楽しむことも醍醐味だった。
ゲームの舞台に降り立ってすぐの、あの数日間の――。
親友たちと過ごした楽しい時間を、すこし、思い出してしまった。
――その相手がよもや、bot疑惑のある誘拐犯のシチだとは。
「シチくん、やっぱり今からでも――」
「……依頼人の到着のようだ」
帝都錬金術協会の職員ら数名が一斉に、協会長を出迎えるために片膝をつく。
その視線の先の石畳の上にぴゅるりと小さな旋風が舞うと、すぐに緑色の強風が生じた。
舞台の天幕が開くようにして、帝都の錬金術師達の長たる者“ドライセン”が出現する。
緑風を払い、協会長ドライセンは恭しく丁寧に一礼する。
(……え?)
そのいでたちは少々、ザラメの予想に反していた。
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