058.綺麗な炎
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下水道の薄闇を蠢くネズミの大群。
人魚のシチは空中遊泳することで包囲される前に速やかに離れようとした。
たかがネズミ、されどネズミ。
個々は格下の雑魚だとしても集団で襲いかかってくると面倒というだけではすまない。
ああいう群体型のエネミーは集団でありつつ単一の敵としてカウントされ、ザラメはその高い魔物知識で正確に脅威度を認識することができていた。
【骨喰いの群生[Lv7]。弱点は炎、氷属性。毒、病気属性近接攻撃、分裂、増殖】
単一のエネミーである骨喰いの群生を倒そうとした場合、そのHPが半分以下になるとLv5の群生二体となって戦闘継続する。そのいずれかをもし取り逃した場合、時間経過によって増殖してまたLv7の骨喰いの群生として復活する。
毒と病気の二属性も厄介この上なく、本体の殺傷力が軽微だとしても継続ダメージや状態異常を患うとジワジワと追い詰められかねない。
推奨レベル7の第二帝都パインフラットの地下水道だけあって、未だレベル4のザラメでは万全であっても襲われたらひとたまりもない難敵だ。
それが三体分も襲ってきていたのだから、Lv8のシチとて逃走を選ぶのが賢明だった。
それに盗賊人魚のシチの泳ぐ速度はびっくりするほど速かった。
海洋生物の遊泳速度は、早いものだと時速50kmを超えるとザラメは聞いたことがある。
ネズミはせいぜい時速10kmだ。小さい分、すばしっこくても移動距離も小さくなる。
もちろんゲーム上でも同じ移動速度という理屈はないのだけれど、中空をまるで水中のように自在に泳ぐシチの迅速さは尋常なものではなかった。
黒いうねりとなって追いかけてくる骨喰いの群生が、あっという間に置き去りにされる。
これだけ速ければネズミ達はどうやっても追いつけないはずだ。
――そう安堵した矢先、なんと前方にまた異なる骨喰いの群生が待ち受けていたのだ。
「先回り!? このままだとはさみ撃ちにされちゃいますよ!」
「【数陣問題の建造】」
シチは横道を見つけてそこに入ると後方に建造魔法を行使した。
たちどころに出現した無数の金属ブロックが積み上げられることで地下通路に施錠された鉄門が形作られることによって、前後のネズミ達は追跡不能になってしまった。
ちらっと問題文を見れば小学校低学年レベルの数式問題だった。しかしネズミには解くことができない以上、この鉄門は難攻不落だ。
「はぁ、あぶないところでした……」
「否定する。お前の危険が及ぶ可能性はなかったはずだ」
「はい? それはなぜです?」
「お前は俺が守るからだ」
「……ま、守る」
一瞬、ザラメはあたまが真っ白になった。
大いに混乱した。
どうせ「大事な商品だから」という動機ありきの言葉なのだとわかっていても、理由はどうあれ窮地を脱した直後というシチュエーションのせいでそれっぽく聴こえてしまう。
それを直球に指摘するのもいいが、ザラメは変化球で返してみることにした。
「……なるほど、シチくんにとってわたしは守るべき財宝というわけですね」
「財宝? なにを言っているんだ?」
「交換価値の問題です。わたしは超高額換金アイテムも同然ですからして、デリケートな財宝のように丁重に扱うことをおすすめします。わたしを商品として売り払うつもりだったら、なるべく価値を落とさないよう気遣ってくださいね」
「……そうか、そうする」
素直でよろしい。
この調子でうまく言いくるめられたらザラメは苦労がないけれど、そうもいかない。
――等と考えている間に、またもや危機が再来する。
今度は前方の一直線の通路上に骨喰いの群生が三体分ほどか、とにかくザラメとシチは同時にその蠢きの物音を察知した。
それだけでない。数人問題の建造による障壁を、いかにしてか破ろうと試みるようなブロックを動かす音がわずかに聴こえた。
「前門のネズミ、後門のネズミじゃないですか!?」
「発言の意味がわからない」
「わたしたち大ピンチだってことですよ! 作戦あるんですよね!?」
「――強行突破する」
「無策じゃないですか! ああもう! シチくん、一時共闘です! あなたに協力してあげますから今は"大事な商品”を守ってください!」
そう叫んで、ザラメはフラスコに収まった幻獣形態から変化して人間形態へと戻った。
ザラメは戦闘不能から休眠を経たことで体力は戻りきっていないものの、幸いにも魔法力はさっき使う暇もなかったおかげでフル充電だ。
あのよくわからないめまいのような症状も、寝起き直後にはそれらしい不快感がない。
薄暗い通路の向こう側から迫ってくるネズミの大群を見据えて、ザラメは覚悟を決める。
それはあたかも黒い津波が迫るかのようだった。
「シチくんは後方の封鎖を二重にして突破されないようにして! わたしは――」
出し惜しみは無用。
最大火力の弱点属性を遠距離無差別範囲攻撃でぶちかます。
シチが門を二重化する中、これが最善手のはずとザラメは全力の魔法を行使する。
「【消失錬成】! “火竜の挨拶”!!」
EXSP【必殺魔法】を重ねて、さらにレベル4に上昇したザラメの超必殺技は格段に破壊力が増していることを如実に示した。
轟音を響かせて数十メートル前方へと打ち出されたボーリング球くらい大きな砲弾――熱量が凝縮された火球弾が炸裂すると視界が真っ赤に染まった。
真っ赤な閃光が、そして熱風が、暗くて冷たい地下水道を走り抜けていく。
大成功《Critical》!
白い無数の小さな瞬き、クリティカル演出も確認できた。
lv7とはいえ相手もボスではない。Lv6のシーゴーストより骨喰いの群生はひとつ格上とはいえ超必殺技を直撃させて仕留め損なっていたら魔法アタッカーの名折れもいいところ。
(おねがい……!)
赤々とした爆炎と煙が消え去ると、そこには――。
全滅だ。
大半のネズミが黒焦げになって燃え尽き、生き残った少数も散り散りになって散開する。
一瞬不安に襲われたが、見立通りに敵の殲滅に成功することができた。
「ああ、火力特化型に構築しといてよかった……。観測者さん達のおかげかな……」
好条件が重なっているとはいえ、Lv3差の敵をまとめて三体一撃で仕留めるのは並大抵のことではないはずだ。
ザラメは自分の弱さに嘆く機会が多い分、飛躍的な成長ぶりに気分がよくなった。
「……綺麗だな」
「ふえ?」
「綺麗な炎だった。すぐに消えてしまったが。……フラスコに戻れ。先を急ぐ」
意外な一言だった。
シチの目には初めて目にする夏祭りの花火かのように、それが鮮やかに映ったのか。
ザラメはまたフラスコに囚われて運ばれる中、ついつい考えてしまう。
値段のつかない一瞬の美しさに価値を見出だせるのならば、それはもう、“実用上の価値”以外を認めてしまったも同然だ。
(……これって、シンギュラリティなのかな)
IT教育の授業で恐ろしいものだと習ったはずの技術的特異点の前兆を、不思議なことに、ザラメは今、どこか望ましいものかのように思えて困惑するのだった。
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