006.人々の黄昏
◇
――激震。
言葉通りの意味だ。
竜と魔法の大地が轟音うならせ鳴動する。
ゲームフィールドの至る所に亀裂が入り、赤黒い禍々しい閃光が漏れ出した。
火竜の挨拶が炸裂しても微動だにしなかった石造りのアーチ橋が震え、ザラメ達は立っていることもままならず、石材が崩れ落ちる。
未曾有の大地震。
いや、それ以上の異常事態が起きている。
「な、なになになに!?」
「ログアウトを! 早く! ゲームの外へ!」
ザラメの機転に、ミオがいち早くログアウト操作を試みる。
しかしそれは無効、エラーを吐く。
「なんで!? 操作を、受け付けない……っ!」
「ミオ、危ない!!」
混乱の最中、フィールド全体に走っていた亀裂から漏れ出した赤黒い光がまるで毒蛇のように這い、ミオを襲った。それをシローは庇ったのだ。
赤黒い光に蝕まれたシローの姿形は即座に崩壊をはじめる。
ガラスの彫像をハンマーで叩き割るように。
シローは無数のデータの破片になって砕け散って、消え去った。
「きゃああああああああっっ!!」
悲鳴をあげるミオ。
ザラメとシオリンにも容赦なく、赤黒い光の毒蛇が食らいついてきた。
……為す術はない。
それは一匹や二匹ではなく、津波のように足元を埋め尽くして這いまわり、飛びかかる。
一瞬先に赤黒い光に捕まったミオは恐怖に叫び、もがき、呑まれていく。
「いや、いやっ! いやぁぁぁっ!!」
無慈悲だった。
ミオの儚い抵抗に何ら情緒の欠片も見せず、赤黒い光は彼女を侵食する。
ボディの表面を透過して内部に侵入し、やがて内部より崩壊に至らしめるのだ。
散華するミオ。
人魚姫の美しい鱗が空を舞い、赤黒い光によって塵と消える。
「心桜ちゃん……っ」
ザラメの手を、シオリンの手がぎゅっと掴んできた。
シローとミオの消滅から数秒と経たず、ふたりにもその時が訪れていた。
実際にその赤黒い光にザラメが触れた時、不思議と痛みも苦しみもなかった。最初のうちはぬるい温水に触れるような感触だ。
赤黒い光は血管や神経のような、全身を司る網目に入り込んでいく。
――何か、探っているようだ。
本能的に、ザラメはあたかも“検査”のようだと感じた。根拠はない。しかしそれは突き立てられた毒牙よりは丁寧な採血注射のようだった。
全身にくまなく赤黒い光が走って、崩壊の時が訪れる――。
――そのはずだった。
暗転したザラメの意識が覚醒した時、そこは死後の世界でも、現実の世界でもなく、この天変地異に見舞われた仮想世界のままだった。
隣では意識を失ったままシオリンが横たわっている。
ミオとシローは消失、ザラメとシオリンは現存しているという結果だ。
(わたし、生きてる……?)
夕闇の中、目を凝らす。
鳴動は去り、噴出した赤黒い光の異変もただ一点を除いて、消え失せていた。
ぼんやりと輝く、赤黒い光を帯びた巨躯――。
それは倒したはずの、弁慶カワウソ――その亡骸であった。
ザラメの“修正補助”がソレを知識として表示する。
“[Lv.X]弁■カ▽▲ソ”
異常な表示にザラメは恐怖し、すぐさまシオリンを揺すり起こした。
ゆらり、ゆらり。
3mを越える巨体の猛獣が、なにゆえか死して蘇り、ゆっくりと薙刀を拾い上げる。
手入れの悪い鈍刃は赤黒い光を帯びて不気味に輝く。
ゆらり、ゆらり。
ソレは血を求めていることが明白だった。
「起きて! 起きて詩織!!」
「ん、んんっ……」
シオリンが目覚めた直後、猛然と薙刀を構えてソレは突進してきた。
ザラメとシオリンはとっさに逃げようと走る。
しかし鈍足なホムンクルスとドワーフには到底、猛獣から逃げ果せそうになかった。
「はぁはぁ、はぁ! あいつ、絶対におかしいです……!」
「……心桜ちゃん、今だよ。今、やろう」
「え、詩織!?」
不意に立ち止まったシオリン。
薙刀を振り下ろしてきた弁慶カワウソだったモノの一撃を、彼女はドワーフの耐久力と防具を頼みの綱にして肩口に受けつつ、刺し違えるようにして。
“暴君のくしゃみ”
つまり、ザラメの錬成した激辛スプレーを至近距離で浴びせたのだ。
赤黒き猛獣は悶え苦しみ薙刀を落とすが、すぐさま鋭い爪を備えた両椀によってシオリンの背中を切り裂きながら羽交い締めにした。
そして元の行動パターン通りならば、このまま道連れにアーチ橋から飛び降りる。
決断は一瞬。
「っ! 火竜の挨拶!!」
錬金術の真髄が瞬く。
赤黒き獣を、より煌々と赤い火炎爆発によって消し炭にせんとする。
親友の、決死の覚悟を無駄にはできなかった。
――あるいは、眼前にある死の恐怖に怯えて、それが親友を見捨てる結果になりうると考えつかなかったのかもしれない。そうザラメは後に振り返る。
致命の一撃だった。
怪物は死に損ないの蘇り、その強烈な威力によって再び絶命するには十分だった。
けれども。
大地震によって壊れかけていた石橋さえも火竜の挨拶は破壊してしまった。
「詩織っ!!」
崩落する石橋。
爆死した怪物。
その深々と刺さった爪は決してシオリンの体を捕らえて離さず、絶命した後、そのまま彼女を瓦礫とともに水底へと誘った。
「 」
なにかをシオリンが最後に叫んだとしても、その言葉が届く状況にはなく。
大量の瓦礫と怪物の亡骸と共に、シオリンは夕闇の川底へと沈んでいく。
――必死の思いで苦心してザラメが岸まで引き上げた時、もう、彼女は死んでいた。
たかがゲーム上の“死”だ。
ただ“リトライ”すればいいだけの、羽根のように軽い“死”のはずだった。
いつまでも。
夕陽が沈み、銀月が昇って、とうに夕食の時間が過ぎようとも。
「……そう、ですよね」
シオリンは目覚めることがなかった。
やがて運営の通知が届く。
ザラメはこの悪夢が、醒めない現実だということを突きつけられた。
そして今に至る――。
■
一連の出来事を語り終える頃にはもうザラメは眠りこけていた。
観測者であるあなたへ事の次第を語るうちに、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
“フラスコの小人”
人間態への擬態が解けて、ザラメの身体は霧散する。
フラスコ瓶がひとつ、代わりにそこに在る。
その中には、白い小狐のような幻獣がいる。額に紫色の宝石があるちいさな幻獣こそ“フラスコの小人”と呼ばれるホムンクルスの正体だ。
設定上は、ホムンクルスの人間態は魔法によって変化したフラスコ瓶だとされる。
この無防備なフラスコ入りの小動物の寝姿を晒すのは稀なこと。
とても安心できているか、あるいは、とても疲れ切っているか。
激動の一日だ。
悪夢の一日だ。
まだ何も力になることができていなかったとしても。
ようやくひとかけらの安堵の中、ザラメは眠ることができたのだろうか。
あなたが望むのならば――。
明日もまた、彼女の観測をつづけてみるのもよいだろう。
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