041.カルネアデスの舟板
◇
「味方に多大な“苦しみ”を与えることになっても、あなたの正体は暴けました。冒険者ギルドで港に留まって初心者プレイヤーを守ると約束したはずのあなたが、どうして乗船してるんですかね? ししゃもさん」
「何のことかな? 言いがかりはよしてくれよ、ザラメ・トリスマギストスさん」
動揺はある様子だ。
毒々しい緑色の液体に囚われて苦しみうめく仲間をろくに心配もせず、さりげなく、しかし素早く歩いて銀剣の殺人鬼ことエルフの少年剣士ししゃもは近づいてくる。
ひとたび間合いに詰めれば、その卓越した俊敏さでシオリンやユキチをかわしてザラメにまで一気に到達しかねない。
黒騎士はたったひとりで亡霊軍団を食い止め、レイドボス相手に時間稼ぎをしている。
ザラメは“狙撃”に失敗した上、さらに味方を無駄死にさせてしまったことで自滅、絶体絶命の窮地にある。
小賢しいザラメや脆弱なユキチを始末すれば、あとは孤立無援となった黒騎士をオキノムラサと協力してなぶり殺しにすればいい。
それが銀剣の殺人鬼の勝算だろう。
「君こそXシフターなんじゃないか? その証拠に今、僕の仲間を攻撃したじゃないか。ああ、そうだ、そうに違いない。君らもそう思うだろう!?」
ししゃもの呼びかけに小妖精が呼応して明滅する。
黒い小妖精の入れ知恵だろうか。
観測者を混乱させることができたとて、もう盤上にはザラメの仲間しか残っていないのだから情報操作はもう無意味だ。
ユキチはししゃもの接近を阻止しようと間に割って入り、シルバーソードを抜いた。
「ザラメはボクとずっと一緒にいたんだ!! 殺人鬼はキミだ……!」
「ああ、僕と入れ替わりに追放されちゃった役立たずのユキチさんじゃないですか。さては逆恨みですか? ……邪魔だ、どいてろよクソ雑魚が」
赤黒い飛沫が弾け、一瞬にしてししゃもはXシフター、銀剣の殺人鬼へと変貌する。
そしてユキチを凶剣で一刀両断に斬り伏せんとした。
悪鬼羅刹が如し彼の剣撃を、ユキチがまともに防げる要素は何もなかった。
「【小火の術式】!」
それゆえにザラメは瞬発性に優れた小威力の簡易錬成によって、殺人鬼を――。
いや、ユキチに火球をぶち当てて、ふっとばして強引に回避させた。
「あ、くっ……」
「ははは! どこを狙ってるのかなぁ! ウケ狙い? イイネ! ……ああ、なるほど、教えてくれてありがとね。そっか、動いて避けるボクより狙いやすいもんね。なかなか小賢しいね」
銀剣の殺人鬼は軽薄に笑った。
本性をさらけ出した開放感からか、饒舌だ。しかし苛立ちに目つきがギラついている。
「ま、まだ、ボクは負けてない……っ!」
「もういいから。死んでよ」
ふらふらと立ち上がるユキチを、今度こそと銀剣の殺人鬼が仕留めにかかる。
シオリンの死体を操って応戦させようとするが、前回より挙動が改善されてもなお一度食らった足止めを二度食らうほど銀剣の殺人鬼はてぬるくなかった。
絶体絶命だ。
血濡れた白刃が霧の洋上に天を指し示し、そして振り下ろされようとする。
「ユキチくんっ!!」
ザラメの簡易錬成も今度は追いつけず、万策尽きた。
――ように見せかけるのに、ザラメは散々に苦労したのだ。
「はい、おしま――」
銀剣の殺人鬼の言葉が途切れたのは、その喉首を一条の矢が貫いたからだ。
Xシフターゆえか異常な生命力で絶命や戦闘不能にこそなりはしないものの、その象徴たる銀剣を手から落とし、殺人鬼は戦慄いた。
「は? ふざけんなよ……なに当ててんだよ、クソエイム女がよ」
矢を引き抜いて、掌をかざして自己回復を試みる殺人鬼。
その睨んだ先に立っていたのはエルフの弓兵、セフィーだった。
満身創痍の中、ザラメの範囲攻撃に巻き込まれて倒れたはずのセフィーは健在だった。
いや、むしろ大きく傷を癒やされて万全に近い状態だ。
「貴方がマルセーユを……! 私たちの仲間を……!」
「おい待てよ、なんでお前が……ぐっ!!」
セフィーの第二射をかわそうとした瞬間、シオリンが退路を塞ぎ、腕をかすめた。ユキチを仕留め損なったのだから当然こうなる。
殺人鬼がまずいとすぐに剣を拾おうとするが、それを踏みつける者がいた。
「ネモフィラ……っ! おい、おいおいおい! どうなってんだよ! 誰か教えろよ!」
ネモフィラの強烈な掌底。
弾き飛ばされた殺人鬼は流麗な身のこなしで受け身を取り、黒騎士から渡されていた“口止め料”の武器を装備し直した。
その間に、ネモフィラは傷ついたユキチを助け起こす。
「ごめん、ユキチ! あたし……!」
「それより、一緒にあいつらを止めないと……!」
「……うん!! あたし達にまかせて!!」
ザラメは次なる術式の準備をしつつ、現状を再確認する。
依然としてXシフター側は大きな損害は生じていない。オキノムラサも殺人鬼も健在だ。
しかし最大の懸念事項だった不意打ちは解決した。そして戦力の立て直しにも成功した。
(まさかね。“草竜の苦汁”がゲロマズ青汁ポーション二種で合成した結果できてしまった苦痛に満ちた範囲回復とはね)
強力な持続回復効果と耐性付与、戦闘不能の偽装、一時的な苦痛という副作用のセット。
良薬口に苦し。まずい、もうやめて。
レベル4のザラメが無理な一撃必殺を狙うより、レベル5-6の味方を戦線復帰させる方がずっと理にかなっているのだから狙撃はそもそも油断を誘う偽情報だった。
銀剣の殺人鬼は一度“死んだフリ”に引っかかっている。ザラメの演技次第ではまた騙せると賭けに出たが、実際うまく回復の時間稼ぎと正体暴露どちらも成功してしまった。
その結果、盾役のガルグイユをはじめレイドボスの亡霊軍団を食い止めておける十分な戦力を確保できたことで――。
最強の切り札、漆黒の重騎士をついに銀剣の殺人鬼と直接対決させるに至った。
ザラメは逃走を見越して、今度こそと備えては黒騎士を見守る。
「……答えろ。“いつから”だ?」
「“最初から”かな。楽しかったなぁ~。ボクが殺した死体を見つけるたびに、少しずつ追い詰められてすり減っていく黒騎士さんにやさしい言葉をかけるのは。本気で慕われてるとでも思ってたのかなぁ? こんな素敵なプレゼントまでくれちゃってさ」
エルフの少年剣士の姿に戻って、ししゃもは意匠を凝らした上等な刀剣を握りしめる。
「ししゃもってね、死者喪って書くんだよね。カルネアデスの舟板って知ってるかな? 自分が生き残るためにやむをえなければ他人を殺したっていいってやつ」
「……仕方ないとでも言いたいのか」
「“勝利条件”なんだよね。Xシフターの“上位20%”は冒険者とは別枠でゲームから脱出することができる。それもこれも運営が悪い。ね? ボクは悪くない」
「……七面倒くさい。善悪など今は関係ない。邪魔なお前を斬り伏せるだけだ」
「あーあ、かっこいいなぁ~……うん、殺そう」
一対一の対決は熾烈を極めるかに思えた。
しかし数度も打ち合えば完全に優劣は決してしまっていた。
銀剣の殺人鬼が両手で握るのは黒騎士の使い古しにすぎず、しかも黒騎士は片手でより強力な刀剣を操る上、強固な盾と鎧まで備えているのだ。
俊敏さこそ勝るものの、相性が悪い。それに海の真っ只中に逃げ場はなかった。
今度はもう逃げられない。
「ずっとボクを見張ってるなぁ、よっぽど恨んでるらしい。あーあ、あの時ちゃんと殺しておけばなぁ。何であんなクソ雑魚のおもりをやってるんです、黒騎士さん」
「どんくさいからだ」
「はは、意味わかんねー!」
自分勝手に犠牲者を増やしつづけ、狂気に身を委ねた殺人鬼――。
大上段に振り下ろされる剛剣。
もはやかわすこともできず、ししゃもは自らの剣を盾に防ごうとした。
武器耐久値が0になり、破壊される。
あるいは、ししゃもの黒き魂が打ち砕かれる。
縦一文字に剣閃が輝く。
刃の破片と血飛沫が甲板を汚した。それで終わりだ。
「これ、人殺しですよ、黒騎士さん」
「ああ、カルネアデスの舟板だ」
一部始終を見守っていたザラメは両者の最後のやりとりに耳を疑った。
ザラメはこの身勝手な悪鬼に勝ちたいと願った。
そして遂に勝利した。
VRMMO『Draco Magia Online』において【過保護】が適応されるのは導きの書を得た冒険者のみである。
よってエネミーと成り果てたXシフターは――倒せば死ぬ。
殺人鬼を殺した黒騎士を殺人者と罵るものはわずかだろう。
そう、例えば、黒騎士自身。
ザラメはこの有意義な殺人の共犯者となってしまったことを後悔しないと心に決めた。
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今回まさに第一章クライマックスです!
このまま第一章ラストまで突っ走って参りたいとおもいます。乞うご期待あれ!