017.黒騎士のシャワーシーンを盗み見ますか?
◇
ザラメがフラスコの中で目覚めた時、そこはふかふかベッドの上だった。
フラスコの隣にはシオリンの死体が安置され、丁寧にシーツが被せてある。
「ここは……宿屋、みたい」
冷静に状況分析した結果、善意ある誰かによって安全な環境下に運ばれたとザラメは推察する。もし悪意があれば、シオリンの死体にまで敬意を払う必要はないだろう。
幻獣態で一眠りするとホムンクルスは劇的に回復が早いという性質がある。
人間態に変身してみれば、HPは五割、EPは全快まで回復済みであると確認できた。
「……あ、防具ダメになってる」
ドラマギの武器と防具には耐久値がある。初期装備よりちょっとマシ程度の安物防具ではやはりすぐ破損状態に陥るらしい。
それだけ銀剣の殺人鬼は脅威だった。一撃しか食らってないのに、全部もっていかれた。
(……寒気がする)
ぶんぶんと頭を振って、ザラメは不安な気持ちにならないよう忘れることにした。
「1、2のポカン! よし忘れた!」
心細さを補いたくて、ザラメは冒険の書を開いて観測許可をオンにする。
すると数秒とせず、ザラメのことを心配していた常連らしき観測者らの『良かった!』『目が覚めた!』『安心した!』などの“録音コメント”が届いた。
いわゆる留守電だ。
▽『ザラメちゃんへ。黒騎士さんが宿屋さんに運んでくれたよ。仲間になってくれるみたいだからよかったら頼ってみてよ』
「……仲間? あの黒騎士が?」
ザラメは目をぱちくりさせ、心底に驚かされた。
これまでも観測者らのコメントにアイディアや情報をもらったり、精神的に励まされてきたりはしたものの、まさか強力そうな仲間まで勧誘してくれるだなんて。
ゲームの舞台上に直接干渉できなくても、観測者というのはただ見ているだけの観客や聴衆ではなくて、間接的に干渉できる支援者や裏方に近いのだろうか。
現在の観測登録は【12人】だ。
これは観測者らの話では上位1%には程遠いが、下位1%を明確に脱しているらしい。
「……いいのかな」
ザラメは小学五年生だと公言している。女子供は優先して守るべし。――という考え方は今でも根強くて、無力でも無名でも興味を惹きやすいのだろう。
そのずるっこさを自覚しつつ、四の五の言ってられない事情のザラメは遠慮なく観測者の協力をおねがいしてきたわけだが、正直、想定以上に助けられてしまっている。
ああ、善意がまぶしい。
凶気の刃に倒れかけた直後だというのに、ザラメは恐怖の闇に囚われていなかった。
「……え、シャワー?」
不意に届く水音。白いふさふさの耳毛が生えた獣耳をぴくぴく動かしてザラメは探る。
宿屋のサニタリールームに誰かいる。
――きっと黒騎士だ。
状況を踏まえるとそう推察できるが、ザラメは直に見て確かめたわけではない。
▽「あ、ザラメちゃんおきてる! ん、なに、シャワー? だれかいるの?」
再開後の観測者第一号さんに「黒騎士さんだと思うんですけど……」と返答すると▽「よし、安全確認ね! いけ!」とそそのかされた。
「いけ、と言われたって……!」
▽「あたしが考えるに、きっと黒騎士にはヒミツがあるはずよ。これは早いうちに正体を知っておくチャンス! 気になるでしょ? だいじょーぶ! JSはおフロのぞいたってノープロブレム!」
頭痛がするほど思考が軽い。
しかし気になるといえば気になる。ザラメは好奇心を倫理観より優先させることにした。
「防犯、もしもの時の防犯ですから……」
(昨日、お菓子屋で転びそうになった時、助けてくれた人と鎧と声が同じ……。あの時は兜つけて顔を隠してなかったよね……気になる……)
ザラメは杖を握りしめて、こっそりとサニタリールームへ忍び寄る。
「現実問題、気になります。ご遠慮願いたいタイプだと後からわかるのは困るし……」
▽「えへへー、ワクワクもんだぁ~!」
いざとなればこの観測者を悪者にしよう。
ザラメは悪知恵を働かせながら、サニタリールーム内に忍び込み、シャワールームの曇りガラス戸をそっとずらして黒騎士の裸体、もとい正体を確認する。
一面の湯けむり。
黙々と湯けむりが立ちこめて、じつに見えづらい。
もう少々戸を開いて、ザラメはじっと確認する。
(……なんだろう、すごく、綺麗……)
その美しい裸体は芸術めいていた。
型通りの美男美女をキャラメイクすることが容易なゲームといえど、誰しもに天性の美貌が備わっているわけではないのが不思議なものであることに、黒騎士と思わしき者の造形美はどこか一線を画していた。
美術の教科書で目にする彫刻のような美しい筋肉は、あの重装備を十全に着こなすだけの説得力を有しているものでしなやかでたくましく、かといって岩塊のようにゴツゴツとしすぎてもいない。
種族はライカンだろう。人間態、獣人態、動物態の三つを使い分けでき、人間態のときは飾りつけ程度に獣の耳と尻尾を有する。黒騎士は黒毛の狼種なのか、尾てい骨(臀部上端)付近からしゃなりと流麗な黒い尾が生えていた。
中性的なシルエットは注視すれば美男子とわかるが、細身の美女と見間違える者がいても無理からぬこと。
なにせ、丁寧に御髪の泡を洗い落とす仕草はまるっきり乙女の指遣いだった。
(……え? どっち?)
▽「うわ、エッロ」
シャワーの水音が淡々と反響する。
ザラメは胸が高鳴るのを自覚した。これはもはやドキドキしない方がどうかしてる。
イケナイコトをしている、という背徳感も手伝ってるのだろうか。
キュッとシャワーの栓が閉められて戸が開く瞬間まで、ザラメは食い入ってしまった。
「――おい、どんくさぎつね」
脱衣所のバスタオルで“胸”をまず隠した黒騎士は不機嫌そうに見下ろしてくる。
下半身はタオルの丈がどうにか足りる程度で、なんとも際どい隠し方だ。
その衝撃的な絵面と悪事がバレたことでザラメは頭が真っ白になる。
(バレた――!)
▽「わぁ、修羅場ってきた!」
「わたしじゃありません! こいつです! この妖精さんに言われてやったんです!」
▽「ずるっこい!?」
「……ナイショにしてくれ」
ぼそっと裸体の麗人はつぶやく。
不機嫌さに気恥ずかしさの入り混じった妙な顔つきに「え?」とザラメは小首を傾げた。
「後から説明するが、これには事情がある……。他言無用だ、いいか」
「あ、はい、仰せのままに」
「記録も消せ、今ここで」
「は、はい、消します消します!」
正座して叱られモードになっていたザラメはあわてて冒険の書を操作する。
範囲指定してログを非公開にすれば生で目撃した観測者一名を除いて、記録はどこにも残らない。その記録も盗撮動画みたいなものだからこのご時世わざわざアップするリスクを犯すことはないだろう。
そもそもセンシティブな表現は映像記録にしようとするとフィルターが適用される。
謎の光や濃い湯けむりだらけでザラメ以外には無修正で目にはできないはずだ。
(あー……、死ぬかと思った)
「着るからあっち行ってろ」
襟首つままれ脱衣室からポーイと追い出されるザラメ。
しばらく後、湯上がりらしい簡素な部屋着に上下着替えてきた黒騎士のいでたちはどちらかといえば男物の装いだ。何も恥じらう点はないはずが、妙に所在なさげにする。
絨毯の上で正座するザラメを見下ろすように、黒騎士はベッドに座る。
――ぺたんとW字に股を開いて、割り座で。いわゆる女の子座りで。
そして櫛で長い黒髪を梳いて入浴後のケアに気遣いながら、黒騎士はむくれっ面をする。
「……ああ、七面倒くさいっ! これが俺の、いや、私のヒミツだっ!」
「……どゆことです?」
宇宙の真理に触れた一匹の猫が如く。
純黒の重騎士の謎によって、ザラメはその精神を銀河の渦へと旅立たせそうになった。
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