014.来襲、銀剣の殺人鬼
◇
白昼の悲鳴に思わずザラメは足を止め、その白い獣耳の鋭敏さを呪った。
どうする。
生存を第一に考えた場合、すぐにでも悲鳴から遠ざかるべきだ。悲鳴に近づけば、それだけ危険に遭遇する確率は跳ね上がる。
そう思って背後を振り向いた時、そこにはやはり随伴するシオリンの物言わぬ姿がある。
もし彼女がいれば――。
もし仲間がいれば――。
ザラメはその早いとは言えない走力で苦しげに息を切らしながら悲鳴の場に辿り着く。
薄暗い路地裏に影二つ。
ゆらりと倒れ伏して、影一つ。
爛々と輝く殺人者の眼は暗闇にあって金色に輝く。
血濡れた銀色の剣は忘れもしない。消えたシルバーソードだ。
ぽたり、ぽたりと影色の血が滴り落ちる。
――驚愕すべきは、その周囲に光点――観測者が十数も随伴していること。
「……おやぁ、見られちゃいましたか?」
吊り上がる笑み。
殺人鬼はとても愉快そうにする。
「ひっ」
ザラメは後悔した。好奇心は猫を殺す、というではないか。
心臓が高鳴る。身体が硬直しそうになる。
影の殺人者は何者なのか。
その全容を暗闇の中から探り出す暇もなく、それは銀の刃をザラメの首に突き立てた。
「はい、HP0」
「か……ぁ」
▽「ザラメちゃん!?」
▽「おい、ウソだろ」
▽「誰か周囲に呼びかけて! 早く!」
いともたやすく、ザラメは刺し貫かれていた。
痛覚は軽減されているが、かえって意識を失わない程度の激痛が走った。
銀剣の殺人鬼の宣言通りにHPの残量が0になるという数字情報が薄れゆく視界に入る。
【Lv.X ル■▽】
このまま何もできず、死んでしまうのか。
ザラメは苦し紛れに【小火の術式】を撃つ。それは銀剣の殺人鬼に被弾しなかった。
「雑魚はおとなしく死んでなよ、どうせ新月の夜にゃ誰かは削除されるんだからさぁ」
去りゆく凶気。
狂気めいた高笑いと共に銀剣の殺人鬼は暗闇の向こうへと消えていく。
「……バカですね」
そしてザラメは静かにひとり呼吸を止めた。
“助かった”
と安堵して、ザラメは深呼吸する。
今しがた息の根を止められてしまった方のザラメではない。
フラスコの中にいる“本体”のザラメ、小狐のような白い幻獣のザラメだ。
【死んだふり――ホムンクルスの種族特性の一つ。戦闘不能を一度だけHP1で耐えて、義体のHPを0に偽装できる】
ホムンクルスの隠れた特性のおかげでザラメはまだ倒れていなかった。
このいわゆる“食いしばり”効果の亜種は、ゲーム意図としては打たれ弱いホムンクルスの救済措置である。設定上は、ホムンクルスは中核である幻獣態に外殻としてフラスコを変化させた人間態を重ねている義体なので本体は無傷ということになる。
ホムンクルスはキツネやタヌキ、ネコなど人を化かす動物が幻獣態のベースになるのは“死んだふり”との兼ね合いだろう。
無論、さらなる攻撃を受けたり、見破られてしまえば意味がないので過信はできない。
(あの魔物が、見破るほどに観察力がなかったおかげで助かった……)
じっくり観察する暇を与えないために、観測者の“周囲への呼びかけ”から思いつき、ザラメは相手をここから追い払うために【小火の術式】を撃つ。
道端の可燃物に着弾、発火、発煙――。
ザラメはとっさに相手を撤収させるための布石を打ったのだ。
(あとはこのまま……だれかたすけてくれるのを待てば)
けれど。
ザラメは自分にできる最善を尽くしたけれど。
悲鳴に駆けつけるという一点を除いて、うまくやったつもりだったけれど。
闇の奥底から聴こえる微かな音に、それは無駄なあがきだったと否定されてしまった。
「ねぇ、怖い?」
ザラメに語りかけているのではない。
路地裏の暗闇の向こう側で、銀剣の殺人鬼はさっき斬り伏せた犠牲者に語りかけていた。
殺人鬼は、だれかを“戦闘不能”にした後、目撃者のザラメを襲撃した。
「怖いよねェ……でも命乞いとか要らないんだよね、そういうの」
つまりまだ被害者を“死亡”させてなかった。
「きみが死ぬとこ晒させてよ。とびっきり無様に撮るからさぁ。ボクのイイネになってくれるよね? じゃ、登録数稼ぎに貢献よろしく……と」
それゆえに、トドメを刺そうと後方に移動したに過ぎず、逃走してはいなかった。
(何も、できない……)
ザラメには死んだふりを続けることしかできない。
息を殺して、鋭敏な耳を塞ぎ、凶行の一部始終を黙ってやり過ごすしかなかった。
▽「じっとしてて。今は自分のことだけを考えて」
妖精契約語のささやきに、ザラメはハッとする。
観測者の分身である小妖精の言葉は“妖精語”ではなく“妖精契約語”である。
これは“契約を交わした相手との間のみ会話が成立する”という設定に基づく。
よって、この“死んだふり”状態のザラメに観測者が話しかけても返事さえしなければ内容もバレないし、距離が遠ければ聴こえもしない。
この孤立無援の窮地にあって、そのささやきは一縷の望みだった。
▽「もうすぐ助けがくるよ」
▽「つらいけど、耐えて」
▽「がんばれ」
寒気がする。恐怖心におかしくなりそうだった。
ほんのすぐそばで猟奇殺人を、愉快そうに楽しんでいる誰かがいる。
ザラメは無力さと悔しさと恐ろしさと、くじけそうな心をどうにか声援でつないだ。
ほんの身近な時間が、無限大に長い。
「……さて、んん? へぇ、“死んだふり”なんてあんの。教えとくれてあんがとね」
殺人鬼のつぶやき。
救援はもう、手遅れになりそうだ。
血濡れの銀剣をピシャッと振るって雫を払い、つかつかと靴音を鳴らして。
銀剣の殺人鬼はだれかと愉しげに“会話”しながらゆらゆらと幽鬼のように迫ってきた。
――死の恐怖がすぐそこにある。
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