095.黒い小妖精-DOGEの強襲
◇
Xシフター。
“死亡”という状態がプレイヤーに通常存在しないドラコマギアオンラインにおいて、現状不可逆な死亡状態をもたらす最悪の脅威。
約10000人の被災者プレイヤーにとって、Xシフターとの接触は恐怖でしかない。
黒い小妖精を伴い、異形のいでたちに変貌した複数のXシフター。
カフェテラスに集まっていた一般のプレイヤーの大半が選んだのは、まず、我先にとその場から一目散に逃げ出すことだった。
「なんで!? なんでXシフターが大量に!!」
「いやぁぁぁぁっ!!」
「お、お、俺は逃げるぞ! 冗談じゃないっ!!」
剣や盾を投げ出して、恐慌状態に陥る一般プレイヤーたちの反応はむしろ正常だった。
もし、通学路や通勤電車、職場や学校に刀剣や銃火器を手にした集団が現れたとして、一般市民がそれに立ち向かうのは無謀の一言だ。
いかに剣と魔法の世界の冒険者としての戦闘能力を与えられていたとしても、今ここでなんの必然性もなく戦い、いたずらに死ぬ覚悟など普通の人間にはなくて当然だ。
(わたしだって、本当はそうしたいんですけどね……)
ザラメに逃げ場はない。
明確に、敵集団はザラメ、シチ、ユキチの三者を攻撃しようと企み、その幻影に斬撃を浴びせたことで偽装工作が暴かれてしまったという状況下だ。
本来、単なる小学生のザラメに明確な殺意を抱いた集団の襲撃など対処しようもないのだが、ザラメ・トリスマギストスは天才錬金術師であるからして、その修正補助が的確に状況を把握させる。
敵は――六名。
まずカフェテラスでくつろいでいたNPC冒険者五名が主要な敵だ。敵対状態であれば魔物でなくてもドラマギではエネミーとみなされる以上、NPCが不意にXシフターの正体をあらわにする、もしくはXシフターに変異する可能性はありうる。
ザラメが一番はじめに戦い、そして詩織を死亡させる直接の要因となった弁慶カワウソも当初は普通のボスエネミーだったものがXシフターに変異したものだった。
変異のきっかけは――通報か。
考察する暇はない。
ザラメは迷いなく、即座に、朝市でおまけにもらった【モクモク煙玉】を使用した。
「ごほっ! ごほっ! くそ、煙幕か!」
「小賢しいガキだな」
六対三。
敵Xシフターの元々のレベルは各々この第二帝都の水準冒険者レベル7だ。構成は、戦士、軽戦士、格闘家、神官、操霊術師。ここにXシフターは未知数の強化が加わる為、それ以上の強さだ。人数も戦力も明らかに不利だ。
そもそも一対一でも銀剣の殺人鬼に殺されかけたトラウマがあるのに六対三で戦うなんて無茶だとザラメは即断即決した。
「シチくん! ユキチくん! 早く川へ!!」
一声だけ叫んで、ザラメはすぐにカフェテラスの面した川へ全力疾走した。
シチ、ユキチ、ザラメは全員が水中適性のある防具や種族があり、敵パーティにそれがないことをザラメは瞬時に把握して、地の利を得ようとしたのだ。
【早足のシルバーブローチ】を装飾品として装備することで鈍足をすこしでも補い、川へと辿り着こうとするのだが――。
「お客様、お支払いがまだでございますよ」
「ああもうなんでカフェ店員さんが!?」
単なる一般市民のNPCであってもXシフター化しうる、というのは新発見だ。
もちろん冒険者NPCほど強くはないが、それでも足止めに通せんぼするだけならば十分すぎるほどザラメの邪魔をできた。
(まずい――!)
的確に動く雑兵。
これほど鬱陶しいものはない。
黒い小妖精が数体まとわりついて赤黒いオーラのようなものを纏ったカフェの店員の男は、まさしく将棋やチェスのコマの歩兵のようにいやらしい働きをした。
(黒い小妖精が、NPCを操っている――!?)
ザラメは直感した。
黒い小妖精――悪意ある観測者DOGEたちにはXシフター化したNPCを操作する権限がある。
暗号資産を目当てにしたゲーム外の不特定多数の人間が、まさにゲーム感覚で、ザラメ達へと攻撃を仕掛けているのだ。
それを裏づけるようにして――。
▼「逃げるなよザーコ」
▼「おいおい頼むぜ今月支払いヤベーんだからよ」
▼「チヤホヤされてウザいよねこの女。みっともなく死んじゃえ」
悪意に満ちた耳を傾ける価値もない、あの銀剣の暗殺者との戦いで耳にしたような妖精語がザラメにも聴こえていた。
(苛立ってる場合じゃない、このままじゃ……!)
カフェ店員の力強い腕がザラメを捕まえて、足止めを食らった。こうなればと至近距離の魔法で反撃を試みる――。
「【雷音の術式】!!」
獅子咆哮、雷鳴轟音。
[Lv5]にレベルアップ後、さらに【紅蓮のマジシャンズ・ロッド+】を装備して火力が向上したザラメの、天才錬金術師の重たい威力重視の一撃だ。
激しい電光の明滅と衝撃が、Xシフター化した店員の男をたった一撃で撃破した。
▼「ぐああああっ!」
▼「痛ぇ……!」
▼「やだやだやだ! バチってきた!」
黒い小妖精が各々悲鳴をあげながら店員から離れ、男のXシフター化が解除される。
(NPCを操るとDOGEにもダメージの痛覚が共有されてる? おぼえておこう)
店員は深いダメージを負っているが気絶状態にとどまり、あとで治療は可能なようだ。
(よし、死んでない……!)
威力調節を迷い、ザラメはあえてEXSP【必殺魔法】を使わずに戦闘不能にできるが即死にはまず至らないよう配慮して魔法をぶっぱなしていた。
もしもそうせねば自分が死ぬ、というならザラメはNPCを殺害することもできる覚悟があるものの、その必要がなければ黒い小妖精に操られただけの店員をNPCとわかっていても殺めたくはなかった。
その的確なダメージ計算を、【学者】と【学識A】でエネミーのステータスを瞬時に理解できるザラメの高い識別能力が可能にして、予測ダメージを事前に算出していた。
「ぐっ!」
しかし反動が強い。【雷音の術式】は【小火の術式】より高威力な分、不便だ。
煙幕の煙る中、轟音を頼りに戦士、軽戦士、格闘家からなるXシフター冒険者が殺到する暇を与えてしまい、もうザラメ単身で2レベル差の敵三名の接近攻撃を回避するのは不可能な状況に陥っていた。
(まずい――っ!)
「【数陣問題の建造】」
突如、茶褐色の堅牢なブロック壁がザラメを守るように展開された。
シチの魔法だ。シチが自ら助けてくれたのか。
「ザラメ、今のうちに!」
ユキチが力強く手を引いてザラメを引っ張り上げつつ、同時にお得意の【走力増強の護符】を施して、ザラメを一気に川へと逃れさせた。
ざぶん! と川水に飛び込めば【水中適性:中】のおかげで一切おぼれることなく、最小限の地形ペナルティで水面に浮き、また両手を自由に使って脚だけで泳げる。
ユキチもまた【黒き水鏡のウォータークロース】に水中適性:中があり、スノーマンの種族適性もあって、さらにザラメより身動きがとれる様子だ。
「すいすい泳げる……! これなら逃げ切れるかも!」
「備えあれば憂いなし! こんなこともあろうかと、ってやつですね」
「だが水面は煙幕の範囲外だ。備えろ」
最も水中を得意とする人魚のシチは本領発揮できる場にあって一切の油断なく、敵集団を見据えて魔法の準備モーションをとった。
敵Xシフター集団はスペックはこちらより高く、そして地形不利を補う術をなにも持ち合わせないほど浅はかでもなかった。
すぐさま敵の神官は【水神の祝福:弐】を三人の前衛に与えて、後天的に水中活動能力を後づけしてきた。
それでもシチ単独なら人魚の水中適性でどうにでもなるだろうが、ザラメは素の能力差の分、不利は否めなかった。
しかも敵パーティには強化と弱体を操る操霊術師――つまりユキチと同一以上のスペックを誇る完全上位互換があり、さらに回復役の神官まで揃っている。
――絶体絶命だ。
▼「終わりだな、ウザガキども」
▼「一番弱い足手まといを狙えばいいんだから楽勝じゃん」
▼「お寿司代になっちまえ!」
軽い。ノリが軽い。
きっと暗号資産目当てのDOGE達にとってこれは小遣い稼ぎのお遊びだ。
自分の命が、親友の命を賭けて戦っているザラメとはあまりにも立場が違いすぎた。
ザラメの必死な悪あがきを、彼らはおやつ片手にけらけら嘲笑える立場だ。
もはや見返してやりたいとか、そういうことを考える余裕すらザラメには無かった。
(逃げ切れない――! あとはもう……っ!)
こちらは死ぬ覚悟、あちらは遊び半分。不公平にもほどがある。
なんて理不尽なことか。
その憤りさえ今は冷静な判断の邪魔でしかないとザラメは策を練るが、数的不利と質的不利の双方を薄まった地の利ひとつでどうにかできる起死回生の一手など――。
(まだ、強さが足りない……! この世界の理不尽に立ち向かう強さが……!)
▽「おまたせ、ザラメちゃん」
▽「あたし達がついてるからね!」
その時だ。
いつも見守ってくれる、観測者たちの瞬きと呼びかけにザラメは気付いた。
本当は、この一連の戦いのさなかにもなにか語りかけてくれていただろうに、ようやく声が届いたのは己の無力さを嘆いた時だった。
彼、彼女らは黒い小妖精とちがって直接に舞台に干渉することはできない。
しかしザラメは、この小さな輝きがいかに心強いかをよく知っていた。
「なら、今わたしがすべきは――時間稼ぎあるのみです!」
[Lv5]で新たに覚えた術式のひとつを、ぶっつけ本番でザラメは発動する。
「【閃光の術式】!!」
紅蓮のマジシャンズ・ロッド+を構えて、いざ川へ飛び込まんとする敵前衛三名に対して、ザラメは一発の光弾を射出した。
閃光、まさしく大閃光。
ただひたすらに眩しいだけの、視界不良をもたらす目眩ましの魔法だ。
▼「目が、目がぁぁぁぁっ!!」
▼「うっぜぇ! こっちだって盲目の状態異常くらいすぐ治せるぜ!」
「【横断幕の建造】」
直後、神官と前衛三名の中間ラインにシチの建造魔法によって、二本の支柱と厚手の白い陣幕が生成された。高さ約2.5m、幅10mほどの白布に『全国大会出場』というこの場と無関係のデフォルトサンプル文字列が表記されている。
つまり、一瞬にして前衛と後衛が分断され、状態異常回復の対象にできなくなった。
「【解呪の呪言】!」
「【横槍の呪言】!!」
次の瞬間、同じ操霊術師同士、敵が【解呪の呪言】で【横断幕の建造】を無効化しようとするのを、さらにユキチが【横槍の呪言】で妨害して阻止していた。
シチも、ユキチも、恐るべき判断力と実行速度だ。
シチはさておき、ユキチは彼を支える観測者がなにをすべきか伝えたのだろう。
▼「悪あがきしやがって!」
戦士が盲目回復の消費アイテム「ヤツメウナギパイ」を各自に食べさせ、自力で盲目を治してくる。本当に、閃光の術式は悪あがきに終わりそうだった。
しかしそうはならなかった。
▽「キマシタワー―――――!! 黒騎士様ですわぁぁぁぁーーーー!!」
熱心なファンの観測者がそう叫んだ次の瞬間、戦いは決着した。
横断幕の建造ごと、神官のXシフターは一刀両断に斬り伏せられてしまっていた。
言葉にならぬ断末魔の叫びを上げる黒い小妖精――おそらくダメージの精神への反動は、ザラメの雷音の術式とは比較にならないほど絶大だったのだろう。
言葉通り、手加減ひとつなく、操られたNPCは哀れにも真っ二つに切り裂かれていた。
――クラン最強の戦力。
純黒の重騎士がついにザラメの前に再び、現れたのだ。
「黒騎士さん……っ!」
「どんくさぎつね! どれだけ七面倒くさいんだ、お前は!」
「ひゃ!」
鬼気迫る黒騎士の、久しぶりに直接対面した迫力は遠くからでも凄まじかった。
まさに怒れる黒獅子だ。
▼「後衛を不意打ちで潰したくらいでいい気になるなよ! 四対一ならどうだ!」
▼「ヒャッハッハッハッ! デバフデバフデバフぅぅ!!」
操霊術師がまず黒騎士を弱体化させようと魔法を構えた刹那、操霊術師は死亡した。
黒騎士に注意を向けている無謀な瞬間を、正確無比な剛射がヘッドショットする。
セフィーの狙撃だ。
「油断大敵」
三対五。いや、おそらく移動速度の都合でいち早く間に合ったのがこのふたり。
クランメンバー全員が今このカフェテラスに集結しつつあるのは明白だった。
形勢不利とみた黒い小妖精は散り散りになって去っていく。
▼「多勢に無勢また明日」
▼「はぁー? お姫様気取りが騎士様登場大逆転? 萎えるわー」
▼「今日はいなり寿司で我慢するかぁ」
好き勝手な捨てセリフを吐く、往生際の悪いDOGEがちらほら。
その憑依先の軽戦士を、ネモフィラがいきなり超高速拳撃でこてんぱんにぶちのめした。
「神速、百裂猫パンチ! なんてね」
鉄爪なしの素手格闘は手加減あり。それでもlv8に到達済みのネモフィラならば、Xシフター補正の消えかけた軽装の冒険者lv7を気絶させるには十分だった。
完全に決着がついていたので、単に黒い小妖精らに苦痛を与えるためだけにだ。
「今の聴いた? 世紀末ヒャッハーみたいな声あげてたわよ! ……というかふたりとも、NPC気軽に殺していいわけ? とくに神官をさ」
「知るか。七面倒くさい」
「憑依されたNPCは運がなかった。それだけ。死体を調べてXシフター化する条件を知る必要がある。“検死官”にでも引き渡そう」
黒騎士はふたりとの会話をすぐに切り上げて、川面からカフェテラスにのぼってきたザラメのずぶぬれのカラダを、強く抱き寄せてきた。
「……あの、鎧が冷たくて硬いんですけど」
「うるさい。今はおとなしくしていろ。心配させすぎなんだ、お前は……」
ザラメはそう言われて、おとなしくする。
すぐに黒騎士にバスタオルでもみくちゃにされるが、文句は言わないことにした。
白馬の騎士なのか、それとも心配性のお母さんなのか。
何にしても、疲れ切っていたザラメはしばらく甘えて、一眠りすることにした。
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