思い出のクリスマスイブ
首都圏に住んで10年が過ぎようとしていた。
ここではほとんど雪は降らず、クリスマスイブも退廃的な催しばかりである。
僕はネオンでうっそうと輝く夜の街を歩きながら、ぼんやりと周りを見渡した。
広場にはイルミネーションが至る所に飾られ、道路はそこに訪れようとするカップルでひしめいていた。
ネットをのぞいてみれば、『今年も性なる夜がやってきた』と不満を吐き出すコメントがたくさん見受けられる。
「不快だな」
気付けば目の前に広がる俗物的なモノから逃避するかの如く、かつて経験した幻想的な光景を思い浮かべていた。
これは僕が9歳の頃の話である。
当時は北陸地方に住んでいたため、冬の季節が訪れると雪が降るのが常だった。
酷いときには1メートルもの雪が積もることさえあった。
僕が住む地区には住民から親しまれている教会があった。
放課後にはそこで近所の子供たちが牧師さんから聖書に関する説教をいただいていた。
子供たちは全員がキリスト教徒だったかと問われれば、必ずしもそうではなかった。
だがその教会は非キリスト教徒であろうと常に門戸が開いていたため、常に子供たちにとっての憩いの場だった。
僕も例にもれず、その教会で遊んでいた。
クリスマスイブの前日に、牧師さんから招待状をもらった。
当時9歳の僕は一体何の行事を行うのかよく分からなかった。
牧師さんは
「これは一種のお祭りだよ」
と説明してくれた。
"お祭り"という言葉に心が躍らない子供は滅多にいない。
僕は家族に"お祭り"に行くことを提案して、快く承諾してくれた。
クリスマスイブが訪れた。
僕は学校から帰ってくると、家族でサンタさんに食べてもらうクッキーを作っていた。
おいしそうに焼きあがったタイミングでお祭りの開始30分前になっていた。
僕たちは急いで家を出ると、教会へと続く小道に向かった。
「あとはこの道をまっすぐ進むだけだよ」
僕が家族を案内しながら小道に入った。
空はとっくに暗くなっていたが、その小道は一面が白い雪で覆われており、月の光を反射して輝いていた。
まるで天の川の上に立っている気分になりながら、僕たちは教会を目指して進んだ。
やがて明かりが外に漏れている教会にたどり着いた。
いつも見慣れている光景のはずだが、この日は何故かいつもと雰囲気が異なっていた。
中に入ると、いつもは広々としている教会にたくさんの椅子が並べられ、友人もいれば見知らぬ人達もたくさん出席していた。
(お祭りとは雰囲気が違うような...?)
僕はそう思いながらも、とりあえず案内された椅子に座った。
やがて開始時刻が訪れると、神聖さが醸し出されたような服装の牧師さんが挨拶を始めた。
いつもとは異なる雰囲気に戸惑っている間に、大人たちが立ち上がって讃美歌を歌いだした。
なにを言っているのか理解できなかったが、神聖な雰囲気も合わさって心地よい空間だった。
気付けばお祭りは終わっていた。
どうやら途中で寝てしまったらしい。
だが妙に神聖な気分だった。
自宅へ帰る途中の小道は、大通りの明かりが充満していた。
なぜか僕にはそれがうるさく、何かを台無しにされた気分だった。
ふと現実に戻ると、目の前の光景が帰宅途中の景色と重なって見えた。
「なるほど、俗物と見下す理由はこれか」
自分の思考が分かって妙に満足した僕は、ネオンの街を通って帰宅した。