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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

冷たい手の熱

作者: さこと

3歳の雪乃の世界には、狭いアパートと母1人しかいなかった。

雪乃は数日前から帰って来ない母を必死に待っていた。

お腹が空いて空いて、雪乃は何度か泣いたけれど、それで変わることは何もなかった。水道の水を飲み、なんとか意識を保っていた。でも、それも限界だ。

意識が徐々に朦朧としてきた。

そんなとき、車が止まる音がした。

母かもしれない。雪乃の予想は当たった。


アパートの鍵を開けて、母が入ってきた。疲れた顔をして、ピリピリしている。

こんなときは話しかけてはいけない、雪乃はさんざん学んだはずなのに、空腹が判断を誤らせた。

「お母さん、お腹が空いたよ」

母は、ギロリと雪乃を睨んだ。

「誰のおかげで暮らしていると思ってるの。お前みたいに悪い子に食べさせる物は何もないよ。部屋にいてぬくぬくしてたんだろ。お前にふさわしいのはここじゃない」

そう言い放った母は、雪乃をつかまえて、アパートのベランダに出した。

「反省しなさい」

そう言うと窓の鍵を閉めて、部屋からも出て行ってしまう。


「お母さん!お母さん!置いていかないで!」

最後の力を振り絞って叫んだが、無情にも母の乗った車は走り去ってしまった。

半袖短パンで、真冬の夜のベランダに放り出された雪乃は自分を抱きしめた。歯の根が合わなくてガチガチと音がする。

服は今着ている物しか持っていなかった。どの季節もこの姿だ。

汚れているし、とても臭い。でも、雪乃にはその服を着るか裸でいるかのどちらかしかない。


あまりの寒さと空腹に、雪乃の意識はどんどん遠ざかっていった。

あぁ、やっと、神様のお迎えが来るんだ。

いい子にしてたら、優しい神様が迎えに来てくれる。機嫌のいいときに母が見ていたテレビをこっそり見ていたら、そう言っていた。

雪乃は生まれてきてはいけなかった。

それは物心ついた時から、ずっと母に言われ続けていた。

だから、雪乃のいるべき場所はここではないのだ。

そう思いながら、目を閉じた。


次に雪乃が目覚めた世界は、真っ白な空間だった。アパートのベランダではないことだけは確かだ。

「ここどこ?」

雪乃の声に反応したかのように、真っ白なウサギたちが飛び出してきた。

「え?どこから来たの?」

ウサギは雪乃を取り囲むと、満足したようにニッと笑った気がした。

雪乃が少しこわいと思うと、ウサギがさらに近づいてきた。まずは1匹。頭を雪乃の腕に擦り付けてくる。

「え?ナデナデ?」

ウサギの瞳が輝いた気がした。

ウサギを撫でていると、私も私もと大量のウサギが近寄ってくる。

ふわふわのもこもこに癒されていると、

どこかから声がした。


「お前たち、いい加減にしなさい。ここは神聖な場所なのだ」

雪乃が声のする方を見ると、雪乃の少ない知識で想像していた通りの神様がいた。

「そうだ。私が神だ。この姿は仮のもの。雪乃の思うとおりの姿をしているはずだ」

雪乃はやっと、自分があのベランダで死んだのだとわかった。

神様が天国に連れて行ってくれる。

そこにはきっと苦しいことは何もない。

雪乃は願った。もう暑いのも寒いのもなくて、お腹が空かない日々を。ただそれだけを。


「ちがうぞ。雪乃。天国じゃない。まだ早すぎたんだ。たったの3歳であんな死に方をする予定じゃなかった。すまない。手違いがあったのだ。だから、特別にお前を異世界に生まれ変わるよう計らおう。

今までの記憶を持ったまま。何か願いはあるか?」

「優しい人いて、暑くも寒くもない、お腹いっぱいのところがいい、です」


雪乃は喋り慣れていない。母とだってそんなに話したことはない。話しかければ、殴られるかベランダに出されていた。時々聞こえてくるテレビの音でなんとなく覚えた言葉はたどたどしい。

神様は雪乃の希望を聞いて、自分のミスの罪深さを実感する。

だが、神様は基本気まぐれだ。

すぐに頭を切り替えた。

次の雪乃の人生を明るい物にすればいいのだ。


「雪乃。雪がたくさん降る国と海のある国のどちらがよいか?」

「海、見たい、です」

「ふむ。では、子だくさんで優しい両親のいる伯爵家に転生させよう。いろいろな能力をおまけしておく。向こうで目覚めたら、1人の時にステータスと言って確認しなさい。まあ赤ちゃんのうちは無理だから3歳になったら、思い出すようにアラームをセットしておく」

雪乃には神様の言ってることがほとんどわからなかった。

3歳ってなんだろう?

雪乃は自分が何歳だったのかも知らない。

「あー、いろいろ説明してやる時間がない。向こうでゆっくり学びなさい」

そう言うと、神様の姿は消えてゆく。

雪乃の意識も失われていった。


「生まれた!私たちの可愛い赤ちゃん。

まぁ、女の子よ。あなたの希望通りね」

淡いブロンドに青い瞳が印象的な美しい女性が、生まれたばかりの赤子を抱いて、夫に見せている。

「ミランダ。無事でよかった。どっちでも私たちの大事な子だが、初めての女の子。ミランダ、ありがとう」

泣き始めそうな表情をした夫であり伯爵であるアラン・シルファドは妻を労った。



「なんて名前にしましょうか?あなたはいくつか考えていたわよね」

「ミランダ。まずは体を休めてほしい。出産で亡くなる方はとても多いのだから」

「アランは心配症ね。今度で5回目の

出産なのよ。だいたいの体調はわかるわ。少し休めば大丈夫。それに早く赤ちゃんに名前をつけてあげたいの」

優しい笑顔に身惚れながら、アランは考えていた名前を並べてみる。

「アレキサンドリア、ミルコリア、ユキノ、サマンサって、悩んでるんだ。どうかな?」

「ユキノがいいわ。呼びやすいし珍しいもの。あっ」

ミランダが叫ぶ先には、不思議な光景が広がった。赤子の全身が光った。そして、ゆっくりと光が集まり出し、小さなウサギの姿に変わった。赤ちゃんのそばにくっつくと安心したような顔をして、また姿を消した。



「幻獣だ」

「初めて見たわ」 

「驚いた。本当にいるんだな」

夫婦はしばし顔を見合わせた。

だが、笑顔になると、

「神様の祝福を受けたユキノ、おめでとう!」

この国では、特別に神に愛された子には誕生時に、幻獣が共に産まれててくる。生涯離れずに神に愛された子を守るという。

すでに言い伝えになっていて、身近に見たことのある人はほとんどいない。

夫婦も初めて見る光景に驚いた。

だが、眠る新しい命を愛し守ることに何の迷いもない。

 

こうして、雪乃はユキノ・シルファドとして生まれ変わった。


「ユキノ!何をしてるの!勝手に1人で歩き回っちゃダメだと言ったでしょう」

城の中にある子ども部屋から裸足で庭に出たユキノは母の言葉に立ち止まってから、しばらく固まった。ゆっくり振り返って母の顔を見てほっとしてから言葉を返した。

「にいにが、お庭にお花いっぱいって」

「それはユキノと一緒に行きたいってことよ。お兄ちゃんを待たなきゃダメ」

明るい笑顔の母が2歳のユキノを抱き上げると、汚れた足を洗いに部屋へ戻った。ユキノは母にぎゅーっとしがみついた。なぜか不安だ。ここより安心な場所なんてないのに。なぜだろう。


「どのにいにがユキノにお花の話をしたの?」

ユキノは父にそっくりの緑色の瞳をぱちくりと開いて、心なしか頬を赤らめ、

「アユにいさま」

1番上のアユルをユキノは慕っていて、

アユにいさまと呼んでいた。

シルファド伯爵家には4人の息子がいる。ユキノには4人の兄がいるのだ。

上から、アユル、バルト、ティルト、コルン。

ユキノはどのにいさまも大好きだが、1番ユキノに甘いアユルに1番懐いていた。


「アユルなら、もう1時間もすれば、帰ってくるわ。それから一緒に行くことにしなさい。それまでユキノは母様とお昼寝しましょう」

ユキノを抱いたまま、母様はベッドへ向かう。

子ども部屋のベッドにそっと下ろしてくれた母様は、優しい声でユキノが大好きな絵本を読んでくれる。人魚姫は母様が何度読んでも最後は泡になって消えてしまう。一度くらい、泡にならずに、王子様と幸せになったらいいのに。そう思うから、ユキノはこの絵本を必ず読んでもらう。今のところ、人魚姫は毎回泡になっていた。


母様の優しい声は眠りを誘う。人魚姫の後に読んでくれているのは新しい絵本だろうか。ウトウトし出したユキノにはわからなかった。  

   

「ただいま戻りました」

アユルは礼儀正しい。見目も良い。シルファド伯爵家の期待が高い嫡男だ。 

姿は母似で淡いブロンドに真っ青な瞳をしている。

特筆すべきことは、目下妹に夢中ということ。

語弊はあるが、他の少女たちはすべてゴミに思えてしまうほど、アユルの妹であるユキノはかわいい。

アユルが9歳の時に生まれたユキノは

髪は母似で、瞳は父似で、天使そのものだった。

今は2歳のユキノと遊ぶことに夢中な11歳のアユルだった。


年齢が離れているため、普通なら年の近い6歳のコルンが1番仲良しになりそうなのに、アユルの独占欲がひどいため、他の3人はたまにしかユキノを構えない。アユルとユキノが何をして遊んでいるかといえば、賢いアユルが文字を教え、本を読めるように特訓したり、

簡単な礼儀作法を教えたりしている。

つまり、小さな家庭教師みたいな感じだ。ユキノはまだ2歳なのに、嫌がらずにアユルの教えに導かれていた。


庭では花の名前や植物の成り立ち、育て方を教えていて、つい最近、ユキノ専用の一鉢をもらい、植えてみて育てている。

もちろん、ゆっくりお茶を飲み、まったりする時間も大事にしている。いろんな話を聞かせていた。ユキノが最近興味を持つようになったのは他の国の話だった。

黒い髪と目の国はないのか?とユキノは自然に口から出て、不思議な気分だった。アユルは真面目に答える。

「そういう国はないな。まあ世界は広いから、近くにたまたまないだけかもしれないが」


「アユル、今日もユキノを見てくれてありがとう。でも、毎日でなくてもいいのよ」

ミランダは他の兄たちの不満もあり、やんわりとアユルに言ってみた。

「母様。ユキノは可愛いし、物覚えもいいんだ。教え甲斐がある。それはダメですか?」

アユルはうるうると上目遣いをしてみた。

「だ、だめじゃないけど、あなたの勉強は大丈夫かしら?」

ミランダはうるうる攻撃に負けそうになりながらも、粘った。

「問題ないです」

「そう。まぁ、ほどほどにね。ユキノはまだ2歳なのだから」

ミランダは敗北した。3人の兄に恨まれそうだ。


2歳にしては賢すぎるユキノを両親は心配していた。

「この間、ちょっとピアノを弾いていたら、横に座らせていたユキノがキラキラの目で弾いてみたいって言うから雑音覚悟で、弾かせてみたの。見事に私が弾いた通りに弾いたわ。びっくりして言葉が出てこなかった」

ミランダの話を聞いて、アランも話し始めた。「簡単な逃げ方を教えておこうと思ったのに、なぜか必殺技をいくつか伝授してしまった」

貴族の子どもは誘拐などの危険があるため、女の子でも、簡単な訓練をする。

アランはそのつもりで、非力な子どもでも使える技の訓練を始めた。しかし、気づいたら、殺傷能力がある技までユキノはマスターしていた。


「やっぱり幻獣が一緒だから、少しちがうのかな?」

アランの呟きに、ミランダは少しため息をついた。

「アラン。幻獣のことはわからないことの方が多いわ。めったに祝福を受ける子はいないのだから。それを基準に考えるのはやめましょう?

ユキノをよく見て理解して導いていきたいわ」

「ミランダ。君のように優しく聡明な美人と結婚できて、僕は幸せだよ」

「まあ、アランったら」

ふたりの話し合いは脱線していったが、ユキノの望むことはすべてやらせてみようと決めた。


ユキノはアユルが帰って来るまで、1人で日向ぼっこをしていることもある。

母様がお昼寝よ、と呼ぶまでの時間、

あたたかな中庭の東屋で寛ぐのだ。

そうしていると、最近なんとなく変な感じがする。ユキノの頭の中に、他の部分がある。うまく言えない。言えないけれど、自分の中に自分では動かせない何がある。

それを外に出す方法をユキノは知っているはずだ。でも、思い出せない。

どうしたらいいのか。

家族に相談したらいいのだが、それもなぜか躊躇われた。


ユキノとユキノじゃない部分とあと他にも何かありそうだった。

けれどまだ2歳のユキノには思い出すことができないのだ。神様のアラームは正確で決して壊れない。


「お誕生日おめでとう、ユキノ。

3歳になったのよ」

母様が優しくユキノを抱き上げながら、言った。

父様は、母様とユキノを見つめながら、微笑む。

「ユキノ、おめでとう。3歳のレディにふさわしいドレスが父様からのプレゼントだ」

父様がそう言うと、ユキノのお世話係のリアが綺麗なドレスを箱から取り出して見せてくれる。

ユキノと父様の目の色、グリーンを基調としたドレスにはふんだんにレースがあしらわれていて、なかなか立派なドレスだった。

「ありがとう、父様」


「じゃあ、私からはこれよ」

母様が小さな箱を差し出した。母様のお膝に座って、ユキノは、箱を開けた。

「わあ」

パールが使われたブローチだった。

毎日読んでもらっている絵本の世界に似た雰囲気だった。母様はきっとそれを考えて選んでくれた。


次に順番に兄たちから、プレゼントがある。アユルは薔薇の花を、バルトは押し花入りのしおりを、ティルトは綺麗な色のハンカチを、コルンは小さな貝殻をくれた。

ユキノはニコニコ笑顔のまま、差し出されたプレゼントを受け取った。


招待客を呼ぶ大きな誕生日パーティーはユキノが5歳になってから、と決めていた。それが慣例でもあるのだが、夫妻はユキノの能力の高さを本人が自覚してコントロールできるようになるまでは、あまり人前に出したくなかったのだ。

何が動き出すかわからないからだ。


ユキノはまるで夢の中にいるようだ、と感じた。

優しい両親と兄たち。あたたかい使用人たち。

ユキノの世界は優しさにあふれていた。


けれど、ユキノは3歳になった。

神様のアラームがユキノの体内で響き出す。

「え?」

ユキノは小さなお家にいて、1人だった。

泣きながら、お水らしきものを飲んでいる。その記憶が、一気にユキノに流れ込んできた。

雪乃の短い人生。神様とのやりとり。

ユキノはフラフラしながら、

つぶやいた。

「ステータス」

すると、何もない空間に文字が浮かんだ。

ユキノ・シルファド

人間 

神に愛されし子ども

幻獣使い

精霊の愛し子

聖女

剣聖


とりあえず、ユキノが読み解けたのはそこまでだった。なんか変なのも混じっているが、神様は大盤振る舞いしてくれたらしい。


「ユキノ!」

手のひらサイズの小さなウサギが小さな体からは想像できない叫び声を上げた。

そして、ユキノの頭の上に飛んできた。

ユキノは驚いたが、ウサギの体重をまったく感じなかった。

「ユキノ!会いたかった」

恋人に伝えるような切実な声。幼いユキノでもその声音には心動いて、涙が止まらない。

「サティ!わ、わたしも会いたかった」

自然に頭に浮かんだ名前を呼ぶ。


幻獣は主人と認めたものから一生離れない。

主人とともに産まれ、主人とともに死ぬ。

そういう存在だった。その姿を見られるのは、主人の家族と同じく幻獣とともに生きる者だけ。

時には恋人よりも恋人のようで、または血を分けた家族のようで。

幻獣に性別はない。だが、たいていは主人と同じ性別に見える。

話し方や考え方が主人よりになるからかもしれない。


ユキノはサティを頭から手のひらに移した。

「サティ、何か知ってる?私はユキノだけど、雪乃なの?」

サティは少し考えていた。

「ユキノ、ユキノはユキノよ。もうつらいことは忘れていいの」

ユキノが雪乃だったときにつらかったことは、もう決して起こらない。

ユキノはそんな気がして、それ以上考えるのをやめた。3歳のユキノには難しすぎた。


家族は目を見開いていた。幻獣を初めて見た4兄弟は特にびっくりしている。

アユルだけは涼しい顔をしているが、

「僕の可愛いユキノには幻獣くらいいて当然」

と思っているからだ。

他の兄弟は最初の驚きから、好奇心が勝り、幻獣を近くで見ようとユキノのそばに集まった。

「かわいい」

コルンが無邪気な声を上げると、

ウサギみたいな幻獣は、よりかわいく、

小首を傾げてみせた。

幻獣は主人に似る。

夫妻はユキノの将来が心配になってきた。

まさかとは思うが、ユキノはいわゆる小悪魔系美女に育つのではないか。

頭が痛くなるシルファド夫妻だった。


ユキノは目を輝かせて、キョロキョロと周りを見回した。

「ユキ、そんなに見てたら、バレちゃうよ」

「アユにい、海どこですか?」

アユルは、ユキノをユキ、ユキノはアユにいさまをアユにい、にして、これでも

身分を隠した外出のつもりだった。

実際は、髪の色や瞳の色などで、彼らが貴族であることはすぐわかる。平民たちが、微笑ましい兄妹をそっとしておいてるだけで。


「海はほら、あそこだよ」

少し歩くと、ユキノの視界いっぱいに海が広がる。

「すごい」

ユキノが知っている海は絵本の人魚姫の海だけだ。

今日こそ、とユキノは誓う。

今日こそ人魚姫に会って、他の人を好きになるか、王子様を説得するか。なんでもいいから、人魚姫を幸せにしてあげたい。

ユキノは5歳になって自分だけで、絵本を読めるようになったが、読み聞かせは続いていた。人魚姫との毎日も。

ユキノは剣聖でもある。その力があれば、王子様を説得できるのではないか。

5歳になっても、ユキノはこの世界で、あまり現実的な存在として落ち着けていなかった。

頭の中もいろいろ混乱している。


5歳になった記念に、サティと見たステータスは更におかしなことになっていた。


ユキノ・シルファド

人間 

神に愛されし子ども

幻獣使い

精霊の愛し子

聖女

剣聖

超薬師

竜を従えし勇者

魅惑の美少女

 

装備

無限収納リュック(ウサギ型)


特技

上目遣いうるうる攻撃


「何これ?」

「ユキノ、無意識?上目遣いうるうるはわりと頻繁にやってるわよ」

「え?やってないよ」

サティは呆れた、という顔をして見せると、ユキノの手のひらに飛び乗った。

「アユルにはよくやってるわよ。アユルはうるうるが見たくてわざとそうなるようにしてるみたいだけど。アユルもよく両親とかにやってるわ。あなたたちの得意技ね」

ユキノは軽くショックだった。


両親であるシルファド夫妻は、ユキノがどこか浮世離れした子どもであることを

幻獣と共に生まれたのだから、仕方ないとあきらめていた。

「ちょっとだけ他の人とちがうだけよ。問題ないわ」

ミランダが言うと、アランは誇らしげに頷く。

「うちの子が1番かわいいってやつだな。ユキノはこんなにかわいいんだから、まあいいだろう」

ユキノ・シルファドは生まれて初めて海を見た。前世も見たことはなかった海。

人魚姫はともかく、ユキノの人生はどうなっていくだろう。

「アユにい、海はすごいね!広いね!」

満面の笑顔でユキノが言うと、アユルは

「ユキノ、海はきれいだけど、こわいとこだから、油断しちゃダメだよ」

ユキノは今日はつばの広い帽子をかぶらされている。

その奥にある瞳はキラキラ輝いていた。

サティも姿を見せて、一緒に海を見ていた。

「アユにい、人魚姫はどこにいますか?」

ユキノは言葉覚えも早かったが、喋り方は無意識なのか、気を許しているときと家族でも丁寧なときがあった。

「人魚姫かぁ。会わせてあげたかったけど、泡になっちゃったら、もう海と区別できないんだ。ある意味、この海全部が人魚姫だよ」

この海全部、と言われてユキノは呆然とした。さすがに王子様に海と結婚するように説得することはできない。


アユルは落ち込むユキノを眺めた。アユルの妹なだけに、容姿はよく似ている。

けれど、ユキノはどこか儚く、頼りなげだ。人魚姫のことも本気なのだ。

アユルは、かわいい妹に夢中なまま、15歳になった。ユキノとの仲の良さは変わらないが、アユルを取り巻く環境は少しずつ変わっていた。

そろそろ婚約者をと、両親がリストアップしてお見合いを目論んでいることは知っていた。

問題は、誰が相手でも、ユキノより可愛いとはおそらく思えないだろうこと。

アユルは自分が長男でなければよかったと珍しく不満だった。


アユルは恵まれていた。優しい両親。裕福な伯爵家の長男。かわいい弟たち。優れた頭脳。運動も得意。容姿はファンクラブができるほど。

10歳にして、人生甘いと思っていた。

ユキノが生まれたとき、初めての妹がうれしくて、両親の許可を得る前にこっそり見に行った。アユルの乳母がユキノのお世話係にいたために、部屋に入れてくれた。

ユキノを一目見たアユルは、不思議な感覚にとらわれていた。

「やっと会えたね」


婚約しても、アユルの1番はユキノだろう。一歳下の弟にすべてを譲ることも考え始めた。けれど、ユキノだっていつかは結婚するのだ。ユキノの気持ちはアユルとはちがうだろう。


アユルは5歳のユキノに変な真似をしたいとか、将来結婚したいとか、そういうのではないのだ。

おそらくユキノのそばが、アユルにとって1番幸せな場所なのだ。

すべての褒め言葉はユキノのために。

すべての愛しさはユキノへと。

アユルはユキノなしでは生きていけない。そういうことなのだ。

ユキノが結婚しても、近くにいてくれたら、とは思うものの、なかなか難しいだろう。


アユルは自分が結婚することができないことを両親に相談するつもりだ。

そして、努力を続け、少しでも魅力のある男になって、ユキノに見ていてほしい。

すぐそばにいられなくなっても。

兄妹でなければ?

兄妹でなければ、こんなにも愛しく思っただろうか?

結婚という形で一生一緒にいられただろうか?

考えても仕方ないことだが、アユルの頭にはそんな思いもよぎった。


ユキノは悩むアユルに気づかず、初めて見る海に夢中だった。

人魚姫は衝撃だったが、海岸にはいつかコルン兄様がプレゼントしてくれた可愛い貝殻があり、それを拾ったり、波打ち際で遊んだら、すっかりお腹が空いてしまった。

アユルにそう言おうとして、ユキノは固まった。

(言ってはいけない)

頭のどこかから、聞こえてきた声。

ユキノは頭痛がして、ふらふらと倒れそうになった。


アユルがすぐに気がついて、軽いユキノを抱き上げた。

家は近い。ユキノが息をしているのを確認し、様子を見たところ、すぐに帰るのが1番いいと判断した。馬車を止めたところまで、ユキノをあまり揺らさないように気をつけながら、早足で歩き始めた。

途中、うなされているようで、ユキノはぽつりぽつりと泣いているようにつぶやいた。

「ごめんなさい」

「ぶたないで、お母さん」

「ゆるして」


アユルが顔をしっかり見ていると、ユキノは泣いていなかった。

その表情は絶望しか感じ取れなかった。

ユキノの幻獣もおそらく主人と同じ状態だろう。何が起きているのかわからない。ユキノがつらい目にあってるというのに。

アユルが馬車に着き、そこからすぐ近くの家に着く頃にはユキノは穏やかな顔で寝ていた。


「アユ兄様、ありがとう。ごめんなさい」

「ユキノ、もう痛いところはないのか?」

穏やかな顔でベッドにいる妹の頭を撫でながら、アユルは、少しだけ追求してみる。

「うん。大丈夫だよ」

さきほど、ユキノ付きの侍女たちが、パン粥で昼食を取らせ、身だしなみも整えたからか、ユキノは落ち着いていた。

アユルの目におかしなところは映らなかった。

少しホッとしかけたところで、

ユキノが何気なく口にした。

「アユ兄様、人魚姫はもしかして、これからもずっと泡になってしまうの?」

ユキノは無表情だった。アユルは思った。

この回答に失敗したら、ユキノは永遠に心を閉ざしてしまう。


「ユキノ。物語の人魚姫はずっと泡になってしまう。でも、現実の人魚姫はちがうよ。いろいろなことを選択し、成長し、生きていくんだ。だから、泡にはならない。ユキノ。僕はユキノが大好きだ。ずっと一緒にいたい。家族はみんなそう思ってる。それに、ユキノはこれからたくさんの人と出会う。楽しみだね。サティもずっと一緒だしね」

ユキノの顔には表情が戻っていた。

緑色の瞳から大きな涙がこぼれていた。

「ありがとう、アユ兄様」


「いいとこ持ってかれましたわ」

サティがユキノの枕元にいて、ぷんぷんと怒っている。

「わたくし、ふきげん、ですわ」

「サティ、話し方が変よ」

「いつもと同じですわよ」

何を話しかけても、この調子で、ユキノは苦笑いしていた。

「サティはずっと一緒でしょ。だから、次になんかあったら、サティが助けてね」

にっこり笑ってみる。

「あら。幻獣まで誘惑されるなんて、並大抵じゃありませんわね」

「仕方ないから、次は助けて差し上げます」

「しかたがないわね、ユキノは」

サティの機嫌は治ったようだ。

ユキノは明るい気持ちだ。

ユキノの前にはもう開かない扉はないのだから。


アルファポリスさまにも掲載しています。



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