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第11話 罰ゲームは「相手の質問になんでも答えること」(後編)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 勝負には時に勝敗よりも大事なものがある。勝負した相手と心から「百合」れるか――どうぞ評価をお願いいたします。m(__)m

 配信部屋からダイニングキッチンへ移動する。


 コンクリート打ちっぱなしの廊下の突き当たり。

 殺風景な廊下と打って変わって、ダイニングキッチンの壁には白いクロスが貼られ、床はウォールナットのフローリングになっていた。


 入って左手にはカウンターキッチン。

 キッチンに置かれた家電は全て白色で統一されている。

 唯一銀色のシルバーラックにはウイスキーなどのお酒が飾られていた。


 右手には木製のダイニングテーブルと背もたれのない丸い椅子。

 カウンターキッチン正面の壁面に、大きな液晶テレビが据えつけられている。


 照明は灯っておらず、掃き出し窓からぼんやりとした日の光が差し込む。

 苔むした庭に接しているそこからは、はす向かいに隣の部屋のベランダが見えた。黄昏れ色に染まるコンクリートの壁に少し寂しい気分になる。


「なに飲む?」


「あ、えっと!」


「遠慮しないの! 配信で喉渇いてるでしょ?」


「……じゃあ、オレンジジュースってあります?」


「100%なら」


「そ、それでお願いします!」


 私が部屋を眺めている間に、ずんだ先輩は冷蔵庫の前に移動していた。


 彼女の背丈と同じくらいの冷蔵庫。重たそうなその扉を引いて、ずんだ先輩がドリンクホルダーから瓶入りのオレンジジュースを手に取った。


 ポンジュースでもトロピカーナでもない。

 見たことのないメーカー。


 一緒に炭酸水を取り出すと、ずんだ先輩は器用に一つの手でそれを掴む。空いた手でカウンターキッチンに並ぶグラスを取ると、彼女はこちらに戻って来た。


「そんな所に突っ立ってないで座ったら?」


 扉の前で突っ立っている私をずんだ先輩が素通りする。

 壁側の椅子に腰掛けた彼女はテーブルに飲み物とグラスを置くと、代わりにリモコンを手にして掃き出し窓へと向けた。


 部屋に照明が灯り、掃き出し窓にカーテンが下りる。


 配信部屋もすごかったけれどダイニングキッチンもすごい。

 すっかり気を呑まれた私を、ずんだ先輩が不機嫌そうに見つめてくる。

 急ぎ足で私はテーブルに向かうと、彼女の正面にある椅子に座った。


 ずんだ先輩が私の前にグラスを置く。

 アルミ製のキャップをねじ切って、瓶のオレンジジュースをそこに注ぐ。


 その注ぎ口を眺めながら、彼女は物憂げに目を細めた。


「コーラって言いそうな顔してオレンジジュースだなんて。意外とかわいいじゃない。それとも、これも『川崎ばにら』のキャラづけの一環なのかしら?」


「あ、私、炭酸とか全然飲めなくて」


「……なるほど。オフだと完全に素なのね」


「あの、何かまずかったでしょうか?」


「いいえ。ただ、全世界の『川崎ばにら』のファンが、今のアンタの姿を見たらどう思うんだろうなって、考えちゃっただけ」


 どう思うかなんて――。


「……どう、思うんですかね?」


 考えたこともなかった。


 注がれたオレンジジュースを受け取る。

 短い社会人生活で学んだ「飲み会の作法」を急に思い出した私は、ずんだ先輩に炭酸水を注ごうとした。けれど、きっぱり私の返杯を断って、彼女はさっさと自分のグラスにそれを注いでしまった。


 強炭酸のパチパチという音が部屋に響く。


「で、さっきの話だけれど。本当の所、どう思ってるの?」


「……どうって?」


「私のこと」


「……そう言われても」


 これも考えたことはなかった。


 いや、「青葉ずんだ」について考えたことはある。

 けれどもそれは、配信画面で笑っているVTuberについてだ。

 その先にいる「青葉ずんだ」の中の人について、私は――なにも知らない。


 知ろうともしなかった。


 ただ事務所のみんなが言うままに「氷の女王」と信じていた。


 炭酸の泡立つグラスをずんだ先輩が眺めている。

 同性でさえ息を呑むような美人。そんな女性が冷たい顔で瞳を曇らせ黙り込む。

 けして、「青葉ずんだ」が配信で見せない表情だった。


 両手でグラスを抱えるように持って私はオレンジジュースに口をつける。

 果汁100%なのに甘くやさしい味がした。


「よく、分かりません」


「……そうよね」


「ただ、『良い人なのかも』って、今は思っています」


「どうして? 金盾配信を救ってくれたから? それとも、配信のためのパソコンを貸してくれたから?」


「……それもあります」


「それも?」


 静かに「青葉ずんだ」が炭酸水の入ったグラスを唇に運ぶ。

 けれど、彼女の瞳は私をずっと見ていた。


 厚い遮光カーテンによって隠された掃き出し窓。

 その前に陣取る私に彼女は鋭い眼差しを向ける。


 けれども不思議と、もう「それ」を怖いとは感じない。


 私はなんとかそれを言葉にしようとして――。


「今日のコラボが楽しかったから」


 なんだか子供みたいなことを口走った。


 なに言ってるんだろう。

 全然根拠になってないよ。


 けど、そう感じたんだから、仕方ないよね。


「今日のコラボではっきり分かりました。ずんだ先輩は怖くなんかないって。私と同じ、ゲーム配信が大好きなVTuberなんだって」


「……怖い、ね。本人を前に、そんなことよく言えるわね?」


「あ! そ、それは、言葉の綾という奴で!」


「私はアンタの危なっかしい所の方が怖いわ。なんの根回しもなしに凸待ち配信するわ。ちょっと社長に突かれたくらいでテンパって配信時間を忘れるわ」


「それは、ほんと、申しわけ、ございません……」


「それで、怖いと思っている先輩に言われるままに家に連れ込まれて。ねぇ、どうするつもりだったのよ、私がアンタのことを本当に嫌いだったら? 家の中に連れ込んで暴力を振るわれるとか、少しは考えなかったわけ?」


「……考えませんでした」


「ぽやぽやして。アンタのそういう所、見ててイライラするわ」


「……けど、本当は嫌いじゃないんですよね?」


 こんな話をするってことは。


 正面のずんだ先輩の顔がスッと真顔になる。

 私に何か言い返そうとして、彼女は俯いて首を振った。


 黒髪を揺らしながらずんだ先輩が瞼を閉じる。


「分かってるけれど、もう一つだけ聞かせてくれる?」


「なんでしょうか」


「今日、私が5階から下りてきた時、なんて言おうとしてたの?」


「それはもちろん――」


「「ずんだ先輩って『氷の女王』だから」」


 私たちは声をハモらせて、昼間に私が言いかけた台詞を呟いた。

 それからすぐ、なんだかとんでもない珍プレーでもやらかしたみたいに、バカみたいに笑った。


 私も。

 ずんだ先輩も。


 瞼にたまった涙を拭うずんだ先輩。

 その顔には併走配信中にも見せた笑みがあふれている。

 そこに「氷の女王」の面影は少しもなかった。

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