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第三部

『クロードアンシェルっ!』

 慌てていた。

 チトはとても慌てていたのだ。だから、注意されていたことも半分しか守れなくなっていた。

「……ん? うわっ、うわわわわっ」

 目を覚ましたクロードアンシェルは、足だけ姿を現したチトを見て驚いたのである。

 夜明け。

 クロードアンシェルたち一行が乗っ取った船は、そろそろ港に到着しようというところまで来ていた。

「朝か……、」

 人間の姿に戻ったクロードアンシェルは、傍で眠っていたはずの妹夫婦の姿を探した。が、二人はどこにもいない。キョロキョロしていると、チトが全身を現し、地団太を踏んで見せる。

『んもぅっ、あたしの話を聞いてってば!』

「あ、チト、ダメですよ、姿を見せちゃ」

 寝ぼけているのか、呑気である。

『馬鹿ぁっ! シェスタから呼びかけられたのっ、あたし!』

「……へ?」

 シェスタから、呼ばれた?

「じゃあ、」

『シェスタ、目を覚ましたみたいなのっ。だけどあたしが答えても聞こえてないみたいなの。どうして? あたしの声、シェスタに届いてないのよっ』

「いや、そんなこと言われても……、」

『どうしてよっ、クロードアンシェルっ!』

「チト、シェスタの居場所はわかる?」

『そんなに遠くない。でもなにかがモヤモヤしてる。シェスタの意識が読み取りづらいの。こんなこと、初めて……。ずっと離れてたから、あたしシェスタの守護神じゃなくなっちゃったの?』

「そんな馬鹿な、」

「おいおい、堂々と姿を見せて何を騒いでいる、チト」

 何時の間にか姿を現すリレィ。後からマシュも続く。

「シェスタが目覚めたようなんです。ですが、チトの声に反応しない、と」

「反応しない?」

 リレィが眉を細めた。

「場所は?」

 マシュも慌てて尋ねる。

『それが……、』

「近くらしいです」

「居場所もわからないのか?」

 それはチトへの非難ではなかった。なにかがあるのだという不安の言葉。

「とにかく船を下りよう。あの街にいることは間違いなさそうだし、近くに行けばチトの声もちゃんと届くかもしれない。ね?」

 マシュが優しく、言った。リレィが目を細めて大陸を睨みつけた。目の前には港。チトが当てにならないとすると、どうやってシェスタの居所を探る? あまり頼りたくはないが、目的地は決まった。あの、男の場所。

「クロードアンシェル、悪いが付き合ってもらうぞ」

「……どこにです?」

「ライカのところだ」

「ライカ?」

「リレィ!」

 驚いたマシュが叫んだ。

「それは危険だよ、いくらなんでも……」

「……大丈夫だ。マシュはチトと二人で待っててくれ。なんとかなる」

 リレィがこれほどまでに恐れている相手とは……? どうしてマシュとチトを残すのだ? まさか、自分たちになにかあったときは二人でシェスタを探し出して欲しい、ということなのか? それほどまでにライカという男は危険だということなのか?

 クロードアンシェルの鼓動が高まった。

「リレィ様、そろそろ着岸しますぜ」

 恐る恐る声を掛けてきたのはこの船の船長。すっかりリレィの奴隷状態である。

「ご苦労」

 海賊船の女船長といったところか。

 船は大きくカーブを描くと、スピードを落とし、港へと滑り込んだ。碇が下ろされ、渡し板が掛けられる。リレィは荷物をマシュに預けると、クロードアンシェルを目で促した。マシュがクロードアンシェルの肩を叩き、小さく頷く。

『気をつけてね』

 姿はないが、チトが言った。

「『赤い人魚亭』で待ち合わせだ。マシュ」

「くれぐれも気をつけろよ、リレィ」

「ああ。私は大丈夫だ」

 気のせいでなければ『私は』の部分が強調されていたような……。

「『私は』って? え?」

 その言葉に引っ掛かりを感じたクロードアンシェルだったが、リレィに引っ張られ無理矢理船から下ろされたのだった。

「こっちだ」

 リレィはこの土地に詳しいと見え、ごちゃごちゃした市場の中を迷うことなく進んだ。市場には市場に出回ることの少ない薬草や、明らかに盗難品であろう壷や宝石などが太陽の元、キラキラと光を放っていた。

「闇の街、っていうから夜しか店を出さないものと思ってました」

 クロードアンシェルが素直に感想を述べる。

「夜は店に並べないでやり取りするのさ。危険だからな」

「危険、とは?」

「あからさま過ぎるだろう? 内臓の瓶詰めやら檻に入った人間やらを置いておくのは」

「ひっ、内臓の瓶詰め?」

 背筋がピリピリした。

「『闇の街』の由来は、ここに商品を持ち込めばそれが例え真っ当な出のものではなくとも商売が出来る、いわゆる『闇ルート』が認められているところから来てるんだ。見てごらん、あそこで売っている花、あれは痛み止めの塗り薬になるんだが、水に浸してその溶けた花液を飲めば人を殺すことも出来る」

「……毒、ですか?」

「弱い毒だ。だが、毎日飲み続ければ半年後には確実に殺せるよ」

「……はぁ。……あの、リレィ。人間の臓器はなんの為に?」

「魂を食らって不老不死にでもなるつもりなんだろ?」

「不老不死?」

「そういう教えを説いている宗教があると、昔聞いた事がある。人の心臓を食べると命が永らえるのだ、とか。だから心臓を食べ続ければ不老不死になれると信じている馬鹿もいるんだろ、多分」

 人身売買の話は聞いた事があった。だが、臓器まで売り買いしているとは、なんとも恐ろしい場所である。

「無法地帯とはいえ、この街にもルールがある。昼間、市場に出してはいけない商品。使ってはいけない通貨。店を開いてはいけない場所。結構細かいんだ」

「……へぇ~、よく知ってますね、リレィ」

 どうしてそんなこと知っているのか、は怖いから聞かずにおいた。

「クロードアンシェル、ここから先は関係者以外立ち入り禁止地区だ。危ない連中がゴロゴロしてるからな。私の後を離れるなよ」

「はぁ、」

 市場を抜ける手前の路地。

 曲がった途端、道端にいた数人がキッと一斉にこっちを睨んだ。

「何も話すな。何を言われても無視しろよ」

「はい」

 キッ、と唇を噛む。こんな場所で騒ぎを起こしたら、ただでは済まないのは目に見えているのだから。

「おいおい、べっぴんさんよぉ、どこに行くんだい?」

 酒気を帯びた男が二人、よろよろとした足取りでリレィの前に立ちはだかった。

「邪魔だ。どけ」

 リレィは至極冷静な声で言ってのける。

「随分だな、その態度はよっ」

 一人がリレィの腕を掴み、後ろを取った。羽交い締めにし喉元へナイフを突き付け……いや、それは彼らの頭の中で描いていた光景。実際は……、

「うえぇっ、うえぇぇぇぇっ!」

 リレィに飛びかかった男が腕を押さえ、のた打ち回っていた。彼の右腕は、付け根から丸ごとなくなっている。

 ……斬ったのだ。

(ひ~っ、早速騒ぎになってるしっ)

 クロードアンシェルが頭を抱える。

「お前らに構ってる暇はない。この剣が魔剣であると知っても尚、逆らう奴は遠慮なく斬るが?」

 『魔剣』

 その一言に、集まりかけていた男たちは一瞬静まり返り、そしてザザッと蜘蛛の子を散らすように消えていった。腕を切られた男も、仲間に引きずられるようにして何処かへ姿を消していた。

「……ったく、」

 カチャリ、と剣を収めると、更に奥へと進む。男たちは近くの建物の中から恐る恐るリレィを覗き見ていた。『魔剣』と聞いて事態を把握したのだろう。裏街道を生きる人間は、敵わない相手に牙を向けることはしない。そんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないからだ。

「さぁ、ここだ」

 リレィが立ち止まったのは小さな扉の前。開けると、地下へ続く階段がある。コンクリートで固められた壁伝いに下へ降りると、また扉。今度は鉄の、重たい扉だ。

「ライカっていうのは、誰です?」

 もういいだろう、と周りを警戒しつつ口を開くクロードアンシェル。リレィはふっ、と小さく笑みをもらしただけでなにも答えなかった。鉄の扉に、手をかける。

 ギィィィィ、

 思った通りの音を立て、開く扉。中は思ったより広いようだ。薄暗く、しかし音楽など流れ、酒場のような賑わいを見せていた。もちろん、まだ昼只中ではあったが。

「女だ……、」

 客はごろつきの男たちばかり。一斉に視線を集めたリレィは臆することなく中へと足を踏み入れた。

「おい、あんた」

 図体のでかい男がリレィの前に立ちはだかる。リレィは睨むような視線を返すと、坦々とした口調で言った。

「リレィだ。ライカに会いに来た。取り成してくれ」

 ざわっ、と辺りの空気が変わる。数人の男たちが立ち上がり、今にも襲いかからん勢いでこちらを見ていた。

「お嬢ちゃん、ここがどういう場所かわかってるのか?」

 図体のでかい男はニヤニヤと馬鹿にしたように笑った。リレィは全く動じない。同じ言葉をもう一度繰り返す。

「私はライカに会いに来た。お前らに用はない」

「なにをっ?」

 男たちの一人がナイフを片手にリレィに詰め寄る。が、リレィが剣を抜き、相手の喉元に切先を向ける方が早かった。男はすんでの所で立ち止まり、一筋の汗をたらした。

「なめた真似をっ」

「おやめ!」

 複数の男たちが動いた瞬間、店の奥から高く鋭い声が飛ぶ。

 姿を見せたのは絶世の美女。すらりと高い身長はリレィを軽く越えているだろう。均等の取れた体にぴったりとしたドレスを纏い、結い上げた髪が一房だけ肩に垂れている。鋭い瞳が男たちを捕え、放さない。

「しかし……、」

「あの女が誰だかわからないの? 手にしているのは魔剣レイシェラ。お前たちなんて一人残らずぶった切られるわよ」

 その場にいた全員の顔つきが変わった。立ち上がっていた男たちも、慌てて席に着く。

「……リレィ……、そうか、あのリレィ・ナーシャ!」

 大男が叫んだ。リレィは顔色一つ変えず、剣をしまいながら訂正した。

「今はカルナだ。リレィ・カルナ」

「おや、あんたと連れ合いになろうなんて命知らずがいるとは驚きだね」

 大して驚いた様子ではなかったが、楽しそうではあった。リレィが初めてムッとした顔を見せる。

「奥の部屋へおいで。マサ、あとで果実酒を運んでちょうだい」

「はい」

 大男が姿勢を正し、頭を下げた。

 リレィとクロードアンシェルは、黙ってライカの後に着いた。男たちが物珍しそうにリレィを見ている。リレィを、だ。クロードアンシェルは改めてリレィの存在感というものを感じずにはいられなかった。

 通されたのは奥まった場所にある部屋。中は広く、テーブルに椅子、ソファなど一通り揃っている。仕切りの向こうにベットが置いてあるところをみると、ここはライカのプライベートルームなのだろう。

「まぁ、座りなさいな。あんたとまた顔を合わせることになるとは思わなかったわ」

 皮肉めいた顔で、ライカ。リレィは勧められるままにソファに身を沈め、言った。

「あんたと思い出話をする気はない。手短に用件を話す。この街で、人身売買を取り仕切ってる奴は誰だ?」

 クロードアンシェルは入り口で立ったまま、二人のやり取りを聞いていた。懐を探り合いながらの会話でなくもっと穏やかな雰囲気であったならなんと美しい光景だったろう、などとぼんやり考えていた。二人の持つ美しさは、似ている。獣のような、しなやかな色気。ただし、手を出せばたちどころに食われてしまいそうではあるのだが。

「人を買うの?」

 驚いた様子で、ライカ。

「そんなわけないだろう」

「そうよね、あんたがそんなこと……売るの?」

 ライカはクロードアンシェルを差していた。

「へ? ……ええっ?」

 思わず自分で自分を指し、慌てるクロードアンシェル。リレィは至極真面目な顔で頷いた。

「高く売れると思わないか?」

「まぁまぁ、かしらね」

 ライカも調子を合わせて値踏みなど始めていた。二人にしかわからない冗談である。クロードアンシェルはどうして自分が連れてこられたのかわかっていないのだ。当然、不安である。

「あの、リレィ?」

 と、口を挟んだところでドアをノックする音。マサである。素早く果実酒を運ぶと、あっという間に出て行った。ライカが椅子に座り直し、静かな声で言った。

「悪いけど、その人物の名を明かすことは出来ないわ。ここの掟なの。だけど今日の取引き場所を教えてあげるくらいなら出来るわよ? なにか探し物なんでしょ? いくつか取引きがあるみたいだけど、場所さえわかればあとは勝手にやれるわよねぇ?」

 取引き中に殺し合いが起きることは珍しくない。だから勝手にやってくれ、とライカは言っているのだ。

「案内人を一人つけろ」

 嘘を教えられては身も蓋もない。

「欲張りね」

 ライカは察していたようだったが、わざとらしくそう言った。

「用心の為さ」

「……見返りは?」

「アレだ。好きにしていい」

 今度はリレィがクロードアンシェルを差した。なにやら嫌な予感を覚え、背筋に冷たいものが走る。

「さっきから気になってたのよ、あの子、誰なの? まさかあれが旦那ってわけじゃ、」

「クロードアンシェル。私の兄だよ」

「どうりで! 似てると思ったわ。そう。彼を一晩くれるのならいいわ。こっちも一人着けてあげる」

「……リレィ?」

 冷や汗が出る。

「ちょっと待ってて、今、人を用意するから」

 そう言うとライカは軽い足取りで部屋を出ていった。クロードアンシェルがリレィに詰め寄る。

「ちょっと、リレィ! どういうことなんですかっ?」

「いい女だろう? 無類の男好きでね。据膳食わぬはなんとやら、だ。好きにしていいぞ。ただし、彼女は『元、男』だがな」

 リレィの言葉を聞き、クロードアンシェルが固まる。顔が引きつり、世にも奇妙な笑顔が出来上がる。

「…………今、なん……て?」

「ああ見えて、元男だ。まぁ、細かいことに目を瞑ればいい思いが出来るさ」

 ケラケラ、と笑う。

「じょじょじょ、冗談じゃないですよっ。私はそういう趣味はありませんっ。大体、夜になったら私の体はっ……、」

 ハタ、と気付く。なるほど、そういうことなのか。

「夜までは時間があるぞ。彼女より先に酔いつぶれないよう、頑張ることだ」

 トン、と目の前に置かれたボトルを突付いてみせる。中にはたっぷりの果実酒。この時間から飲み始めて、夜まで。果たして酔いつぶれずに意識を保っていられるのか、不安だ。

「私は昔、まだ彼女が『彼』だった頃に飲み比べをやったことがあってね。見事に完敗したんだ。よかったよ、女に興味のない人で」

「……リレィ、負けたんですか?」

 スーッと血の気が引く。リレィは大酒飲みだ。それも半端ではない。そのリレィが敵わなかった相手に、自分が勝てるはずもなく、もし、先に酔いつぶれてしまえば何事もないはずがなく……。

「うわぁっ、そんなのあんまりじゃないですかっ。……ああっ、だから私を連れてきたんですねっ。マシュに魔の手が伸びないようにっ。私は生贄ですかっ、リレィ!」

「騒ぐな、クロードアンシェル。お前は日没まで頑張ればいいんだ。私が彼と飲み比べをしたのは二日掛かりだったぞ? それに比べれば楽なもんさ」

 さらっと言ってのける。

「それに、シェスタの行方を追うにはどうしてもあいつの力が必要なんだよ。仕方ないだろう? マシュは丸っきりの下戸だしな」

 言いくるめられている自分に気付きながらも、黙って頷くしかないクロードアンシェルであった。

「お待たせーっ」

 バン、とドアを力任せに開け、ライカ登場。ご機嫌な様子だ。そして早くもクロードアンシェルを熱い視線で舐め回している。

 ぞわぞわぞわっ

 今までに感じたことのない危機感に、全身の毛が逆立つ思いだった。

 ライカの後ろにちょこん、と立っている若い男。多分リレィよりもずっと若いだろう。あどけない顔だが、眼光だけが異様な光を持っている。

「この子、リーシュン。年は若いけど、この街の人身売買に関しては詳しくてよ。あんたが知りたいと思ってる件も、多分探せると思うわ。どう?」

 聞かれたリーシュンはペコ、とお辞儀をすると、言った。

「もう見当はついてますから」

「ね?」

 自慢気に、リレィに差し出す。

「……手は出さないでよね」

 きっ、と睨む。

「男は旦那一人で充分だ」

 両手を上げて、答えた。

「じゃ、クロードアンシェル、早速二人で飲みましょうか」

 語尾にハートマークがついているかのような口調で、ライカ。素晴らしく美しい笑顔が目の前にあるというのに、これで男とは、なんとも勿体無い話である。

「では、宜しく頼むぞ、兄さん」

 リレィがクロードアンシェルの肩をポン、と叩いた。励ましのつもりなんだろうが、クロードアンシェルにしてみれば、死刑宣告を受けた罪人の気分だった。

「明日の朝までには戻る」

 それだけ言い残すと、リレィはさっさと部屋を出ていってしまった。

「……うー、」

 クロードアンシェルは言葉もなく、ただ、自分の運命を嘆いたのであった。


「あんた、親方様の何なんだ?」

 リーシュンが唐突にそんなことを言った。

「何、と言われても……何でもないが?」

 ぶっきらぼうにリレィが答える。

 リーシュンの案内でとある港倉庫に来ていた。今宵の人身売買場である。仕切っているのはムシャスという富豪。表向きは実業家を気取っているが、その実、裏の世界で手広く商売をしている大元締めでもある。彼の持つ組織は大きく、荒っぽいことで有名だった。

「親方様が言っていた。彼女に出来るだけ協力しろ、と。親方様があんなことを言うの、初めて聞いた。お前、何者だ?」

「……さぁて、説明している暇はないな」

 キッ、と前方を睨む。今宵の客なのだろうか? 何人かの大男に囲まれるようにして男が倉庫へ入って行った。

(チトを連れてくればよかったかもな)

 中にシェスタがいるかどうか、チトならわかったかもしれない。反応がない、と騒いでいたが、それは多分薬か何かで意識を撹乱させられているからだろう。目が覚めさえすればチトだってシェスタの元に飛べるはず。

「さて、では私はそろそろ行こう」

「……ああ」

 リレィは客を装い、中に入ろうというのである。リーシュンはただの案内人。ここでお役ご免というわけだ。が、彼は一向に背を向ける様子がない。

「どうした?」

「俺、嫌な予感がする。お前やっぱり行かない方がいいぞ」

 真剣な眼差しでリレィを見る。

「……まぁ、何事もなくってわけにはいかないだろうけどね」

「違う。俺の予感、よく当たる。とても嫌な感じがする」

「ライカによろしく伝えてくれ。じゃあ」

 ポン、とリーシュンの肩を叩くと、スッと背筋を伸ばし、倉庫へと足を向けた。リーシュンはしばらくそこでリレィの後姿を見ていたが、思い立ったように頷くと、街へと駆け出していた。

 倉庫の入り口にはやたらと図体のでかい男が二人、微動だにせず立っている。警備というのか、見張りというのか……。リレィの姿を確認すると、ギロリと一睨みし、近寄って来た。

「ちょっと待て、お前」

「なにか?」

 しれっとした顔で、リレィ。

「ここはお前のような子娘の来るところじゃない。帰れ。それとも、売られたいか?」

 ニヤニヤとリレィを眺め回す。上玉だ。こいつをとっ捕まえて今日の競売にかけたらいい値が付くかもしれない……などと考えていた。と、

「ぐはぁっ」

 腹部に痛みを感じ、その場に倒れ込む。一瞬の出来事ゆえ、何が起きたかわからなかったようだ。もう一人の男は、ただ黙って驚愕の眼差しを向けていた。

 鞘ごと大男の腹を突いた。リレィの動きはただ、それだけ。剣を抜いてもいないし、もちろん男からは一滴の血も流れていない。だが倒れ込んだ男は苦しそうに腹を抑えたまま呻いていた。

「内臓破裂だ。放っておくと死ぬぞ」

 そう言い放つと、とっとと中へと入ってしまう。残された男はしばらく口を開いたままリレィの後姿を見送っていた。

 中に入ると、既に席に着いている男たちの目が一斉にリレィに注がれる。こういう場に若い女が出入りすることはありえない。しかも、たった一人で。中には関係者に何やら耳打ちしている者もあった。

「失礼ですが」

「声を掛けてきたのは初老の男。さっき、ボディーガードたちと来ていたあの男だ」

「なにか?」

 そっけなく答える。と、男はフッと笑みを漏らし、言った。

「競売に参加なさるのですか?」

「まぁ、そんなところだ」

 まさか荒しに来た、とは言えない。

「あなたが商品だったらよかったのだが」

 おくびもなく、言ってのける。

「残念だが、違う」

 冷たい笑いを浮かべて、リレィ。男はクスリ、と声を漏らすと、リレィにパンフレットを差し出し、頭を下げ席へと戻って行った。

「……?」

 渡されたパンフレットに目を落とす。

「……なっ、」

 リレィがキッと唇を噛む。

 そこには、競売の順番や目玉商品などが簡単に書いてあるのだが、中に信じられない一説があったのだ。

『魔物の部』

 それは、あるまじき取引き。魔物の捕獲は法で禁じられている。だがここには法など存在しない。そんなこと、頭ではわかっている。わかっているが……まさかこんな取引きがなされているとは。

 魔物を買った人間のやることは一つ。『魔物狩り』である。昔、誰かに聞いたことがあった。敷地に魔物を放ち、大勢でそれを追い立て狩りを楽しむのだ。ただ、いたぶり、殺すためだけに買われていく魔物。リレィは全身の毛が逆立つ思いだった。

「こんなところで、こんなことを、な」

 クシャ、とパンフレットを握り締める。

 少しだけ、目的が変わっていた。


(チト!)

 呼びかける。

(チト、来い!)

 答えは……来た!

 チトは、ぱっと顔を上げると傍らにいるマシュに告げた。

『マシュ! 今、シェスタが呼んでる! あたしのこと、呼んでるのっ!』

「本当かっ?」

 ガタン、と椅子が倒れる。しかし倒したのはマシュではない。突然現れたチトに驚いた、リーシュンである。

「それ、もしかして……守護神か?」

 リーシュンはリレィを案内したあと、まっすぐライカの元へは帰らなかったのだ。どうしても嫌な予感がぬぐいきれず、こうして旅篭まで出向いたのである。

「チト、場所はどこだ?」

『この人が行ったとこと同じ』

「よし、お前はシェスタの所へ行け。俺もすぐ行く」

『うん!』

 万面の笑みである。やっと呼んでくれたのだ。やっと、シェスタの元に戻れるのだ!

 パッ、とチトの姿が消える。リーシュンは何度も瞬きを繰り返していた。

「リーシュン、君の案内してくれた場所にシェスタはいるらしい。チトも向かったし、リレィがいるから大丈夫だとは思うがこれから俺も行ってみようと思う。わざわざ知らせてくれて、感謝する」

 ポン、と肩を叩く。

「どっ、どういうことなんだっ? お前たち、一体何者なんだっ?」

 ライカは知っているのだろうか?

 守護神つきといえば術師であることに間違いはなく、守護神つきの術師といえば……国宝級の最重要人物なのだ。普通に生活していて守護神をこの目で見ることなど、一般人ではありえない。それほどまでに高貴な存在。

 はっ、と顔を上げる。マシュの姿はもうなかった。リーシュンは素早く立ち上がると、マシュの後を追ったのである。


 シェスタは檻の中にいた。手足を縛られてはいるものの、頭はだいぶスッキリしている。チトも自分の呼びかけに答えてくれた。と、いうことはもうすぐここに現れるだろう。

 辺りに気を配る。あの男は、シェスタを檻に入れこの倉庫に運ぶと、シェスタと交換に大金を手にし、とっととこの場所を出て行ってしまっていた。あの女は? まったく姿を見なかった。一体何人仲間がいたというのか。

 ここには、沢山の人間が檻に入れられた状態で人身売買の商品として競りの順番待ちをしている。特に多いのは若い女性。そして幼い子供たちだ。

 でも、それだけじゃない……。

『シェスタ!』

 チトの気配と共に、万面の笑みを浮かべたチトが抱きついて来る。シェスタは声を立てないよう、心で語りかけた。

(チト、姿を隠して。そして僕の話を聞いて)

『……うん、』

 いつもと感じの違うシェスタに、チトは少々驚いた様子だった。

(ここには沢山の人たちが監禁されてる。その人たちを、なんとかして助けたいんだ)

『えーっ? あたしはシェスタさえ無事ならそれでいいのにっ』

(駄目だよ! チトが僕を大切に思ってくれるのと同じように、ここにいる人たちだって大切な人がいる。その人たちの所へ返してあげたいとは思わない?)

『……わかった』

 シェスタと力を合わせて何かを成し遂げる。それはチトにとっても初めてのこと。興奮しないわけがない。今度こそ、失敗は許されない。なんとしてでも成功させて、名実共にシェスタの守護神として皆に認められる存在にならねば。チトは神経が高ぶる、不思議な緊張に包まれていた。力が、みなぎるよう。

『あ、そうだシェスタ、ここにリレィが来てるわよ』

(お母さんがっ?)

『マシュももうすぐ来るわ』

(……そうか)

『……シェスタ?』

 もっと喜ぶと思ったのに。

(チト、感じない?)

『え? 何を?』

 言われて、はじめて周りに意識を向ける。ビリッと体がしびれるほどの感覚。

『何……これ?』

(急がなきゃ)

 シュルル、と、檻の下から数本の蔓が伸びて来る。シェスタを拘束していたロープを簡単に外すと、檻を捻じ曲げ、シェスタの体がくぐれるくらいの穴を作った。

(さて、と)

 右、左。

 今のところ近くには誰もいない。他の檻をそっと覗くと、姉妹らしき二人の子供が眠っていた。ここに連れられた子供達の多くは薬で眠らされているのだ。騒がれないためなのだろう。逆に、若い娘たちは言葉で威圧することで黙らせている。

「待っててね」

 そっと声を掛ける。

『ねぇ、シェスタ、何? どうしてこんな場所で彼らが……、』

(わからないよ。だけど、このことをお母さんが知ったらどうなると思う?)

『……大変!』

「だろ?」

 思わず口に出してしまう。慌てて口を閉じると、足音を立てないように部屋の奥へと続く扉に手を掛けた。このドアの向こうには、彼らがいる……。

 シェスタは覚悟を決めると、閉ざされている硬い鉄の扉を力を使ってこじ開けた。うごめく、黒い塊たち。シェスタを見、興奮したのか呻き声のような威嚇しているような声をあげる。

 そこにいたのは、すべて魔物……。

 シェスタにとってはごく身近な者たちだ。父であるマシュは、半分魔物なのだから……。そしてシェスタの住むあの村も、住処を追われた魔物の血を告ぐ者たちが暮らしている。外見は人の形をとっているが、実体は全く違う姿の者もいるのだ。とはいえ、魔物には人に害を及ぼす輩の方が多い。それは人間が魔物を嫌い、共存を望まないが故の結果でもある。こんな風にして捕らえられ、死を待つだけの魔者たちが果たして自分の言う事を聞いてくれるのだろうか? ここにいる魔物たちは人の形を成さない原始的な種ばかりだ。

「僕が、僕がなんとかするから。だからお願い……言う事を聞いて!」

 語りかける。が、反応は悪い。

(ニンゲン ガ ナゼ ワレワレノ カタヲ モツ?)

(コイツハニンゲンダ コロセ!)

 まともに話の通じるものはいない。今にも檻を破らん勢いで彼らは暴れ初めていた。

(やっぱり駄目なのか?)

「無駄だよ、シェスタ」

 声に驚き、振り向く。そこには母、リレイの姿があった。

「お母さん!」

「無事で何より。……それより、こいつらを助けたい、っていうお前の気持ちはわかるけど、今回ばかりは無理だよ。こいつらの心の中は人に対する憎しみで一杯だ。檻を外せば大暴走するだろう。可哀想だけど、」

 腰に下げている剣を抜く。

「お母さん!」

 リレィが剣を抜く。魔物たちの反応が更に大きくなった。と、

「お前たちっ、何をしている!」

 数人の男たちがリレィとシェスタを囲んだ。見つかってしまったのだ。ちっ、とリレィが小さく舌打ちをした。

「こいつらは今日の目玉だ! 大事な商品に傷でもつけられちゃ困るんだよ、お嬢さん」

 リーダーらしき男がドスを利かせてそう言った。リレィはふんっと鼻で笑うと、返す。

「あんたらは弱いものいじめで金儲けしてるだけじゃないか」

「何をバカなことを! 魔物は全て人間の敵だ! 殺して何が悪い?」

 高笑い。シェスタは怒りを抑えるのに必死だった。

 コロシテアタリマエ

 そんなこと、そんなことあっていいはずがない!

「ここに集められた魔物たちはどれも低級魔ばかりだ。人に危害を加える種のものはいないぞ。それを売りさばいて殺させるのか?」

「魔物は存在自体が害なんだよ!」

 ブチッ

 シェスタの中で、何かが切れた。チトを呼ぶ。そして、暴走を始めたのだ。

「シェスタ?」

 異変に気付いたリレィが止めようとする。が、間に合わなかった。

 倉庫のいたるところから伸びる、太い蔓。それはあっという間にその場にいた男たちの体を貫いた。悲鳴、嗚咽、恐怖に逃げ惑う人間たち。ヒュルル、と伸びては突き刺さる刺のある緑色の触手。壁を壊し、床を突きぬけ、まるで亜熱帯ジャングルの有様。

「シェスタ、落ち着け! チト、やめろ!」

 自らも緑色の巨大な蔓を避けながら、リレィ。シェスタは正気ではない。リレィの声も届いてはいないのだ。まるで悪鬼のような表情。チトも、シェスタの心に同調してしまったようだ。騒ぎを聞きつけやってくる連中をかわるがわる貫く。このままでは被害が大きくなるばかりだ。

「うわっ、なんだこれ!?」

 そこに現れたのはリーシュン。

「お前っ、なんでここに?」

 襲い来る蔦を薙ぎ払いながら、リレィ。

「マシュさん呼びに行ったんだ…よっ! そしたら流れで、うわっ」

あとからあとから突っ込んでくる蔦を手にした短剣で切り裂きながら答えるも、勢いがすごすぎて足を取られそうになる。

「なんだよこれ、どうなってんだ!」

 見たことのない惨状に自分が参加しないことだけを考えて、動く。

「マシュ、来てるのか」

 リレィが一瞬不安げな表情を見せた。

「会場にいるやつらは俺が抑えるから、って」

(……ま、その程度なら問題ないか)

 たとえ殲滅していたとしても、とはあえて言わない。

 それにしてもすごい力だ。チトの力を借りているとはいえ、ここまで見事に植物を操れるとは。しかし、いつまでも放置できたもんじゃない。

「くそっ、」

 太い蔓は、その動きを止めると途端に枯れ果て、硬い古木に変わる。リレィはそれらを切りつけながら、なんとかシェスタの元まで辿り着いた。胸倉を掴み、思いっきりひっぱたく。

 パチンッ

 という乾いた音。

 そして、植物たちはその動きをピタッ、と止めた。

「……あ、…ああ、」

 我に返るシェスタ。しばらく呆然と周りの景色を見回していた。無残に切り裂かれた人々の残骸。植物たちは檻の中にいた魔物達にまでその手を伸ばしていた。赤く染まる床と、古木で埋め尽くされた空間。

「……おかっ、…おかあ……さん?」

 リレィは大きく息を吐き出すと、厳しい声で告げた。

「お前がやったんだよ、シェスタ」

 ビク、と体を震わせる。何時の間にかチトもその姿を見せていた。

「シェスタ、お前には力がある。その力をどう使うかは、お前自信が決めることだ。だけどね、これはお前の意思じゃない。無意識の意識だ。自分をコントロールできない奴はむやみに力を使ってはいけない。違うか?」

 キツイ、物言いだった。シェスタはただ、黙って唇を噛み締めていた。涙が溢れる。

「今のお前は、己を知らない愚か者だよ、シェスタ。わかるな?」

 リレィの言葉に、シェスタはゆっくりと頷いてみせる。自分の愚かしさをきちんと認めたのだ。

 リレィは安心した。大丈夫。この子はもう大丈夫だ、と。

「シェスタ、お前は術師だ。チトもいる。これから先、お前はどこかの国で宮仕えをすることになるだろう。これは運命だ。だけどその日が来るまで、私はお前の母であり、教育係だ。大丈夫。お前が何をしようとも、私もマシュもお前を愛しているよ」

 その場に跪き、そっと抱き締める。小さな体が小刻みに震えていた……。

 その後、現場に訪れたマシュは現状を見て一言、「俺とリレィの子だもんな」と言って苦笑いをした。息も絶え絶えにその場に座り込んでいたリーシュンだけが、笑えない状況なのだった。


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