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第二部

 ゲイルは今までこれほど厄介な相手と対峙した事はないと確信していた。

 相手は女。

 そして自分はこれでも末端の術師なのだ。

 どんなに境地に追い込まれていても、突破口は必ずあり、勝利の女神はいつも自分に微笑んでくれていた。

 なのに……、

 一体どうしてこんなに体中が痛む?

 鮮血は床を染め始め、意識は薄らいでゆく。

 痛みは計り知れなく深いところまで押し寄せ、恐怖を誘う。「帰ろう」と言ったクレアの言葉を思い出し、あの時一緒に戻らなかったことを心から悔やんだ。

 ここは地獄だ。

 それだけはわかった。

「……案外しぶといな。今度はどうして欲しい?」

 女が言う。

 その言葉には、一種快楽じみた響きすら聞こえていた。

「勘弁……して…くれ」

 絞り出す声は震え、これが精一杯の懇願である。女は片手に握った魔剣を振りかざし、恐ろしいほど妖艶に笑った。

「お前みたいな人間を生かしておいても仕方ない。世の為にもここでその命、投げ出してしまいなさいな」

「ひっ、」

 ゲイルは目を閉じた。熱い喉の奥からは悲鳴すら出てこない。死を、覚悟した瞬間であった。が、

「リレィ、ストップ!」

 剣を振り下ろす一歩手前、神の声とも言うべき一言が発せられたのだ。ゲイルは恐る恐る目を開いた。そこには、長身な黒髪の男が立っていた。

「……クロードアンシェル?」

 リレィが驚いて振り上げていた剣を下ろす。

「お前、何してる? こんなところで」

「それはこっちの台詞です。魔剣振りまわして何をしているんですかっ」

 見れば男は瀕死状態である。クロードアンシェルの勘は、見事的中していたわけだ。

「魔剣レイシェラは封印したと聞いてましたけど……」

 魔物の魂を捕え、その力を剣に封印する。そうして出来たのが『魔剣』である。世に存在する魔剣は全部で五本あるという。そのうちの一本を操っているのが、リレィなのだ。その力たるや恐るべき威力で、術師の力など簡単に封じてしまう。だからリレィに術を掛けようとしても、それは無駄なのである。

「封印? 封印したってレイシェラは危険を察知すれば自分からその封印解くくらいの力、持ってるよ」

 カチャリ、

 鞘に収める。ゲイルが安堵の息を漏らした。

「で、一体なに?」

 クロードアンシェルの来訪、そして転がっているゲイルの目的、全てをひっくるめての質問である。

「説明しますよ。とりあえずこの男の手当てを、」

「必要ない」

「リレィ~」

 リレィはふいっと行ってしまった。周りに集まっていた村人達が一斉にリレィを取り囲む。

「あの男は誰なんだい?」

「リレィ、大丈夫?」

「一体どうしたっていうんだ?」

 口々に質問を繰り返す村人達に、リレィはニコリと笑い、言った。

「みんな、大丈夫。これから先はあのクロードアンシェルが請負ってくれる。彼、王宮関係者だから」

 一斉に視線が集まり、「おおっ」という溜息が溢れる。そして村人達は、今度はクロードアンシェルの元に駆け寄り、同じような質問を矢継ぎ早に投げかけてきたのだ。

「ちょ、ちょっと待ってください、皆さん。とりあえずこの男に応急処置を。説明はそれからですっ」

 村長にゲイルの処置を任せ、クロードアンシェルはリレィの家へと急いだ。相変わらずの傍若無人っぷりに、ある種の懐かしささえ感じていた。

「クロ!」

 迎えてくれたのはマシュ。リレィの夫である。……そういえば、リレィが暴れているときにこの人はどこにいたのだろう?

「お久しぶりです、マシュ」

「本当に! さ、上がって上がって」

 髭面の彼は、とても人懐っこい笑顔でクロードアンシェルを迎え入れてくれた。昔「人当たりのよい、おとなしく真面目な人だね」とリレィに言ったことがあるのだが、その時の彼女の答えは「彼は私よりも危ない人物だぞ?」というものだった。クロードアンシェルには冗談としか聞こえなかったのだが……。

「すまないね、シェスタはちょっと出掛けてるんだよ」

「……そのことなんですが、」

「ちょっと、もうバレちゃったのか? シェスタのこと」

 部屋の奥からリレィ。魔剣レイシェラを暖炉の上に無造作に置く。細工のなされた美しいその剣は、こうして見るとただの飾りにも見える。

「誰から聞いた?」

 どうやら彼女は血の付いた服を着替えてきたらしい。厳しい顔でクロードアンシェルを睨む。シェスタに女神がついたことを嗅ぎつけ、迎えにきたと思っているようだ。

「いや、それを知ったのはさっき。チトから聞きました」

「チトから? シェスタからではなく?」

 リレィが鋭く突っ込む。

「はぁ、」

 クロードアンシェルが苦笑いを浮かべ、視線を外した。

「クロ、それは一体どういうことだい?」

 マシュも身を乗り出した。

「あの、実はですねぇ……」

 クロードアンシェルは覚悟を決め、事の真相を話した。みるみる間にリレィの顔が冷静に、冷たい目に変わる。これはヤバいな、と思いつつ、しかし話さないわけにもいかないではないか!

「……チトはどこ?」

 低い声で、リレィ。完全に目が据わってしまっている。クロードアンシェルは背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。

「あ、いや、リレィ、落ち着いて?」

 ダンッ、とテーブルを叩きつけ、リレィ。

「チト!」

 ビクッ、と肩をすくめるクロードアンシェル。多分チトも同じだっただろう。ふわりと風が吹き、部屋の隅にチトが姿を見せた。

『……ごめんな…さい』

 明らかに怯えた様子で目を伏せている。その緊張がひしひしと伝わってきて、クロードアンシェルは気の毒になった。

「チト、シェスタの居所はわかるのか?」

 優しく聞き返したのはマシュ。リレィは何かを考え込むように腕を組み、宙を見つめている。

『……シェスタ、眠ってるみたいなの。あたしが呼びかけても、答えてくれない』

「クロ、」

 答えを求めるように、マシュ。

「……さっきの男から聞き出すしかありませんよ」

「それは無理だな」

 リレィが口を挟む。

「どうしてです?」

「死んでるからさ」

 リレィの言葉の直後、村人が慌しく扉を開け、転がり込んでくる。

「リレィ、あの男、息を引き取った!」

「……ね?」

 ふっ、と口元に笑みを浮かべ、リレィ。クロードアンシェルは深く息を吐き、天を仰いだ。

「どうしてあなたはいつもやり過ぎるんだ」

 口を付いてしまった言葉に、リレィが反論する。

「……クロードアンシェル、ここがどういう村か、忘れたわけではあるまい? 私は怪しい者が進入すれば、迷わず殺す。この村に危害を及ぼそうとする輩は、絶対に許さない。絶対にだ」

 強調し、リレィ。

 そう。この村はリレィにとって特別な場所である。それは彼女の生い立ちにも関係のある話なのだが、とにかくこの場所は彼女にとって聖地であり、人買いの術師をみすみす見逃す性格でもない。始めから苦しませて殺すつもりで魔剣を振るっていたのだ。クロードアンシェルの姿を見て剣を納めたのではない。もう既にあの時点で、相手の命を奪っていたから剣を納めたのだ。

「所持品は?」

「これ、」

 村人の一人が皮の袋をリレィに手渡した。

「どれどれ」

 マシュが紐を解き、テーブルの上に中身をぶちまけた。出てきたのは金貨と、丸い玉が二つ、そして何かメモのような紙切れ。

「これは……、」

 クロードアンシェルがその玉を手に取り、眺めた。『まやかしの実』である。

「ここだな」

 リレィが紙切れを広げ、指をさした。そこには地図が描かれている。簡潔な地図ではあるが、クロードアンシェルにはそれがどこであるのか、すぐにわかった。

「……ザハード、」

 通称「闇の街」と言われている大陸カナディア最南端の街、ザハード。犯罪のメッカでもある。

「森を抜ければ海。奴等、船でザハードに向かう気なんだ」

 陸からでは人目につきやすい。が、船ならば話しは別。貨物と一緒に人間を積み込めば怪しまれる心配もなく直接ザハードに入れるというわけだ。

「よし、行こう」

 地図を握り締め、リレィ。マシュは黙って肩をすくめてみせた。クロードアンシェルはまやかしの実を懐に忍ばせると、外へ出て空を見上げた。太陽は真上。まだ時間はある。明るいうちに港までは行けるだろう。

「クロードアンシェル」

 呼ばれ、振り向く。リレィは腰にしっかり魔剣レイシェラを備えていた。

「お前は来なくてもいいぞ」

「へっ? どうしてです?」

 てっきり利用されるものとばかり思っていたクロードアンシェルは、肩透かしを食らう。

「船が出るとしたら、夜。正体がバレるとまずいんだろう?」

 クロードアンシェルは半獣である。陽が沈めばその姿が獣に変化する。今となってはとても珍しい種なのだが、希少なものは大切にされるか恐れられるかのどちらかなのだ。クロードアンシェルの場合、女神つきの術師とは対照的で後者が圧倒的に多いのである。

 不思議だった。リレィはもっと計算高い利己主義者だった筈。悪く言えば自分勝手な高慢ちきで、他人を思いやったりすることはほとんどないという無茶苦茶な性格だった。それがどうしたことか、自分に対して気遣いを見せたのだ!

(子供が出来ると違うんだなぁ)

「着いて行きますよ。あなただけでは危険ですから」

「レイシェラがある。大丈夫だ」

 腰の剣を差し、言う。気を遣ってはいるが、クロードアンシェルがいた方が都合がいいのだ、とも思っている筈だ。しかし素直に言っても聞きはしないことくらいわかっている。

「……私が心配しているのは相手の方です」

 わざとはぐらかす。

「……それはどういう意味だ?」

 気まずい沈黙。それを破ったのはマシュである。

「さて、行こうか」

 村人達に事情を話し、三人は港に向かうこととなった。クロードアンシェルは自分がどうしてリレィの元に来たのかなど、すっかり忘れてしまっていたのだった。


「遅すぎるわ」

 クレアは髪をかき上げながら言った。イライラは最高潮に達している。

 真夜中。

 船の出立時間を忘れる筈はない。と、すれば……何かあったのだ。

 あのゲイルが約束の時間を忘れるなどとは到底思えない。彼は悪党だったが、それ以上に商人であった。今回の取引きは彼にとってとても大切なものであり、また、余りあるほどの利をもたらすもの。そんな取引きをみすみす見逃すようなことをする筈がないのだ。

「……時間だわ」

 船が出る。

 あの子供も乗せ、準備は全て整っている。あとはザハードに向かうだけだ。今、出発しないと約束の取引きはチャラ。考えている暇などなかった。

 クレアは船に乗り込んだ。それと同時に船は碇を上げた。

「よぉ、クレア。相棒はどうした?」

 薄ぼんやりとした明かりの中から顔なじみの船員が声を掛けてくる。筋骨隆々の体、いかつい顔、なのに目だけがくりん、と丸い彼はザハード行きのこの船……密輸船の乗員でカナフという。

「……知らない」

 溜息混じりに呟く。

「なんだい? 喧嘩でもしたのか?」

「そんなんじゃないわ。彼、もう生きてないかもしれない」

 さらっと言ってのける。

「……穏やかじゃないなぁ」

 そう言うカナフの言葉尻も軽い。ザハードに関係している輩は皆、命の保証などないような生活を送っているのだ。『生きていないかもしれない』……そんなこと、ここでは日常なのだ。

「あんたみたいないい女、一人にしておくのは勿体無いなぁ。俺んとこ来いよ」

 わざとらしくポーズなど付け、気取って見せる。浮かない顔をしていたクレアに対して彼なりに気を使っているのかもしれない。

 クレアは小さく笑うと、言った。

「この仕事が終わったら、考えてみるわ」

 その気など全くなかったが、カナフのちょっとした優しさは有難かった。正直、クレアは不安だったのだ。ゲイルがいなくなってしまった、その事が……。

「あのガキ、術師なんだって?」

 クレアに近付き、小声で、カナフ。

「早耳ね」

「俺を誰だと思ってるんだよ?」

 通称『情報屋』。ありとあらゆる情報を握っている男だ。

「そうよ。ある金持ちのオヤジに頼まれて可愛い男の子を探してたの。そしたらついでに術師だった、ってわけ」

「可愛い男……ねぇ」

 ニヤニヤしながら、カナフ。もう既に彼の頭の中では依頼主が誰なのか、わかってしまっているかもしれない。

「しかし、薬を使って眠らせるってのは……いただけないなぁ」

 そう。意識があると術を使われてしまう可能性があるからと、ある薬で眠らせているのだ。確かに危険な薬ではある。が、無事取引が成立するまでの間だから大丈夫だろうと思っていたのだ。

「万が一、船の上で暴走を始めたら……、」

「大丈夫よ。そのときは殺すわ」

「……あんたも死ぬぜ?」

「どういう意味?」

 クレアが眉をしかめる。

「あんた、ザハードで失敗した奴の行く末を知らないわけじゃないだろ?」

 闇市での取引きは、約束を交わした時点でそれは命を賭けた契約なのだ。失敗すれば殺される。そんなこと、わかっていたはずなのに……。

「忘れてたわ。幸い私の周りでそんなヘマした人いないもんだから。そうね、暴走したら厄介ね。部屋に戻るわ」

 軽く片手を上げ、甲板を後にする。

 一応客船のような作りになってはいるが、そう大きな船ではない。夜、法を破って出航するのだから当然なのだが。船室は大部屋が二つ、個室が五つあるだけだった。クレアが向かったのは一番奥の個室。鍵を開け、そっと扉を開く。

「……ふぅ、」

 緊張からか、溜息が漏れた。大丈夫。大人しく眠っている。それでも一応ベットに近付き、寝息を確かめた。薬が強すぎて死なれても困るのだから。

「ゲイル……、」

 ……愛していた、とは思っていない。大体、クレアは『愛』などというものを信じてはいないのだから。それでも孤独を感じ、寂しいと思ってしまう辺り、自分はこの道に向いていないのかもしれない、と自嘲気味に笑う。

(この取引きが終わったら、足を洗おうかしら?)

 そんなことを真剣に考え始めていた。まとまった金が入れば、差し当たっての生活は賄える。あとはどこか大きな街にでも行って、真っ当な職を探せばいいのだ。

「……今更そんなこと、無理かしら?」

 思わずひとりごちる。

 と、不意にドアの向こうに複数の人の気配を感じる。誰かが通りかかったのではない。ここは突き当たりの部屋なのだから。クレアは緊張で体をこわばらせながら、隠し持っていた『まやかしの実』を取り出した。

「……誰かいるの?」

 ドアの方に向かい、声を掛ける。緊張を悟られぬよう、ごく自然に。声はすぐに返ってきた。

「俺だよ、クレア」

 カナフだ。だが、ちょっと様子がおかしい。こんな時間に一体……?

「なんの用?」

「クレア、ドアを開けてくれ」

 それは何かに怯えているような、懇願しているような声。……誰かに脅されているのだと気付く。

(でも……誰に?)

 カナフが脅される理由は多分にあるだろう。この世界の人間は、叩けば埃などいくらでも出る。だが、どうして彼はこの部屋を訪れた?

「……まさか、」

 ちら、とベットを見遣る。この少年の身内が取り戻しに来たのかもしれないと思ったのだ。しかしそんなことはあり得ない。彼が術師だとはいえ、眠らせているのだ。家族とコンタクトを取り、現在地を知らせることなど不可能。

「クレア……、」

 カナフの声が震える。

「どういうことか説明して、カナフ」

 問い掛けるが、返事はない。クレアは静かに溜息をつくと施錠がきちんとしてあるか、確認した。大丈夫。二つの施錠はきちんと閉まっていた。

 カチャリ

「え?」

 目の前で施錠が回ったのだ。どうして? 誰かが外から鍵を開けたからである。どうやって? 合鍵を使って……? まさか!

「冗談でしょうっ?」

 慌てて閉め直そうとするが、もう一つの施錠が回る方が早かった。そして扉は、強引に開かれた。

「きゃっ、」

 開いた扉に突き飛ばされる形でクレアが床に倒れる。顔を上げたその瞬間、目の前にはナイフの切先が光っていた。そして……、

「……どういう…こと?」

 刃を向けている人物に驚愕するクレア。

 だが、答えは返ってこない。クレアは、それきり全てを失ってしまったのだった。


 間違っていたのだ。

 だが、気付いたときには遅かった。

「冗談じゃないぞ、チト!」

 魔剣レイシェラを腰に納め、八つ当たり気味に言葉を発しているのは他でもない、リレィ。そして相変わらずそんなリレィをなだめているのがマシュ。

「まぁ、結局あてずっぽうだったんだから」

 そう言うマシュも短剣を手にしていた。

 港には日暮れと同時に到着した。が、既にシェスタの姿はなく、シェスタを連れ出した女の居場所も知れなかった。結局ザハードに向かう密航船を探して乗り込んだのだが、この船にシェスタはいなかったのだ。

「ザハードに向かう船がそんなに沢山あるなんて、知らなかったもんな」

 マシュが呟く。

 彼らの周りには幾人もの人の山が出来ている。死体……ではないが、縛られ、山積にされた人の山というのはある種、圧巻である。

 船は既に占拠していた。

 船室からエンジンルームまで、全てをくまなく探した結果が、この光景なのだ。

 クロードアンシェルは……?

 日が暮れ、今は黒い獣の形をとっている。犬に似た、しかしもっと大きな黒い獣。よって、言葉を話せない。ラッキーだったような、返ってやきもきしてしまうような、複雑な心境で妹夫婦を見上げていた。

 チトは相変わらず掴めない主の気配を求め、必死に神経を集中させていた。もちろん、その姿は見えないのだが……。

「ザハードで人を探すのは難しい。取り引きされてしまう前に見つけないとな」

 そう言ってマシュが天を仰ぐ。まだ、空には星が瞬いていた。ザハードに到着するのは明け方近くになるだろう。

「……ふふ、」

 不意にリレィが笑う。

「なんだ?」

「ごめん。なんだか懐かしく思えてきた」

「……今の状況がか?」

「そ。駄目だな、自分の息子が連れ去られたっていうのに、不謹慎だ」

「まぁ、気持ちはわからないでもないがね」

 マシュがリレィを抱き寄せる。

(まったく、この非常時にワクワクされても困りますよっ)

 クロードアンシェルは二人から視線を外し、大きく息を吐き出した。

「シェスタはきっと大丈夫だ。私とマシュの子供だからな」

「……ああ、」

 訳ありの村で訳ありの者同士が結ばれた。その話を耳にしたのは、クロードアンシェルが自分が半獣であることをとても疎ましく思っていた頃。どうして人間である父は半獣だった母を愛したのか、どうして同族同士で結ばれなかったのか。どうして自分は半獣と人間のハーフなのに人の血を濃く受け継がなかったのか。夜になるのが嫌で、人と深く関わりを持てない自分が嫌で、いつも絶望感と共に生きていた頃。

 そしてその頃、リレィとマシュは、もっと深い絶望の中にいた。そしてその暗闇の中で出会い、結ばれたのだ。

(あの二人の子供だもんな。確かにシェスタは無事な気がするけど……)

 クロードアンシェルが前向きに生きられるようになったのはこの二人のおかげでもあった。だから、この機に自分が役に立てるのならなんでもしたい、と思っていたのだ。だが今の様子を見ている限りでは自分の役目は『二人の暴走を止める』事と『王宮への報告を都合よく書き換えて提出する』事くらいだろう。直接手を出す必要はなさそうだ。

「……そういえば、」

 リレィがクロードアンシェルの頭を撫でながら言った。獣の形をとっていると、みんながこうして頭を撫でる。この扱いは何年経っても好きになれなかった。

「お前、本当は何しに来たんだ?」

(……今聞くな)

 クロードアンシェルはふいっと顔をそむけ、マシュのそばに転がっている荷物をくわえ、リレィに差し出した。自分では持ち歩けないのでマシュに持ってもらっているのだ。

「開けるのか?」

 リレィが言う。クロードアンシェルは軽く頷いて見せた。

「……これか」

 中から一通の封書を取り出す。表書きにはリレィの名が記されていた。そしてその後ろには……、

「……遺言書、ってわけか」

 リレィとクロードアンシェルの父親。ほとんど記憶になどない父ではあるが、病気を患っていた頃、自分の子供たち全員にこうして手紙を書いていたのだ。

 ピッ、と封を切り、中身を取り出す。一通り目を通すと一言呟いた。

「相変わらずメルヘンな人だ」

 クロードアンシェルも封を開けたとき同じ感想を持った。自称「情熱家」なのだが、頭の中には花が咲いているのではないかと本気で思えるほど、自分の世界に浸っているナルシストなのだ。それでも女が絶えないのだから、男にはわからない魅力があるのだろう。

「多分お前のと同じだ、クロードアンシェル。一つだけ違うとすれば……このハートマーク。だろ?」

 ピラ、とこちらを向けたその文面は、確かにクロードアンシェルの元に届いたものと同じ内容だった。最後に『愛する娘、リレィへ』と記されており、その横にハートマークが書いてあるのだ。……リレィの言う通り、クロードアンシェルの手紙にはハートマークは書いていなかった。

(……娘にまで色目を使っていたのか、あの人はっ!)

 内容はとても簡素で、自分の我侭で苦労を掛けてしまった事を許して欲しい、ということと、財産は全員で均等に分けられるよう、全て手配してあるので受け取って欲しい、ということ。この手紙が着く頃には、葬儀は既に終わっている筈なので私の事は気にせずこれからも自分の生活を楽しく生きられるよう、前向きに頑張りなさい、ということ。それらの内容が信じられないほどクサイ言葉で書かれているのだった。

「元々役者志望だとかでいちいち劇的な物言いをする人だと聞いてはいたが、ここまでくると呆れるな」

 マシュが気になったのか隣からひょい、と手紙を覗き込んだ。そして読み進むに連れ、顔がどんどん紅く染まる。

「どわーっ」

 途中でやめたらしい。

「すごいだろ?」

 リレィがクスクスと笑う。

「君の父親は一体どういう人物なんだっ」

「そう言われても……なぁ?」

 クロードアンシェルに話を振る。が、顔をそむけたままだった。

「私もクロードアンシェルも、あまり父の血は継いでいないんだ。……有難い事にね」

「……そうでもない。君は充分劇的さ」

 マシュがリレィの頬に手を当てる。

「そう?」

 リレィがその手を取る。

(お前ら~~~)

 ラブシーンを背中に感じながら、クロードアンシェルは朝が来ることだけをひたすら待ち望んでいたのだった。


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