6
※6
1月7日、土曜日の朝。
「また此れかよ……」
「泣き言を言うな新政、闇帝を倒すには私達のパワーアップが必要なんだぞ」
「そうは言うけどな!」
灰色の塗装をして古ぼけた民間宿の前へ、前日と同じくクソ寒いのに銀色の長髪をした女性と黒色の長髪をした男は、深緑色のジャージ姿で集合させられた。2人の頭が僅かに白いのはチラリホラリと雪が降っているせいである。
「今日は一段と冷えないかレヴィシア?」
「雪が降ってるし、宿屋の温度計は確かマイナス18度だったかな? まぁ耐えられない程ではないだろう」
「さすがメスゴ……何でもない」
彼の口が滑りそうになるとレヴィシアは、顔の前で握った拳へ「今日は本当に寒いなそう思わないか?」はぁはぁと息を吹きかけるので、新政は慌てて口を閉じるのだった。
「ズルは駄目だからな新政、懐に隠し持っている物を渡して貰おうか」
「いいじゃないかこれ位!」
せめて夜が明けてから始めてくれと訴える、2人の意見を聞き入れたジルが指定した時刻は朝の7時。包帯が巻かれた手を伸ばして渡すように言うジルへ、新政はジャージの内側に掛けてある赤い魔法石の付いたペンダントを差し出して行く。
「それは何だ?」
「新政」
「此れはホットウォールって言ってな、魔力を込めると暖かい風で身体を包んで寒さを軽減してくれる、軍人なら誰でも知ってるマジックアイテムなんだよ」
「なぜ私に教えてくれない、1人だけ使うとか新政はずるいと思わなかったのか?」
ジッとレヴィシアが相手を睨みつけると、睨まれた方は顔を横に向けつつ「レヴィシアは寒くても平気なんだろ、これぐらい別にいいじゃないか」と言いを訳する。
「平気じゃない、訓練だと言うから我慢をしているだけなんだ」
「此れは預からせて貰うぞ文句は無いな新政?」
「くそーーーーーー」
ホットウォールの守りが無くなり、ピューーーーって木枯らしが吹くと団長よりひ弱な男はガタガタと震え始めるのだった。
「何でもいいから早く始めてくれジル! このまま止まってると凍えちまいそうだ」
「走る前に準備体操から始める。大きく腕を振ってイチニ、サンシ……」
背伸びをしたり屈伸したりとか一通り体がほぐれたら、「2人とも昨日と同じように水瓶を入れた籠を背負うんだ、5㎏の鉄棒を付け足してある改良版だぞ」とジルは言う。
「それは改良と言わない! さむいさむい……」
「兵士に見つかって河が使いにくくなったから、今日は北の森へ向かって12㎞程の距離を走って貰うからな」
「気温が下がる上に距離と重量も増えるだと、俺を虐めてそんなに楽しいのか?」
「少しきつくなったが私はまだまだ大丈夫だ」
「グダグダ言わずに早く水瓶を背負うんだ。走れ、走れーーーーーー」
《宿の近くにある南西側の橋を超えて首都の外へ出た3人は、時々怪しんでくる人達と笑顔で挨拶を交わしつつ北へ北へと走って行き、やがて【ミューラ(大地の神)の膝元、ミュネスの森】と呼ばれる所へ入って行った。》
《遠くに見える標高4200mのミューラ山、その麓から首都まで続くミュネス森は人工林が多く生えた公営の林業地区。ここに植えられているのは寒さに強い杉やら赤松とかの針葉樹できちんと管理もされている。
枝打ちと間伐が行き届いて高くまっすぐ伸びる針葉樹に、囲まれながらレヴィシア達は幹線道路を走って行く。ここを進むと製材所や木こりの集落があるが、彼ら3人が目指しているのはそこではない。》
「さむさむ重い、さむさむ重い、寒くて重いぞ、さむさむ重い……」
「後ろで変な掛け声を出すんじゃない新政! 私まで寒くなって来るじゃないか」
「さむさむ重い、さむさむ重い、雪が降ってる、さむさむ重い……」
「さむさむ重い、さむさむ重い、凍え死にそう、さむさむ重い……」
「聞いてるのか新政! 団長の指示に従わないと朝ごはん抜きだからな」
すれ違う人々はみんな毛皮のコートやスノーブーツを履いてたりとか、暖かそうなのにレヴィシアと新政はジャージニとスニーカー。寒い寒いと繰り返している新政は、先頭に立つと寒いので団長の後ろに付いて風を避けながら走っている。
30㎏というずっしり重い籠を背負いつつ身体を垂直に、道路に降り積もった雪の冷たさをスニーカーに感じながら2人は走る。団長に注意されて暫く無言のまま走り続けていた男は1/3程を走った所で音を上げた。
「休憩させてくれーーーーー、寒すぎるーーーーーーーー」
「それでも男か情けないぞ新政」
「根性だせーーーー、根性を」
「なんでお前らは平気なんだよ! 俺はもう嫌だらかな」
ただでさえ寒いのに座り込むと更に寒くなる。水瓶を入れた籠を背中から降ろすと胡坐を組んで腕組みをした男は、ここからてこでも動かないとと言う意思を示すが、腰から体が冷えてきて顔が段々青くなり震え始めるのだった。
「副団長がこれでは闇帝とまともに戦えないだろうな」
「煩いぞレヴィシア! 温風をだせジル!」
「やれやれしようのない奴だな……」
黑いローブ姿に覆面をした男が指をパチンと弾くと、周囲に温風が吹き上がって冷え切ったレヴィシア達の体を温めて行く。彼女らの休憩が終わったらランニング再開、タラタラ文句を言う新政を宥めつつ走り続けた彼らは、やがて目的地に到着した。
「……こんな所で何をするつもりだジル?」
「ただの杉林しか無いぞ」
「一般人が入れないように細工がしてあるんだよ」
雪掻きをして左右に雪を高く積んだ幹線道路は、首都から一直線に続いていて遠くの方に集落らしき物が見えている。脇道があるでもなく道を取り囲んだ杉のせいで見通しは効かないが、見えたとしても何かがあるようには思えない。
「その立札がどうかしたのか? 石像もあるようだが」
道路右側、道端にある1本足の立て札には簡素に、『凍結・スリップに注意しろ、徐行して走れ』と書かれている。その直ぐ下には嘗て事故でもあったのか、祈るような恰好をした女神像が1体設置されていた。
「こんな所にもあるのか」
「これが何か知ってるのか新政?」
「これは祈りの女神像と言うんだ、これが置かれた所の奥には修行場とか神の試練が受けられるダンジョン何かがあるんだよ」
一般人が迷い込むと危険だし、変な組織に使われても困るので機密扱いになり、これは2級以上の魔導士とか特別な許可を貰った人しか知らない話になる。
「やり方は知ってるな? これを使え」
「勿論だ。たしかこう……」
女神像のサイズは子供位もあって、俯いた女神像その視線の先には何かを置けるような窪みがある。その窪みへジルから受け取ったガラスの様な、同じように祈っている掌サイズの女神像を置いて魔力を注ぐと輝き始めた。
女神像の輝きは段々と大きくなり、やがて杉林の一角を覆いつくして少しすると新しい道がそこに現れる。
「幻術で道を隠している訳か」
「その通りだ、短時間で元の景色へ戻るから急いで通り抜けた方がいい」
幻術と共に杉林の一部が消えると狭い獣道が出現。除雪されてないこの道は雪が深くてスニーカーでは走れないと新政は訴えるが、「男なら根性で突き進め! 泣き言は禁止だからな」と団長は冷たく突き放す。
「それは止めた方がいいぞレヴィシア。新政の言う通りだし、雪に足を埋めながら歩くとさすがのメスゴリラでも凍傷になってしまうだろ」
「フェニックスガルーナーーーーーーーーーー」
――――ドゴーーンと幹線道路に爆炎が吹き上がる。昨日した修行のおかげで魔力の制御が上達したレヴィシアが放つ魔法は、2m以上から3m近くへと炎の蛇が長くなり、その分だけ威力も増したが真冬でよかったと彼らは思った。
「そんなに怒るような事ではないと思うんだが」
上級魔法を叩きつけれた方は平然とし、
「人が少なくてよかったなぁ団長、誰かに見られたら大騒ぎになってるぞ」と、爆風を魔法の盾(Eシールド)で防ぎつつ新政はレヴィシアへ嫌味を言う。
「面白くない私はもう帰る!」
「敵前逃亡は罪になるぞレヴィシア。後これな……」
「かんじきか」
ジルが影に手を向けると竹で紐で作られた、2足のかんじきを咥えた骨蛇がうねうねと伸びて来てレヴィシアと新政にそれぞれ渡す。
「それを使えばスニーカーを履いていても大丈夫だ」
「持ってるなら最初から渡しとけよな。さむさむ……」
かんじきをスニーカーへ装着している間に幻術が掛け直されたので、再び祈りの女神像を起動して幻術を解いた3人は、杉林の間に開いた道を通って奧へと進んで行った。
「ただの水溜り? いやこれは井戸と呼ぶべきか……」
「凄い透明度だな、泉の底に置かれた女神像までハッキリ見えるぞ」
石組で作られた深さ20mを越える深い井戸、石に囲われているので井戸とも呼ばれるがその広さは半径15m程とかなりの広さがあった。ここは純度ある地下水へ大地に流れるライフストリーム(命の道)を染み出させて造られた神秘の泉。
「此れはウンディーネの泉と呼ばれる、魔導士がよく修行に使う施設だ」
「へぇこれが……」
「新政は使ったことが無いのか?」
「雷系の俺は水とは相性が悪くてな、山頂にあるシルフの舞台をよく使うんだ」
「苦手な所も使ってちゃんと訓練を方がいいぞ」
「そうだな、それで今日は何をやるんだ?」
「まずウンディーネを呼び出すんだ」
雪の上に足跡を残しつつ泉に近づいたジルは、影に手を翳すと骨蛇を呼び出してそれが咥えている瓶を受け取った。七色に光っている透明な液体は魔力を圧縮・加工した【エーテル原液】と呼ばれる液体で、Mポーションの原料にもなる。
「エーテル原液って高いんだよなぁ」
「高いってどれぐらい?」
「俺は自分で作れるが普通は1Lで車2台が買える程だ。∞E機関で量産できるこの帝国でも50万Rは下らず、この瓶一つでHMポーションが10個ぐらい作れるんだぞ」
「ハイマジックポーションって私が全回復しても余る位の高級品だな」
「此れはサイレントーが最強でいられる理由の一つだ。他の国では無理だが少女の生贄を捧げて作られるポーションは、悪魔の液体とも呼ばれている」
「精霊を呼び出すには対価が必要なんだが、使うのを止めた方がいいかな?」
話をしながらジルは瓶を泉へ落そうとしていたが、そう言うならと手を止めて振り返った彼はレヴィシアと新政に、どうすればいいんだと聞いて行く。
「ジルのそれは帝国産ではないから無いから問題ない」
「その通りだな」
「俺が何を原料にして作るか知ってるか? 教えないけどな」
「ジル〜〜〜」
「俺はなにも見なかった、聞かなかった事にする」
話が進まないのでジルが持っているエーテル原液は、新政の提案通りに黙殺されて泉の中へと投げ落とされた。
「此れからどうするんだ?」
「精霊が生きていればなだな……」
「何か出て来るぞ!」
魔法を使った訳ではないが、ボコボコと水が沸騰するように湧き上がりだし、暫くするとどーーーーーーーと大量の水を噴き上げた。小雪がはらはらと降る寒さの中で水を被るのは嫌だと、ジルを除いた2人は急いでその場から離れる。
「噂通りのいい女だな」
水の身体なので自由に変えられる、その姿は精霊が持つイメージに合わせて俗にいう美女と呼ばれる姿に形作られていた。身長3m程、瞳は無いが顔立ちは綺麗な黄金比、長髪のモデル体型で「大き過ぎないかそれ?」とある物を見上げたレヴィシアは言う。
「あと服も着た方がいいな、幾らただの水とはいえ裸は良くないと思うぞ」
「服なんかどうやって着るんだよ。母性の象徴である胸は大きすぎる位で丁度いいんだ」
「フェニックスガルーナ……」
銀髪の女性がした話に対して黒髪の男が意見を言うと、怒ったらしい女性は上級魔法を構えたが空気を読んで欲しいなとジルは思う。
「キシェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」といきなり奇声を上げたのはウンディーネで、レヴィシアが構えた炎魔法を自分への攻撃だと認識した彼女は、対抗策として大量の水を泉から吹き上げて2人に浴びせ掛けた。
「キャーーーーーーーーーー」「どわぁーーーーーーー」と、洪水のような水を浴びせられた2人は流されていき、それぞれ周囲にある木に捕まってどうにか耐える。
「ハーーーーークッション」
「さむいさむい死ぬ死んでしまう……」
「大丈夫かお前ら?」
幾ら丈夫なレヴィシアでも氷点下でずぶ濡れになるのは辛いらしく、杉林から出てきた2人はガタガタと震えていて、隣にいる男は今にも倒れそうな程に青い顔をしていた。
「ジルーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「ちょっと待ってくれ2人とも。まずウンディーネを説得しないと……」
野生の精霊などは人語を理解しないが、訓練場にいるような精霊はきちんと訓練されているので話が通じる。ジルは驚かせた事をウンディーネに謝り、どうにか落ち着かせたら温風を出して濡れた2人を乾かしていく。
「これから修業を始めるが準備はいいか2人とも?」
「寒い寒い寒すぎて無理……」
「新政は無視してくれ、私はいつでもいいぞジル」
「そうか、では手本を見せる。俺がやる事をお前達もやるんだぞ」
水球を安定化させて維持すると言う魔力の基本制御を理解した、レヴィシアが次に覚えるのは瞬間的な事に対する対処法、魔力の応用編である。
つまりどうするかと言うと……
「キシェーーーー」とウンディーネは奇声に合わせて、自分の回りに作りだした直径1m位の水球を次々にジルに投げつけて行った。その攻撃に合わせて右手をスッと前に出したジルは、飛んでくる水球を全て受け止めてしまう。
手で直接受け止めた訳ではない、突き出した手から魔力を放出させて飛んで来る水球を空中で全て止めたのだ。
「すげぇ」
目を開いで驚いた新政の前には、ウンディーネがジルへ叩きつけようとした20発の水球が空中で停止している。
「いきなり出来るとは思ってないし、1級魔導士でも出来る奴は殆どいない事だ。だが此れが出来るとだな……」
水球をウンディーネがいる泉へ戻したジルは影に手を翳す。
影の中から伸びて来た骨蛇が剣を咥えていて、それを受け取ったレヴィシアと新政はジルへ斬り掛かるように言われるから、積もりに積もった怒りを発散するように2人は全力でローブ姿の男へと切り掛かって行った。
「――――バカな」
「動けないこのぉ……」
かんじきを履いていて走りにくかったが、剣を振り上げた態勢のまま石化でもされたかの様にレヴィシアと新政は固まっている。2人とも歯を食い縛って手から魔力を送って拘束するジルに抵抗しようとするが動けない。
「魔力による拘束は力では解けないぞ、全身から魔力を放出させて俺の魔力を打ち消せばいいんだが、此れが出来ないとお前達は闇帝に秒殺される」
「どうすればいいんだ?」
「こうやるんだよレヴィシア、うぉぉぉ」
深呼吸をして気を落ち着かせつつ魔力を全身へ巡らせた新政は、それを体の表面から放出するように放っていく。
「その調子だ新政。身体強化魔法は使えるなレヴィシア、それに似たような感じだぞ」
「こっこうかな? はぁーーーーーーーー」
バレット号を斬った時のようにレヴィシアも、魔力を全身へと張り巡らせてジルへ抵抗するように放出し始めた。体の表面を薄く光っている魔力が覆いつくし、教えに従って体の中から全て絞り出すように出力を上げて行く。
「その感覚を忘れるなレヴィシア、敵から攻撃を受ける時にやれば自分の怪我を軽減することが出来るからな。気温の変化とか毒性のある魔法へ耐えるのにも有効だぞ」
「成程な覚えておくぞジル」
ジルの拘束が解けたら今度は水球を受け止める訓練を、水着姿になった2人はずぶ濡れになりつつ頑張るが中々うまくはいかない。時々ジルに髪や体を乾かして貰いながらする修行は、昼を超えて日が落ちるまで続けられるのだった。