義理チョコに、お返しは要らない
三月十五日、俺は今日、冬山鶇美に告白する。
それはリスクを孕む行為でもある。こうやって、冬山や俺を含む四人で駄弁ったり、どっか行ったり、そんなことはできなくなる可能性があるからだ。
それでもやる。なぜならそのリスクは低いからだ。その一方で、成功した時のメリットはデカい。
「あり得ねーだろ! 普通。お返しは要らないって言われて、本当に持ってこない奴、いる!? “本命”なんだぜ?」
俺は同意を求める様に、隣りに座る巧に人差し指を突き出した。本当はなぜアイツが返さなかったのか、思い当たる節はある。なぜなら、あの日、俺は全部見ていたからだ。
★
ちょうど一か月前の、二月十四日。
放課後に近づくにつれ、そわそわしている冬山を目で追った。俺はノーチャンだってことは分かってる。既に、朝イチで巧と一緒の“義理”を渡されていたし、俺たちの中で冬山が片思いしているのは暗黙の了解だった。
放課後を告げる予鈴が響くと、冬山は真っ直ぐ教室を出た。いつもは、同じバレー部の田鴫と並んで部活に行くはずなのに、この日は違った。途轍もなく嫌な気持ちになった。
俺も席にやって来た巧を含むサッカー部のみんなに、「先行ってろ」と告げると後を追った。
「あ、えーっと……、その……。今日は来てくれてありがと」
人気のない渡り廊下、そこで手提げの紙袋を持った冬山はまるで別人みたいだった。顔も声も、いつもの冬山。なのに、態度とか口調がまるで違っている。
俺は二人に近づいて、靴ひもを結ぶ振りをした。
何してんだろ、馬鹿みてぇだな。無様な自分に笑えて来る。
「あのね、義理チョコだから、お返しは要らない。受け取ってくれるだけで良い。じゃあね」
そう言って、冬山はソイツに“本命”を押し付けると、すぐに走ってどっか行った。時間にして、一分もないかもしれない。こんな訳の分かんねえことしてる俺にとってはクソみたいに長かったが。
嘘つきめ。あれは“義理”なんかじゃあない。でも、そんなこと、教えてなんかやらない。俺は通りかかったふりをして、ソイツの顔を確認した。誰だよ、お前? 知らないやつだ。
ふーん……。
だが、思わず顔がニヤけた。そして、決心がついた。俺は、冬山に告白する。
下駄箱に入っている手紙と“本命”を見つけ、俺は思わず宛名をチェックする。そして、肩を落とし、溜息をついた。
★
「えーっと、“本命”は返さなくてはいけない、っていうルールがあるわけね。貰ったことないけど、後学として覚えとくわ」
「当たり前だろ」
なーんてな。そもそも、気持ちに応えられないなら、貰っちゃあダメなんだぜ、巧。
中学に入ってから今日までの二年間、“本命”や告白などと言ったものはすべて断り続けた。その成果もあり、この二年で、朱雀には好きな人がいるという噂は瞬く間に広がった。そして、犯人捜しならぬ、朱雀の好きな人捜しが始まった。
こうして、『朱雀は冬山が好き』と言う事実が拡散したわけである。
俺は、あくまでも冬山の気持ちを代弁して怒った。それなのに、だ。当の本人は、ヘラヘラと笑うだけ。余計にむかついた。
「愛は与えられるより与えるもの、だもんね? つーちゃん」
田鴫は、冬山に肩を回して、顔を覗き込む。そして、意味ありげに呼びかけた。
「俺だったら這ってでも行くけど」
「別にお返しもらえると思ってなかったら、いいもん」
つっけんどんに言った俺に対して、さらにつっけんどんな態度で冬山は言った。頬を膨らましながら、唇を尖らせる。その表情に、思わず見惚れる。こんな顔も、どうせアイツは知らないんだろう。
その口が何かを言おうとして動いた時、ようやくハッとなった。見すぎた、ヤバい。
「本当は“義理”って言っちゃったんだ。だから、来ないよ」
そんなことねぇよ! 俺は、お前からだったら“義理”でもちゃんと向き合うよ! そう言いたかったが、今は押し黙った。
放課後、俺は冬山を連れ出した。手に持ったブランド物の紙袋を見て、「朱雀……、それ」と言って笑った。勘付いたのかもしれない。母さんと姉ちゃんから、揶揄われながら一緒に選んだものだ。そう、言わなくても“本命”だと分かるだろう。
「だーかーら! “義理”チョコにお返しは要らないんだってば」
笑っていたけど、目が笑っていなかった。少し、嫌な予感がした。冬山は、困ったときにこういう顔をする。知っていたはずなのに、俺はもう止められなかった。なぜなら、負ける要素がまるでなかったのだ。
俺の方が容姿は良い、運動もできるし、きっと頭もいい。アイツなんかよりも、クラスの人気者で、リーダーシップもある。そしてなにより、俺の方が冬山のことを知っているし、過ごした時間は長い。
「そんなのだめだ。俺は、“義理”だろうが何だろうがちゃんと返す。アイツとは違う」
大きく深呼吸した。告白するってこんなに緊張するんだな。そう言えば、冬山も一回フラれてるんだっけ? 凄いな、やっぱり。そういうところも好きだった。
「冬山……。俺、お前が好きだ。出会った時からずっと、好きだった」
冬山の色素の薄い瞳が、見開かれる。ハッと息を吸うように口を開けて、八重歯が覗く。どれも冬山の好きなところだ。それなのに、俺の心はいつものようにはときめかなかった。なぜなら、こんな表情をさせるつもりはなかったからだ。
「知ってたよ……。ずっと前から知ってた。どうして言っちゃうの? そんなの応えられるわけないじゃん! 私、何度も言ったよね。フラれたけど、諦めきれない人がいるって。今日だって何度も“義理”チョコのお返しは要らないって話、したよね!?」
泣くのを堪えるような顔で、俺を責めた。その時になってようやく、俺は自分が取り返しのつかないことをしたことに気付いた。血の気が引いていく思いがした。空を見つめ、「どうして?」と、何度も言う。
「朱雀の馬鹿! もう、これで私たちの関係もおしまいだよ! さよなら!! 」
そう言って踵を返した冬山は、泣いていた。最後に話す会話、最後にちゃんと見る顔がこんなもので終わるなんて、最悪な気分だった。
取り残された俺は、熱くなる目頭を押さえる。そして、壁にもたれ掛かった。
『隣の席の冬山です! よろしく、朱雀くん』
『よろしく』
中学校の入学式の日。そこから始まった俺の恋と、四人のいつめんの関係。にっこりと笑う冬山に恋をした。にぃっと笑うと見える八重歯も、本人が気にしている眉の太さも、俺は可愛いと思っていた。隣の席に冬山がいる間に、仲良くなろうと必死だった。
連絡先を聞き出し、趣味を聞いて、冬山の親友田鴫とも仲良くなった。わざと忘れ物をして借りたり、板書や宿題を写した。偶然を装って一緒に帰ったりもしたし、水飲み場はいつも体育館前のものを使っていた。いつも、冬山を目で追っていた。
広い人脈を活かして周りを巻き込んだ。やれることは何でもやった。それぐらい、大好きだった。
だが二年間に渡るその努力も、今日でおじゃんだ。全部俺のせいだ。
何もわかっちゃあいなかった。
牽制されてたのは俺の方だった。冬山を分かっていなかったのは俺の方だった。烏なのは、飛蝗なのは、俺の方だった。
「本当、俺って馬鹿だな……」
手元の“本命”だったものを見つめる。うんざりする。
「“義理”チョコに、お返しは要らない……か」
俺にとってその言葉は、“用意しなくていい”という意味じゃなかった。“受け取れない”と言う意味だったのだ。
アイツとは、違って――。
バレンタインは蜜の味、のスピンオフで書きました。
時系列ではこっちの方が先。
ですが、どちらか読んでも大丈夫です。また、こちら単体でも関係なく楽しめます。