赤の城
「次にその汚い面を見せたら首を切るって、私確かに言ったわよね? あなた馬鹿なのかしら、それとも私に殺されに来たの?」
絶体絶命だ。扉をくぐり抜けた私と帽子屋を待っていたのは周囲を埋め尽くすほどのトランプの兵士、そして私と帽子屋はそいつらに囲まれて槍を突きつけられているのだった。
「・・・どういうことかしら? 私は何も聞かされずにいきなり殺されかけているのだけれども」
私の問いに、帽子屋はすまし顔で答えた。
「必要な事なのさ。なに、心配する事はない。最悪私の首が切られるだけの事だ」
それは十分たいしたことなのではないだろうか。そう思ったが、自信満々な様子の帽子屋の様子を見て私はその台詞を飲み込んだ。
「さて、女王のおでましだ」
トランプ兵の一角が左右に分かれ、人一人が通れるほどの道を作る。カツカツとヒールが床を打ち付ける音が響き渡り、そしてその人物は姿を現した。
情熱をたたえた燃える夕日のような赤髪はなだらかに風になびき、キリリとつり上がったアーモンド型の目がこちらを睨み付ける。トランプ柄の施された真っ赤なドレスを翻し、ハートの女王はこちらに近づいてきた。
「やあご機嫌麗しゅうハートの女王陛下。いつもながらお美しい」
「ふん、あなたに言われても嬉しくもなんとも無いわ。いいからさっさと死になさい」
帽子屋と女王の会話は私の耳を素通りしてしまっている。美しい? 確かに私の目の前に現れたその人物は美しかった。穏やかに流れる燃えるような赤毛も、神が設計したかのような完璧なバランスの目鼻も、透けるような白い肌も、美しいというにふさわしい。しかし・・・・・・。
「・・・・・・オカマ?」
強烈な違和感の正体。それは彼女・・・いや彼? の性別である。女王は明らかに男性である。ドレスのスリットから見えるたくましい筋肉質の足も、広すぎる肩幅も、うっすらと確認できるのど仏も、そのすべてが女王の性別が男性であると物語っていた。
「何よあんた、失礼な娘ね。別に私はオカマじゃないわよ」
「え? なら女性なの」
女王はフンと鼻を鳴らした。
「男よ。たぶんあんたが勘違いしたのはこの衣装のせいだと思うけど、別に私自身はオカマとかじゃないわよ」
衣装だけじゃなくて口調とか化粧とかいろいろとあるのだが、その疑問が私の口から出ることは無かった。
「アリス、いろいろと言いたいことはあるだろうがまたの機会に教えてあげよう。今はやるべき大切な事があるのだから」
帽子屋の言葉に、女王はふんと鼻を鳴らして彼を見下ろした。
「で? 何の用かしら、首を切る前に用事だけ聞いてあげるけど?」
「おお、さすがは女王陛下。お優しい事だ。用というのは他でもない。貴方の所有する”ヴォーパルの剣”を譲って頂きたいのです」
ヴォーパルの剣? 何だろう、聞き覚えのあるような、無いような・・・。
「・・・・・・正気? やっぱりあなた自殺願望でもあるのかしら」
「自殺願望など無い、無いが・・・・・・剣をアリスに譲って頂けるのなら、その後私は首を刎ねられてもかまわない」
衝撃で開いた口がふさがらない。彼は何を言っているのだろうか。
「・・・・・・ふん、死にに行く男の首を刎ねるほど私は暇じゃないわ。死にたいなら勝手に死になさいよ。いいわ、わかった。その娘がアリスなのね。少なくともあなたはそうだと信じている」
「そうとも、彼女こそが我々が待ち望んだアリスだ。私はそう信じている、この首すら惜しくないほどに」
女王は深いため息をつくと、身を翻した。
「ついてきなさい。剣の保管場所まで案内してあげる」
◇
スペードのエースが私をえぐる
クローバーのジャックは私を笑うわ
幻の世界 幻の人生
それでも私は生きている
ダイヤのキングを殺したのは私
私は女王 ハートオブクイーン
そして、偽りの死が私を包む
ー ああ、世界は今日も死ぬのかしら
◇
ソレを一目見た瞬間、そのあまりの美しさに魂が吸われるかと錯覚した。長方形の硝子箱に納められた一振りの剣。するりと伸びた白銀の刀身は汚れを知らぬ乙女のような清らかさと、見るモノを魅了する娼婦のような妖艶さを兼ね備えている。
柄には華美にならない控えめでかつ上品な意匠が施され、あくまで柄ではなく刃こそが主役だという事をわきまえているようである。
「・・・・・・これがそうなの?」
「そう、これこそがこの世界の至宝、概念を切り裂く剣”ヴォーパルの剣”よ」
そう言うと女王は右足を体の前方に持ち上げる。目線がドレスのスリットからのぞく鍛え上げられた大腿筋からすらりと形よく伸びたふくろはぎ、そしてギラリと鋭くとがっている真っ赤なヒールへと移る。
「ふんっ!」
鋭いかけ声と供に勢いよく前方へ突き出される右足、いわゆるヤクザキックは神々しさすら感じられる硝子箱を一切の躊躇いも無く蹴り砕いた。
硝子の砕ける甲高い音をすまし顔で聞き流した女王は、硝子の残骸の中をツカツカと歩き出し、地面に放られたヴォーパルの剣を拾い上げる。
「ほら、持って行きなさいよ」
剣を180度回転させると、柄の部分を私に差し出した女王は、先ほどのヤクザキックなんて何でも無かったと言わんばかりにすまし顔であった。
「・・・なんともワイルドなことだね。陛下、仮にもその剣は世界の至宝なのだからもっと大切に扱うべきだと私は思いますよ」
さすがの帽子屋も動揺だ隠せないようだ。
「くだらないわ。確かにソレは世界の至宝、でも私の宝じゃない。立場上ソレを保管はしているけれど別に思い入れも何も無い、ただの剣よ」
そして見下すようにちらりと剣を一瞥する。その様子は思い入れが無いというよりは、むしろ憎しみすら感じられた。
「ほら、受け取りなさいよ早く」
女王に促され、私は恐る恐る剣を手にした。ズシリとしたその重さは不思議と手になじむようであった。
「気に入ったようだねアリス」
気に入った? 確かにそうかもしれない。帽子屋の言葉に応える間も私の視線は剣に釘付けだったのだから。
「ええ、そうね。それで、私はこの剣で何をしたらいいの」
「ふふ、決まっているじゃないか。それは剣だ、剣とは何かを打ち倒すためのモノだよ」
「つまり?」
「君に倒して欲しいのさ。終焉の竜を、この世界の災厄を。
そう、漆黒の竜ジャバウォックをね」