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自殺手記

作者: 166

その日、俺は何の気なしに海に行った。使いこんで底が黒くなったスニーカーで、所在なく砂浜を歩いていた。時折、浜に混じる小石が靴の底を押し上げて足の裏をつついた。その些細な抵抗は俺の神経を逆撫でするのには充分だった。足の下のその石ころを苛立ちまじりに踏みこむたびに砂が舞い上がって靴の側面を汚したが、そんなことは俺にはどうだってよかった。何でもいいから踏み潰してやりたい気分だった。

観光シーズンをとうに過ぎ、ぽつんといる子供連れの家族やら老人やら以外からは見向きもされないこの浜を歩くのは胸がすいてよかった。音を持っているのは波だけで、あとは俺が俺の頭んなかを歩いているときみたいに静かだった。目を寄せてくる波に向ける。駐車場と海とを隔てるコンクリートの階段を重力に任せて下っていたときは、とりあえず浜の端まで行きたいという思いでいっぱいだった。

しかし歩き始めてしばらくすると、何でこんなところを歩いているのか俺自身にもまるで分からなくなってしまった。俺は何かに突き動かされていたはずだったのに。先ほどまでの焦げつくような欲求は海風に吹かれてどこか遠くへ行ってしまったのだろうか。しかしそれなら俺の足が止まらずに動いているのはなぜなのだろう。俺は、足の思うままに歩かせてやることにした。目の前に人はなく、流れ着いた木やガラスの破片のそれぞれが俺を見つめていた。痩せ細った木の枝が折り重なっている姿はさながら骨のやまのようだった。

“お前もじきに俺たちと同じになるさ、よく見ていけよ”

あるはずのない声が呼びかけてくるような気がした。

徐々に日が傾いてきて風はだんだんと弱くなっていった。青い陰が砂に落ち始めると海の音が一層大きく聞こえた。もうそろそろ帰ろうかな、と駐車場のほうに足を向けようとしたときひとつのビンが目に入った。砂がべたべたとついた蓋は金色で、ガラスでできたビンはビーカーのような寸胴な形をしていた。そのビンはそこらに転がるゴミと同じに汚れているが、他とは違って何か中に入れられていた。ビンのそばまで歩いていって身を屈め頭を近づける。中身はどうやら小さめのメモ帳のようだった。丸められたようなあとがあり、親指で弾いて数えられている分厚い札束みたいに開いてしまっていた。

俺はビンを手にとってみた。海水でベタついて気持ち悪いのを無視して蓋に手を添え、ぐっと力をいれ回してみると思いの外すんなりと開いた。開いたビンからはよその家の匂いがした。ビンを逆さにし、親指から中指までを使ってメモ帳を掴む。そのまま強引に引っ張ってみたがメモ帳の片側がビンの口を通り抜けられずに歪んでしまった。何度かそれを繰り返してみたが、ただイライラするだけで状況が変わることはなかった。カンカンとぶつかる音が妬ましかった。3本の指じゃ駄目だ。ビンを持つ手を自由にしたくて砂の上にあぐらをかいて座る。左足の太股とふくらはぎでビンを挟み、右手で掴んでいるメモ帳を左手も加えて引っ張る。ページをぐしゃぐしゃにしてでも取り出す気で引く力を強くしたが、足で挟んでいたビンが抜けるのが先だった。大きくよろけて後ろに倒れそうになるのを堪え体勢を戻す。体を戻したさきでビンに目を落とし、そのままぼうっと見つめたままでいると無性に腹の底がムカムカしはじめた。なんだってお前はそう頑ななんだ、俺が出そうとしてるのに!

俺はビンを右手に持ち直して立ち上がった。左手でズボンの尻についた砂を払ってから今度こそ駐車場のほうへと歩き始めた。だいぶ日が落ちたが父さんはまだ家に帰っていないだろう。確か工具箱は父さんの部屋にあったはずだ。母さんがうるさいかもしれないが気にすることじゃない。補導されるような時間じゃなし、自分の帰る時間ぐらい自分で決めたっていいだろう。コンクリートの階段を一段一段踏みしめて上る。……ああ、砂の上じゃなくここに座りゃよかった。結局ズボンが無駄に汚れただけだった。

“こうなったら何としてでも割ってやるからな”

手に掴んでいたビンを自転車のかごの中に放り込む。そいつに向かって死刑宣告をしてやると胸が少しすっとした。そうだ、今日は朝からずっとむしゃくしゃしてたんだ。俺が砂浜を歩こうとしたのは運命に違いないさ。気分の高ぶりに身を任せて強くペダルを踏みながら家を目指した。揺れる自転車のかごの中のビンはまるで閉じこめられている囚人のようだった。











海から帰ってきたときのままの手は、指をつけたり剥がしたりするたびにぺとぺと音をたてる。すでに太陽は沈み、辺りはびいびい鳴く虫の声で満たされ、黒い視界の中で俺の家の灯りだけがさびしく点いていた。その灯りが照らさぬ影で役目を終えた金槌は庭の草を枕にまどろんでいた。やっと割れた。疲れと喜びから思わずため息が漏れた。

懐中電灯で目の前のビニール袋に入っているものを照らす。袋の中に敷かれた新聞紙の上、何度も金槌を叩きつけて割ってやったガラスのビンの中で、きらきら光る赤い革表紙が嘲るようにこちらを覗いていた。鬱憤をぶつけるように力任せに砕いたガラスはメモ帳の上に雨粒のように降り注いでいた。

“……触れないだろう?”

俺は無造作にメモ帳を掴んで上下に振り、手で表紙を撫でて細かなガラスを払い落とした。微塵もガラスが残らぬように、ふっと息を吹きかける。その甲斐あってか、懐中電灯を向けてももう露ほども光らなかった。

指の数ヶ所に痒いような痛みがあったが、台所にあるビニールの手袋を取りに行くために母親の側を通ることよりかはよっぽどましな不幸だった。破片の1つ1つを手で取り除いていくほうが、ずっと穏やかな気持ちでいられると思った。台所の換気扇から漂うソースのにおいが、やけに鼻に残った。

俺の機嫌を悪くするのは大抵母さんだ。今朝も、さっき金槌を取りに家に入ったときもあの人はうるさかった。…早く食べなさい、昨日やっときなさい、全部自分のせいでしょ、どこに行ってたの、連絡ぐらいしてよ、どこへ行くの!…

すべての言葉が嫌だった。窮屈な正しさに追い詰められそうだった。焦燥を閉じこめておけなくなって、俺は弾かれたように庭に飛び出した。ビンを新聞紙でぐるぐる巻きにしてビニール袋の中に置き、大振りで金槌を振り下ろすとビンはガキンと音をたてた。その音を聞いたとき、海で感じたような爽やかな自由が胸のなかを駆け巡った。手に伝わる振動も気にせずに、二度目はより勢いをつけて叩いた。何となく、幸せだった。

未だ冷めやらぬ興奮ごとビニール袋に包み、袋の口を縛る。このガラスの始末はどうしようか。一旦、部屋に持ち帰ってから考えようか。まだ気持ちが上ずっているのか、俺は真剣でいることができなかった。庭を後にし、気早に靴を脱いで階段を上る。母さんがまた何か言っていたが、今はどうでもよかった。手の中の赤い革表紙のメモ帳をすぐにでも開きたかった。

階段を上りきってすぐの部屋に入り、後ろ手でドアを閉める。LED電球が眩しいほど部屋を照らした。勉強机や本棚で圧迫されて狭く感じるこの部屋が、俺にとっては唯一の落ち着ける場所だった。椅子をひいて腰を下ろすと、体中から疲れがどっと溢れてきた。メモ帳を開き、少し重くなった目で最初のページを見る。俺より綺麗な字で4つの漢字が書かれていた。罫線を大きくはみ出す文字に、一瞬寒気がした。

“自殺手記”

その4文字から俺はしばらく目を離せなかった。












この先を語るにあたって、まず何を申し上げたらよろしいでしょう。今これを読まれているあなたは、恐らく私を知らないことと思います。僭越ながら、私のことを少し書き綴っておきます。

私がこの世に生を受けてから19年になります。国籍は違うものの、育ちはこの国でこの国の言葉しか話すことはできません。家族は3人で父と母、そして妹がおります。私がまだ幼かった頃、私たち家族は今住む町に引っ越してきました。アパート暮らしが終わって、一軒家での生活が始まりました。自分たちの庭も手に入れたのです。

周りには田んぼが広がり、ビル群などはどこにも見受けられません。家のすぐ近くには土手があり、その先には広く雄大な川があります。川を下ってゆくと、2kmほどで海に着きます。人も多くなく、嵐のような風がよく吹くことをのぞけば、ここはとてものどかで静かな町です。

そんな町、この家で30日の朝、私は死にます。

日付が変わった後、ひっそりと自分の部屋で命を絶つつもりでおります。

両親は驚くことと思います。父親は深く傷つくでしょう。妹に忘れられない苦しみを残すかもしれません。しかし、私はもう自分自身に可能性を感じることができないのです。1年の猶予を貰い、志望大学を目指した勉強をする機会を与えられながらそれを生かさなかったのですから。

浪人するとなると、予備校に通うことはおおよそ避けられません。しかし親の希望もあって、私は9月末まで物流センターで働くことになりました。力作業やうだるような暑さで疲れ果て、眠気に襲われながら帰路につく日々が続きました。そして疲れを言い訳に勉強に全く手をつけなかったのです。仕事を辞めた後も染みついた逃げ癖が治ることはなく、家族に手を引かれながらずるずると生き続けてきたのです。

私がどれだけ家族を裏切っていたか思い知るのは、センター試験が差し迫ってきたときでした。試験日が近づくにつれ、不安が私を支配してゆきました。今回も駄目だったら……、頭に浮かぶのはそればかりで、その後に続く言葉はきまって“自殺”でした。そこでようやく私は、自分が空費した時間の重さに気がついたのです。私が踏みにじり無駄にした数ヶ月は、両親の優しさが作りだした時間でした。私のしたことは、眠る父親の顔に唾を吐くことと何ら変わらない下卑た行いでありました。

そのことに気づいた日から、私はできるだけ迷惑をかけずに死ぬ方法を考えるようになりました。試験に合格すれば、この計画が実行されることはなかったでしょう。

しかし3月21日の合格発表で、私の死は避けられぬものとなったのです。











そこまで読んで俺は読むのをやめた。木材の軋む音がこちらへと近づいてきていたからだ。俺はメモ帳を手に取ると、とりあえず枕の下へと差し込んだ。目覚まし時計の文字盤に『7:42』と表示されているのが見えた。ドアを2回ノックする音が聞こえて振り返った。

「ご飯出来たから下りてきて。」

用件はそれだけだった。返事も待たず、母さんは階段を下りていった。鏡で見た俺の顔そっくりの、何か堪えるような顔をしていた。そういえば最近、母さんの顔をしっかり見ていなかった気がする。俺は椅子から立ち上がると、階段を足早にかけ降りた。











私の人生はあまりに空虚なものでありました。何も成し遂げたことがないのに、つまらない文句だけは一人前に言い放ち、理想ばかりが立派で人を凌ぐほどの努力をしたこともありません。やることなすこと空回りの連続で、他人より上手に出来ることなど何一つありませんでした。それなのに人一倍目立つのです。それは顔だけでなく持ち物にも理由がありました。

小学校に入学してすぐのことです。近所に住む子供たち全員で集団登校をしているとき、周りは綺麗なランドセルを背負った人でいっぱいでした。ランドセルの色はくすんでいないし、革の継ぎ目から白い毛が飛び出している子供などいませんでした。そんな子供は私だけでした。背の高い上級生がこちらを見下ろしてくる視線が怖くて、私はいつも下を向いていました。私が人の目を恐ろしく思い始めたのはこの頃からだったかもしれません。

また、私たちの小学校では4年生が交通安全パレードを行うのが伝統でした。楽器をもった子供たちが演奏しながら街中を練り歩くというものです。皆の赤や青のピアニカに混じる私の緑のピアニカはさぞ目を引いたことでしょう。もし私が上手にピアニカを弾けていたら、小太鼓や鉄琴を演奏することもできたかもしれません。しかし私は木偶の坊でありましたから、緑のピアニカで行進するほかなかったのです。

ですが、何より私が嫌だったのは、小学5年生のときの合唱コンクールのときでした。出場する生徒は正装でなければならなかったので、私は父親に入学式のときのようなブラウスや綺麗なスカートをねだりました。しかし父親が私に買ったのは、白いタートルネックとデニムのスカートでした。当日、私の服を見た同級生が、普段着だ、普段着だねとひそひそ言うのを私は黙って聞かなければなりませんでした。

目立つということは、私にとっては地獄の責め苦と同等でありました。私が目立つのは能力や経歴ではなく、常におかしい見た目であったからです。そして、そんな私を見る回りの目も私にとっては恐怖の対象でした。やがて人と関わる度に、自分は変ではないかおかしくはないかと気にせずにはいられなくなったのです。それからは週末に出かけることが嫌になって、家の中にこもるようになりました。家だけが唯一落ち着ける場所でした………











俺は、胸につっかえる言い表せない心地悪さで酔いそうだった。さきほど食べた味噌汁や小松菜が胃の底でぐるぐる回っている感じがした。この気持ち悪さの正体は分かっていた。この独白を無関係の他人の末路だと切り捨ててしまえないからだ。俺が俺自身の充実を追ううちに、いつかその出口に辿り着いてしまう気がしたからだ。どうしてこんなものを海へと流した、こんなもの読みたくなかった!

椅子から離れ、深い青色をしたカーテンを掴んで開く。一面黒だった。街頭の灯りは俺の部屋からでは見えない位置にある。それが今日は怖くてたまらなかった。うるさかった虫の鳴く声ももうどこにもなかった。

急いで俺は部屋のドアを開けた。階段の下をリビングの灯りが照らしていた。LEDの白い光は俺の目を貫かんばかりに眩しかった。

そのとき、父さんのただいま、という声が聞こえた。ドアの開いた音は後から遅れて聞こえてきた。












……家庭環境に一切の問題がなかったか、といわれると頷くことはできません。しかし家庭の事情なんてものはおおっぴらにするものではありませんし、何より私はそれを苦にして死ぬわけではありません。私の家族や友人はやさしい人ばかりでした。自分の行く末をきちんと見つめていました。誰も彼も出来ないことなんかなくて、いつも自信に満ちているように見えるのです。どうやったらああなれたのでしょうか。今のままではなれない、ということだけは私にも分かっていました。

しかし私はもうきっとこれ以上にはなれません。こんなに生きてきたのに、誰かの目を見て話すことすらできません。面白い話をすることもできませんし、飛び抜けた才能も技術もありません。私が生きていても何のためにもならないのです。

父は私のことを信じています。だから私を予備校に通わせようとしてくれているのです。しかし、それがより私の中の不安を膨らませるのです。

今だって家計に余裕があるわけではありません。もし更なる負担がかかったら、両親は今以上に無理をすることになります。父は夜がふけるまで働くことになるかもしれません。咳のでる体をおして、母は私たちの面倒を見なければなりません。それを考えると、もう迷うことも躊躇うこともできないのです。30日の朝までには死ななくてはならないのです。

両親がどれだけ大切にしてきてくれたか、私はよく分かっているつもりです。これが酷い裏切りであることもきちんと分かっています。しかし、この先もずっと誰かに寄りかかったまま生きていくのは嫌なのです。もう自分をみっともなく思いたくありません。想像できない自分の未来に悩んで生きたくないのです。私の存在が厄介の種であるなんて受け入れたくないのです!

きっと最初から最期まで、私は私だけのためにしか動いていなかったのでしょう。私は、いわば“映画館の中の子供”であったのです。自分の見たい映画だけを観て、用意されたジュースを飲み、現実に戻るのはスタッフロールの間だけ……。このおかしなサイクルを生きることだと言い張っていたに過ぎなかったのです。もうこんなことは終わりにしなければならないのです。


最期に、願わくばどうか私の知る誰かがこれを読みませんように。この手記を入れたビンが、海のどこかで壊れてしまいますように。












文はそこで終わっていた。後ろのページにも表紙にも、他には何も書かれていなかった。端が歪んだ革表紙は、昨日の夜よりも色が落ちて見えた。

俺は一刻も早く、自分の手元からこれを放り出してしまいたかった。だが、ごみ箱にそのまま放るわけにもいかない。そんな調子で俺は朝からメモ帳とにらめっこしていた。

どうするのが一番よいのだろうか……。頭の中で回る問いに飽きかけてきたころだった。突然、俺は驚くほどすんなりこの手記が海を漂わなければならなかった理由を理解した。その途端に、体の中に吹き込む風が反対の方向へと変わっていくのを感じた。

このメモ帳は、昨日のガラスが入ったビニール袋とはまるで違う。誰にでも捨てられるものではなかったのだ。だから海へと流して、俺に捨てることを託したのだろう。自分の心から憂いを追い出して、何も感じないようにするために。

だとしたら俺は、今すぐにでもこいつに、俺はお前とは違うのだと言い放たなければならない。この死者の思いに無慈悲であることが、きっと俺を救うのだから。そうして俺だけ、解放されてしまおう。

俺は、思いが綴られたページだけを鋏で切り取った。そして、そこに残る文字すべてを鉛筆で思いきり塗り潰した後、手で用紙をびりびり引き裂いた。それから紙の切れ端を一つ残らずごみ箱の中にしまいこんだ。これでもう誰にも見つからないだろう。

あとは残ったページとガラスの始末だけだ。捨てる前に母さんにごみの分別について聞かなくちゃならない。勢いをつけて椅子から立ち上がる。そうだ、父さんに金槌を使ったことを言っておいたほうがいいかもしれない。ついでだし探しにいこう。メモ帳とビニール袋をしっかりと掴んで、俺は朝日が差し込む部屋を後にした。

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