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この感情に名前をつけるならば  作者: 二条 光
3/4

 中3の夏休み。8月も残りわずかなある日のことだった。

 午前中に図書館で松浪と勉強して、昼飯を食いにいったんウチに戻ってきた。

 ウチは団地の1階の角。

 チャリでウチに近づくにつれ、アニキの部屋からロックが聞こえてくる。けっこうな音量だ。

 ウチの棟は、昼間はあまり人がいないけど、ややもすればうるさいと苦情がくるかもしれない。


「うっせーなぁ」


 ブツブツ言いながら、家に入った。

 昔ながらの団地の玄関ドアは開閉時にとってもうるさい。重たいドアを開ける錆びついたような音。そして、バタンと大きな音を立てる。

 だけど、アニキの部屋から流れてるそれは、ドアの開け閉めの音なんか軽くかき消すくらいの音量だった。


「マジうるせー!!」


 文句のひとつでも言ってやろうかと慌てて靴を脱いでいる時にアニキの靴とその隣に見覚えのあるスニーカーが並んでいた。


 なんだよ。アイツ来てんのかよ。なんでなんも言わないかね。うるさすぎて頭ハゲるわ!


 ドタドタと奥のアニキの部屋に向かった。


 え……。


 襖には少し隙間があってオレはそこに手をかけたまま止まってしまった。

 そこから見えたのは……。


 オレはすぐに家を飛び出した。

 今思えば、あの2人がどういう関係だったかなんてもっと前から気づいてたのかもしれない。

 例えば、遊び回っていたアニキがウチでメシを食うことが多くなったり、その時、アイツも一緒に食べて帰ったり。例えば、ウチに上がってきて、アニキの部屋で2人で過ごしていたり。

 だけど、オレとアイツがそうであるように、2人もまた幼馴染という関係だから。

 オレはまさかそうなるとは思いもしなかった。


 昼飯も食わずに向かった先は明美アケミのアパートだった。

 ハタチの明美はお水の仕事をしていて、彼女はすっぴんにキャミに短パンというラフな格好でオレを迎えた。


「どーした?」


 いつもなら連絡してからくるのに、突然現れたオレに面食らっていた。


「ちょっ!……んっ」


 彼女の問いには答えず、いきなりその場で彼女のクチを塞いだ。

 そして、彼女のカラダを貪った。ただただ貪った。そう、ただただ貪った。

 明美とオレは本命同士ではない。カラダだけの関係だ。お互いにカノジョカレシは存在する。

 カラダにも相性があることはコイツとヤッて初めて知った。


 ちなみにオレが今付き合っているカノジョは隣のクラスの中畑ナカハタというコ。なかなかかわいいと評判だ。オレと中畑が付き合うことになった時、松浪は心底悔しがっていたっけ。

 中畑はいいコだと思う。すごく。

 だけど、アッチのほうはよくもなんともなく、正直中畑とはあまりヤリたいとは思わない。カラダが求めるのは明らかに明美。

 ヤリたくなったら明美に会いに来て、明美があいていない時はできる限り自分で処理。ここぞという時にだけ中畑とシた。

 だから、中畑とは数えるほどしかシタことがなく、がっついていない風が故にオレのことを紳士的だと誤解して、ますますオレに惚れ込んでいるらしい。と、情報屋松浪からきいた。

 ……中畑はいいコだ。オレにはもったいない。

 なんでこう世の中はうまくいかないんだ。


 盛りのついた猿みたいに、オレは何度も明美の中で果てた。

 ピルを飲んでるから大丈夫だと言われ、オレたちを妨げるものなどなにもつけずに、オレは明美の中で毎回果てる。


 昼飯も食わず、午後から再開するはずだった松浪との勉強もすっぽかして明美を貪り、とりあえず満足した頃には外はすっかり茜色の空になっていた。


「仕事は~?」

「休み」


 この時間になると、いつもならとっくに出勤しているはずの明美が生まれたままの姿でオレに腕を回し、上半身のいたるところにキスをする。疲れ果てたはずの欲求はいつのまにかまた、精気を取り戻した。


 お互いにいよいよ精根果てた頃には、外は闇に包まれていた。


「今日はどうしたの~?」


 明美はこんな時年上ぶる。子供をあやす母親のような口調でオレに問い掛けた。

 今のオレにはそれが妙に癪に障る。すべてをぶちまけてしまいたい気持ちに襲われた。


「……明美は人のって見たことある?」

「は!?あ、ヤバッ!」


 ベッドに横になったまま明美は煙草をくゆらせていたが、オレの質問に驚いたのか、思わず灰を布団に落としてしまった。


「どうしたの、突然」

「いいから、答えろや。見たことあるのかないのか」


 明美は落とした灰を急いで処理しながら、少しの間考えてから口を開いた。


「あるよ。その時、付き合ってたカレシ。しかも、相手、私とチョー仲良かったコ」


 明美の苦い思い出と昼間の光景がオーバーラップする。胸が苦しい。


「ど、どう思った?」

「ふざけんなって思ったし、」

「思ったし?」

「今日のアンタみたいに、他のオトコとヤリまくった」


 その言葉に、オレは明美に見透かされていることを悟る。落ち着かなくて視線が泳ぐ。


「カノジョ、浮気してたの?」


 クスクスといやらしいカオで明美が笑う。


「いや」


 カノジョじゃない。オレたちはそんなじゃない。

 オレの脳裏に昼間見た光景がフラッシュバックする。アニキの上で動いてるアイツの姿が浮かんで、それを弾き出そうと目を強く瞑った。


「じゃあ、好きなコか」


 目を開けると、ニヤニヤと笑う明美がいる。

 好きなコ?アイツのことを好き……?

 イミがわからない。


「好きってなんなんだろ」

「プハッ」


 明美はオレの言葉をきいて一瞬真顔になったかと思うとすぐに吹き出す。そして、「オトコのクセに、アンタ、意外と考えるんだね」とニヤニヤしながら言った。

 悔しいけど、やっぱり明美には子供扱いされる。


「好き、かぁ……」


 そう呟いた明美の横顔がフッと切なげに見えて、オレは少しだけ彼女を愛しく思えた。がしかし。


「ヤリたいかヤリたくないかじゃない?」


 彼女はそう言ってゲラゲラと笑う。

 前言撤回。やっぱり明美はカラダ目的でしかない。


「じゃあ、そいつのことは好きじゃない」


 うん。アイツのことヤリたいなんて思ったことはない。

 正確に言うとそんな目で見たことがない。


「じゃあ、なんでこんなにヤケになったのかな~」


 いやらしく笑って、明美はオレの大事な部分を弄ぶ。

 明美にそんなことを言われたら、急にそんな風に考えてしまう。いや、正確に言うと、そんな風に考えないようにしていただけかもしれない。


「わかんねっ」


 明美の唇を激しく奪った。

 深く考えたくない。

 アイツとはそんな関係じゃないんだ。


その日は家に帰らなかった。帰りたくなかった。

ただただ、オンナのカラダに溺れてしまいたかった。



「わぁ!!」


 思わず声が出て、まるで驚いた時のネコみたいに飛び上がってしまった。

 夏の朝は早い。まだ5時過ぎだというのに、外はもう明るい。


 翌朝、オレがこっそりとウチに入ると、玄関には般若の形相で出迎えるオカンの姿があった。


「アンタ、昨日どこ行ってたのよっ!」


 近所迷惑にならないような音量で、だけど、確実に声色は怒りに満ちていた。


「どこって、……松浪んち」


 オレの返しにギロリと睨みつけるオカン。


「ウソ言うんじゃないわよ!昨日、松浪くんがウチに荷物持ってきてくれたわよ!」

「あ……」


 そういえば、図書館に勉強の類は全部置いたままだった。


「ケータイにも繋がらないし、夜も心配して電話くれたのよ!」

「あぁ、うん。あとで謝っとく」


 そう言いながらオカンをすり抜けて、自分の部屋に入ろうとする。


「待ちなさいっ」


 ガシッとオレの腕を掴んで行く手を阻んだ。


「まだなんかある?」


 小さく溜め息をついた。


「まだなんかあるじゃないでしょうが!昨日、どこに行ってたのかきいてるのっ」

「ハァ……。いいじゃん、別に」

「よくないっ!」


 髪をガシガシと掻いた後、オカンの手を振りほどこうとする。だけど、オカンも負けじとオレの腕を握る手に力を込めた。


「どこでもいいじゃんっ」

「場所が問題じゃない!無断外泊だったりウソついたのが、お母さんは許せないっ」


 わざとらしく溜め息をついてやった。


「兄ちゃんはよくて、なんでオレん時はダメなワケ?」

「は?なんなのそれ」

「だって、そうじゃん。兄ちゃんの時は遊び回ってもな~んにも言わんくて、オレにはいちいちうるさいし。だいたい、いっつもそうじゃん。兄ちゃんにはオカンいっつも甘いじゃんか!」


 オレが一気にまくし立てる様を、オカンは目をまんまるくして見ていた。考えてみたらこんな風にオカンに歯向かうのは初めてかもしれない。


 やがて母親は呆れたように溜め息をついた。


「アンタはアンタ。靖史ヤスシは靖史」

「イミわかんねぇしっ!オレにばっかり厳しいじゃんか!」

「そんなことあるもんか!」

「ある!」


 ガタガタッ!!その時、奥のアニキの部屋の襖が乱暴に開いた。

 オレとオカンは一斉にそちらを見る。


「朝からうるせー」


 眠たそうに欠伸をしながら姿を見せる。

 昨日のことが思い出されて無性に苛立ってきた。

 もとはといえば、アニキとアイツが!!


「お前、オカンに心配かけんなよ」

「お前に言われたくねぇしっ」


 カッとなって言い返す。


「あぁ?誰に向かってお前って言ってんの?」


 ケンカ慣れしてるアニキの鋭い眼光と口調に一瞬怯む。いつもならここで折れるけれど、今日のオレはそんな気になれなかった。


「お前にお前言って、なにが悪いんだよ!」

「お前、調子乗んなよ」


 アニキの怒りの沸点にはまだ達していない。どこか余裕を見せるアニキに、ますます苛立ちを覚える。


「調子乗ってねぇし!」

「やめなさい!」


 今にもアニキに掴みかかりそうな勢いのオレを、オカンが必死で制する。

 オカンの制止に、アニキはバカらしくなったのか鼻で笑って、自分の部屋に戻ろうと踵を返した。


 昔からなにをしてもアニキには敵わない。そんなことは誰よりもオレ自身が一番わかっている。

 オカンは、アニキもオレもどっちもかわいいっていうけど、オレにはその言葉がどうしても信じられない。

 他の人間だってそうだ。

 必ずといっていいほど、アニキと比べるんだ。必ずといっていいほど、オレの説明には「あの靖史くんの弟の」という接頭語がつく。良かれ悪かれ。

 オレ一人だけを見てほしいのに。良くも悪くもアニキには勝てない。


 小さい頃に親が離婚して、アニキは時には父親のようにオカンとオレを支えてくれた。ヤンチャしていながらも、誰よりもオカンを気にして力になっていたのもアニキだ。

 誰よりも、オレはアニキを慕っている。

 だけど、いやだからこそ。その分、どこかで誰よりも煙たく思っているような気がする。

 そして、昨日のことでまたひとつアニキには敵わないことが増えて、オレにはますます行き場のない感情が増えた気がする。

 アイツも、アニキのほうがいいんだなって。

 アニキよりもずっとそばにいて、アニキよりもアイツのこときっと理解しているはず。なのに、アイツもオレじゃなくアニキを選ぶんだ。

 オレはなんなんだろう。

 オレを一人の人間として認めてほしい。木戸慎吾という、一人の人間として。

 比べられることなく、オレだけを見てほしい。

 アイツだけはそうだと思っていたのにな。



 ふて寝して、暑さで目が覚めるとふとんが汗でぐっしょりとしていた。

 シャワーを浴びて、幾分涼しい台所に身を潜める。

 仕事やバイトでオカンもアニキも家にはいなかった。


 あ、松浪!


 ガランとした家の中を見回しながら、そういえば、松浪に連絡するはずだったことを思い出した。

 明美んちに行った後切っていたスマホの電源を入れる。

 くるわくるわ。電話にメールにline。


「あ……」


 中畑から今度一緒に勉強しようっていう誘いのlineが届いてる。

 中畑のことなんか頭の片隅にも置いていない自分に改めて気づく。

 カノジョもロクに大事にしないクセに。アニキのことばっかりうらやましがって。大事にしなきゃいけないものなにひとつ大事にしていないんだ。

 アイツだってこういうところをちゃんと見てるんだ。


 スマホ代は節約。家の電話から松浪に連絡をとる。


『お前、スマホの電源まで切って!心配するだろー!』

「ごめんごめん」


 ヘラヘラと答える。


『明美さんとこ行ってたの?』

「うん」

『マジか~。つか、中畑もかわいそう』

「それはオレもそう思う」

『ウソつけ』


 電話の向こうで松浪がゲラゲラ笑う。


『オレ、お前がいなくなったから原口がなんか知ってるかもと思ってききにいったから』

「はぁ!?なんで、余計なことすんだよ」

『余計なことじゃねぇべ。荷物置いたまま図書館にも来ねぇわ、ケイタイも出ねぇわ、家にもいねぇわ。誰でも心配するだろうがっ。ちゃんと無事を伝えろよ。じゃあな』


 松浪は言いたいことだけ言うとさっさと電話を切った。

 確かに、それはそうだけれど。

 昨日の今日、アニキといざこざあった後だし、ましてやアイツはアニキとヤってたんだ。

 とてもアイツとしゃべる気分にはなれない。

 昨日の光景が浮かんで、オレは大きく頭を振った。反吐が出そうだ。


 アイツには連絡をしなかった。どの道、アニキからオレの無事をきくだろうし。


 居間でしょうもない昼ドラを観てるうちに、扇風機の軟らかな風と午後の生ぬるい風にけだるさを抱えたまま、いつのまにかまた寝ていた。



「んぁ?」


 玄関のドアを叩く音と「慎吾」と何度もオレの名を呼ぶアイツの声で目が覚めた。

 のっそりと玄関に向かいながら、「今開ける」と告げると、ピタリと止んだ。


「おばちゃん心配してたよ」


 オレとアイツを隔てたものを取っ払うや否や、アイツは苦いカオをして言った。


「知るか」


 吐き捨てるように言うとカオを背けた。今は誰よりもコイツのカオを見たくない。

 バタン。ドアの閉まる音が響いた。

 アイツがウチに入る。

 アイツがいてこの音を聞くと、イヤでも昨日のことを思い出してしまう。息苦しくてその場に立っているのもやっとだ。


「アニキから、オレが朝帰ってきたこと聞いたんだろ」

「うん」

「じゃあ、別にわざわざ確認しに来なくてもよくね?」

「そうだけど……」


 アイツに背を向け、来た道を引き返す。

 てっきり帰るかと思っていたのに、アイツはお邪魔しますも言わずに、ズカズカとオレの後をついてきた。


「なんで上がってくんだよ」

「は?ダメだった?」


 背後から聞こえる不服そうな声。


「カレシの家だったら勝手に上がってもいいのかよ」


 息を呑む音がきこえた。


「………あのさ、」


 言いかけて口をつぐむ。


「言いかけてやめんな」

「ごめん。……昨日、昼頃家に帰ってきた?」


 オレはくるりと後ろを振り返る。アイツはうつむいていた。


 もともと小さい頃から背が高かったアイツ。

 小6の頃まではオレが見上げるくらいの身長差だったけれど、目の前にいるアイツはもうオレが見下ろす形になった。

 目の前にいるアイツはもうオレと一緒にフロに入ったりするようなカラダじゃない。オトコの上で腰を振るようなオンナなんだ。


「帰ってきたけど?」


 オレは、アイツを蔑むように見る。


「……声かけてくれればよかったのに」


 アイツは苦しそうに声を絞り出す。もっと苦しめばいい。


「お前がアニキとヤってる最中にか?」


 アイツの肩が大きく揺れた。


「……お兄ちゃんとお父さん、ヤスくんと付き合ってることまだ知らないの。それに、私がそういうことするとか考えられないと思うし……」

「だから、あの2人には黙っててほしいって言いたいのか」


 アイツがカオを真っ赤にして、オレに懇願するように見上げると、「うんっ」と大きく頷いた。


 壊してしまいたい。コイツを。

 アニキと付き合ってるコイツを。アニキを好きなコイツを。


「……わかった」

「ありがとう!!」


 アイツは心底ホッとしたように笑った。

 ぶち壊してやりたい。なにもかも。


 オレはアイツの手を取る。


「な、なに!?」


 オレは部屋の襖を乱暴に開けると、アイツを部屋に押し入れた。勢いがついて、アイツはそのままベッドに倒れこむ。


「ちょ、なんなのよ!?」


 当然のことながら、ムカついたアイツは立ち上がろうとした。オレはアイツの肩を押し、もう一度ベッドに沈み込ませる。


「黙っててほしいんだろっ」


 アイツは目をひんむいてオレを見返す。オレはアイツににじり寄った。


「バカじゃない!?」


 今から起こるであろう出来事を察知し、アイツは後ずさりし、少し脅えながらも負けずに言い返す。


 なにもかも、消えてしまえ。

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