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中2の7月。もうじき夏休みがやってくる。
そんな頃、1年ぶりくらいにアイツがウチにやってきた。本当に、オレにとっては突然のできごとだった。
もう7時もだいぶ過ぎたというのに、外はまだ明るい。
「ただいま~」
「お邪魔します。ほらヤスシ。”お邪魔します”言いなさい」
「……お、お邪魔します!」
突然、本当に突然。アイツと小3の弟・ヤスシを、オレの兄貴がつれてきた。
おずおずと2人はメシを食ってる時に上がってきたけれど、オレはアイツを見ることができず、アニキのほうばかり見ていた。
高校に入ってからヤンチャがピークのアニキはウチにほとんど帰ってこない。今日だって数日ぶりに見たと思ったら、金髪パンクになっていた。
「ヤスシ、かおり。遠慮しなくていいから。しっかり食べろよ。オカン頼むわ」
「任せとき~。アンタもたまにはウチでご飯食べなさいよ」
この暑い中、コロッケなんか揚げてるオカンは汗だくで、首からぶら下げてる白地に”毎日新聞”って書いてるタオルで顔を拭きながら笑った。
「うん、そのうち~」
アニキは、普段アニキとオカンが座ってる並びの席に2人をつかせると再び外へ飛び出した。
オレの目の前にはアイツ。
何を話しかけていいやら。第一、なんで2人がウチに来てんだ?
オカンがせわしくなく喋って、オレら3人はそれに適当に相槌打って。その夜の会食は終わった。
風呂上がり。冷蔵庫からコーラを取り出してゴクゴクと飲みながら、回っていた扇風機をオレにだけ当てる。
あー、生き返る!
「ア~、ワレワレハウチュウジンダ」
扇風機に向かって発声。
「ねぇ。なんで、いきなり来たの?」
ん?
2人が帰った後、洗い物をするオカンの背中に問いかけると、オカンの手が一瞬止まった気がした。
「……マサくんち、大きい借金したみたいでね」
「は?」
アイツんちの父親は大工の棟梁だ。いかつくて一見とってもこわいオジサンだけど、実はとってもやさしくて、小さい頃はよくかわいがってもらった。
「マサくんのお父さん、ほんっと人がいいもん。従業員の保証人になったみたいでね。その人に逃げられたみたい」
「は?」
「だから、かおりちゃんのお母さんも今まで専業主婦だったけど、働きに出ないと大変みたいでね。マサくんも家の仕事手伝うから高校やめるって」
「………そうなんだ」
オレにはそれしか返事ができなかった。
ガキのオレには保証人がどうのこうの言われてもわからない。だけど、アイツんちが大変なんだということだけはよくわかった。
翌日から、気づくとオレはアイツを見ていた。
だけどアイツを見る限り、そんなに大変だとは思わなかった。今までと変わらず明るかった。
しばらくはウチの晩飯を食べに来ていたけれど、ある日を境にパッタリと来なくなった。
「かおりちゃん、自炊するんだって」
オカンはアイツらが来なくなった理由をそう言っていた。
アイツを見る限り、そんなに大変だとは思わなかった。今までと変わらず明るかった。
でも、やっぱり忙しかったんだろう。アイツは部活を辞めた。
小2から近所のバレーボールクラブに入って、それ以来バレーが大好きだった。それをやめたんだ。
オレには打ち込めるものなんてひとつもないけれど、それがどんなにつらいことかぐらいはなんとなくわかる。
だけど、今までと変わらず明るかった。
オカンに頼まれて時々アイツんちに差し入れをしたし、たまにアニキが連れてきてウチで晩飯を食べて帰った。
アイツを見る限り、そんなに大変だとは思わなかった。やっぱり今までと変わらず明るかった。
この頃から少しずつ、オレたちはまた、話すようになった。
でも、お互いの家を行き来するのはメシ絡みだった。
そして、お互いの部屋に入ることはもうなかった。
ある日ガッコーから帰宅すると、マサくんが女の人を連れてアニキとやってきていた。
台所でオカンがいつものようにしょうもない話を3人にきかせていた。
「おー、慎吾!久しぶり~!」
「うん、久しぶり!!」
マサくんは昔みたいにオレの頭をグリグリと撫でた。
子供扱いされてるのがテレくさかったし、正直痛いけど、マサくんだから許せた。これがアニキとか他の人だったら、ムカつくけど。
「慎吾、オレのカミさん」
「は?」
オレは自分でもわかるくらい目を見開いていた。
カミさん?マサくん、結婚したんだ!
え?もしかして……。
「デキた、コレが」
そう言いながら、マサくんはテレたように自分のハラを風船みたいに膨らますジェスチャーをする。
奥さんのほうを見ると、オレに微笑んでくれる。
特別きれいってワケでもないけど、すごく優しそうな人。マサくんの兄弟じゃないけど、オレはこの人がマサくんの奥さんになるのがとてつもなく嬉しかった。
オカンは、マサくんは高校を辞めたって言ってたけど、正確には定時制にいってるみたいで、そこの同級生らしい。
同級生っていっても、定時制は色んな年齢の人がいるみたいで、奥さんはハタチだって言っていた。つまり、姉さん女房ってヤツ。
「かおりちゃんと同い年なんでしょ?」
「うん」
奥さんの問いにオレは静かにうなずいた。
「かおりちゃん、ガッコーでどんな?」
「どんなって言われても。……普通?」
「そう。普通」
奥さんはクスクスと笑う。心地のいい笑い方をする人だ。
「かおりちゃん、すごい頑張り屋さんだから、慎吾くん支えてあげてね」
「……はい!!」
その年の暮れ、甥っ子の一樹が生まれた。
アイツを見る限り、そんなに大変そうには見えなかった。やっぱり今までと変わらず明るかった。
いつしか、アイツとの関係は“そこそこ仲が良い同級生”という肩書きになった。
思い返してみても、マサくんの奥さんがあの時なんでオレにあんな風に言ったのか、今でもわからない。だけど、オレの中で確実に芽生えるものがあった。