表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

死にたい理由は

 ……くん、ほ………くん。ほし…とくん。

「星本君!」

 僕はどれくらいの時間、気を失っていたのだろう。

 耳元で唸る風の音に混じって自分の名前が聞こえて、意識を取り戻した。

 目を開けると、そこには強い風で髪の毛を乱れさせながら、心配そうに俺の顔を覗き込む、立花さんがいた。

「大丈夫ですか?」

「あ……えと、大丈夫」

 正直、あまり大丈夫ではない。

 シャワールームに吹き荒れる風のせいで、立花さんのスカートがはためいている。立花さんは手でしっかりと裾を押さえつけてはいるが、それでも今の状態の僕にはかなり刺激が強かった。

「っていうか、なんで風が吹いてるの?」

 なんとか気をそらすために、僕は立花さんに尋ねた。

「ドライヤーです。タオルは使いようによっては首吊りの道具になります……私はもう乾きましたので、外でお待ちしてますね」

 気遣わし気な表情で言った後、立花さんはやっとシャワールームを出て行ってくれた。

 立ち上がると、服の前の部分は乾いていたが、昏倒して床にくっついていた部分が、濡れていた。

 しばらくの間温風に吹かれて、服がある程度乾いてから、僕はシャワールームの外に出た。

 立花さんが、紙コップのお茶を用意してくれていた。

「あのドライヤーにあたっていたら、喉が渇くでしょう? 召し上がって下さい」

 お礼を言って一気に飲み干す。

 心が緩んだせいで一瞬、涙が出そうになるが、なんとかこらえた。

 沈黙の中で、部屋の空気が沈み込むように重かった。

 地球の向こう側かと思うくらい遠くから、運動部のかけ声がかすかに、聞こえた。

「……星本くんは、以前性被害にあわれたことがあるのではないですか?」

 ぽつり、と立花さんが言った。

 僕は一瞬、迷い、立花さんの表情を見て、

「………うん」

 と、答えた。

 正直、勇気のいる返事だった。

 今まで、同じ答えをした時に、散々な目にあってきた。

 男の癖に、何をめそめそしてるんだ。

 ちょ、お前、うらやま。

 そんなこと言ってお前も○○○たってたんじゃねーの?

 きもっ。近寄らないでくれる?

 でも、立花さんは、

「……辛かったですね。大変でしたね」

 と、慈しむような声で、言っただけだった。

 その言葉だけで、僕の心の何かが決壊した。

 そして涙腺が壊れた。

 僕は泣いた。

 いや、泣いたなんて能動的なもんじゃない。

 ただ、ただ、涙をこぼした。

 涙がこぼれていた。

 止まらなかった。

 辛かったんだ。

 辛かったんだ。

 本当に、辛かったんだよ。

 そりゃ、優しい言葉をかけてもらったのは初めてじゃなかった。

 でも、カウンセラーは何を言っても職業的で嘘くさかったし、両親は何を言ってもいつも顔に怯えの色を浮かべていた。

 こんなふうに、掛け値なしに優しい言葉をもらったのは初めてだったんだ。

 気がついたら、僕は声をあげて泣いていた。

 立花さんは、ただ、静かに側にいてくれた。

 ……泣き止むまで、20分はかかったと思う。

「……夕焼けが、綺麗です」

 呼吸が落ち着いた頃に、立花さんが言って窓辺に寄った。

 顔を上げれば、確かに、大きな窓から降り注ぐ西日で、部屋の中が真っ赤に染まっていた。

「……本当だ」

 鼻をすすりながら、僕は答えた。

 こんな時間なのか。帰らないと。

 ゆっくりと、立ち上がった。足が痺れていた。

「長居をしてしまってごめん。それに、今日会ったばっかりなのに、色々甘えてしまってごめん。それに、事故だったし、望んだことじゃなかったとは言え、下着姿をみてしまって……」

「もう、『ごめん』はやめませんか?」

 立花さんが笑顔で制した。

「……うん、ありがとう」

 立花さんの笑みが深くなる。

「よろしい」

「本当にありがとう」

 立花さんの笑顔は綺麗だ。造形も美しいけれど、それ以上に、何かに護られた、聖なる雰囲気が漂っていた。

「いいえ。どういたしまして」

「じゃあ、帰るよ」

「何かあれば、いつでも言って下さいね。話もいつだって訊きますから」

「うん」

 部屋に帰ったところで、何がある訳でもない。

 でも、少しだけ、明日の授業の予習をしてみようと思った。

 なんとか目を冷やさないと、明日の朝にえらいことになっていそうな気がするけれど。

 ……僕は、この学校に来て、良かったのかもしれない。

「あ、そういえば、お昼にも少しお話をしたのですけれど」

 立花さんが思い出したように僕を呼び止めたのは、ドアを出ようとした時のことだった。

「お昼?」

「ええ、私が主催するクラブがあるとお話したでしょう? 本当に、一度だけでいいので参加しませんか?」

 何かと思えば、クラブ活動の勧誘だった。

 そういえば、そんな話をしていたような気がするな……。

 今一つピンとこないまま、僕は曖昧な返事をしようとした。

 しかし、

「今の星本さんに必要なことが、全てつまっている活動だと思います。私からのお願いだと思って、一度お越しになってくださいね?」

 美しい恩人からこんな風に首を傾げられたら、断れる人など、いるはずがなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ