おわらせたい生活のはじまり
双葉学園に入校したのは、桜の季節だった。
入校日、ぼくは、両親に連れられて双葉学園を訪れた。
全寮制の学校だから大きいとは聞いていたけれど、学校の大きさ以上に、桜の木の迫力に圧倒された。
高い高い塀を囲むように植えられた桜は、視界がほとんど薄ピンク色になるくらいの密度で、しかも、微風にあおられて、盛大に散っているし、揺れているし。
ざわめきが生き物みたいにも見えて、ぼくは言葉を失った。
学園長が出迎えにやって来た時も、ぼくは桜のことばかり気にかけていて、学園長の顔はぼんやりと見ていただけだった。
「はじめまして、当学園の学園長を務めております、冴島渡と申します」
大人っていつでも笑顔を作ることが出来るんだな、すごいな、なんて思いながら。
両親は、社交的な笑顔を顔に貼付けたまま、学園長に頭を下げた。
「ゆずるを……息子を、お願いします」
母の、切実な思いを含んだ声。
「よろしくお願いします」
冷静だけれどやはり切実な父の声。
「ご安心ください。当学園は、画期的な専用カリキュラムを持つだけでなく、日常生活における丁寧な指導、そして、徹底して危険を排した設備を揃えています。当校の昨年の実績データをご覧になりましたか? ゆずるくんのことは、責任を持ってお預かりしますよ。それに、学園長の私が申し上げることではないのかもしれませんが、生徒は皆繊細で心の優しいものばかりです。ゆずるくんも、きっとすぐに学校生活に馴染んで、嫌なこと等忘れてしまうでしょう」
あまり感情を映さない、だからこそ父と母を安心させた学園長の声。
全てが、『何か』を含んでいた。
ぼくはそれを見ないフリをした。
ただ、ぼくたちの頭の上にやさしく降り積もる、桜の花びらを見ていた。
両親と別れ、学園長がぼくを校舎まで案内してくれた。
朝礼台の前を通り過ぎるとき、学園長は、ふと思いついたように質問をしてきた。
「そういえば、君は桜が好きなのかい?」
「え?」
「ずっと桜の木を眺めていたからね」
「うーん、特に意識した事はないんですけど、学校の外の桜が見事だったので」
「うん、あれは素晴らしいね。私も毎年楽しみにしているんだよ」
学園長の、安堵したような顔。
「そういえば、外の桜は見事でしたけど、中にはないんですか?」
「この学校には桜の木だけでなく、樹木の類いは一切植わっていないよ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。紐をひっかけられるようなところは、作らないようにしているんだ」
学園長の、さりげない口調。
ぼくは2秒ほど考え込んで、その意味に思い当たる。
……なるほど。ね。
さて。
ぼくが、この学校で過ごした時間を物語る前に、簡単に時代背景について説明をしておいた方が良いかもしれない。
終末思想という言葉を、知っているだろうか。
ミレニアムを50年ほど過ぎた頃。希望をなくした社会の中で、生きている人たちの多くは、この世の終わりを感じていた。
何かものすごく大きな出来事があったとか、そういうことではないのだ。
ただ、社会全体が、ゆっくりと錆び、朽ちていった。
そして、世紀の変わり目を見るよりははるかに前に、その思想はゆっくりと社会に染み込んで行った。
“世界は滅びる”
それは予感でも事実でもなくて、ただの確信だった。
そんな、死にゆく社会の中で、若者の多くは、自らの死を望んだ。
自殺や自殺未遂がとんでもない水準で多発した。
それはこんな世の中においては仕方がないことのように、ぼくには思えた。
若者たちは、社会なんてなくしてしまえばいいと思っていた。
ぼくだって思っている。ぼくはそういう若者だから。
しかし、放っておいても死を間近に控えた老人たちは、同じようには考えなかった。なんとか日本という社会が残っている間だけ、自分の寿命が尽きるまでの短い間だけでも、若者達に社会を支えてほしかったのだろう。
老人議員に占拠された議会では、声高に自殺予防が叫ばれた。
国から指導されたくらいでは、若者達は死ぬことをやめなかったけれども。
万策尽きた、と思われた時。
政府は、死を求める若者を、小さな箱に閉じ込めようとした。
死ぬことを禁じられた、若者たちの学園だ。
二葉学園は、全寮制の学校だ。
まだ葉をつけ始めたばかりの若者たちが、ぐんぐんと伸びていけることを願ってつけられた名前だという。
ばかばかしい。
そう思いながらも、中学1年最後、進級前スクーリングで「異常」を認められたぼくは、気がつけば強制的にこの学校への編入を決められていた。