ミランダという女
ダタン達が村に着いたのは今からほんの数十分前だ。日はすでに傾いて、あたりを赤く照らしていた。
ミランダが竜舎に奪った走竜を預けると、ダタンは何も言わず竜舎から出て行った。怒りで眩暈がする。
「ねぇねぇ、どこ行くのよ?」
「黙れ!」
ダタンの怒号があたりに響いた。竜舎の小僧達がおびえたように此方をちらちらと見ている。
「巻き込んで悪かったって。今日の宿代ぐらいおごるから、機嫌直して。ネッ?」
ミランダが特に悪びれる様子もなくそう言った瞬間、ダタンはグラディウスを抜き、ミランダの喉下に突きつけた。
「おい、態度には気をつけろ。このまま首を跳ね飛ばしてやってもいいんだぞ。」
ダタンの目つきが鋭くなった、殺意をこめたその目をみて、流石にミランダも肝が縮んだようだ。額から汗が滲んでいる。
「ま、待ってよ。アタシにも訳があるのよ」
「訳?盗人の言い訳を俺に聞けって言うのか」
ダタンの目がますます鋭くなった。グラディウスを持つ手に力が入る。
「と、とりあえず剣をおろしてよ、周りの人も見てるよ」
ダタンは我に返り、周りを見回すと、数人の村人がおびえたようにダタンを見ている。ダタンは舌打ちをするとグラディウスを鞘へ収めた。
「まぁまぁ、落ち着いて食事でもしようよ。」
ミランダはダタンの隣へするりと移動すると、腕をとって歩き出した。怒りは収まっていないが、言うだけ無駄と感じたダタンは、大きなため息をつきながら歩き出した。
酒場へ着くころにはすっかりと日が落ちていた。酒場へ向かう途中の道には家がまばらにしか無かった、小さな村のようだ。
酒場の中には人がほとんどいない、こんな小さな村にはあまり旅人も来ないからだろうか、テーブルや椅子も少ない。カウンターにひじをついてまどろんでいた主人は、ダタンとミランダを見ると、一瞬驚いた顔をした後、笑顔になった。
「やぁやぁ、いらっしゃい。何にしますか?」
「とりあえず酒、あと肉料理二人前ね。」
ミランダはダタンに聞かず、勝手に料理を注文をすると、部屋の隅にあるテーブルについた。ダタンもつられて同じテーブルに座る。
テーブルを挟んでミランダと向かい合うと、ダタンの目が再び鋭くなった。
「さぁ、訳とやらを聞かせてもらおうか。返答次第じゃ俺にも考えがある」
低く冷たく響く声を聞いて、ミランダもへらへらした顔から一転真面目な顔になった。
「一つだけ聞かせて、アタシの訳がダタンの御眼鏡に適わなかったら、アタシをどうするの?」
ミランダはややおびえたようにダタンを見た。
「殺す。少なくとも俺は相当頭にきてるんだ。冗談と思うなよ」
即答だった。ダタンの目にはハッキリとした殺意が見て取れる。この目を見てミランダも観念したようだ。
「アタシだって好きで人様の金を盗んでるわけじゃないよ……」
ミランダはぽつぽつと語りだした。
「ダタンは剣奴だったんだからわかるでしょ?奴隷として売られた奴は金を貯めて飼い主から自分を買い戻さないと、自由になれないのは」
「あぁ、俺も金を貯めて自分を買い戻した。誰かさんが全部台無しにしてくれたがな、それが?」
ダタンが無表情でそう言うと、ミランダはばつの悪そうな顔をして下を向いた。
「アタシも妹もさ、奴隷みたいなも物なんだよね。盗賊ギルドの」
「ガキのころ親が死んでさ、村の連中に売られたんだ。ごく潰しだからって。奴隷商に連れて行かれる途中で盗賊ギルドに助けられたの」
ダタンは相変わらず無表情でミランダをじっと見据えている。
「助けられたってのはちょっと違うか、奴隷商の金を奪うのが目的だったらしいから。私達は"ついで"で盗賊ギルドに拾われたんだ。
それから盗賊ギルドに育てられたの。盗みや誘惑の技術も習ったわ。恩を返すために色々盗みを働いた。そのうち人様のものを盗んでも心が痛まなくなっていった」
ミランダは大きなため息をつくと上を向いた。
「でも妹は違ったみたい。どんなに貧乏でも惨めでもいいからカタギの生活がしたいって。ギルドをずっと抜けたがってた」
「盗賊ギルドを抜けるには大金が必要なの。育てられた恩もあるしそれはしょうがない。」
「でもせめて妹だけでも抜けさせてあげたい。だから金を稼がなきゃいけないの。私は別にどうなってもいいわ、そもそもカタギに戻れる気もしないし」
ダタンは話を聞くと、傷だらけを顔を撫でながら目をつぶった。自分も強制とは言え、後ろ暗い道を歩んできた分、ミランダを一方的に攻める気にはなれなかった。
「話はわかった。だがお前さっきのチンピラの金、全部使ったって言ってなかったか?」
「あれは嘘よ。ほら、ここにあるわ」
ミランダは腰につけた袋をテーブルに差し出した。手に取るとずしりと重みを感じる。開いてみるとレノバス金貨が相当入っている。
「あのチンピラ共は衛兵団の名を騙って市民から恐喝を繰り返しているクズよ、ちょっと誘ってみたらコロっと騙されちゃって掏り取ったの」
「表沙汰には出来ない金だから、お上に報告することはないと思う。だから多分ダタンがお尋ね者になることはないわ」
「でも巻き込んだのは事実ね。許されることじゃないとは思うけど、ごめんなさい」
ダタンはもう一度まじまじとミランダを見た。娼婦のような薄い服を着て、体つきは大人顔負けだが、顔にはまだ幼さが残っている。ダタンはふとコロシアムを思い出した。
幼い顔つきをした剣奴と戦ったことは何度もある。そんな奴に勝っても、決まってひどく空しい気がしていた。
話の真偽にかかわらず、ダタンはミランダを殺す気はとうに失せていた。
「お前の話が真実だという証拠は?」
ダタンは、ミランダの目をじっと見ながら問うた。ダタンの目には殺意や怒りはもう無い。
「無いわ」
ミランダは即答した。
「ミランダ、今の話が真実だと命を懸けられるか」
ダタンは初めてミランダの名前を口にした。口調は穏やかだが、語気には威圧感がある。
「懸けられるわ」
二人の間に少しの沈黙が訪れた。ダタンもミランダも互いの目をジッと見据えている。
「わかった。まだ全部信じちゃいないが、わかった。殺しはしない」
ダタンが表情を崩すと、二人の間の空気が緩んだ。ミランダにも笑顔が戻っている。
「ふぅ~、やっぱり剣奴ってのはすごいね、伊達に修羅場はくぐってないわ。本気でビビッたよ」
ミランダは大きく伸びをすると、上体をテーブルに倒した。
それと同時にカウンターから店の主人がおずおずと料理と酒を持ってきた。どことなく怯えたような顔をしている。
「あ、あの、話は終わりましたでしょうか、料理をお持ちしましたが」
さっきのダタンの雰囲気に気圧されてしまっていたのだろう、落ち着きの無い表情をしている。
「あぁ、悪かったな。そこに置いてくれ」
主人はテーブルに料理と酒を置くとそそくさとカウンターの奥へ引っ込んでいった。
出された料理は質素なものだった。鶏肉の串焼きが数本に、つけあわせの野菜が少々、酒はぶどう酒のようだ。
全体的に量が少ない。剣奴養成所の食事のほうがもう少し良い物が食べられた。
「へぇ、こんな田舎なのに結構豪華ね」
ミランダが驚いたような顔をしているのを見て、ダタンも驚いた。
「こんなのがか?冗談だろ」
「そりゃダタンは剣奴だったからでしょ。体が資本だからね、興行師も良い物食べさせてたんでしょうよ。これは市民にとっちゃ豪華な食事だよ」
ダタンは恥ずかしそうに頭を掻いた。よくよく考えたら、自分は世の中のことを詳しくは知らない。ジンは俺に世の中のことを色々と教えてくれたが、実際に自由民になってみるとまだまだわからないことだらけだ。だが、それもこれから覚えていけばいいだろう。
「悪かったな、舌が肥えてて」
ダタンは恥ずかしそうにそう言うと、ぶどう酒をあおった。
食事が終わると、ミランダは神妙な面持ちでダタンを見つめた。
「ダタンはこれからどうするの?」
「とりあえずお尋ね者になる心配がないなら帝都に行くつもりだが……それが?」
ダタンは不思議そうな顔をしながら答えた。
「あのさ、よかったら一緒にギルド支部まで行ってくれない?帝都までの通り道だからさ」
ミランダは申し訳なさそうな顔をして言った。ダタンは少し困った顔をして、考え込むように両手を組むと目を閉じた。
正直まだミランダを信じてはいないが、全て疑っているわけでもない。係わり合いになりたくないという気持ちもまだあるが、ミランダの話の真偽を確かめたいという気持ちもあった。
なにより一緒に行動していれば、ミランダの話が嘘でダタンがお尋ね者となった場合、ミランダを殺して差し出せば助かるかもしれないという打算的な気持ちもある。一番の問題としてダタンは帝都までの道がわからない。
「いいだろう、ただし俺と行動する間は盗みはするな」
「本当!?大丈夫、盗みはしないよ。」
「一人でこんな大金持ってるの不安だったんだ」
ミランダは金貨の詰まった袋をポンと叩くと、屈託の無い笑顔を見せた。やはり笑顔は幼い雰囲気がする。
「まぁ、短い間とは思うがよろしくな。ミランダ」
ダタンが傷だらけの手を差し出すと、ミランダは力強く握り返した。
「よろしくね、ダタン!」
妙なことになったと、ダタンは内心ぼやいたが、どこか今まで感じたことの無い気分の高揚を感じていた。