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ヘタレ伯爵と戦乙女  作者: アストロ
と戦乙女
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六通目 守る理由

手の感触がする。何の打算も無しに、頬を撫でる優しい指先。ほら、泣かないで。そう言っているようだ。

母が亡くなってから、こうして触れてくれる者もいなくなった。

あの手と比べたらちっとも柔らかくないけど。何だか、暖かい。目を覚ましたら消えてしまうだろうか。この温もりに包まれ、もう暫く微睡んでいたいけれど。徐々に現状が甦り、閉じていた目蓋を押し上げた。


「メディシーナ?」


女騎士は気まずげに目を反らし、腕を引っ込めた。俺は考える前にその手を掴んでいた。


「よかった。もう目を覚まさないかと」


目頭が熱い。ああ、また、男のくせに泣くなと怒鳴られるのか。でも別にいいや。怒るってことは、生きているってことだから。


「ちゃんと寝ているのか。酷いクマだぞ」

「誰のせいだと……っ」


思い付く限りの罵詈雑言を浴びせようとしたのに、嗚咽が込み上げそうになって口を固く覆った。メディシーナの容態は、解毒が遅れたのもあり、はっきり言って悪かった。生死の淵をさ迷い、このまま目を覚まさぬ死ぬのではと幾度も絶望に捕われた。しかし彼女が持つ強靭な抵抗力が、毒に打ち勝ったのだ。数分後。俺も冷静に返り甚だ気まずかったが、熱を計ったり脈を取ったりと簡単な問診を行う。


「……ここは」


室内は清貧と言うに相応しい飾り気の無い天井、ベッドだけは軟らかく清潔なものにしてもらったが、塗装もされてない粗末な家具類。


「港の近くの教会だよ。厚意で部屋を貸して貰った」


メディシーナは便宜上病人と言うことにしてある。ところで、病にかかったのが病人、怪我を負ったのが怪我人なら、毒を盛られたのは何人になるのだろう。


「何日、経った」


まだ辛いのか、何時も以上に口数が少ない。


「三日程かな」


メディシーナは眉間にぎゅっと皺を刻む。


「あ、着替えなんかはシスターに頼んだから。お前の貧相な裸は見てないから安心しろよ」


と気を回してみても、依然厳しい顔のままだ。


「そうだ、何か食う?寝ている間に薬や果汁を飲ませたんだが、腹減っているだろ。すぐ何か用意すっから」

「……」


返答は無かったが、早く精のつくものを食べさせてやりたくて部屋を出た。早速食堂で病人食を頼んだら、肉や野菜をたっぷり煮込んだスープが出てきた。ササナではオートミールが定番だが、ところ変われば病人食も変わるのか。

ちょっと味見させてもらったら、素材本来の味、だし汁、数種類のスパイスが絶妙に交わり、盛大なワルツを奏でていた。粗食なのに何故こんなに美味い。

我が国の食事情は悪い。まともに食べられるのはスコーンくらいだと他国の人間に言われることもある。あのライオネルに、誰よりササナに心を尽くす我らが国王に、“僕はササナを愛しているけど、料理だけはどうしても愛せない”と言わせたほどだ。

因みにライオネルはランクで留学と言う名の人質生活を経験し、舌が肥えている。帰国して料理(一応最高級の宮廷料理だが)を口にし、我が国の民は斯くも貧しかったかと、はらはらと涙を流したと言われている。

我が国の食事が不味いのは調理に手間をかけないと言うのもあるが、そもそも食材自体が限られているからである。

我が国は山岳、岩の多い低地、ヒースの荒れ地などが国土の大半で、ランクと比べ明らかに耕作に適していない。この教会の外ですら、ササナではなかなかお目にかかれない実り豊かな麦畑が広がっていた。食材や調理法が貧弱ならば、自ずと料理のバリエーションも少なく、工夫にも限界がある。とどのつまり、飯が不味いのは不可抗力で決して俺たちが味音痴なわけではない。

え?胃薬の消費量世界一? ……何の話だ? せっかく旨いのだから暖かいうちに、と少し早めに部屋に戻ると。


「何してんだ、寝てろ!」


メディシーナは壁を支えに、起き上がろうとしていた。


「飯を食いに行くくらい、私が」

「いいから動くなっ!ベッドに縛り付けんぞ!!」


額に油汗が滲み、無理しているのが丸分かりの頑固者をなんとか宥めすかし、ベッドに座らせた。


「これ薬。食後に……」


薬を用意し、メディシーナを伺えば。匙を持つ指が小刻みに震え、掬った水面が飛び散る。まだ末端の方に毒が残っているのだろう。


「貸してみ」

「手を出すな!」


匙を奪おうとしたら、病人にあるまじき早さで叩かれた。


「弱っている時くらい甘えろよ。嫁の貰い手がねぇぞ」

「私を女扱いするな。騎士になった時に女は捨てた」


ぎろり、苛烈な眼差しは、俺への憤怒だけでなく自身への嫌悪も混じっている。


「キサマ、何故私の看病などしている。急ぐのだろう?置いていけば良かったではないか」

「自分が受けた命を忘れたのか?俺一人で危険な任務に当たれと?護衛なら盾の役目を果たせよ」


違う。ただ大切にしたいんだと、何故言えない。


「ならば他に人を雇えばいいではないか!私に構うな!」

「もう黙れ。一人で飯も食えないくせに」

「私は、誰にも頼らない。一人で生きていける。生きていくんだ」


うわ言のように喚き。メディシーナは匙を投げ捨てると器を一気に煽り、器を空にして横になった。顔を隠し、芋虫風にシーツを被る様は、拗ねたガキみたいだ。

マンドレイクの解毒剤は結構複雑で、蜂蜜、バター、オートミール、ハッカの葉、アニス、ナツメグ、ウイキョウの種子、チョウジの樹皮、ショウガ、シナモン、セロリ、セイヨウワサビ、ディルなどなど材料を揃えるだけでも厄介だ。手持ちは切らしてしまったので、食文化も違うこちらで苦労して集め、調合した薬。それが、まるで手がつけられていない。用意してやったとか、恩着せがましく言うつもりはないけど。俺が心配していると言うのに、この態度はなんだ。

沸騰した鍋のように苛立ちは募る。メディシーナは弱って気が立っている。そんな相手に感情をぶつけても仕方ないと、どうか奥歯を噛んだ。俺もいい加減ガキだけど、こいつもガキだ。

がさつで、豪快で、繊細さの欠片もない男女。どうして俺はこんな女に惚れているんだろう。


     ‡   ‡   ‡


日はもう暮れかけ、小麦畑は茜色。太陽の熱を失い始めた土に、剥き出しの手足がひんやり冷たい。早く帰らないと母さん心配するかな。そもそも俺、何でこんなとこにいるんだっけ。

ああ、そうだ。今日は村の女たちが服を染める日で。桶に染料が余ってたから、メディシーナに悪戯したんだ。

あの美しい髪にかからないよう、最新の注意を払ってぶっかけて。逃げようとしたら足を捻って。地面に踞っているところをしこたま殴られた。頭もガンガンだけど、足がじくじくする。堪えて立ち上がろうとしたら、突き刺す痛みが走って不様に転げた。


「なんだ、動けんのか」


いつの間にか戻ってきたらしいメディシーナが顔を覗き込む。


「馬鹿だな、キサマは」


嘲るでなく、柔らかに頬を弛ませ。メディシーナは背を向けた。


「乗れ。垣根の婆さんのところへ行こう」


魔女とも呼ばれる村の外れに住む婆さんは、薬草に詳しく、村唯一の医者代わりだ。このところ母の病のせいで世話になっている。


「女の手なんか借りるか」

「いつもは男女というくせに、こういう時だけ女扱いするのだな。私は平気だ。キサマより遥かに力持ちだからな」

「嘘つけ」

「何なら試してみるがいい」


言いくるめられた感はあるが、釈然としないながらも負ぶわれた。そしてやはり、と言うべきか、歩み出す彼女の足元はよろめいた。


「やっぱ無理なんじゃ」

「何だ、心配してくれるのか?」

「そんなんじゃねぇーし!」


折れそうな白いうなじに腕を預け。勝てないな、と思う。本当は重かったろうに。メディシーナは最後まで弱音を吐かなかった。

このちっぽけな村を護ろうと努め。どんな悪事をしても水に流して手を差し伸べてくれる。

そう言うやつだ。だから好きになってしまったんだろう。

でも。負われた肩幅は、俺のものより細かった。あの背中で俺を、村人を、その他たくさんのものを背負って。その上剣を振るうなら。きっといつか、こいつは潰れてしまう。

俺や村の者はメディシーナが護ってくれる。だがこいつは、誰が護るのだろう?


     ‡   ‡   ‡


気付いた時室内は暗く、一瞬夢の続きかと錯覚した。大きな欠伸を一つ。連日の寝不足が祟って、座ったまま眠ってしまったらしい。ベッドを見れば、薄明かりに浮かぶ翡翠が二つ。


「起きている、のか?もしかして腹減った?それとも花摘み?」

「花摘み?……ああ、便所のことか」


おまっ、異性だからって一応オブラートに包んだのに。ふと、椅子に座ったままの身体に毛布がかかっているのに気付いた。まさか。


「別に。目が覚めただけだ」


メディシーナは視線を反らす。どこまでも素直じゃない。


「ありがとな」

「黙れ。キサマに礼を言われると虫酸が走る」


奴の毒舌は、弱っていても誠に容赦がない。


「なあ、ひょっとして。私が眠っている三日間、そうして」

「俺の薬が利くか気になったからな」


俺もかなり素直じゃない。


「何か用があるなら声をかけてくれ。絶対安静な」

「何故、そこまで」

「お前は一人だと言ったが、一人の身体じゃないんだから。グレイシー男爵やご家族、村の連中に……」


俺だって、と言い出せないあたりいい加減ヘタレだ。自覚している。メディシーナは吐息のように笑む。剣を振り回す強い女なのに、それは儚げで今にも消えて行きそうだった。


「父じゃないんだ」


真っ先に耳を疑った。


「何だって?」

「あの人は父じゃない。私は捨て子だ。屋敷の近くに捨てられていたのを、グレイシー男爵が拾い、自分の娘同様に育ててくれた」


脳内の全俺が、エイプリルフールはまだ先だ、と合唱してやがる。


「確か、なのか?」

「十歳頃、メイドたちが噂していたのを聞いた。父母に問い詰めたら認めた」


何と言えば良いのか判断できん。身体と気が弱っているとは言え、この告白は重い、重すぎるぞ。


「剣を鍛えたのは、自分の有用を示そうと必死だったのやもしれぬ。敵から皆を守る騎士と言う図式は、子供が憧れるほど単純だ。旅に出たのだって、誰かに迷惑をかけず、自分一人で立てるようになりたかったからだ」


家族や使用人に囲まれ幸せに見えたメディシーナ。ずっと、知っていたのだろうか。自分の居場所はここでないと考えていたのだろうか。だとしても。


「関係あるか。お前には両親も兄弟もいて、帰るための暖かくて大きな家があって。俺がどれ程憧れていたか知っているか?」


夕焼けに二人手を繋いで帰る影。肩車する逞しい腕。血の繋がりがなかったとしても、あの愛情は本物だ。そうじゃなきゃ、俺は羨ましいなんて思わなかった。


「憧れていたのは私の方だ。片親でも貧しくとも、お互い必要とし合って支え合って。そんな本物の家族に」


──母さんに食べさせてやりたいんだ

手にいっぱいのラズベリーを摘んだ俺に、メディシーナは何とも言えない顔を見せたことがあった。その感情を、当時の俺は言い表せなかった。或いはそんな感情を向けられるなんて思ってもみなかった。

今ならわかる。あれは憧憬。


「リリー覚えているか?」

「あのお下げの?」


出された名は、年上だが気が弱くって、ちょっかい出す度によく泣く村の女の子。


「リリーはお前のことが好きだったよ。お前が村を出ていく前の日には泣いていた」

「ええっ!?絶対嫌われていると思っていた」

「鈍いな」

「天地がひっくり返ろうとも、お前だけに言われたかねぇ」


皮肉もきっと許される。


「ならば私の気持ちがわかるか?」

「いや、わからないけど」

「私はキサマが疎ましかった」


初恋相手のにしてはなかなかショッキングな吐露である。


「弱いくせに面倒見が良くて、爵位も無いのに皆に慕われ、貧しくとも母を立派に支え、悪戯ばかりなのに恨めない。皆の輪にいるお前がたまらなく疎ましかった」

「……メディシーナ」

「お前がいなくなったらせいせいするかと思っていたのに、張り合いがなくなってしまった。悪役が消えたからだな」

「俺はお前が眩しかったよ。誰より綺麗で、誰より正しく、誰より強い。お前を泣かせたかった。女のくせに俺より強いのが許せなかった」


俺たちは自分の持つ素晴らしいものが見えず、ずっとお互いを羨み、妬み、反発していたのかもしれない。


「強くない。強くなどないのだ、私は」

「強いよお前は」


こうしてメディシーナの抱える弱さを知っても、そう思う。強さとは弱さを捨てることではなく、弱くとも強くあろうとすることだから。


「正直言うと弱い方が有難いんだけどな」


女に剣を持たせ、守られるなんて紳士の名折れである。


「俺はお前を護りたい。いや、護るんだ」

胸に手を当てて誓ったっていい。ありったけの決意表明。好きだと告げることは出来なくても。好きな女くらい護りたい。


「馬鹿も休み休み言え。貴様に護られるほど私は弱くない」

「わかってるさ」


俺はお前のように剣も振り回せず、重荷を背負うことも出来ない。


「でもせめて、背中を護らせてほしいんだ」


それなら、俺だってなんとか出来るはずだ。メディシーナは小声で何事か呟いた。また「馬鹿が」と言われたのだろう。

俺は聞こえなかったふりをして、さらに返事が無いのは是であると決めつける。いや、断られたところで関係ない。俺を負ったあの背。逞しいのに細くて。強いのに孤独で。

今度は俺が護る。その思いは変わらないから。

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