四通目 戦乙女との連帯
翌日の朝早く、予定通りミンチの港を出た。客を多く乗せる代わりに船賃が安い大型のガレー船だ。季節のせいか空室が多いが。甲板に吹き荒ぶ冷たい潮風。冬は、海の向こうからやって来るのだろうか。
「またお会いするとは思いませんでした」
鈍色の雲の下、波を眺めていた外套の女がゆっくりと振り替える。
「まあ、つれないのね。昨日ご一緒して下さると仰ったのに」
「正確には俺が言ったんじゃありませんけどね」
沈黙を埋めるように風が耳を切り、お互い肩を竦めた。
「寒くなってきましたね」
「部屋で話しませんか? この近くなんです」
「ええ、構いませんわ」
そんなわけで隙間風はあるがまだマシな室内へ移動する。アンリエッタは入室するなり部屋を見回した。たった数時間の旅路だからととった三等室は家具類が殆ど無い。
「いらっしゃらないですね。シーナさん、でしたっけ? 私と顔を合わせたくないのかしら」
「いいえ、単に席を外しているだけですよ。すいません、狭くって。今、お茶淹れますね」
背を向け、皮の袋に手を突っ込む。薬を作る器具から日用品まで雑多な荷のせいで耳障りな音が立つ。
「招いといて何ですが、こんな美女が誘いに乗って下さると胸が高鳴ります。ひょっとして、何か用でも?」
「いいえ、ありませんわ」
アンリエッタは唇に指を当て、悪戯っぽく笑う。
「あなたと単に話したかったから、じゃ、駄目かしら」
「奇遇ですね、実は俺もなんです」
袋から支度を終えたクロスボウを取り出し、構えた。
「それじゃ、聞かせてもらいましょうか。何故貴女は貴族のフリなんかなさっているんです?」
「仰ってる意味がわかりませんわ」
凶器を突きつけられていると言うのに、彼女は不気味なほど平静だ。勿論令嬢の反応ではない。
「根拠の一つは靴だ。ササナ貴族の娘は、例えどんなに落ちぶれても靴だけは一流品を使う。あんたは逆、服は流行りを取り揃えているのに、靴だけが安物だ」
微笑みが一瞬ぶれる。
「……それだけでは」
「そうだ、断言できない。単に成り上がりや外国育ち、世間知らずの令嬢の可能性もある。しかし俺を追って宿屋に現れた時、あんたは息を切らして無かったな。箱入りの娘が、一体どういう体力しているんだ? 思い返せば、現れたタイミングも良すぎる。もしかして役所を見張っていたんじゃないのか?
そしてあんたが届けに来た書類。あれしきの衝撃で落ちるとは思えない。ぶつかった時、俺の持ち物をすったんだろう? 盗んだものを返してまで接触してきたのは、俺に探りを入れるためか?」
矢が狙うのは心臓。過剰な対応だとは思えない。彼女はあまりにも怪しい点が多すぎる。
「……くくっ」
俯いたまま、口の端だけがつり上がる。
「すっかり油断してしまいましたわ。気に障る説教も、許嫁の尻に敷かれているのも、全部油断を誘う演技だったと言うことですか」
いえ、あれは素です……とはとても言い出せない雰囲気である。
「無駄話はここまでにしようか。お前の後ろにいるのは誰だ。陛下を害しようとした者か?」
「正直に答えるとお思い?」
「答えないなら、少々痛い目に合ってもらう」
互いに胡散臭い笑顔を交わし、そして……。
女は予備動作無しで帽子を投げつける。俺の視界が限定されたその隙に、部屋の外へ逃げ出した。逃がすかっ!
ドアを開けた女は、即座に室内にとんぼ返りした。開けた途端、刃が襲いかかってきたからだ。メディシーナは悠々と剣を構えたまま後ろ手でドアを閉めた。女は部屋の中央で舌打ちした。ドアはメディシーナが、窓は俺が塞いでいる。それでなくてもここは、船。周囲は海。逃げ隠れるにも限界がある。
女は外套のスリットに手を入れ、ダガーを引き抜いた。スリットの数イコール仕込みポケットの数とすれば、いったい幾つあるのやら考えたくもない。そして投擲したダガーと共に俺へと駆け出す。迷わず本体に矢を放つが、手にした得物で弾かれた。
紅唇が弧を描く。クロスボウは、一撃避ければ次の装填に時間がかかる。俺を狙うのは必然だ。だが甘いっ! 武器がクロスボウだけだと誰が言った。
飛ぶ白刃をクロスボウで振り落とす。筋肉馬鹿と比較し、インドア風の俺の俊敏さが意外らしく、僅かに目を見開く。失礼なやつめ。続いて片手に隠し持っていた拳大の玉を投げた。俺が投げた玉は女に触れず、足元に着弾し。太陽の如き光を放って弾け飛んだ。
簡易な閃光弾。事前に知っていた俺たちは目を瞑り逃れたが、女は光の攻撃をまともに食らい視界を奪われた。だと言うのに、背後のメディシーナの剣撃を避け、距離を取るため横転する。瞬きを繰り返し視界を取り戻しつつ起き上がり、壁を背にダガーを構えた。奪われる前の視覚情報や聴覚を元に体勢を建て直したと言うのか。
奴はメディシーナが斬り付けた剣を受け止めた。重長な斬撃を八インチ(約二十センチ)未満のダガーで、である。さらにがら空きの腹部へもう一つのダガーを振り上げる。
近接戦はダガーの間合いである。しかも敵は攻撃の手が多い。メディシーナは後退しショートソードの間合いに持ち込みつつ、辛くも柄先で受け止めた。
援護射撃しようにも俺と女の間にメディシーナがいる。それすら計算しているのか。メディシーナと勝負になっている時点で相手はかなりの使い手。その力、勘、頭は驚異的ですらある。俺一人ならとっくにやられていただろう。しかしこちらには我が国最強の騎士がいる。
女騎士は真っ直ぐ振りかぶる。受け止めんと頭上のダガーをZ字に切り返し、踏み込む。さすがと言うべきか、敵は瞬時に後退したが、後の壁のため充分な距離がとれなかった。
豊満な胸を剣が走る。しかし。零れたのは、皮膚でも血液でも無く、白い綿。
「馬鹿なっ、メディシーナ並の貧乳だと!?」
「キサマ、こ奴の次に始末してくれるッ!」
怒りが乗った突きを呆れ顔で捌く。
「どうしてそこで男と言う発想が出ないのでしょう」
「なんだ、男だったのか」
納得と、ちょっとがっかり。
「ふんっ、結局、キサマはっ、異性にィ、声をかけられなかった、と言うこと、だな!」
剣を振り回しながら、女騎士は口撃に余念が無い。
「うるせぇ!」
ドアへ退く女装野郎に矢を放ったが、容易く弾かれ牽制にしかならなかった。腹立つ。
「よくそんな仲なのに共闘できますね」
「どうだ、凄いだろう」
「褒めてないです。まるで褒めてないです」
メディシーナの空気読まない発言は置いといて。声変わりしてないから十三、四と言ったところか。いつの間にかとれているが、過剰な女言葉は性別を誤魔化すためだったのだろう。
メディシーナのような例外もあるものの、女は油断を招きやすい。男に比べ体力、腕力その他で劣るからだ。ティーカップより重いものは持てませんわ、なか弱い貴族令嬢に化ければ尚更。命のやり取りをする緊迫は、先ほどの会話でやや緩んでいる。俺は瞬時に一考し、提案した。
「なあ、取引をしないか?」
二人は、眼前の敵を忘れて振り仰ぐ。
「何を言っている!?」
「今まで死闘をしていた相手に、正気ですか?」
「だからこそだ」
メディシーナは懲らしめるや仕置きではなく、始末と言った。既に白刃を抜いている。手加減し、生け捕りにする余裕が無いと言うことだ。そう易々と勝たせてくれないだろうが、勿論戦いは人数の多いこちらに分がある。ならば殺す前に少しでも情報を引き出す必要がある。
「お前の実力はわかった。失うには惜しい」
勿論それもある。暗殺術に加え、アンリエッタの仕草、作法は靴のことが無ければ見破れないくらい完璧だった。またそれだけの腕を持ちながら、最初に俺を攻撃せず逃げようとした。情報を持ち帰ることを目的としている為だ。間蝶として相当な訓練を受けているのだろう。
「お前の主人のことはわからない。しかし目的が同じなら共闘も可能だろ?」
「無理ですね。あなた方は国王の腹心の命で動き、毒の入手経路を探っている。共闘できるとは思えません」
顔には出さないが内心ほくそ笑む。幾ら技術が高いとは言え、やはり子供だ。ライオネルの暗殺に関わっていることを漏らしやがった。
「陛下に仇成す者に与することはできん!参るっ!」
メディシーナが剣と共に踏み込んだ時、相手も迎撃体勢を整えていた。切れた胸元から計六本の小型ナイフを指に挟み、一気に投げる。幾らメディシーナが剣の達人と言えど、至近距離でこれだけのナイフを捌くのは無茶だ。それでも六本中五本を打ち落とし、残る一本は腕で防いだ。
しかし隙が出来たことは否めない。奴はメディシーナの脇を通り抜け、ドアへ駆け出す。後ろ姿に矢を放ったが、腹部にかすったのみ。
「待ちやがれ!」
と言って待ったら奇跡だと思いつつ、全速力で跡を追う。部屋から出た女は狭い廊下を一気に駆け抜け、階段を上がって甲板へ出、一刻の躊躇いなく。真冬の海に飛び込んだ。
派手な水しぶきと水音。恐らく漕ぎ手であろう、男たちの喧騒。クロスボウを構えデッキから乗り出したが、潜ったのだろう外套だけが浮いている。陸は近い。着服水泳くらい心得ているだろう。
「厄介な敵を取り逃がしたな」
振り返り、メディシーナがいないことに気付く。あいつがついてきてないなんてあり得ない。
「メディシーナ?」
嫌な予感に捕らわれ、元来た道を走り出した。女騎士は廊下に倒れていた。投げ出した手足が痙攣している。
「メディシーナ!」
迂闊だった。奴が胸元に綿をつめていたのは、女の振りをするためだけじゃない。最も危険な武器で、我が身を傷付けぬようにするためだ。最後に投げたナイフは、恐らく毒が塗ってあったのだ。
素早く二の腕を心臓に近い位置で縛って傷口を広げ、血を吸い出す応急処置と同時に問診を行う。目蓋をこじ開けて、白目が黄身がかっているのに気付いた。
ぞっ、全身の血の気が引く。マンドレイクだ。その希少さ故、引き抜く時の金切り声を聞くと死に至るなどと薬剤師が根も葉もない虚言を流してまで守ろうとした薬草にして毒草。不幸中の幸いだが、実験や調合で使うことがあるので、解毒剤は用意してある。
規定の量を水で解いて飲ませようとしたが、器のせいか意識が朦朧としているせいか大部分を唇から溢すので、解毒剤を口に含み無理やり流し込む。
愛する人との口付けなのにキスのような甘さは無く。ただただ機械的なそれに、手足の震えが止まった。いや違う震えだけじゃない、全てだ。メディシーナは意識の無い深い眠りに陥っている。マンドレイクは昏睡に至るまでに解毒剤を飲ませなければ絶対に助からないと言われている。間に合わなかった、のか?
手を握り、白痴のように名前を繰り返す。黙れ、と言うことも、軟弱者、と罵ることも無く。その瞳は、安らかに閉じられている。
呼吸が出来ない。肺が潰れたようだ。この次は何をすればいい? どうすれば助けられる? 一つもわからない。俺は一体何を学んで来たのだろう。学院は出ても、経験の浅い若造の自分。何も出来ない。何の力も無い。大切な女一人救えない。俺は、また──
ぼやけた視界の中でメディシーナの顔が別のものに変わる。かつて救いたかった人。今はもう永遠に失われた人。
「ちくしょおぉおぉぉぉ!!」




