三通目 奇妙な令嬢
朝早くに出たおかげか、ジェントリが用意した馬のおかげか、ミンチに着いたのは海峡の両側の白い石灰質の崖が西陽に染まる頃だ。眼前の暗さを増した海は海原と言うには、些か狭い。反対側の陸は最狭部で僅か二十二ヤード(約三十五キロ)。泳いで渡る輩もいるらしい。酔狂なこった。
丘の上、城と言うにはごつすぎる要塞は、ここがランクとの通商の玄関口だけでなく、防衛の最前線であることを示している。事実、百年前にはランク軍がササナ南部に上陸し、城を攻撃した。ところでこの城を築いたライオネルの祖父は、彼自身がランクから攻め込みササナの王となったのだから、ここの戦略的必要性は痛すぎるくらいわかっていただろう。
と蘊蓄を並べながら、俺の行き先は城でも絶景スポットでもなく。
「最近のランクとの取引について記録は無いか。違法の薬品の類いが我が国に持ち込まれたようなのだが」
外国からの貿易品を記録している役所であったりする。上手くいけば毒薬の入手経路が掴めるが、九割ダメ元である。因みに俺一人だ。メディシーナには宿探しを頼んだ。
「一介の商人に教えるわけには……」
渋る役人に俺直筆の手紙を突き出す。
「護国卿御子息、陛下の覚えもめでたいハーネット伯爵の命である。隠し立てするとためにならんぞ」
別にそんな命受けちゃいないが、詐欺にはならんだろう。本人が言っているんだし。
「少々お待ち下さい」
役人は一瞬で態度を改め、奥に引っ込んでいった。数十分経って役人が持ってきたのは、うんざりするような書類の束。目を通すだけでも骨が折れるぞ。メディシーナを連れてきて手伝わせりゃ良かったか。しかしあいつは椅子に座ってられない生き物だからな。
遠い目で食事に毒が混入された五日前から過去へ遡る。最も怪しい殺虫剤、殺鼠剤から王妃殿下の化粧品、外交官の胃薬、カレドニア議員の香水、某公爵の強心剤、王宮で使用する洗剤、庭園用の除草剤、首都へ向かう行商の調味料、エトセトラエトセトラ。それらしい記録は星の数。毒の入手から毒殺実行まではあまり間を置かないはずだ……と、思いたい。五年や十年以上前の記録まで含めたら死ぬぞ。勿論他のものに紛れているかもしれないし、漏れもあるだろう。それ以前に暗殺用の毒薬なんてどうせ記録されてないだろう。
手掛かりになる望み薄だが記録しておこう。しかしこの量はホネだし裏技でも使おうか。
俺には、羊皮紙、看板からマグカップに至るまで何でもいつでも複写できまーすの強い味方がある。ただし人前では出来ない。周りをうかがうと、役人が茶を出そうと右往左往していた。はっきり言って物凄く邪魔である。これはあれですね、楽をするなと言う天からのお達しですね。
ならば仕方あるまい。うおおお!加速せよ、俺の手!風になれ、俺のペン!
………
……………
最終的に建物が閉まり、役人に泣きつかれるまで粘った。誰が言わずとも俺が言う。頑張った、俺。明日は腱鞘炎になりそうだ
‡ ‡ ‡
太陽は気配すらない。風に襟を掻き寄せる。日が短くなってきたとは言え、かなり遅い時間だ。戸締りをした家屋も多い。悴む手を擦り、指輪の宝石を五回まわす。
「シーナ、終わった」
これは遠距離通話が出来る魔法の指輪で、メディシーナにも同じものが渡してある。決して一人で喋っている可哀想な人ではない。
「遅いぞ、待ちくたびれたわ」
「悪かったって。で、今どこにいる?」
「一階の食堂」
「建物のどこじゃなくて、建物の場所聞いてんだよ」
「ぴっと行ってぐいーんと来たとこだ」
「そんなんでわかるかっ!あ~もう、近くに目印になる建物とか、宿の特徴とかないわけ?」
「特徴と行っても看板が孔雀を模した鉄細工だったくらいで、フツーのボロい宿だ。おお、そう言えばここに来る途中に獅子の噴水を見たな。それから男たちは恐ろしく気前がいい。強い酒を何杯も奢ってくれている」
「待てお前、それ明らかに……」
「じゃ、そう言うことで」
「あ、切んな馬鹿!」
俺の叫びも虚しく、声は途切れた。くそっ、何てことだ、メディシーナの身が危ない。早く見つけなくては!
「きゃっ」
「ってぇ~」
走りだしたはいいが微妙に柔らかい壁にぶつかってひっくり返った。む?今、甲高い声聞こえんかったか?
眼前には麗しい金髪の令嬢が尻餅をついていた。建物ばかりに意識が集中していたので彼女に気付くのが遅れたのだろう。
「お怪我はありませんか!?」
手を取り、そっと身体を引き起こす。
「大丈夫ですわ」
とは言うものの、よろめく女は淡い色の毛皮つき手袋で腹部を擦っている。
「あの、これ、打ち身に利く塗り薬です」
ポケットの小瓶を押し付けると、サファイアの瞳をぱちくりさせた。
「まあ、ありがとう」
「急いでいるのでこれで失礼します」
一、二歩進んで振り替える。
「ところで、獅子の噴水って知りません?」
「あら、それならさっき見かけたわ」
「どこでっ!?」
「え?あっと、この道を右に曲がって……」
「ありがとうございます、ではっ」
「あ、お待ちに……」
後ろでなんか言ってたが、無視して駆け出した。念のために行っておくが、ササナ男子は基本紳士であるから自分のせいで土をつけた女性を放置したりしない。優しく微笑みかけ、歯の浮くような麗句で女性を称え、お詫びの品を買って、連絡先を手に入れる。そりゃただのナンパだろって?いいや、俺の友人ならそこまでが標準装備である。
しかし今は緊急時、見知らぬ女よりメディシーナである。特性の薬も渡したし、俺的に紳士の面目は保たれた、はず。今は余裕がないんですよーと聞こえぬ言い訳しながら借金取りに追われるように全力で走り去った。
程無く、獅子の噴水も孔雀の看板も見つかった。役所に行く前に別れた場所からそれほど離れていない。あいつ、ろくに宿探しせずに適当に入ったに違いない。が、今回は助かった。
「いー飲みっぷりだねぇ」
「それ、もう一杯」
「いっき、いっき!」
尋ね人は屈強な海の男たちにやんや囃されながら大振りのジョッキを煽っていた。危惧していた通りだ。肩で息をしつつ、男たちの海を掻き、割り入る。
「あんだ、てめぇ」
いちゃもんつけていた若い男の額にクロスボウを突き付けた。
「俺の女にコナかけるんじゃねぇ!」
普段は言えませんが、何か? ハーネット公爵家流、逆らうなら殺しますよ?的威圧で凄んだら、退散しやがった。優男共が。
「何だ、何を怒っているのだ、リック」
メディシーナのやつ、呑気に大口を開け、酒瓶の最後の一滴まで飲み干している。心無しか頬が赤い。
「危機感持てよお前!」
「何がだ?皆親切にしてくれたぞ?」
「だーっ!男が下心無しに初対面の女に酒奢るかよ!酔い潰して寝台に引き込むに決まってんだろ!!」
野生の勘があるくせに、色恋に関してはお子ちゃま並の知識量しかない奴は、今さらその可能性に思い当たったらしく、うんうんと頷いている。
「ふむ。それだけ私が魅力的だったと言うことだな」
「……自意識過剰な結論に不時着したな」
別れて何年も経つが胸の大きさ変わってないくせに。
「ではキサマは異性に酒を奢られたか?それ以前に向こうから声をかけられたか?」
ぐ、反例が挙げられない。俺は“舞台に立つなら絶対通行人だね”と言われる十人並みの男である。その器量はメディシーナに比べ、甚だ劣っていると言わざるを得ない。
「馬鹿にするなってーの。俺だって異性に声をかけられることくらい……」
「あの」
俺とメディシーナは口を半開きにし、声を発した物体に幽霊遭遇時の視線を向けた。
「あんまり足が早いから、どうしようかと思いましたわ」
笑いかけるのは、先程衝突した淑女。ふわふわの金髪には羽つきのトーク帽、厚手のローブに別仕立ての袖、秋用に毛織布が縫いつけたベルチュガン。外出用の簡素な仕立てだが、ランプの下で改めると、一目で上流階級とわかる。
「はい、これ」
手袋で先ほどしたためた羊皮紙の包みを差し出す。落としものを届けるため、わざわざ追いかけてきたらしい。ビビらせんな。公爵子息云々の肩書きがあるならまだしも、地味顔の俺が見ず知らずの女性に気に入られるなんて太陽が降ってくるくらいあり得ないのだ、悲しいことに。
「あ、ありがとうございます」
異性に好意を向けられるのが当然と言う顔ができないのが辛いところである。どこぞの令嬢とおぼしき女はそのまま、そうなることが自明の理であるかのように隣に座った。
「喉渇きましたわ、お腹も」
「はい?あの」
「さっきぶつかったとこ痛いですわー、街中を走って疲れたですわー」
「奢らせて頂きます」
迷惑かけられたのを理由に、俺にたかりに来たのか。うわ、厄介なのに捕まった。
「先程は本当に申し訳ありませんでした。俺はリックって言います。こっちはシーナ」
「アンリエッタですわ」
何かの縁だと自己紹介しつつ。
「では、アンリエッタさん、お連れの方はいらっしゃらないんですか?」
遠回しに飯食ったら帰れと言ってみたが、彼女は素っ気なく「いませんわ」と答えた。
「ねえ、あなたたちランクへ行くのかしら?」
「はい。叔父の店がルテティアにありまして、許嫁と、痛っ、修行も兼ねて手伝いに」
メディシーナめ、足を踏みやがった。口下手プラス嘘つけないお前の代わりにしゃべってやってるんだろう、と無言で咎めたら、この状況を招いたのはそもそもキサマだろうが、と顎をつーんと突き出された。返す言葉も御座いません。
「許嫁と二人旅なんて羨ましい。叔父様は何を扱っていらっしゃるの?」
「化粧品や薬です。ほら、貴女に渡した薬もその一つですよ」
「へぇ、そうなの」
答えは予め用意してあった。家具や衣服なんて下手な商売でっち上げるよりは数段マシのはずだ。商品もどきも手元にあるし、薬草の知識なら多少突っ込まれても答えられるし。
「アンリエッタ殿もランクへ向かわれるのか?」
メディシーナが口を挟む。黙ったままでは怪しまれる。答えるより問うのはこちらの情報を出さない良い手段であるが、もちっとその勇ましい口調はどうにかならんか。
「ええ。お二人はいつ出発なさるの?」
「明日の朝だ」
「私もですのよ。ねぇ、もし宜しければ、ご一緒したいわ。貴方たちは人が良さそうだし、女一人で船に乗るのはどうも不安で」
「別に構わぬが」
おーい、勝手に返事すんじゃねぇ。でも、ま、同じ船に乗るくらい問題ないか?
「見たところ令嬢のようだが、一人か?何しに?」
「まあ、随分と直接的ですのね」
もっと遠慮しろという皮肉か。個人的にはアンリエッタに賛成だが、フォローしておく。
「悪気は無いんです。美しい女性がお一人だから心配してるんですよ、シーナも俺も」
彼女はウェイターからジョッキを受け取ると、一気に煽った。
「私、こんななりでも貴族ですのよ。でも先の戦争で敗者についてすっかり落ちぶれて。供の一人もつけられない。身を飾る宝石も無い」
酔いが回ったのか、喜劇のように声を立てて笑う。
「これからランクの親戚に資金援助を乞いに行くところですわ」
幾ら親戚と言えど、ただで援助する馬鹿はいない。なのに条件を提示する家長でも使用人でも無く、見目麗しい若い娘が一人行く理由。その親戚とやらを誘惑するつもりか、或いは既に気に入られているのか。この娘は贄、援助の対価。本人もそれを知っている。酔わなければやってられないのだろう。
「ふむ、わからんな」
重苦しい告白に、空気判読不能者は小首を傾げた。
「貧しいと言うならその服を売り払い、畑を耕せばいいではないか。さすれば何とか生きていける」
「シーナ、無神経だぞ」
これから家族のために身を売る娘の覚悟に水を差すようなことを。こいつの意見はちっとも現実的ではない。農家は、それ以前にこの世は、温室育ちの御貴族様がやっていけるほど甘くない。それ以前に貴族と言う輩はプライドだけは無駄に高い。農民の真似事するくらいなら餓死を選ぶだろう。
「我が村には子爵令嬢がいた。白魚の手に血豆を作り、折れそうな腕で桑を振るい、息子を養い、立派に生き抜いたぞ」
誰のことを言っているかわかって咄嗟に言葉が出ない。メディシーナは母を誰より尊敬し、指針にしていた。だから彼女の選択を許容できない。
「他人に寄りかかって生きるのが嫌なら自分の足で立てばいいではないか」
「貴女に、何がわかると言うの」
アンリエッタの笑顔が消え、唸り声が低く垂れ込める。
「確かに身の上は気の毒と思うが、キサマは自己憐憫に浸っているだけだ。何も成さず言い訳しているだけだ。その気になれば生きる術は幾らでもある」
メディシーナの言うことは正しい。正しいが故に間違っている。正しさを貫く強さを誰もが持つわけじゃないんだ。俺の母は確かに凄い女だった。でも彼女に母のように生きろとは言えない。母は滅多にいない人間で、だからこそ尊敬出来るのだ。本人もそれはわかっているのだろう。メディシーナは素直に頭を下げた。
「酔いが回ったようだな、失礼した」
令嬢は唇を噛み、手のひらに爪を突き立てている。メディシーナを映すサファイアに一瞬浮かんだ感情。身を焦がすような、憎悪。正論を突き付けるメディシーナへか、絶望的な現状へか、何も出来ない自分へかは、わからない。でも確かに。
「気にして、いませんわ」
見間違いですのよ、と言いたげに被られた淑女の仮面。
「……ご不快になられたのではありませんか?」
「全く、と言えば嘘になるかしら」
今度は笑みが崩れない。
「けれど彼女の言うことにも一理ある。一時の感情で行動するほど子供じゃないの」
貴族というのは誇りを大切にする生き物だ。令嬢があれだけ否定されたらヒステリーを起こしても不思議で無い。それだけ辛酸をなめてきたと言うことか、或いは……。
「私、今日はもう休ませてもらうことにするわ」
洗練された素早い手さばきで食べ終え、アンリエッタは素っ気なく席を立った。
「部屋までお見送りましょうか?」
歩き出したローブの裾から履き古し形の崩れたブーツが覗く。
「平気よ。お気遣いどうも」
消える彼女の背を映しながら、全く別のことを考えていた。勿論彼女に関することであるけれど。
「リック」
呼び掛けたくせに、メディシーナは黙ってジョッキをなぞっている。
「……言い過ぎたから反省してるのか?」
「それもあるが……」
ふぅ、と憂いを帯びた息をつく。
「私たちは辺境の地故に戦乱を免れた。しかしそうでない国民もいる」
「ああ」
「私は彼女に何もできないのに偉そうに説教をした。守るために騎士になったのにな」
「お前さ、物語の勇者にでもなるつもり?」
こいつらしいと呆れ半分、苦笑半分。
「誰も彼も救うってのは無理だって。お前の腕は二つしかないんだからさ」
責任を感じる必要なんて無い。俺たちは人間で。ただの力の無い人間で。助けられる数には限りがある。
「それはそうだが……」
「お前だって一つや二つ守りたいものがあるだろ。それだけ大事にしてけばいいんだよ」
メディシーナが、俺を見つめている。じっと、瞬きすらしない眼差しに気押される。
「な、何だよ」
「お前には、守りたいものはあるか?」
「ば、んなこと言わせんなっ!」
お前にだけは言えるわけねぇだろ!
「聞いてみただけだ、他意は無い」
相変わらす照れ屋だな、とメディシーナは明るく笑う。いたたまれず、俺は酒を煽った。




