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ヘタレ伯爵と戦乙女  作者: アストロ
と松葉杖の少年王
33/34

エピローグ 白馬に乗れない王子と……

「イタッ」


向かいに座る母のあかぎれた指。垣根のばあさん特性の軟膏が頬の傷が染みる。


「もう、男の子なんだから我慢なさいな」


暖炉の火に浮かび上がるのは、物心ついたときから見慣れている、二人で暮らす粗末な家。家具は必要最低限で、隙間風の寒さに頬が引きつり、余計に痛む。


「また摺り傷つくって。どうせまたちょっかい出したんでしょ」


薬瓶を閉めつつ、母は大げさにため息をつく。


「あなたはこんなに優しい子なのに、好きな子にどうして意地悪するのかしら」

「メディシーナなんか、好きじゃない!」

「あら、母さんメディシーナちゃんのことだなんて一言も言ってないわよ」

「……」


口では母に適わない。知恵も教養もある上、俺のことを俺以上に知っているのだから。


「今度、グレイシー男爵様の屋敷で狩をやるんだって。メディシーナも客の相手をするから当分村に来れない」

「メディシーナちゃんに会えないのが寂しいのね」

「そうじゃない」


それも少しはあるけどそうじゃない。上手く言えず胸がもやもやする。


「狩には貴族の子供たちも来るんだって。前の時男に混じって遊んだって、楽しそうだったから」


それが猛烈に面白くなかった。その不満を悪戯として本人にぶつけてしまった。


「なるほど、嫉妬したのね」

「嫉妬?」

「別の子と仲良くしてたから嫌な気持ちになったのよ。他の誰かじゃなくて自分と一緒にいてほしい。相手のことが好きだから」


そうなのだろうか。確かに他の野郎と笑いあってるのを見るとついちょっかいをかけてしまうが。うん、違うな。あの年がら年中木剣振り回している男女のことが好きなわけがない。


「でも意地悪してちゃ、永久に好きになってもらえないわよ」


母は笑いながら、傷に布を当てる。ありがたいが格好悪い。明日の朝にはとってしまおう。この顔を連中に見せたくないから。


「あなたはお父さんにそっくりね。気を引きたくて意地悪して、好意の示し方も不器用で。でもリックの方が優しいかしら」


不貞腐れて膨れた俺の頬にキスを落とす。


「どうしてそんな奴と結婚したの?」

「さあね。きっと良い女は悪い男に引っ掛かるように出来てるのよ」


この世の真理であるかのように言うので、そうなのか、と納得した。それじゃ、メディシーナの将来が心配だ。その辺にいないくらい、良い女だから。


「そいつがいるからトムと結婚しなかったの?」

「あら、耳が早いのね」

「トム、いい奴だよ」


彼はたくましい腕と広い心を持っていた。それが母への好意のためだとしても、悪がきの俺を根気強く諭し、時にはお菓子をくれた。


「ええ、彼は素敵な男性ね。こんなおばさんに構ってくれるんだから」

「母さんは綺麗だよ」


そう、母は綺麗だった。腕も細く容貌も儚げなのに、一人で子を養うたくましさを兼ね備えていた。それはやつれても年をとっても褪せることの無い、内面からにじみ出るものだ。


「あなたもプレイボーイね。そう言うのはメディシーナちゃんに言ってみなさいな」

「なんであいつに言わなきゃいけないんだよ」


ちょっと気分を害したが、良い機会なので気になっていることを口にする。


「トムのこと嫌いじゃないんでしょ? 何で結婚しないの?」

「結婚ってそう簡単にできるものじゃないわよ」

「それじゃ、俺がいなきゃ結婚した?」


周囲の大人がそう言っていたのを、耳にしたことがある。ずっと聞きたかったことだ。でも聞けなかったことだ。


「そんなんじゃないわ、お馬鹿さん」


明るく忌諱無い調子で言うから、嘘ではない。そう信じたい。


「でもリックは、お父さんが欲しかったかしら?」

「わかんない。居たことないし」


母が痛みを堪える顔をしたので、慌てて付け加える。


「でも、母さんが夜なべしなくて済むなら、居た方が良いと思うんだ」


間違えた、と思った。母は今にも泣き出しそうだったから。


「ごめんなさい」

「何で謝るの?」

「なんでかしらね」


長いまつげで瞬きを多めにし、涙を逃す。


「きっと母さんがつまらない意地をはって、あの人のこと忘れられないものだから。あなたみたいな良い子に父親をあげられないのが口惜しいのよ」

「そんなのいらないし」


沈黙が落ちる。俺は暖炉の火が母のやせ細った頬骨や目の下に陰影をつけるのを眺めていた。


「ねえ、母さん。俺はやっぱりメディシーナのこと好きじゃないよ。母さんだって。アランの親はいつもくっついて隙あればいちゃいちゃして鬱陶しいって言ってた。好きだとか大切だとか、そんなこと言いまくって、キスしたり抱き合ったりするんだって。愛ってきっとそう言うものなんだよ。だから……」


言いよどむ。これから口に出すのは厳しい言葉だ。だが言わねばならない。俺に父は必要ないが、母には夫が必要だ。


「だからそいつも母さんのこと愛してなんかいないんだよ」

「そうかもね。人の心はわからないから」


そう言った母は凛としていた。そんなこと言われる前にわかっていたのだろう。何度も自問してきたのだろう。


「いつも傍にいて大切にする。確かにそれは理想の形ね。でもリック、愛ってそれだけじゃないの。もっといろんな形がある。相手を大切に思うからこそ突き放し、傷つけることもあるわ」


男を待つ恋人の貌だ。覚悟を決めた女の貌だ。俺は心の中でトムに謝った。残念ながら力になれそうにない。


「そうかなぁ」


まだ幼い俺の頭を撫でながら、母は呪文のように呟いた。


「あなたもいつかわかる時が来るわ」


 ――何故今、思い出すのだろう。母の言葉を。


     ‡   ‡   ‡


判決はくだり、閉廷が宣言された。外界と隔てられていた扉は開け放たれ、一人、また一人と姿を消していく。

杖をつきながら退席する少年の、まだ赤さの残る目と目が合った。噛み締められていた唇が、ありがとう、と動いたのが、遠くからでも見えた。

お返しに手を挙げたところで、背後に、息づかいまで感じる人の気配。振り返ろうとして、膝裏に衝撃。


「何すんだよっ!!」


悪童たる俺が感心するほどのあまりに見事な膝カックンだった。犯人である我が国一の貴公子は、女には絶対見せないであろう仏頂面だ。


「うるせぇ!! 跳び蹴り食らわされないだけでもありがたく思いやがれ!!」


普段甘い言葉を吐く口からは暴論が飛び出す。


「だから嫌だったんだよ、お前に教えるの。お前は陛下が絡むと途端に馬鹿になる。自分のやったことがどんなに愚かかわかってんの?」

「ああ」

「愚かとわかってやるのはただの阿呆だ、間抜けだ、脳足りんだ! 底抜けの御人好しが、自己犠牲も大概にしろよ! そんなんじゃ、幾ら命があっても足りないぞ! もう助けてやんないからなっ!!」


捨て台詞を吐いて俺の友人は足音荒く去っていく。不信や蟠りが溶けていくのを感じた。情報屋の矜持だとかどっちつかずの選択肢だとかぐちゃぐちゃ言いわけをして。結局俺が危険に飛び込むのが嫌だったのだろう。

全く素直じゃない。


「今回ばかりは標準ササナ語(エリオット)に賛成かな」


もう一人の友人は音も無く近寄っていた。


「テオドール……」

「とは言え、今回はなかなか有意義だったよ。また面白い音を聞ける機会があったら呼んでくれたまえ」


     ‡   ‡   ‡


扉の前で深呼吸。判決を父に報告しに来たのだが、大層気が重い。正直に話して体調を崩したらどうしよう。少しでもソフトに伝えられるよう頭の中で言葉をこねくり回す。既に音を出さず三度リハーサルした。が、先延ばしにして結末が変わるわけではない。覚悟を決めてノブに手をかけた。

そこには思いもよらぬ光景があった。親父は革張りの角椅子にゆったりとかけていた。そして向かいにもう一人。


「何故ここに儂がいるのかわからないと言う顔をしているな。愚か者!」


法廷に轟く声で耳元で一喝され、米神が傷む。


「儂がわざと疑いを招く言動をしていた時も、ひっかかったとすぐわかったわ。

眉一つ動かさず困難をやり通す、それが貴族の、政治家の鉄則だ! 感情がすぐ顔に出るようでどうする!!」


オジロワシに襲われるが如く、怒涛の罵声に目が白黒する。親父はその様をくすくす笑って見ている。


「改めて紹介しよう。学友のダニエル=マクミラン=ネイサン=パリス。もう二十年の付き合いになるかな」

「キサマのような性根の捻じ曲がった男と縁が続いているとは我ながら驚きだな」

「……今回の件で協力してくれたんだ。フィリップやマーシアに近づいて情報収集をお願いした」


俄かには信じられず、思わず指をさしてしまった。


「でもこいつ、ライオネルの即位に反対してたって」

「当たり前だ。当時の殿下の年齢を知っておるか? 八つだぞ。どう考えようと、王位を継ぐには幼すぎる。殿下はよくやっておるが、いくら聡明であろうと、今回のようなことが起こる。子供は利害、善悪の判断のできず、経験も少なく理性より感情を優先させる。そんな人間に国家の舵取りを任せるわけにはいかん」

「待てよ、あんた、第二王子の外戚のはずじゃ……」

「ササナ前国王が亡くなり、続けて王太子が暗殺された当時は、跡目を争って対立が激化した。どいつもこいつも王たる器ではなかったが、奴は他と比べ慎重でそこそこ智恵が回るので、まだましだった。ライオネル殿下同様、母親の身分が低く後ろ盾が無かったため、国が安定するならと思い娘を嫁にやった。ま、とんだ思い違いだったがな。奴は誰も信用せず、わしまで牢獄送りにしよった。

あそこまで疑い深いのはどうかと思うが、政治家とはそんなものだ。キサマは人を信じすぎる。少し見習うべきだ」


言いたいだけ言って、大法官にしてパリス公爵でもある男は今度は親父に向き直る。


「おいロメオ、このガキ甘やかしすぎだ! 貴族というより農民ではないか! お前ともあろう者がどういう教育をしておる! もっと鍛えんかっ!」

「すいませんね、ダニエル。ところでロメオと言うのはやめてくれと」

「ジュリエットに死なれた色男にはピッタリだろ?」


身内である俺でも口に出すのを躊躇する辛辣な皮肉。親父はいつもの余裕が削げ落ち口をへの字に曲げている。滅多に見せないその顔に満足したのか、パリス公は唇の端を吊り上げ部屋を辞した。

こんな皮肉を許容し、それ以前に愛称で呼び合う仲が親父にいるとは知らなかった。


「稀有な男だ。自身の生命や名誉は二の次で、常に国家のための選択をする。国益のためなら、家族すら売り渡し、泥をかぶり、例え王の反感も買っても、役目を果たす」


パリス公爵が裏切るとしたら、それは自分が王に相応しくないということだと、ライオネルは言っていた。彼の人柄に触れればわかる、とも。その人柄は、彼の司る法に似ている。公正で厳格で、時に冷酷なまでに正義を押し通そうとする。彼の思う正義が、常に正しいとは限らない。ただ、国にはこういう存在が必要ではあると思う。


ところで。

じろりと親父に目をやる。肌つやも良く、頬に赤みと膨らみが戻っている。


「仮病だったのか?」

「いやー、魔術師でもあり医者でもあるお前を騙すのは大変だったよ。三晩徹夜して、食事も暫く抜く羽目になった」

「なんだってそんなこと」

「この時期に事を起こしてくれると都合良いんだ。ランク国王は友好的だし、エスパニアは政権争い中だし。ダニエルや私も含めたササナの屋台骨が健在の今、多少風が吹いても揺らがないだろう」


確かに護国卿の親父が病に倒れていたことで、フィリップやマーシアは、或いは王妃は決心がついたのかもしれない。


「それならわざわざ病気のふりなんかせず、俺にくらい知らせても」

「だってお前、顔に出るじゃん」


ぐうの音も出ない。先ほどもパリス公に指摘されたばかりだ。


「敵を騙すには味方からって言うしね。それに」


親父は茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。


「お前からかうと面白いし。医師も言っていただろう? 一生治らない持病、利く薬は無いと。ま、ヒョウはその斑点を変えることはできない(三つ子の魂百まで)と言うことさ」

「くたばれ。今すぐくたばれ」


寧ろ俺が殺してやる。死以外に生来のいたずら小僧につける薬は無いのだから。


「加えて、お前の試金石にもなったし」


一石三鳥とは恐れ入る。さすが政治家だ。そんな親父は今回の俺の働きにさぞ失望したことだろう。


「その顔、何か勘違いしているようだね。言っとくけど今回の件、私の評価はそれほど悪いものではないよ」

「え? なんで?」

「例えばハミルトン君だ。彼が何らかの証拠を握っていると、早くから察していた。しかし彼は口を割らなかった。彼がフィードル王家にこれほどの忠誠心を持っているとは、かの王妃すら予想していなかっただろう」


ハミルトンは親父のことを知っている口ぶりだった。私を信用すべきでないとも。俺と違って親父は疑い、追及したのだろう。


「私の脅迫にも、ダニエルの懐柔にも彼は靡かなかった。彼の心を動かしたのは、陛下を語るお前の誠実さだ」


小柄な財務長官の、胸の痛くなるような訴えを思い出す。彼は結果的に王妃を追い詰めたが、証人として証言したのではない。懐に証拠を忍ばせながら、きっと彼は口を噤むべきか迷っていた。

彼の背を押した自覚は無い。ただ、彼だってライオネルが創るこの国を見たかったはずだ。その隣にカレドニア王女がいるのを誰より願っていたのだろう。そんな彼だから、単なる駆け引きではなく、心からの言葉が響いたのかもしれない。


「お前は我々が策を巡らし、情報と思考を積み重ね、多大な労力を経て見出す解に、易々と辿りつく。しかも自分ではそうとは知らず。単なる幸運と言ってしまえばそれまでだが、お前には第六感とも言うべき不思議な力が備わっている。

ダニエルはああ言ったが、お前は無理して我々貴族のやり方を学ぶ必要は無いのかもしれない。今回お前が打った手は最良の策ではないと思う。だがお前が選び取った結果だ。不思議と上手くいく気がしているよ」


まさか肯定されるとは思わなかった。成長を見守る優しげな眼差しがくすぐったい。しかし親父に比べればまだまだ俺はひよっ子だ。


「そういや、フィンリーが現れる場所をテオドールに教えたのは親父か?」

「まあね。マンドレイクを持った彼が出て来るとややこしくなるし。通路は限られていたから簡単に予測できたよ」


エリオットの情報網を使っても全く所在がつかめなかった人間だ。事も無げに言ってしまうのが空恐ろしい。


「今回の件、全部計算通りだったのか?」

「まさか」


親父は母が好きだった庭の木苺に目をやる。どこか嬉しそうに、どこか寂しそうに。


「陛下があんなこと言い出すとは思わなかったよ。昔から男女の恋だけは計りがたいね」


     ‡   ‡   ‡


街の東、プロワニダ川の岸辺、天災により何度もかけ直している橋をわたると、頑健な石灰岩の壁で囲まれた建物がある。その昔、ロンディ二ウムを占領した征服王が市民を威圧するために築いた要塞だ。後に歴代の王が次々に増築して、今では幾つもの塔の集合体となっている。今にいたるまで議会場、武器庫、宝物庫、造幣所、天文台など様々な使われ方をしており、王の居住地としての役割もあるが、建築して間もなく、特に政権が不安定だった近年は監獄としても使われていた。

右手の、つい先日も使われた言う川に面す叛逆者の門を過ぎ、左に折れるとすぐに見える円形の塔が、牢獄として使われているベルタワー。階段を昇り、騎士たちに挨拶をし、目的の部屋に辿りつく。煉瓦の床、逃亡を警戒してか窓には鉄格子がはまっている。置かれているは葡萄の蔓と葉が彫刻された寝具をはじめとする、棚、読書台など一級の家具が揃う。ここは政権争いに敗れた高貴な身分の人が囚われていたことも多く、先王の妻や、最近ではライオネルも幽閉されていた。厳重な警備がされ、いつ命を奪われるかもしれないという恐怖を除けば、快適に過ごせそうだ。

部屋の主は、本を膝に樫の椅子にかけ、物憂げに目を伏せていた。俺の足音にその美しい顔をぱっと上げ、俺の姿を認めると視線を落とした。


「なんだ、あなたか」


一体誰だと思ったのだろう。愚問だ。国家転覆まで起こした王妃に会いに来る人間など一人しか居ない。


「ライオネルなら来ないぞ」


公衆の面前で誰かさんを庇ったことで、少年王は自らの優しさと危うさを曝け出すこととなった。幸い、フィリップの妻子などの重すぎる量刑を諌めたという好意的な見方もあるが、自分の利権を拡大しようとする貴族議員たちが中心になり、彼の資質を疑問視する声もある。ライオネルは今、失われた信頼を取り戻そうと以前にも増して多忙な日々を送っている。


「あのお子様を待っていたような言い草、止めてくれる? ま、あなたの辛気臭い顔を見るより数百倍マシだけど」


明日処刑か一生虜囚か知れぬ身だが、幽閉したところでこの女の不遜な物言いは矯正できないらしい。


「それはそうとお暇な魔術師伯爵は何の用かしら。私に恨みごとでも言いに来たの?」

「その通りだ」


黒い髪を乱暴に引っ張く。それでも怯まない能面のような顔を至近距離で睨む。


「正直、俺はあんたを殺してやりたい」


この髪を引きちぎり、その厚い面の皮を剥いでやりたい凶暴な思いは、決して消えない。


「あんたはライオネルを最悪の形で裏切った。それがどれほど苦痛か、あんたにわかるか? あいつがしてきた血の滲むような努力を、きっとあんたは知らないだろう」


こいつは知らない。ダンスの練習をしていることも、アザミを植えることも。

ライオネルが知らせない。あいつは気遣いをアピールして見返りを求めたりしない。どれほど自分を殺し、国のために尽くそうとも。民が平穏に暮らしている、それだけで満足してしまう、誰より心優しい少年だから。


「なら、何故」

「それでもライオネルは、あんたがいなくなったら悲しむからだ」


その笑顔のためならなんだってする。この感情に蓋をするくらい朝飯前だ。


「次ライオネルを傷付けたら、俺はこの手であんたの喉を切り裂いてやる」


脅しでない本心からの言葉。王妃は怯みもせず、真っ直ぐに見つめ返す。この女がこうすると決めたら、こんな言葉抑止にもならないだろうが、伝えたいことは伝えた。俺は髪から手を離し、踵を返す。


「ローデリック」


王妃の威光とも言うべき臣下に命ず強制力に、足を止めた。


「はい」

「陛下は優しすぎる。このままではいつか身を滅ぼす」


ちぐはぐだ。かたわと罵り、死ねば良いと言ったその口で身を案じる発言をする。


「そうならぬよう、最大限の努力をする」


あいつのためなら、俺はこの手を血染めにすることもいとわない。


「罪人すら許す臣下に慈悲深い陛下。確かにお似合いの主従ね。でも、そんなあなたの力だけじゃ、陛下を護れないわ」

「そう思うなら、あんたが」


堪えきれず振り返る。


「わずか十八にして国家を危機に晒した。その手腕があれば、陛下の助けになる」


とびっきりの冗句を聞いたように、王妃は口元に手を当て笑う。


「裏切り者に期待するというの?」


残念ながら、俺は本気である。そうでなければ、ライオネルが泣こうが喚こうが、この女を見殺しにした。


「何故マンドレイクを使わなかった?」


笑みが止まった。


「ライオネルのすぐ上の兄は砒素で暗殺されている。ライオネルが銀食器を使っていることをあんたは知っていたはずだ。マンドレイクは処置が遅ければまず助からない。夫婦として行動を共にしているあんたには幾らでもチャンスがあった。だが貴重で強力な毒が手元にありながら、あんたは多大な労力と時間をかけ、警戒されている砒素を外国から入手した」


王妃は確かに王を害すつもりで動いていた。それだけの動機もあった。ただ、王を暗殺するにはどこか詰めが甘い。全てを滅ぼしたいという投げやりな理由とは裏腹に、慎重を理由に時間を引き延ばしているようにも思える。

本人は気づいているだろうか。殺したいほど憎んでいるのに死なせたくない。その矛盾する思いに。


「毒の入手にしてもそうだ。国や王宮に入れるのは厄介だが、手段がないわけじゃない。わざわざ公式の記録に残るような方法をとらなくても良かったはずだ。

まだある。あんたは決定的な証拠となる手紙をハミルトン財務長官に渡した。彼はササナで成功し、重用された。信頼を預けるに足る相手では無い」


ササナでもやっかみを受け事あるごとにスパイの疑いを受けていた彼だが、カレドニアにとっても母国を捨て敵国で出世した裏切り者。言わばこうもりのような立場。その忠誠心は王妃にも予想外だったと親父は言った。彼が証拠として例の手紙を差し出すのを見越していたのかもしれない。


「ハミルトンのことは浅慮だったとして、あとは言い逃れをするための策だとは思わないの?」

「命乞いなんかしないと言ったあんたが? それにしては法廷での告白は軽率だったな。最後まで無実を訴え、聴衆を同情させ、陛下への不信感を植えつけることだってできたはずだ。あんたは罪を告白し、全てを呪った。それは全てから疎まれるのと同義だ」


こいつの行いは首に縄をかけておきながら寸前で手を緩めるような、上手く言えないけど強烈な違和感がある。


「あんたは今まで陛下の反感を買うような行いをし、法廷の場では罪を否定し、陛下の瑕疵を匂わせ、最後に縋ってみせた。何故だ」


そんなことしても逆効果だし、嫌悪が増すだけだ。縋るつもりならもっと懐柔し、信頼を重ねておくべきだ。


「名前を呼んでやれば良かったじゃないか。笑いかけてやれば良かったじゃないか。何人もの男を手玉にとったあんただ。年端もいかない、家族に飢えている少年。騙すのなんて簡単だったろう?」


敵意を持つ相手に好意をむけるのは途方も無い労力がいる。逆に、好意を持つ相手に敵意を向け続けるのも容易ではない。

優しくして、傍にいるだけが愛ではないと、母は言った。愛の形は様々だと母は言った。真綿のような気遣いで包み込むことがライオネルの愛ならば。この女の愛は来るべき日のためにその優しさを突き放すことだったとしたら。


「あんたは徹底的に嫌われなくてはならなかった。ライオネルがあんたを処刑する時に罪悪感を覚えないで済むように」


ライオネルを傷つけた罪を無かったことにはできないけど。法廷で、無意識にライオネルの名を呼んだ。そこに込められた感情が偽りだったとは思えない。本人にもそうとは気づかぬ内に、復讐と恩義、憎しみと愛、相反する二つの感情の狭間で、揺れていたのかもしれない。


「さすが、魔法使い。自分の頭にお花畑を咲かせる魔法を使うなんて恐れ入るわ。絶対真似したくないけど」


相変わらずの毒舌だ。確かに俺が語ったのは、そうであると言うよりそうであって欲しいという願望だ。でも間違ってるなんて思えない。何しろうちの陛下は世界一なのだ。その陛下にあんなに大切に思われて、あんなに直向きな愛情を向けられて、絆されない人間がいるはずないだろ?


「あなたがどう思おうと、私はあのお子様を殺す気だった。本気で殺す気だった。そうじゃなきゃ、口封じに殺したメイドや侯爵、それに文字通り己を捨てて尽くしてくれたフィンリーに申し訳が立たないわ」


黒ダイヤを嵌めた華奢な手が拳を作る。


「あなたたちにとって国民を悪戯に苦しめた愚王かもしれないけど、私にとって優しい父親だった。執務机に座っている時も膝にのせてくれた、手をとって読み書きを教えてくれた、早くに亡くなった母の代わりにいつだって抱きしめて頭を撫ででくれた、かけがえの無い父親だった。憎しみは消えてないし、これからも消えないわ。ただ……」


王妃は漆喰の壁に掲げられたタペストリーを眺める。図柄は外に出られない衆人のため、初夏の緑と花々で彩られていた。他の調度品と比べて目新しい。ライオネルが、今や同じ境遇となった妻を不憫に思い、彼女が過ごし易いよう気を遣ったのかもしれない。


「私に贈る花を細心の注意を払って選んで、晩餐に私の故郷の料理を作らせて、忙しいのに必死に私との時間を作って。馬鹿みたい。

あんまり馬鹿馬鹿しくて、相手が私じゃ無ければ幸せになったんじゃないかって、柄にも無く思っただけ」


愛情が、一瞬で憎しみに変わることがある。ならば憎しみが、長い時間をかけて愛情にかわることだってあるはずだ。

何気なく目をやり、彼女の膝の上にある本に見覚えあるのに気づいた。あのエドモンド侯爵の日記が入っていた本のカバーだ。勿論中身は本物の方だろう。


「その本……」

「これ? 気晴らしにって侍女に何冊か持たせたらしいのよ。世話焼きよねぇ」


誰が、なんて野暮なことは聞かない。


「へえ。読んでどうでした?」

「全くつまらないわ。特に白馬の王子が出てくる話。私なら魔法使いを誑かして国をのっとてやるのに」


そう言いながら、王妃は愛しげに背表紙を撫でていた。


 ――白馬に乗れない王子様と魔法使いをたぶらかす腹黒姫。


お伽噺の登場人物としては欠陥品だけど。案外いいカップルになるんじゃないか。


     ‡   ‡   ‡


ベルタワーを出れば、重苦しい牢獄にいたから余計に、空が高く感じる。

マリアベルに教えてやろう、この話の顛末を。人は人を騙し、裏切り、憎しみ、それでも人を愛さずにはいられない生き物なんだって。


「お前は何も言わないんだな」


王妃と面会した時も言葉も気配も発しなかった背後の女騎士に話しかける。


「言って欲しいのか?」


振り返えればメディシーナは限りなく優しい顔をしていた。


「キサマの選択は愚かだ。しかし私は嫌いでない」

「そっか」


単純なもので、好きな女に肯定されただけで気分が高揚するから不思議だ。


「それにしても、陛下は素敵だな。うっかり心を奪われそうだ」


衝撃発言にうっかり顎が外れそうになった。


「確かに俺のライオネルは世界一だけども! 年下だぞ! おまけに既婚者!」

「年下は好かんと思っていたが、陛下は特別だ。天使の美貌、天才的剣の腕、年齢以上の聡明さ、何よりあの慈悲深さ。例え報われなくとも慕う心くらい自由であろう?」

「何故そんな茨の道を歩もうとする! もっと楽な道があるだろうが!」


フリーでお前に心を奪われている男がここにいると言うのに!

すると初恋の君は路傍の石を見るような視線を寄越した。


「良い男に障害はつきものだ。キサマのようなつまらぬ男に興味はない」


なあ、今涙を流しても許されるか?




松葉杖の少年王と毒妃のお話はめでたしめでたしで締めくくるとしよう。

だがヘタレ伯爵(オレ)戦乙女メディシーナが結ばれる日は……来るのだろうか。

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