二通目 消える旅人
あの狸親父、絶対知っていたに違いない。放牧された羊たちを眺めながら、幾度となく毒付く。何しろ息子の交際相手で統計をとるような男だ。初恋の相手を護衛に当てがったって不思議ではない。孫が見たいとかぬかしていたし。狭い馬車の荷台で、メディシーナは何故か対角線上に最大限の距離を置いて座り、こちらを見ようともしない。地味に傷つく。
「乗り心地はどうかね~」
前方の御者台から野太い男声。俺たちを幌馬車の荷台に乗せてくれたこの親切なお百姓さんは、ロンディニウムで野菜を売り、農村に帰る予定だと言う。ロンディニウムから港があるミンチまでは街道も整備され、駅馬車もあるが、公共交通機関を利用すると記録に残る可能性がある。
特に俺は面が割れているのだ。極秘で行く以上、念には念を入れなければならない。
「最高ですっ!」
月に一二度しかロンディニウムに野菜売りに来ない彼は、情報が漏れる心配が無く、正しく最高条件の運転手である。座席は本来野菜置きだけあって、木床に路面の凹凸が直に響き尻が痛いが、今は文句を言うまい。
日光が遮られた。雲かと思って青い空を見上げたら、馬車を牽く翼を広げた黒い影。飛竜、いや、あの形にあの高さなら天馬か。乗っているのは伯爵以上の貴族か、羽振りの良い商人だろう。いいご身分だ。くそう。俺だって伯爵、しかも公爵子息だってのに、何だろうこの格差。
召喚術を始めとし、薬草学、天文学、占術、語学、政治学に渡る幅広い知識と特殊な技能を持つ者を総じて魔法使いと呼ぶ。この国で、他国なら尚更、魔法使いは稀少な存在だ。奇跡を起こすのは神の子だけと言う救世主教と真っ向から対立する存在のため、他国では迫害どころか処刑されることもある。
この国でも少し前までは、所謂魔女狩りが公然と行われていた。しかし、魔法使いが絶滅危惧種となり、知識が途切れるのを現国王(の、裏で手を引いている親父)が憂い、数年前から大学で魔法学部を開講し、魔法使いの育成が始まった。とは言っても、依然、魔法使いの絶対数は少ない。必然、魔法の恩恵を被るのは権力か財を持つものに限られる。
「ところで」
お百姓さんが機嫌良く鼻歌を始めたのを期に、メディシーナに小声で話しかけた。
「念のために細かい打ち合わせをしておかないか? 俺とお前は婚約者と言うことで」
「断る。キサマとそんな関係など、嘘だとしても鳥肌が立つ」
すげない返答に胸が痛むが無視だ。
「他にどんな理由があって婚姻前の男女が寝食を共にするんだ。代案を要求する」
「姉弟」
「似てないだろ。しかもお前が上かよ」
メディシーナと俺は同じ年だ。厳密には俺が半年程上だ。
「護衛と護衛対象」
「まんまじゃねぇか」
「黙れ。婚約者ではすぐバレる。そもそもそんな雰囲気ではないからな」
「それもそうだが。許嫁とかは?」
「何故そこに拘る」
偽りでも初恋の相手と婚姻したい男心を察しろ。
ろくな案が出無いので、許嫁案を押し通すことにした。俺、商人見習リックは許嫁シーナとルテティアで成功している伯父の元に行く、と。偽名がまんまなのは仕方ない。俺とメディシーナはなまじ幼馴染みであるだけに、ふとした拍子に本名を呼んでしまう可能性がある。
「……」
「……」
打ち合わせが終わると、お互いの間に何とも言えない沈黙が漂った。あの頃はどんなことを話していたのだろう。
回想開始。悪戯、制裁、木刀、タコ殴り、説教……駄目だ、言葉より暴力のコミュニケーションのみのような気がしてきた。気まずい空気打破のため断崖でバク転する思いで会話を振る。
「お前、騎士になったんだな。昔から腕は立ったもんな」
メディシーナは俺が住んでいた農村を治めていた男爵の娘だ。普通貴族の令嬢と言えば屋敷で人形遊びや裁縫をし、礼儀作法の勉強をするものだが、メディシーナは父について領地に赴き、農民の子供たちと野山を駆け回っていた。と言うか、土地を守る貴族の責務として悪童の俺をこらしめていた節がある。体格は悪くなく、悪知恵は回るはずなのに、小さい頃からこいつにだけは勝てなかった。
「あー、村の者は元気か?」
「うむ」
……会話終了。新たな話題を考えあぐねていると。
「リック、気にしているふりは寄せ。不愉快だ」
翡翠の相眸は絶対零度だった。
「ふり? 俺は忘れたことなんて……」
本心だ。あの村のことも、メディシーナのことも、片時も離れずこの胸にあった。けれど白い眉間にはさも不愉快そうに皺が寄る。
「ならば何故来なかった? 手紙一つ寄越さなかったではないか」
「それは……」
絶句した。懐かしいと言いながら、懐かしむだけで。その気になれば時間が作れたのに、一度も会いに来なかった俺は確かに薄情者に分類されるのだろう。日が西に傾いても、メディシーナは一言も口を聞いてくれなかった。用心棒はそんなものなのかもしれないが、最低限のコミュニケーションくらいしてほしい。
いや、これは単に初恋の相手と会話したいという俺の願望故なのだけど。
「お世話になりました」
これから村へ帰る農夫に仏頂面のメディシーナの分まで路銀を渡し頭を下げた。大きな街ではないが、城塞も古いが堅固そうだ。道行く人は女が多く、夕飯の仕度のためか急ぎ足だ。地図で街名を確認すれば順調に距離を稼いでいる。明日も天気好さそうだし、この調子なら明日の夜にでも港に着くだろう。
「ここで降ろしといて何だけど……」
農夫は周囲を見渡してから、声を潜める。
「この町は気をつけな。旅人が何人も行方不明になっているそうだ」
「どういうことですか?」
夕暮れ時の街並みが、一気に不穏に映る。突っ込んで情報を求めるも。
「儂も噂を聞いただけで詳しくは知らん」
言うだけ言っといて無責任な。
「ほう、消えた旅人か」
メディシーナがほぼ半日ぶりに声を出した。二つの翡翠は爛々と輝いている。そう言えばこいつは小さな頃から妙なことに首を突っ込む悪癖があった。頼まれもしないのに悪童(つまり俺)を追いかけ回したり、野菜泥棒(そして俺)を捕まえようとしたり。根っからの騎士であるので、悪行が見過ごせないのだろう。
「シーナ、お前」
女騎士は顔を背けた。
「別に夜中ぶらついて犯人をおびき寄せようとか考えていない」
「考えてるだろ、絶対考えているだろ!?いいか、余計な手出しすんなよ!」
「余計なこととは何だ。市民の安全を守るためだろうが」
「俺たちの安全はどうなる! 俺たちには使命があるの。で、明日の朝街を出るために今日は早めに寝るの! わかる? 人様に構ってないで優先すべきことがあるだろう?」
「よしわかった、決闘だ」
「わかってねぇ! 全くわかってねぇ!」
「わかってないのはキサマだ。意見が対立した時は剣を交え、勝った方に従うのが常識だ」
「どこの脳筋の常識デスカ!? てかお前ガキの頃より思考退化してね?」
事実を告げただけなのに、奴ときたら予告無しに抜刀しやがった。
「お前に言語などという文明的なコミュニケーションは通じないようだな」
「ふん、最初からそうすればいいのだ。せいぜい負けてちびらぬようにな」
「言っとくけど子供の頃と同じようにはいかんぞ」
ふと、うなじに視線を感じた。農家のおっさんが生暖かく見守っていた。
「ほっほっほ。仲が良いねぇ」
「「どこが!?」」
「喧嘩するほど、と言うじゃないか。私も若い頃は妻と死闘を繰り広げたものだ」
どんな夫婦だ。勝負に水を差され、ついでに街中で戦うのは得策ではないと冷静になり、闘志を引っ込める。
「ここはあれで決着をつけよう」
「了解した」
「「せ~の」」
うちの村にはこういう時にぴったりの勝負がある。何で遊ぶとか、誰が余った木の実を食うかとかでいさかう時、子供たちは掛け声の後に騎士、狩人、魔術師の物真似をする。これは皇帝、市民、奴隷のように三竦みを利用したもので、狩人は騎士に勝ち、騎士は魔術師に勝ち、魔術師は狩人に勝つ。
俺は銃を構えた狩人を選び、予想通り剣を構える騎士のポーズをしたメディシーナは拳を震わせた。
「何故だ、騎士が最強だろう」
「それじゃ勝負にならんだろ」
結局甚だ不満げな面を下げたメディシーナと街の散策となった。と言っても小さな街、悩むほど宿があるわけじゃない。身元の詮索をぜず無難な値段の宿を選んだ。変な噂のせいか、ありがたいことに
しかしチェクインする状況になって新たな問題が発覚する。俺はメディシーナを部屋の隅に引っ張った。
「何人部屋にする?」
「二人部屋に決まっておろうが」
「男女七歳にして同禽せず、と言う東洋のことわざを知っているか?」
「部屋が別なら護衛にならんだろう?だいたい婚約者とか言い出したのはお前ではないか」
「わかっている、わかっているが」
初恋の異性と同じ部屋で寝泊まりするなんて男としては涎が出そうなシュチュエーションであるだろうが。俺は好きな異女と同じ部屋でいて平静でいられるほど器が大きく無い。ああ、小心者と笑うがいいさ。
「申し訳ないが」
言い争いがヒートアップする中、宿の主人の声が飛ぶ。
「改装中で、一部屋しか開いてないのだよ」
苦悶の一夜が決定した。
初恋の女との夜。しかも腕ぷしが強く、俺に好感を抱くどころか嫌っている。何と言う生殺し。天国部分の鍍金が剥がれ、どう考えても地獄としか思えない。果たして俺は平静を保てるのか?カモミールやリンデン……沈静効果のあるハーブティーでも淹れるとしよう。
「ん?」
割り振られた二階の部屋のドアを開けたメディシーナは鼻に皺を寄せる。
「どうした?」
「鉄の……いや、血の匂いがしないか?」
「言われてみればするようなしないような」
その程度の微かなものだ。前の客が鼻血でも出したんだろうか。部屋は思ったより広く、机には水を張ったタライにタオル、椅子等の家具類も揃っていた。
そこはいい。問題のぶつは視野にいれないようにしたいが、いつまでも現実逃避しているわけにも行くまい。セミダブルと言うべきか、街の宿屋にはなかなか大きいベッドだ。しかしa bed。一つのベッド。
「お、お、お前が使え」
挙動不審になる俺を誰が責められよう。
「私は護衛だ。護衛対象を差し置いて寝るわけにはいかん」
「女に譲られるなんて紳士の名折れだ」
「キサマのどこが紳士だ」
「……お前は、男と同じ床で何とも思わんのか」
男として意識されてないのだろうか。それもそれで悲しい。
「ミミズと一緒に寝ていると思えば、キサマと同じ床に寝るのも苦ではない。いや、ミミズの方が有益だ。畑を肥えさせる」
心底軽蔑した視線。メディシーナの言葉は的確に俺の心を抉る。驚異だ。
「なんか言葉交わすの億劫になって来た。寝てろ」
瞬きの速度でメディシーナの得物が軌跡を描く。幼い時分から鍛えられた脊髄反射で後退したが、剣圧が額を撫でていく。
「そんな強制的な眠りはいらない!」
こいつの思考回路は猪もびっくりの直進ぶりらしい。恐怖だ。
「案ずるな、鞘付きだ」
「案ずるわ、痛いだろう!」
縦横無尽の薙ぎや刺突を、机に乗り、ベッドを走り、全身全霊でかわしてかすって避けまくっていたが、繰り出される何撃かに椅子が粉砕された。あんなの食らったら、死ぬわ。
何撃目かを横転でかわした拍子にベッドの足に頭をぶつけてしまった。次撃が来る前に慌てて身体を起こすと。
「え? 血?」
床についた小さな血痕が目に入った。
「はァ!? この程度で鼻血か? 赤子も見紛うやわさだな」
「ちげぇ、俺のじゃねぇ!」
指で撫でれば、乾いて黒ずんでいるが、それほど日が経ってないようだ。入室できない他の部屋。室内の血臭。数日前の血痕。看過できないほど悪寒が走るのだが。
「……どうもキナ臭いな。宿を変えるか?」
「夜も遅い。今からでは宿も開いて無いだろう。それに」
メディシーナは不敵に笑う。確信を持って言える。こいつ絶対ろくなこと考えてねぇ。
‡ ‡ ‡
やがて夜も更けて、月の無い透明の闇には星。
「……リック」
「ああ」
廊下にしみ込む忍び足。壁の向こうの複数の気配。こんな夜分に無断来室とは、少々穏やかでない。
油が差してあるのか、部屋のドアは音もなく開いた。
その静寂は突如破られる。ゴン、硬い何かの衝突、続いて何かが倒れる音。やや開けたドア上に立て掛けたフライパンが時間差で侵入者の頭上に落下したのだ。さっすが俺。突然倒れた仲間に狼狽し、一人が部屋に顔を出す。
「な、なん……」
彼は言葉を最後まで続けることができなかった。壁際で息を潜めていた女騎士の剣が、首から上を薙いだからだ。フルスイングされたリンゴと化した男の頭は廊下の床に激突した。刃渡り三十五インチ(約九十センチ)、重さ三・五ポンド(約一・六キロ)のショートソードが鞘に納まったままなのがメディシーナの優しさだが、暗がりにも顔が歪に変形しているのがわかる。メディシーナは滑るように移動し、まだ残っていた男の鳩尾を突いた。
あっという間の出来事だった。男は剣を持っていて、防御の構えをとったが、防ぐには至らなかった。
メディシーナの突きの方が遥かに早かったのだ。国一番の騎士と言うのは伊達じゃない。
メディシーナは床に倒れた男たちに視線を走らせる。
「店の構造を把握しているのか」
星明かりは廊下まで届かず階段もあるのに、賊は灯りを持っていなかった。
「ドアから悠長に侵入してきたんだ。下の階のカウンターを通るはずなのにな。他に部屋があったのにこの部屋に直行してきたのもおかしい。恐らく店ぐるみ……」
人の気配に口をつぐむ。階段を昇る足音。薄明かりに浮かび上がる顔は……店主だ。
「おい、あまり暴れ……」
店主が俺たちを認め目を見開いた瞬間。びゅ。風を切る剥き出しの矢が、その腹に突き刺さる。店主の声が上がる前に、恰幅の良い身体が傾ぐ。クロスボウを下げる俺にメディシーナは咎めるような眼差しを向けた。
「麻酔が塗ってあるだけだ。死んでない」
矢も弓も小型の、ばらせば服に隠して持ち運びができる連射式クロスボウ。因みに麻酔は、小型化で弱まった威力を補うためでもある。
「お前、剣は?」
「俺の得物はこれ」
「相変わらず軟弱だな」
どうやら店主を害したことではなく、剣を使わなかったことに腹を立てているらしい。剣至上主義のメディシーナは卑怯な飛び道具が嫌いなのだ。
「別にいいだろ、便利だし」
せっかく役に立ったと言うのに。
「俺たちを追ってきたと言うわけではなさそうだな」
メディシーナが男たちを捕縛しているのを横目で眺める。やけに手際良いのは騎士だからか。
「農夫は他にも消えた旅人がいると言っていたしな。だいたい刺客にしては弱すぎだ」
言葉の合間に欠伸が出てしまった。
「街の責任者のとこに行くかー。めんどくさい」
もう夜も更けている。今日は寝不足決定、事情聴取をされれば、明日の出発が遅くなる。腹が立ったので店主の顔を蹴っておいた。
「ササナ国民のためだろう。いとうな」
「お前は相変わらず真面目だねぇ」
皮肉を言いながら、何故だか安心してしまった。こいつは村民のために俺をぶちのめしたあの頃と何も変わっていないのだ。