十通目 伏魔殿での捜索
タイをきつく締め、水晶のピンで止める。上着を羽織り、飾りのついた襟を整える。後は……。
帽子を被る角度を調整しようと暗くなった硝子に映す。ちょっと釣り目なだけの平凡な男がそこにいた。
友人はいる。ボーガンも扱える。薬学の知識がある。魔術も出来る。でも、無力だ。
打ちひしがれている。
俺は、自分が何か出来ると思っていた。自分一人で何も為したことがないのに、何故かそう思っていた。
落ち込んでいる暇はないと、わかっているけど。メディシーナに、全て守るのは無理だから大切なものだけ守れば良いと言った。でも俺は、自分の腕の中のものすら守れないのか。
ライオネルに味方になると言った。その言葉に偽りはない。気持ちばかりだ。言葉ばかりだ。行動は空回りしている。結果を出していない。そんな人間、信用出来ないのは当然のことで。結果を出さなければ、弟であり国王である少年は救えない。何も為さずに、自分は頑張ったと慰めたくない。
額を窓につける。冷たさの分だけ、行き場のない思いも落ち着く気がした。
「行くか」
侍従たちが左右に扉を開くと、光が溢れた。
吹き抜けのホールは揺らめく灯りに照らし出され、翻る衣服が見るも鮮やかだ。ランクの舞踏会を見た俺の目にはややくすんでいるが、古式の柱、軽食が盛られたテーブルは花々で彩られている。その様子はさながら神話に出てくる神殿のようだ。
王室が主催する春の始めのこの舞踏会。ライオネルには調査のため容疑者のリストに載っている人物を招くように頼んでいるが、本来この舞踏会に招待されるのは大変名誉なことだ。溢れんばかりの人々に彼らに貼り付けられたのは同じ類の笑顔。冬の間領にこもっていた彼らは再会の喜びに、男たちは大袈裟な抱擁を交わしている。女たちは目だけで笑い口元を扇で隠す。
それを優雅でなく薄ら寒いと感じるのは、何故だろう。この中にあの少年の命を狙う人間がいると疑っているからだろうか。
顔見知りに挨拶を交わしながら招待客たちを窺い……令嬢に取り囲まれる友人Eの金髪が目に入った。
さり気なく見なかったふりをした。
場を満たしていた管弦楽の音色がクライマックスの盛り上がりを見せ、重厚な和音で締めくくる。喝采を浴びる僅かな休息の後、金管楽器が高らかに鳴り響く。その音色に誘われ階段から舞い降りた二人に、その場にいる誰もが時も忘れて見惚れる。
少年が着る衣服は雪のように白く、襟や裾を飾る色刺繍、そして胸元を飾る大きなリボンがアクセントとなっている。肩からは丸形の短いマントが翼のように広がり、天使のような容姿が引き立つ。杖をつく少年にエスコートされた女性は僅かに背が高く、喪服と見まごう黒絹のドレスはフリルをあしらった流行の型で、結いあげた黒髪には百合を刺している。彼らは、王冠も宝石の類も一切身につけていないのに、広場中の光を浴びているかのように煌びやかだ。
「皆の者、ようこそ。今宵は余の夜会に集まってくれたことに感謝する」
ライオネル=ハルジオンとベアトリクス=ベラドンナ=フィードル。ササナ国が誇る国王夫妻。
そう、ライオネルは結婚している。婚約した時、彼は十にも満たなかった。敗戦国となったカレドニアは、ササナが支配することへの反発が少なからずあった。そこで共同統治という形で不満を抑え込むため、議会にカレドニアの王女との婚約を定められたのだ。
「それでは、今宵は楽しんでくれ」
挨拶を終えたライオネルは妻に笑いかけ、何事か言葉を交わす。
妻はにこりともせず、扇を広げる。親しい者だけが気づけるほど僅かに、少年の笑みが強張った。扇の下で、どうせまた心無い言葉を投げかけられたのだろう。
ライオネルは妻に数多の気遣いと溢れるばかりの優しさを与えているが、それらが報われることはない。
王位継承戦争で国内が混乱したことで、他国の介入を招いた。特に隣国カレドニアは出兵し国境を南下、更にはササナを統一しようと動いた。一時は第三王子を打ち取る程だったが、他の兄がいなくなったことでライオネルが王位につき、継承戦争は終結。故サーベレッジ伯爵の活躍で敗北の色が濃くなり、尚も戦争を続けようとしたところで飢饉に苦しむ民衆が立ち上がった。カレドニア貴族は保身のために国王と幼い一人娘をササナ軍に差し出し、戦争の発端となった国王は処刑された。
俺から見ればカレドニアの自業自得だが、彼女にとってササナは、それを象徴する国王は、彼女の大切なものを奪った相手だ。父を殺された憎しみは未だ癒えない。
王族や貴族に生まれたからには結婚相手を選べないなんて珍しくない。だが、こんな歪な夫婦、なかなかおめにかかれない。無作法だけど、これ以上笑顔を曇らせたくなくて、足音荒く近付いた。
「リック!」
俺は膝をついた。
「陛下、ご機嫌麗しく」
周囲の目があるので儀礼的な挨拶に留めたが、自惚れでなければライオネルは心からの笑顔を浮かべる。横目で伺うとヘーゼルの瞳が無機質に見下ろしていた。
もの凄い温度差だ。
「調子はどう? 探していた人は見つかりそう?」
「それがなかなか愛しの君に巡り会えず弱っております」
いきなりぶっ混んできた。勿論犯人のことだ。下手に隠したり誤魔化したりするより皆の前で堂々と聞いた方がかえって疑いを持たれないものだ。
「そう。簡単に見つかるとは思えないよ。あんまり無理しないで」
「お気遣い、感謝します」
叱責しても良いのに、俺の心配をする陛下に本当に頭が下がる。
「それじゃ、いつものようにお願い出来るかな?」
ライオネルが王妃の手を差し出す。舞踏会の最初はパートナーと踊るものだが、ライオネルはダンスが踊れない。だから誰もが気兼ねして、パートナーである王妃をダンスに誘わなかった。舞踏会を楽しめない妻を気遣い、ライオネルはパートナーの代わり、最初の相手役を俺に頼んだ。
俺は快く引き受けた。今までならば。
「ちょっと失礼」
ライオネルを引っ張り、王妃から距離をとる。注目を浴びているが、知るか。
「お前、練習していたんじゃなかったのかよ」
「うん。でも、まだ最後まで踊れなくて」
陛下は年相応に、照れたように笑う。
「どうせならカッコいいとこ見せたいでしょ」
「……」
いじらしさに言葉を見失った。
「何をこそこそ喋っているのかしら? 随分紳士的な行為ですこと」
鈴が鳴るようなのに、刺々しい不機嫌な声色。
「何でもないよ、ベアトリクス」
ライオネルは振り返り微笑む。もしこいつが完璧にステップを踏んだとして、この女が喜ぶことなんてあり得るんだろうか。
形の美しい黒サテンの手袋が添えられる。髪は磨いたエルダー(セイヨウニワトコ)の種子のように黒光りしているが、頭のてっぺんから指先まで黒とは気合入っている。先述したように、彼女はパッと見宝石を身に付けていない。手袋の下に指輪でもしているのか、一瞬握った指に堅く冷たいものが触れたくらい。ライオネルに宝石をねだったにも関わらず、だ。あの健気な少年はきっと宝石を贈った。妻を喜ばせるために。しかし彼女は、彼の贈るものなど要らないと言うことか。
空いた片方を腰に回す。細く、くびれた女性的な腰つき。禁欲的な黒の胸元からこぼれる白い二つの膨らみ。つんと澄ました唇まで蠱惑的だ。ゆったりとした優美なターンに、どこか色気が漂う。俺より年下なのに、この違いは何だろう。ライオネルの知り合いでなければ、平々凡々な俺が触れるはずもない女。彼女の側にいることで、舞踏会の中心にいるのが肌でも感じられる。
「今日のドレスは黒ですか?」
「悪い?」
「いえ、お似合いですよ。ただ、今日は春の初めの祝いの席ですので」
「なんで私がササナの行事を祝わなくちゃいけないの?」
真顔で聞き返された。つまり、ライオネルと対比を為すこの葬式のような衣装は当て付けなのか。彼女の背景は同情出来るにしても、性格悪い。
この女と顔を合わせると、恋とかロマンスとかそんな甘いものではなく、嫌悪や憎しみに似た苦々しさが競り上がる。俺はライオネルを傷つけるこの女が嫌いだ。この女もライオネルの肩を持つ俺が嫌いだろう。
わかっているのに。惹かれそうになる自分がいる。
白状しよう。初めてこの女に出会ったとき、俺は恐怖を覚えた。人は、自分の害になるものに強く惹かれる。いけないとわかっていても酒を飲み干し、煙草をたしなみ、麻薬に手を伸ばし、娼婦に金をつぎ込み、博打で破産する。
彼女もまた、そうだ。メディシーナのように男を寄せ付けない女がいる。その一方で、男を無意識に惹き付ける女がいる。それはまるで、ミドルネームに相応しく毒の貴婦人。可憐な花なのに、人を狂わせる。
普通に考えたら、この国の安寧と平穏のため、唯一の王を殺す馬鹿はいない。でももし、理性で割り切れない何かがあるとしたら? この女を得たいがために、国王を亡き者にしたがる男がいる可能性も頭にいれておくべきかもしれない。
何度か目のターンに、髪にさした百合の香りに混ざって覚えのある匂いが鼻をくすぐった。
「あれ? ひょっとして、俺が贈った化粧品使っていますか?」
例のエドモンド侯爵が参加した彼女の誕生日。不参加の俺も贈り物をしている。
「ああ、そう言えば、あなたからもらったんだったわね。使い始めてから、肌の調子が良くて」
「殆どの化粧品はお肌が曲がり角を迎えた女性のために作られ、十代にとって過剰な油分を摂取することになります」
「……あなた、男のくせに詳しいのね」
「仕事ですから」
うちの事業はハーブクッキー以外にも医薬品から化粧品まで幅広く手掛けている。
「魔法使いの仕事って、えっと、随分広範囲なのね」
さすがの王妃も皮肉にキレがない。
「あの化粧品、あなたの領で販売しているの?」
「そうですが、何故?」
「私の肌が綺麗になったから、侍女たちが欲しいみたいなの」
「有り難いお話ですが……。先程の年齢のことやアレルギーがある方もいらっしゃいますので、直接お客様にお会いして、一人一人の肌にあった化粧品を作っています。ただ、そうするとコストが高くなってしまいます」
「なるほど、侍女ではちょっと手が出せない商品と言うわけね」
「使ってみて、ご不満な点はありますか?」
「そうね。誕生日から使いはじめたけど、季節の変わり目に肌荒れも無くて。
ただ、私の肌は日光に弱いの。日焼け止めも別に塗るけど、一緒になっていると重宝するわね」
「早速参考にさせていただきます」
すると王妃は不機嫌ないつもの顔を綻ばせて。
「そう。お役に立てたようで良かった。完成するのを楽しみにしているわ」
俺の化粧品を誉めるだけでなく、女性らしい視点からアイデアをくれた。
なんてことだ、実はこいついい人じゃないだろうか。
そこでライオネルへのつれない態度を思い出し、やはり冷血高飛車女だと評価を下方修正した。ただ、それだけでない一面を今日は垣間見た。彼女は年頃らしく容姿を気にし、侍女を思いやる普通の少女だった。ライオネルが普通の少年であるように。
「ありがとうリック」
曲が止むと、何処からともなくライオネルが現れ、王妃の手を取った。
「どんな話をしたの? ベアトリクスも機嫌が良いみたいだ」
歪な二人の背を見送る。ダンスを踊るのさえ、困難なライオネル。どんな思いで俺に妻を任せているのだろう。
頭を振る。感傷に浸っている暇はない。夜は短い。俺は俺のすべきことをしなければ。
と、決意したはいいものの、足を止める事態が発生した。
「きゃ」
田舎から出てきたのだろう、きょろきょろよそ見をしていた少女が年配の男にぶつかった。
「おや、これは田園のステップでしょうか」
「すいません。あの……」
馬鹿にされているとわかっているのかいないのか、か細い声で話しかけた。
「申し遅れました、辺境のレディ。グレイ伯ユージーンです」
「ルージーン様ですか?」
歌うようなイントネーションの発音に笑いが湧き上がる。少女は顔を真っ赤に染めた。田舎者を笑いのタネにするなど、古今東西有り触れた光景だ。胸糞悪いが。
周囲は一緒になって嘲笑する者、無関心に通り過ぎる者に分かれている。
俺も関わらない。一々助けいてたらきりが無い。俺だって学生時代、散々育ちのことを笑われた。地元も発音も一生ついてまわるのだ。この先社交界で生きていこうと思うなら、この程度自分で対処しなければならない。
それでも俺がこの場から動かなかったのは、こういう時に首をつっこむ一分野に特化したお節介を知っているからだ。
「くだらない、実にくだらない!」
少女を背で庇い、割って入った異様な風貌の美丈夫。
「アニス・モーンは古の帝国が支配する遥か前の貴重な発音が残る島だ。たかが人名如きで彼女の発音を害すんじゃないッ!」
「たかが、とは何だ!」
グレイ拍は冷笑を引っ込め声を荒げる。
「彼女の音に比べれば、君は何の価値も無い。いたいけな少女を笑い物にする程度の低い人間など」
グレイ伯は海賊を祖に持つテオドールより格上のロンディニウム近辺に領を持つ有力貴族である。
なのに恐れることなく怯むことなく、朗々と糾弾する。言っていることは一般的に見て正しくないのに、この昂然さは何だ。自分が言うことを信じ切っているから? 少女を守ろうとする正義感から? 言語以外の些事に興味ないから?
違う。
「この私が程度が低いだと!?有色人種の奴隷の子無勢がっ! キサマなど……」
「私の友人に何か?」
振り上げた拳を後ろから掴み、あくまでにこやかに話しかける。国随一の有力者の息子の登場に、怒気を堪えどうにか笑みを作った。
「友は選ぶべきでは、ハーネット伯」
「仰る通りですね」
何度か絶縁を真剣に考えているためか、正論過ぎて耳に痛い。さっきまで面白半分にあざけっていた奴らが視線を逸らす。唐突に、場を取り巻くうすら寒さの正体に気づいた。
周囲に合わせて笑い、誰かの尻馬に乗って弱者を甚振り、都合が悪くなれば無関係を装う。そのどこに個人の感情があるのだろう。半分の仮面を被っているテオドールの表情の方がずっと雄弁だ。
見過ごせないから前に踏み出すのだ。許せないから怒るのだ。こいつは自分に正直だ。そんな生き方、辛いだけだ。多少嘘をつかなければ人間関係は円滑にいかない。さっきまでのように、こいつらのように、見て見ぬふりをすればいい。
その結果彼は自分を偽る術を身につけるか、ズタボロに傷ついて消えていくのか、そんなの知らないと割り切れば良い。それができないのは、良く似た人間を知っているから。そんな奴らにどこかで尊敬に近い憧れを抱いているからか。
グレイ伯は事の経緯を、いかに自分が傷つけられたか話しはじめた。
全てを見ていた俺はその被害者面に吐き気がしたが、「なるほど」と相槌を打つ。
「そこまで名誉を傷つけられたと仰るなら、決闘の仲介人を引き受けましょう」
「え?」
「この男はご存じの通り故サーベレッジ伯の息子です。父に仕込まれたその腕を見込まれ、陛下の近衛騎士に抜擢されました。そんな彼も勇敢な貴方にとって役不足かと思いますが……」
「いや、待っ……」
「私も友を危険に晒すのは本意ではありません。どうか友に代わって私の謝罪を受け入れてはくれませんか?」
「う、うむ。受け入れよう」
完全に怖気づいた伯爵は威厳をかき集め、逃げるように立ち去った。場をどうにか納め、ほっと息をつく。
「あ、ありがとうございます」
少女がテオドールに頭を下げている。俺もお礼を言われる資格があると思うが、美形は何においても優先されるのだ。もう理不尽にも慣れた。
「何、私が好きでやったことだ。礼を言われる筋合いは無いよ」
横でうんうん頷く。正しくその通り。代わりに多大な迷惑を被った俺にお礼言ってくれ。
「でも……」
「私は君の音が好きだ」
突然の告白に少女の頬が薔薇色に染まる。
「君の音を笑う人間もいるだろう。君はこの場に立つために多くのものを犠牲にするかもしれない。音を偽る必要だってあるだろう。だが君の音は君自身だ。決して損なわず大切にしたまえ」
「あ、お待ちに……」
秋波を送っている少女を無視し、厄介者を目立たないところへ引っ張っていく。
「つーかお前何やっているんだよ。護衛は?!」
「私が陛下のお傍にいたら目立ってしょうがないじゃないか。招待客に紛れることになったんだよ。一応爵位も持っているし」
「なら、紛れる努力をしろッ!」
「私にこれ以上どう努力しろと言うんだ。標準語の嵐に吐き気がしていると言うのに」
なんと。こいつはこれでも努力をしていたらしい。
「ところでお前、さっき俺が止めなきゃどうしていた?」
「相手から手を出してきたんだ。標準語の怒声は面白くないから黙らせたよ。
永久に」
さり気に恐ろしいことを言いやがった。
「舞踏会で流血沙汰を引き起こす気か!」
「血を流さなくても方法はいくらでもあるよ」
物騒な内容なのに、世間話のトーン。こいつにとって本当に何気ないことなのだ。息をするように刃を扱い、善悪の基準も常人とはかけ離れている。
「もしそんなことしたら今後口きいてやんないからな!」
我に帰り、なんて子供っぽい言い草だと思ったが。
「何てことだ!君の音が聞けなくなるなんて!」
「ポイントそこかよ?!」
蓄積した疲労感が一気に爆発し、壁に背を預ける。許されるならこのまま横になりたい。
「ふむ。どうやら面倒をかけたようだね」
「そう思うなら自重しろ」
珍しく謝罪したが、賭けてもいい、反省は全くしてない。
「何だい何だい、さっきから随分覇気のないはじき音だね」
そこは顔色が悪いとか言うとこだと思う。
「お礼に良いことを教えてあげよう」
「まさか犯人が……」
「君は一体私に何を期待しているんだい」
「ですよねー」
一瞬でも馬鹿に期待した俺が大馬鹿だった。
「一つ。非円唇前舌狭めの広母音のことだ」
「何の事だ」
「君がうちに連れてきた騎士だよ。ほら、なんとかって名前の」
「メディシーナな。頼むから人名の方を覚えような」
「凛々しい破裂音が最近萎れていてね」
「会話する努力をしてくれ、頼むから」
こいつと話していると、言語は意思伝達のツールではなく、意思を隠すためにあるのではないかという哲学だか真理だかに至りそうだ。身ぶり手ぶりの方がまだ自分の言いたいことを伝えられるのではないか。
「メディシーナに元気がないってことか?」
剣を振りまわすことしか考えてないあいつがへこむなんて、事件である。
「職務がきつくてついていけないとか? それとも騎士団の実力が予想より上だったとか」
「君はもっと彼女の実力を理解していると思ってたよ。夜勤も不平を言わず、空けの稽古も楽々とこなす。女に騎士は無理だといちゃもんをつけてきたどこぞの貴族の子弟も早々にぶちのめした。そしたら逆恨みされてね、仲間を引き連れて夜勤で疲れたところを狙って襲撃された」
「な、大丈夫だったのか!?」
「私がいながら彼女の音を害すわけないじゃないか」
肩を撫でおろす。型破りな奴だが、珍しい音を、その持ち主を守ることに関しては絶対的な安心感がある。幸運にも、メディシーナは気に入られたらしい。
「まあ、私の助力がなくても、彼女一人で何とかできただろう。それにしてもあの突き抜けるような開放音は爽快だったね。奴らの嫌味な母音とは比べ物にならない」
「念のため。それって剣の対決だよな。歌とか声の勝負じゃなくて」
そんな奴の数ある難の一つは、他意なく話がこじれていくことか。
「ただそれにより少々厄介な輩に目をつけられてね。これがまた、一際面白くない音の隊なんだが」
「まさか、近衛歩兵第二大隊?」
第二大隊は高位の貴族の子弟たちで構成され、自分たちの家柄や血筋に過度な誇りを持つ連中が多く、外国人や低い身分の騎士を抱える他の隊との衝突が絶えないらしい。
副隊長は無類の女好きで、あの王妃に迫ったとか。団長について悪い噂はは聞かないが、そんな部下を黙認し片腕としている時点で問題があるだろう。
「そうそう、そんな名前だったかな。剣で戦っても勝てないとわかって、奴らは卑劣な嫌がらせに切り替えた。彼女の名誉を傷つけるようなことを言いふらしている」
「具体的にどんな?」
「私の口からはいいたくない。ただ、彼女は気を病んでいる。力になってやりたまえ」
あの気丈なメディシーナの力になれと、他人がどう思っているか気にも留めないテオドールが言う。想像もしなかったことが起きているのだと、それだけはわかった。
「さて、これ以上告げ口すると彼女に怒られそうだからこの件はこの辺にしておこう。二つ。陛下の件は君の手には負えない。エリオットを頼ることだ」
エリオットとテオドールは学園からの長い付き合いだから、ここで名前が出てくるのは自然なことだ。ことだが。
「君が薬学や魔術に長けているように、こういったことに長けているのはエリオットの方だ」
「それはわかってる……けど」
「煮え切らない有声歯茎破裂音だね」
テオドールがボーイを呼びとめ、アルコールの高いカクテルを手渡す。滅多にない気遣いに感謝し、一気に煽り口元を拭った。
「何故あいつは俺を避ける? 陛下を害す者の情報を隠す? つまびらかにするのが国の平穏のため、あいつの利益にもなるはずだろう?」
酒気とともに、溜まっていた鬱鬱とした気持ちを吐き出した。本当は信じたい。俺は信じたいんだ。でも疑いはしこりのように胸に残って、消せない。
「これは憶測だが……」
彫刻のように美しい眉間を傾け、杯に視線を落とす。
「君を護るのは凄くしんどい」
「いきなり何言い出すんだ」
「君は嬉々として陛下のために命を投げ出す。君を護るには君の周囲だけでなく、陛下の周囲、君自身の行動にまで細心の注意を払わねばならない。言わば自殺志願者の警護だ」
関わるのがとても面倒な人みたいな言われようだ。こいつにだけは言われたくなかった。
「ところが陛下がいなければどうだ?君は危険に飛び込む向こう見ずな真似はしないだろう。責任ある立場なのを自覚しているからね」
「それが……」
言いかけて気付いた。そんな、もしや。
「勿論直接手を下せば、君の信頼を失うだろう。それは歓迎すべきことではない。だが他の原因で勝手に、陛下が亡くなったらどうだ? 何もせず黙っているだけで、君の危険を脅かす最大の要因が消える。自分はリスクを負わないし、責められることはない。君はショックを受けるだろうが、いつまでも絶望していない。何故なら傍に護るべき幼馴染みがいるからだ」
「友人の安全のために陛下を見殺しにする?馬鹿な、国が乱れるんだぞ!?」
つい荒げた声に、令嬢たちが振り返る。なのにテオドールは泰然としていた。
「新しい王を立てれば良い」
「そんなのどこにいる」
黒い瞳は黙って俺を見つめている。
「まさか……」
「私がもし君と知り合いでなかったら、真っ先に君が陛下の命を狙っていると考えただろう。国一番の権力者の息子。血筋もまあ、目をつぶれる範囲だ。何なら独身だし高貴な女性をめとっても良い。頭も、領地経営の手腕も悪くない。人付き合いも良く、癖のある部下を上手く束ねるだろう。ネックは魔術師であるところだが、それも神聖な力と情報操作すれば利点になる。
名無しの情報屋が動けば、それも可能になる」
「そんなの御免だ」
「迷い無いね。普通、王に成り代わる光景がちらりとでも過るものだ。野心が見当たらないのが、君の忠誠心の見事な所だよ」
褒められてんだかけなされてんだかわからないが、テオドールは喉の奥で笑う。
「エリオットは、その……」
なんと続けたらいいかわからない。だってそれって、とんでもない自惚れじゃないか。
「さあね。あいつの心は私如きが計り知れるものではないだろう。ただ王になれば君の身辺は格段に守りやすい。あいつが身内を亡くしてから、親しい人間を喪うのを酷く恐れているのを知っているだろ? あんまり刺激しないようにしたまえ」
すんなりと言葉が入っていかない。テオドールの言うことが信じれないわけじゃないけどやはり信じれなくって、だってそんなことあり得なくて、俺とエリオットは赤の他人で。
「信じることが怖いのかい?」
黒曜石の隻眼が心を見透かすように煌めく。
「馬鹿だね、君は。根っからのお人好しの癖に、本当は誰より他人を恐れる臆病者だ。そんな君に質問をしよう。なぜ人が言葉なんて生み出したんだと思う? 可笑しなことに我々は、大昔から今までそれを使い続けている」
唐突でマイペースなこいつは俺の答えを待たずに持論を続ける。
「私は言葉が好きだ。愛していると言っても過言ではない。我々は自分の内外の様々な事象に名前をつけた。悲しい、楽しい、愛、理性、実態のない高度な感情にまで。そしてそれはいつしか共通の認識となり、他者に伝えられる手段となった。ありがとうと言う音の羅列で感謝を伝えられる。素晴らしいじゃないか。
私は言葉が好きだ。と、同時に限界を感じてもいる。自分の定義は他人の定義と必ずしも同じでないからだ。
例えば……そう、"友"と言う言葉だ。お互いが友と認識していたとする。自分にとって相手は唯一無二の大切な存在だ。しかし相手にとって自分は単なる知り合いかもしれない。自分が身を粉にして相手に尽くしても、相手は簡単に裏切る。そんなこと珍しくもなんともない。
私たちは、自分と相手の言葉の定義の落差に、しばしば絶望する。だから我々は、教育や書物で認識を統一した。特定の定義を押し付けたと言うこともできるだろう。
言語は本来もっと幅がある。いや、本当は間違っているんだろう。林檎は自分が何かなんて思っちゃいない。ただそこにあるだけだ。林檎を林檎と呼ぶのは名前をつけた人間の勝手だ。言語は網だ。掬い上げるのは事物そのものではない。多くの人はそれを勘違いして、或いは気付いても気付かないふりをしている。
でも我々は言葉を使う。何年も何年も。歌や文字に形を変えて。言葉に代わるコミュニケーション手段がないから。勿論それもあるだろう」
テオドールが音に固執するのは自分を守るためである。
彼の肌の色が示す通り、彼の母は異国の奴隷だ。身分が第一の貴族社会で彼は数多の心無い言葉を浴びせられてきた。守ってくれるはずの母は死に、父は目を背けた。一回聞いただけで外国語を解す記憶力を持つ彼には辛い体験だっただろう。
だから彼は言葉を音に分解した。込められた悪意を理解しないために。言葉に散々傷つけられて、言葉自体を忌諱して、それでもこいつは言葉が好きだと言うのだ。
「私はあいつの音が嫌いだ」
空になったグラスをテーブルに置く。個人を認識するのに、他者の良し悪しを判断するのに、或いは異性の好みに、容姿、身なり、仕草に重きを置く人もいる。
テオドールにとって、それは音だ。
「標準語の手本のようにぶれず、鼻について聞き苦しい」
貴族社会で生まれ、育ったエリオットの音は美しい。その音は、テオドールを傷つけてきたものと同じものだ。自分が嫌いな顔の他人と普通の人間がお近づきになりたくないように、こいつが大嫌いな音の持ち主と十年近くつるむなんて、通常だったら考えられない。
「だが、君と話すときだけは音が崩れるんだ」
そうなのだろうか。テオドールの父親が我が子に不器用な愛情を注いでいたように、気付いていないだけであいつは俺に心を許してくれていたのだろうか。
「言語は、人が人と繋がるために生み出した道具だ。他の動物と違って我々は誰かと繋がってないと生きられないどうしよもない生物なんだよ。我々は言語を使う。それは不完全でも他者を信じ、理解し、繋がり合いたいんだ。私も、君も、他の誰かも。
怖がらずに手を伸ばしてご覧よ。その手は振り払われるかもしれない。でもね、一人くらいは握り返す奇特な奴がいるだろう。かつて君が私にしてくれたように」
さあ、行きたまえ。いつもは剣を握る堅い掌が背を押す。
感謝しようと振り返ったのに、その姿はもう人のごみの中に消えていた。
尋ね人その一は壁際にいた。いつもの凛々しい顔で会場に睨みを効かせていた。
「久しぶり、メディ……」
「職務中だ」
「悪ィ」
ばっさり切られた。俺は傍の壁に背を預け、会場に目をやる。尋ね人そのニが年配のマダムの指先に口づけをしていた。守備範囲が広いデスネ。
「メディシーナ、仕事は慣れたか?」
もっとさり気なく聞き出せればいいのだが、生憎俺にはこれが精いっぱいだ。
「陛下は素晴らしい方だ。キサマと違ってな」
「そうだな」
普通は憤慨するところだが、ライオネルが良い子だとは知っているので言い返す気も起きない。
「あの幼さで民に心を砕き、我々のような下層の者も気にかけて下さる。あの方に仕えられることに無償の喜びを感じる。ただ……」
月光が雲に遮られるように、言葉と表情に影が落ちる。
「素晴らしい君主に仕え、日々己の職務を全うする。世の中はそれだけで完結する単純な作りになっていないらしい。キサマの警護をしている方が気楽だった」
俺相手に弱音を吐くなんて、テオドールのいう通り精神的にも相当追い詰められている。口を滑らせたと本人も感じたのか、メディシーナは眉を釣りあげた。
「つまらんことを言った。忘れろ」
「わかった」
素直に頷いたのに、メディシーナはますます憎々しげな視線を向ける。
「私はキサマが嫌いだ」
「知っている」
「食うに困っても己の規律を守るところが嫌いだ。身勝手なようで家族思いなところが嫌いだ。強い者には喧嘩を売っても弱い者苛めをしないところが嫌いだ。不真面目なようで努力家なところが嫌いだ。弱いくせに紳士面したがるところが嫌いだ。余裕がないくせに面倒見が良いところが嫌いだ。人を困らせても本当に困っている人間に手を差し伸べるところが嫌いだ」
「そうか」
意中の相手からの混じりっけない嫌悪に傷つかないと言えば嘘になるが、微妙に褒められている気がしないでもない、なんて呑気に思ったが。
「私が気落ちしている時は、そうやって喧嘩を買わないところが大嫌いだ」
「……」
ようやく理解した。メディシーナは素直に人に寄りかかる人間じゃない。女だろうが一人で生きていける、生きていこうとしている。そんな人間がふらついたからって支えようとしても、自分一人で踏ん張れる力と誇りがあるだけにかえって邪魔だし腹も立つ。メディシーナの嫌悪はそこから来ている。俺の安っぽい気遣いはとっくにばれて、彼女の矜持を傷つけていたのだ。
「もう、失せろ。キサマに心配されるのは我慢ならん」
俺は頷き、でも去りがたく振り返る。
「なあメディシーナ、お前を陛下の近衛騎士に推したのは俺だ。だから」
辛くなったら言えよ。言おうとして止めた。
優しくされると、弱くなる人間がいる。強がってるからだ。強く在りたいからだ。俺だって男だから、好きな女を甘えさせてやりたいし、泣きたいなら胸くらい貸す。
でもメディシーナはそんなこと望んでない。だから俺がかけるのは慰めや労りではなく。
「俺の顔を潰すなよ」
挑発する。屈辱をバネに、もう一度立ち上がらせるために。
「言われるまでもない」
手のかかる意地っ張りを背に歩き出す。今度はもう振り返らなかった。メディシーナと別れた後、尋ね人そのニを探して会場をうろついた。奴ときたら視界の隅で自己主張するくせに、必要になった途端姿をくらますのだ。もう嫌がらせしてるとしか思えない。
「殿下も何を思ってあんな女を近衛騎士にしたのやら」
あてもなくさ迷う足が、止まった。
「グレイシーとか言いましたか。父親は農民と泥を被っているのが似合いの男爵だそうで」
声の主は壁際で歓談する三人の男たち。遠目に顔を確認する。勲章が飾られた制服に身を包むのは、近衛歩兵第二大隊隊長、フィリップ。
「ですが顔は良いですなぁ。細君に相手にしてもらえないから、あんな野蛮な女に絆されたのか。殿下も初心と言うか何というか」
下品な笑い声を立てているのは近衛騎士第二中隊副隊長、マーシア。それから聞き役に回っているのが……。
「そう言えば卿は殿下が王位を継ぐことを良く思っていなかったそうですね。最後まで反対したそうで」
「当然だ。子供に王冠を被らせるわけにはいかないからな」
俺の存在に気付いたのか、発言した人物が視線を投げる。オジロワシを思わせる研ぎ澄まされた淡色の瞳に、嘴型の鼻、頭髪は同年代の親父に比べ、濃く若々しい。
先代の国王亡き後、兄を暗殺し、ライオネルを幽閉し、他の弟を牽制してササナの実権を握った第二王子の外戚。第二王子が死に、他の候補者がいなくなっても、最後までライオネルの王位継承に反対した。にも関わらず、国王の裁判所では処理しきれない請願や訴えを救済する大法官に就いており、今も親父に並ぶササナ政界の巨頭。ダニエル=マクミラン=ネイサン=パリス、ナインス=デューク=オブ=パリス。通称、パリス公爵。
目が合ったその一瞬。彼は顎を上げ。哂った。
全身が震える。ライオネルの忠僕であると誰もが知ってる俺が、先ほどの会話を聞いていたことも、当然気付いているだろう。それでこの態度。俺が、ライオネルが知ったところで、痛くも痒くも無いというのか。
或いは……宣戦布告か。この男は敵なのか。果たして、俺が手に負える相手なのか。
一時間に思えた一時の視線の交差の後、パリス公は話の輪の中に戻っていく。俺の足は呪縛から解き放たれたように動き出す。恐怖から逃げ出したわけではない。突き動かしていたのは焦り。
勘違いをしていた。俺は先程、メディシーナに先に声をかけた。あれ程テオドールに励まされても、エリオットに拒絶されるのをどこか恐れていたのだ。
勘違いをしていた。議会にも影響力があり、法の権化であるパリス公爵が、さらに軍部とも繋がりがあるとしたら。親父が病魔に侵されている今、奴を牽制出来る人間はいない。すぐにでもこの国は奴の手に堕ちるだろう。ライオネルはワイングラスを片手に歓談している。あのグラスに毒が入っているかもしれない。柱の影に狙撃手がいるかもしれない。それくらいわけないことだ。あの男はそれくらいの力を持っているのだから。
俺自身の感傷で悠長なことを言ってられない。そんな段階ではない。形振り構わず、己の手札を最大限活用しなければ、あの少年の命はないのだ。ようやく見つけた目的の人物は、中庭に面したテラスにいた。ざわめく木々と、月光に白く浮かぶ花々の中、どこぞの紳士とやけに近い距離で語り合っていた。もう、何も言うまい。
夜風を当たりに来た風を装って外に出た俺の目的に気付いているであろうエリオットはこちらを見ない。奴の視界に無理やり移動し、肘に手をあて、白ワインを飲む。エリオットは情報屋であることを徹底的に隠している。自分の身を守るためでもあるが、矮小な人物に見せておけば油断を誘い、情報が集まりやすいからだ。護国卿子息でも魔術師でもある俺とは、公の場で殆ど交流したがらない。
それでは連絡を取りたい時に困るので合図を決めた。好きでもない白ワインを飲んだのもそのため。
――アス、オマエノイエニイク
日にちを指定したことで逃げられる可能性もあったが、それなら奴が戻って来るまで根城に居座ってやろうと腹がすわった。エリオットは頷かなかった。が、首も振らなかった。ただ黙って俺を見ていた。
何を思っているかその顔からはわからなかったが、構わず舞踏会の喧騒に戻る。
伝えることは伝えた。後は結果を待つだけだ。
「あの」
腹をくくってどすどす歩いていたら、二人組の淑女に呼び止められた。
「はい?」
驚きより疑いが先に来た。自慢ではないが俺は平々凡々を体現している男なので、女性に声をかけられる状況はほぼ縁がない。
「突然お声をかけてすいません。実はわたくし、とある令嬢から卿宛にお手紙を預かりましたの」
と、質素な便せんを渡す。
「恐らく恋文ですわ」
「初めて見た方ですが、卿に思いを寄せる乙女に違いありません!」
なんてことを女同士で無責任に囀っているが、俺は悪質な悪戯だと疑った。自慢ではないが(以下略)
「大切な文を見ず知らずの貴方がたに託すなど、随分恥ずかしがりやなレディですね。よろしければどのような方だったか教えていただけませんか?」
「緊張していたのか声は少し枯れていましたが、とっても可憐な方でしたよ。日に輝く麦のような金髪で湖の水面ような淡い瞳で」
俺の警戒指数が跳ね上がる。
「そのレディは今どこに?」
「さあ。手紙を渡したらすぐに外に出てしまいましたの。三十分くらい前のことかしら」
「卿を探していたのですが、なかなか見つからなくて」
「わかりました。ありがとう」
そそくさと人気のないところに向かい、指先に注意しつつ封を開く。中には羊皮紙の切れ端が一枚。
『愚かなネズミへ これ以上首を突っ込めば、命の保証をしない』
筆跡は前に見たものとは違う。直勘だが、黒幕のユニコーンではなく、あのアンリとか言うガキではないか。このタイミングで警告してきた意図は?
「リック、踊らないの?」
俺に動かれると目障りなのか。第二の陛下暗殺計画が目然に迫っているのか。それとも、俺が真実に近づいているのか。
「リック?」
手元から羊皮紙が消える。はっと顔を上げると、手に取った羊皮紙を見つめるライオネルがいた。
時間が氷結した、気がした。
「ローデリック」
いつも親しげに愛称を呼ぶ声が他人のように冷たい。
「僕、言ったよね? 犠牲になって欲しい訳じゃないって」
「いや、違うんだ、その」
「メディシーナを近衛騎士の任から解き、君の護衛に戻す」
「なっ……」
「実はメディシーナは僕の情婦だと言う噂が立っている」
「勿論、僕が取り立てたことを妬む根も葉もない噂だ。実力があるだけ余計に。彼女も相当傷ついてるみたいだ。これは他の騎士たちの誇りや思いを考慮しなかった僕の落ち度だ。メディシーナはそれでも役割を果たしてけれようとしてる。けど、僕だってベアトリクスに誤解されるのは本意じゃないから、噂が鎮まるまで距離を置こうと思う」
「でもそれじゃお前は……」
「聞けないのか? これは命令だ」
それは支配者が持つ傲慢な響き。彼は同じ場所に立つ者ではないと思い出させる、強制力。表情には普段のにこやかさ、柔和さ、幼さはすべて剥ぎ取られ、狂暴なまでの冷徹さが顔を出していた。
ライオネルは怒りや悲しみの感情が過ぎると、逆に無表情になる。彼は国王である。自分の弱点になるような負の感情は見せない。従わない俺に苛立っているのか。
――違う
握りしめた拳には爪が食い込んでいる。ライオネルの苛立ちは、護られなければ立っていられない自分に向いている。
本当はこんなこと言いたくないだろう。この優しい少年は誰より王に向かないのかもしれない。誰も傷付けたくないのだから。
俺は無言で臣下の礼をとった。しかし命令には従わない。……従えない。
俺は、俺の命に代えてもこの少年を守る。




