五通目 少年王との再会
ムスカリ、オダマキ、スイセン、チューリップ、ヤグルマギク、キンセンカ。薔薇宮殿の庭園は今、春の花で溢れている。その美しさは無造作に見えて、背丈や色、咲く時期までも計算されつくされた配置である。
「言っとくけど国の最高位だぞ。くれぐれも気を付けろよ」
護衛らしく一歩後ろを歩くメディシーナに声をかける。ところで、俺が剣の間合いに入っているのは気のせいか?
「私は騎士だ。目上の人間には敬意を払うぞ?」
「……公爵子息を馬鹿呼ばわりするやつの台詞とは思えんな」
「敬意を払う価値のある人間には敬意を払うと言うことだ」
「遠回しに俺には敬意を払う価値がないと言いたいのか?」
「率直にそう言っているのだが?」
大丈夫、問題ない。通常運転だ。泣きたいけど。
「兎に角、陛下を傷つけることだけは言うなよ。許さないからな」
足音が止まった。振り替えれば、柳眉を寄せた女騎士。
「陛下と面識がある者は皆そう言う。何か問題がある方なのか?」
「うん、まあ」
あると言ってしまうと、それが問題だと認めるようで、俺は言葉を濁す。しかし国を出ていたと言えど、知らないとは驚きだ。
「詳しくは自分の目で確かめてくれ」
「ふむ、丸投げか。まあいい。キサマに忠告されるのも気に入らんしな」
懐の懐中時計を確認すれば、約束の時間。樫の木彫りの扉を、ノックも無しに開く。親父のメモを見た時から、何となくわかっていた。薔薇宮殿でも庭園を一望出来るこの部屋を自由に使える人物。
「よう、ライオネル」
汗を拭っていたのであろう、ハンカチを片手に、綿のシャツの少年が振り返る。
「リック、久しぶり」
艶やかな亜麻色の髪、理知的なエメラルドの瞳。象牙の肌に整った顔は、今は天使のようにあどけなく笑んでいる。彼こそササナ王国諸国連合の現当主。国内外から少年王と揶揄される齢十四歳の王。
ライオネルには四人の兄がいた。そして彼らは誰一人として寝台で死ぬことはなかった。前国王の死後、国中を巻き込んだ王位継承戦争を引き起こし、互いに殺し合ったのだ。幽閉はされたものの末の王子が血生臭い争いから免れたのは、単に母親の身分が低く年が離れていたからではない。
メディシーナは表情を凍らせたまま、彼が寄りかかる杖を凝視している。ライオネルは幼い頃に小児麻痺を煩い、左足が不自由なのだ。何かの支え無しに長時間歩くことはできず、公式の場とて杖が手離せない彼は、松葉杖の王とも呼ばれている。
「元気にしていたか? また背が伸びたんじゃないか?」
「そう? だったら嬉しいけど。最近掴まり立ちせずに廊下を往復できるようになったんだ」
「すげぇじゃん!」
何を下らない、と言う人もいるかもしれない。だが薔薇宮殿の廊下は長く、ライオネルは片足が動かない。
途方もない努力を、ライオネルは大したことないよ、と笑う。
「で、リック、そちらの女性はいつ紹介してくれるのかな?」
「悪かったよ。こっちはメディシーナだ。今は俺の護衛をしている」
「へぇ、あの」
俺から何度も話を聞いているライオネルは、何故か微笑ましげな眼差しを送る。メディシーナは漸く我に帰り、最上級の臣下の礼をとった。
「お初にお目に……」
「いいよ、畏まらないで」
ライオネルはやんわりと止める。
「僕はリックを兄のように思っているんだ。貴女はリックの友人なのでしょう? 立場的に難しいかもしれないけど、せめて今だけは親しくして欲しいな」
メディシーナは逡巡し、
「では、ご無礼する」
と立ち上がった。
「何だか初めて会った気がしないなぁ。リックが昔の話をする時、いつも貴女が出てくるんだ」
「どうせ乱暴者とか男勝りとかであろう?」
「そんなことないよ。とても大切な……」
余計なことは言うなよ、と視線で釘を刺すと、勿論わかっているよと言いたげなきらきらな笑顔で応じる。
「幼馴染みだって」
「それはかなり脚色して下さった表現だな。私には傍迷惑な腐れ縁でしかない」
大丈夫、俺は泣かない。
「言いたいことを言い合える仲って羨ましいと思うけどな」
ライオネルのフォローが心に染みる。
「剣がとても好きだったって聞いていたけど、騎士になっていたんだね。そう言えば国で主催したトーナメントで女性が優勝したって聞いたことがあるよ」
「それはたぶん私だ」
「やっぱりそうなんだ。用があって行けなかったけど見てみたかったな」
口惜しそうに言うライオネルに感じるものがあったらしい。
「陛下は、剣が使えるか?」
俺は思わずメディシーナを見た。
「え? まあ、たしなむ程度には」
ライオネルはきょとんとしている。そんなこと無遠慮に聞かれたことは無かったのだろう。当たり前だ。普通足が動かない人間にする質問じゃない。
そうやってはなから出来ないと決めつけて聞かない方が差別していると言えるのだろうか。実際ライオネルは剣を使えるのだから。
「む。なかなか見所があるな。ここの軟弱者より」
一先ず剣が使えるイコール良い奴と言うメディシーナの公式は差別だと思う。
「誰が軟弱だよ」
「キサマが軟弱でなければ、世界中のナメクジは鉄と同じ硬度だ」
俺たちの言い合いを遮り、ライオネルが声を上げて笑い出す。
「何だかリックに初めて会った時を思い出すよ」
‡ ‡ ‡
父に連れられ、初めて薔薇宮殿を訪れた時、俺は宝石箱を覗くように周囲を見回していた。ぴっかぴかの飾りは言うに及ばず、どっしりした建物に葉っぱ一つ一つまで輝くようで、俺の持つ語彙で表現は出来ないけど、美しかった。
見せてやりたかったと、亡くしたばかりの母を思い、寂しさが込み上げた。
衛兵が控える巨大な扉を通り抜け、膝をついた親父に慌てて倣う。護国卿である親父が臣下の礼をとるなんて、よく考えたら珍しい。頭を下げる先、床に敷かれた赤絨毯の先を見て、一瞬、メディシーナかと思った。何しろそんな美形な知り合いは彼女しかいなかったからだ。
しかし彼女にしては背も低く、おまけに杖をついている。
「どうしたんだその足? その年でせんそうに出たのか?」
俺がいたのはド田舎の村。障害を持つ者も勿論いたが、五体不満足はいなかったのだ。左腕がない元軍人のゼペットじいさん以外。
「物心付く前から左足が不自由なんだ」
突然飛び出たやりとりに親父は身体を固くしたが、少年は笑みを浮かべたままだ。俺は彼の背後にある、やたら立派な椅子を指差す。
「足が動かないなら、座ってりゃいいのに」
事情を知らなかったとは言え、あの時の自分を絞め殺したい。だってそいつは怒りを示せる権力があったのに、眉を下げて苦笑しただけだったから。
「やっぱり不恰好だったかな。でも普通の人がやっていることをやりたいんだ」
「ふーん。なかなか見所があるやつだな」
パンと手を打つ。
「よし、俺の弟分にしてやろう」
「ふへ!?」
「喜べ。今日から兄と呼ばせてやる」
横から乱暴に頭を叩かれた。
「国王陛下に何てことを……」
「いいよ、ハーネット卿」
少年は心底愉しそうに笑った。
「宜しく……兄さん」
‡ ‡ ‡
「キサマの発言は万死に値する」
思い出話を幕引かせる金属音。メディシーナは既に白刃を構えていた。
「懺悔の時間をやろう。一。時間だ」
「一秒かよ!?辞世の句すら読めねぇよ!」
「なんだ、せっかく慈悲をかけてやったと言うのに」
それは慈悲ではない。嫌がらせと言う。
「せめて一五七七六六四〇〇〇秒!」
「よし、一五七七六六四〇〇〇、一五七七六六三九九九、一五七七六六三九九八、待て、これは何分、何時間いや、何年かかるのだ?」
「五十年」
「……やはり慈悲など必要ないな。今すぐ死ね」
明らかに本気で剣を振り上げる女騎士を、必死で、文字通り必死で抑止する。
「待て待て、待てって。俺を殺したら護衛にならねえだろ!?」
「国に不必要な人材を切り捨てるのも、わりと騎士の仕事だ」
「止めてもらえるかな」
やんわりとライオネルが諌める。
「リックは我が国に必要な人材だ。ササナのために剣を引いてくれないかな」
「陛下がそう仰るなら」
渋々と言った風でメディシーナは剣を納める。命の危機を脱し、ほっと肩をなでおろした。
「そういやライオネル、俺たちが来るまで何していたんだ。やたら薄着だし汗かいてるし」
まだ睨んでいる殺人未遂犯の気を逸らすよう、話題の転換を目論んだ。
「ダンスの練習。ベアトリクスと一曲も踊ってないからね。最近の流行りのワルツならテンポもゆるいし、どうにかなるんじゃないかと思って」
麻痺と言うのは、単に動かないだけじゃない。通ってない神経を無理やり動かすと、筋肉痛の比ではない激しい痛みを伴う。ステップに柔軟性に体重移動。ダンスは普段の生活で使わない可動域をフルに使うものだ。優雅に泳ぐ白鳥は、水面下で足をばたつかせていると言う。この小さな王は、例えようの無い努力を、決して見せようとしない。
「頑張っているのだな」
メディシーナの言葉は、心から出たものだろう。王へ送るにしては不敬だけど、少年の頑張りを純粋に感心するものだ。しかしライオネルの表情は曇る。
「どうした?」
「ホントはね、頑張ったねって言って欲しくないんだ」
思いも寄らない言葉だった。
「僕は特別なことをしているわけじゃない。ただ他の人と同じことをしているだけ。他の人は当たり前のように歩き、踊るじゃないか。その度に誰も頑張ったんて言わないでしょ?」
きっと浴びるように頑張ったと言われてきたのだろう。そして言われる度、言葉に憐れみが含まれているのを、幼い王は敏感に感じ取っていたのだろう。
足が動かないのに頑張っている。いや、動かないくせに頑張っている。出来て当たり前のことが出来ないと決めつけられて、出来るように努力すれば、まるで初めてボタンを留めた幼子のように褒められる。幼子は格下の存在だ。大人のように出来ない。だから、大人と同じテーブルで議論することを許されない。
障害を持っていること、彼は憐れまれたいわけではないのだ。ただ、一人の人間として対等に扱って欲しいのだ。
「それは違う。お前が出来ないから言っているんじゃない。お前が人と同じように振る舞うには、人以上の努力がいる。皆それを知っている。だからその努力を褒めてやりたいんだ。頑張ったって沢山 言ってやりたいんだ。それが苦痛なら止める。だが、言葉は真心からのものだよ」
薄っぺらな賞賛にきっとライオネルは傷ついているだろう。でもわかって欲しかった。俺たちはライオネルを憐れんでいるのではなく、純粋にすげぇ奴だと思っていること。
「賛辞を贈られるのは、悪いことなのか?」
出し抜けの問い。二つの視線に注目されたメディシーナは続く言葉を探している。
「あー、上手く言えぬが、私は女だ。女は普通剣を振り回さない。私のようなものが男共を捩じ伏せるのは、あり得ぬことらしい。それは見るものに時として感動を与えるようだ。皆と同じことをするだけで周囲に称賛される。確かにそれは狡いやもしれぬ。しかしそれを幸運だと捉えることは出来ないか?
陛下はトーナメントを最少齢で優勝したり、白髪になるまで最前線で活躍したり、新しい剣術を生み出す必要はない。普通のことをすれば誰かの心を動かすのだ」
ハンディキャップを利点だと言う極論にさすがのライオネルも唖然とし。
「なるほど、そんな風に考えたことはなかったかな」
ようやく晴れやかな笑みを浮かべた。
ノックの音がした。
「どうぞ」
若い侍従がずかずか入室し、先客を見て慌ててドアに手をかけた。
「申し訳御座いません、失礼致しました」
「いいよ、ビル。どうしたの?」
メディシーナは一瞬顔をしかめた。当然だ。この柔らかい対応では部下を付け上がらせかねない。部下の品格は主人の品格と同義である。もし彼が失態をした場合、恥をかくのはライオネルなのだ。彼らの振る舞いを躾けるのも、主人の役目だ。
「はっ。ノートン氏がデザイン画の案を見て頂きたいと」
「ああ、今度の夜会のだね」
ライオネルは羊皮紙を受け取り、視線を走らせる。
「タイをやめて胸元に大きめのリボンをつけて。もっと明るい色がいいかな」
横から覗くと、松葉杖を使い易いようマントは短め、肩の装飾は華美でなく、しかし品を失わないデザインだ。これにライオネルの指示を脳内で補うと……。
「ちょっと子供っぽすぎないか?」
そもそも着る人物が少年なのだ。過度な装飾は対象を幼く見せてしまう。
「ガキだと思わせておけ」
起伏無く放たれた言葉に、思わず身震いした。
「不利益を被るのは僕じゃない。なめてかかった奴らだ」
臣下に甘いだけじゃない。子供と言う立場や自身の容姿すら、彼には商売道具でしかない。
表立って指示をしているのは親父だが、実質的な執務は殆どライオネルがやっている。人質に幽閉、戴冠と年の割に人生経験が豊富な彼は、多くはない時間を書物を読むことに費やしてきた。経験が伴わないため頭でっかちと謗られることもあるが、広く深い見識は多くの判断を下す材料になっている。政治の場では私情を交えず、常に国の利益になるよう動く。それがライオネルと言う王だ。
一礼して退出しかけた従者を、ライオネルが引き止める。
「ビル、読みかけの本を持ってきて貰えるかな?」
「かしこまりました」
完全に退出したのを見届け、笑顔が消えた。
「それじゃ、本題に入ろうか」
「親父に何と聞いている?」
「僕の命が、相変わらず危険に晒されている件だと」
何も言わずとも、親父には筒抜けらしい。
「悪いライオネル、俺はしくじった。結局黒幕は野放しで、手掛かりは少ない」
俺はランクでの旅の経緯と、例の夢の話をした。
「正直、八方塞がりだ。かくれんぼが得意なユニコーンの知り合いはいるか?」
「その冗談、笑えないよ。僕の命を狙う人物……。やっぱり政治絡みかな。宗教は概ね寛容で、ランクとの和平の他、敗戦したカレドニアの自治を認めたし、植民地化の案があるエァラには同情的だ。過激な救世主教の信者、和平に反対する政治家や武器商人、奴隷商人には良く思われてないだろう。何かを選び取る代わりに、何かを切り捨てる。決断する度、誰かに恨まれるのは当然だけど」
ライオネルは椅子に深くかけた。
「本当に身に覚えがないんだ。僕は子供だと思われてるし、また、そのように振る舞ってきた。国内の貴族が犯人なら、後見であり政治顧問であるハーネット公爵を狙うのが筋じゃないか? 血筋だけで後ろ楯がない子供など、傀儡にした方が楽だ。それに王太子がいない今、僕がいなくなれば国内が混乱するのは必定だ。それをわからない奴らじゃないだろ。
ならば狙いは名実を含めた王位か、国が滅んでも構わない敵国。虚栄心の強い人物、ウルテリオルに嫁いだ叔母上、或いは……」
思考に沈み尻すぼみになっていく声。対照的に大きなノック音。
「失礼致します」
ビルが分厚い本を携え再び入室する。
「こちらで宜しいでしょうか」
「うん、ありがとう」
ライオネルは笑顔で受け取る。
「そうだ、これからリックと個人的な話をするから人払いをしてもらえないかな。久しぶりに会ったのに、こちらのご令嬢との関係に口を噤んだままなんだよ。水臭いでしょ」
緊張した面持ちだった従者はくすくす笑った。
「確かにそうですね」
メディシーナは反論がありそうだったが、ドアが閉まり足音が遠ざかるまで辛抱強く沈黙してくれた。
「で、今更人払いさせたってことは、何か掴んでるのか?」
ライオネルは本のカバーを外す。革張りのもので、タイトルはない。
「エドモンド侯爵の日記だ。逮捕される直前までの日付がある。そう筆まめな人物ではなかったから予定と覚え書き程度だけど」
ページがパラパラ捲られていく。
「ここ、見て。8月25日14時、アンリと宮殿の中庭で面会。それから9月1日。他にも頻繁に宮殿で会っているらしい」
「ちょっと待て、ってことは普段から宮殿に出入りしているか、少なくとも宮殿に出入り出来る人物が手引きしてるってことか?」
「可能性は高いね」
宮殿は我が国で最も警備の厳しい場所。出入りする人物の身元も保証されている。頻繁に賊の侵入が許されるはずがない。
「それから僕が毒が盛られた十八日前の記事」
「『ユニコーンに謁見の間で会い、例のものを渡す』
おい、これって」
「恐らく毒、だろうね」
興奮する俺に対し、自分のことだと言うのに冷静に分析する。
「この日はベアトリクスの誕生日で、謁見の間は祝福を告げる者、プレゼントを贈る者で溢れていた。勿論エドモンド侯爵も出席していた」
その人ごみの中にユニコーンがいて、エドモンド侯爵と接触したのだろう。残念ながら、領で缶詰になっていた俺は自作の化粧品を贈っただけで欠席した。その場にいれば何かに気付いていたかもしれないと思うと、悔やんでも悔やみきれない。だが、これはユニコーンを特定する貴重な糸口だ。
「ライオネル、当日訪れた人物の記録はあるか?それから、普段登城しているもののリストも」
「はい。印があるのが該当の人物だよ。ユニコーンに関連のある家柄には、注記がついてる」
ライオネルが手渡した羊皮紙には幾つかの名前が挙げられている。十四で国政を司るだけあって、さすが仕事が早い。
「この中に犯人がいるのかな」
「わからない。可能性が高いとは言っておこう」
名前が載っていない人物、例えば使用人に紛れていることだってある。そもそもこの日記が間違っていることだってある。絶対とは言い切れない。
「ホントは疑うようなことはしたくないんだ。いつものように顔を合わせている人だっている。信頼している部下だっている。尊敬している人物だっている」
ライオネルはそっと亜麻色の睫毛を伏せる。はっとした。俺はなんて無神経だったんだろう。俺にとって彼らの幾人かは顔もわからない人間だけど、彼には身近な人間なのだ。そんな連中が自分を殺したがっているなんて、考えたくもないはずだ。
「それでいいんじゃないか? 俺は犯人を全力で探す。それはこいつらかもしれないし、そうでないかもしれない。ひょっとしたらこいつらの無罪が証明出来るかもしれない。お前はそこで待っていろ。陛下の御前にきっと犯人を連れてくるから」
疑うのが嫌なら俺がやる。嫌なこと、全部全部俺が引き受ける。そうして願うなら、この少年の憂いを取り除いてやりたい。
「苦労を、かけるね」
ライオネルの面には苦渋が滲んでいる。心優しいこの少年は、人に汚れた仕事を押し付けて平気な顔をしていられないのだ。だから、俺は。
「大したことじゃないさ」
出来る限り軽く笑い飛ばした。
「話は変わるが、陛下は遊び心があるのだな」
メディシーナが先程引き剥がしたカバーを摘まんだ。
「えへへ、リックに教えてもらったんだ。学生の頃はエロ本に教科書のカバーをかけて先生の目を誤魔化していたんだって」
ライオネル、余計なことを!! ひいぃぃい! メディシーナが音も無く剣を抜いていらっしゃるうぅぅ!!
「そ、そ、そのカバーの本、読んだのか?どんな系統?」
「我が国に伝わっている民話」
古典の名作でも貴夫人に流行の恋愛小説でもなく庶民に語り継がれる民話を、心を理解しようとしているのが、こいつの好ましいところだ。
「へぇ、どんな話がのっているんだ?」
「あのね……」
あるところにお姫様がいました。お姫様は大変美しく、その名声は隣国まで届く程です。ところがその名声が祟り、お姫様は悪い魔法使いに浚われてしまいます。囚われの身となったお姫様を、白馬に乗った隣国の王子様が助けに来ました。王子様は様々な苦難を乗り越え、魔法使いを倒し、二人は城に帰りました。そうして末永く幸せに暮らしました。
王子の冒険や魔法使いとの戦い、バリエーションはあるが、要約するとそれだけの、どこにでもある陳腐な話だ。
「おお、それなら知っている。アンネ婆さんが話してくれた」
剣は握ったままだが、気は逸れたらしい。動物的な奴である。
「そうなんだ。民はこういう話を好むのかな?」
「わからぬ。少なくとも私は嫌いだ。だいたい女が待っているだけなんてつまらぬ。私なら魔法使いを倒して自力で脱出するぞ」
「そんな姫がいるか。ライオネル、こいつの言うこと真に受けんなよ」
皮肉を吐きながら、こいつらしいと思ってしまう。助けを夢見ているだけの女なら、俺はここまで惹かれない。
「そう言うリックは?」
「美しくて勇猛でしかも王位継承者って何だよ。完璧すぎて気持ち悪い。女共は憧れるだろうが、俺はそんな男、嫌だね」
「架空の人物に僻むな。見苦しいぞ」
余計なお世話だ。
「王子って白馬に乗るものなのかな。他の物語でもそうだけど」
俺は下唇を噛んだ。ライオネルは付添い無しじゃ馬にも乗れない。
「何言ってんだ。白馬なんて自己主張激しすぎて、戦場では集中砲火の的だぞ。総大将は安全なお城に籠ってろってーの。この王子は目立ちたがり屋でおつむが弱かったに違いない」
「あははっ、リック僻みすぎ」
どうにか、ライオネルは声を上げて笑ってくれた。
気付けば時は過ぎ、去る時間が迫っていた。最後に、ライオネルはこう言った。
「リックは今回の旅でササナを通ったんだよね。民の様子はどうだった?」
正直に言えば殺されかけたりスリにあったりと散々だったが。
「元気だったぜ。冬の寒さも吹き飛ぶくらいだ」
荷馬車に乗せてくれた農夫、泊まった宿屋の店員、酒を飲んでバカ騒ぎしていた船乗り。貧しい者もいる。不幸な者も確かにいる。それでも俺が会った人たちは活気に溢れ、明日への希望に目を輝かせていた。
「そっか。良かった」
ライオネルはほっと唇を綻ばせる。
「僕がランクから帰国した時、民は疲弊していた。村は燃え、街は荒れ、人は死に、川は血で染まった。ずっとあの光景が、目蓋にこびりついて離れないんだ」
彼が帰国したのは、父が亡くなってから。既に兄たちが水面下で王位を巡る争いを繰り広げていた。
「僕は今、正しい道を歩めているだろうか」
こんなに民に心を尽くしているのに、まだ不安に思っているのか。
「ああ、勿論だとも」
小さな肩に手を置く。少しでも伝わればいい。この胸にある思いが。
‡ ‡ ‡
いつの間にか雨が降っていたらしい。花々は濡れ、落ちる雫が音を奏でている。
「陛下は、とても繊細な方だな。お前が気を付けろと言った意味がわかった気がする」
軒下の葉が雫を受け、沈む。メディシーナはこちらに視線を向けた。
「護れるのか?」
護れるか、護れないかの問題じゃないんだ。
「護るさ」
意地でも。
俺は親父みたいに頭も良くないし、メディシーナみたいに腕っ節も強くない。そんな俺でも、死力を尽くせば大事な弟分を守るくらいできるはずだ。いや、やるんだ。
親父は言った。
――人脈もまた、お前の力だよ
無意識に指輪を撫でていた。エリオットはあれから連絡がつかない。ならば――。




