十三通目 死闘
夜の帳を、馬車は走る。街の中心から離れ、窓に灯る明かりもどんどん少なくなっていく。馬が足を止めたのは、火事により打ち捨てられた旧市街。御者から聞いた話によると、再建の目処が立たず、宿無したちがたむろしているらしい。発展してるように見えるルテティアにも、こんなところがあるようだ。
当然ながら、侯爵が訪れるような場所ではない。
侯爵が馬車を降りたので、離れてついていた俺たちも徒歩となり物陰から跡をつける。彼は暗がりの中を進み、時を刻むのを止めた時計台の下でようやく歩みを終えた。黒い衣服は闇に紛れ、白っぽい後頭部だけが浮かび上がり、しきりに時計を気にして揺れ動く。
数十分後、そんな彼に近づく人影があった。
「お久しぶりです、ル=デ=ロア侯爵」
顔が見える距離になって声を上げそうになった。この旅路で出会い、嫌でも忘れられない人物。アンリエッタと言う女に扮した少年。あの時とは違い、男物の平民の服に身を包んだ彼はサファイアの目をこちらに向けた。
「それから、後ろで嗅ぎ回っている貴殿方も」
バレていた。二人で顔を見合せ、頷く。ほぼ同時にそれぞれの武器を構え物陰から飛び出した。
「よう、また会ったな男の娘」
「首を洗って待っていたか、カマ男!」
「その呼び名、本気で止めていただけます!?」
戦い前の緊迫が一気にどこかへ吹き飛んだ。
「何故敵の人権を考慮せねばならない」
メディシーナは誠に容赦がない。
「いや、そうなんですけど……職務でやっているだけだから趣味のように言われると傷つくって言うか」
少年は肩を落としている。意外だ。
「嘘だ。あそこまでノリノリでおまけに似合っていたのだから、絶対趣味であろう?」
「まあメディシーナ、気持ちはわかるがあちらさんにも事情があったんだ。悪かったな、ニューハーフ」
「まるでわかってない!?」
当然、私怨である。こいつのせいでメディシーナは死にかけたのだ。
「じゃ、何と呼べばいいんだ、アンリエッタ(仮)さん?選択肢をあげよう。
1、ホモホモX2、公然女装罪3、」
「もうアンリで結構です」
「何だ、何なんだ!?お前ら知り合いだったのか!?」
一人だけ置いてきぼりの侯爵に、紳士らしく説明して差し上げることにしよう。
「そいつはササナの王、ライオネル陛下の暗殺に与している者です。
そして、あなたもですね? 彼と面識があるのが何よりの証拠です。言い逃れはできませんよ」
「違う、私は毒を売っただけだ! 私は、関係ない! 私は、私は!」
唾を飛ばし、暗がりでもわかるほど真っ赤になる。
「だいたい、お前が唆したのだ! バレないと言ったではないか! どうしてハーネット伯がここにいる! 何とかしろ!」
自分で招いた結果だと言うのに、なんと言う他力本願。だが俺は彼にまるで注意を払っていなかった。刃を交えたこともある少年は、うすら寒い笑みを浮かべたままだ。
「我が君を害す者どもよ、大人しくお縄につくがよい。抵抗するなら容赦はせぬぞ」
「容赦をしないのは寧ろこちらの方です。ハーネット伯、グレイシー嬢、貴殿方は邪魔です。主のためにもここで消します」
「随分大きく出たな。覚悟はできているのだろうな!」
勇むメディシーナが地を蹴った。少年は抜刀する様子すらない。この余裕は何だ。
どん。
地面が揺れた。もう一度。どこに隠れていたのか。四階建ての後ろからぬっと現れた二ポール(十メートル)はあろうの巨大なひとがた。泥でできたその身体は手足があり顔がついているだけの単純さで、額の辺りに羊皮紙があるのが目視出来る。
頭から血が引いていく。救世主教の元になった古い宗教が生み出した泥人形の怪物。
――ゴーレム
突進していたメディシーナに、人一人分の拳が振り下ろされる。
「ぬっ!」
辛うじて剣で受け止めたが、押し返すこともできず両腕で堪えるのみ。ブーツが石畳を踏み割る。そこへゴーレムのもう片方の手のひらで払う。メディシーナの身体は馬車に跳ねられたように吹き飛んだ。
「メディシーナ!!」
落下予測地点へ駆ける。かっこよく受け止め……ようとして失敗し、無様に背中を打ち付け、気づけば腹にメディシーナを乗せていた。
「すまぬな」
「……イイエ」
子供の落書きのようなゴーレムの瞳がこちらに向く前に立ち上る。様子を見ていた侯爵が手を叩いて小躍りしていた。
「はははっ、いいぞ、もっとや」
何が起きたか、認識が追い付かない。
瞬きの間に侯爵が近くの壁に食い込んでいた。遅れて気づく。あのゴーレムの拳を受けたのだ。
重要な証人だ。死なせるわけにはいかない。走り寄って脈を図った。息は、ある。気絶しているだけのようだ。二三本骨が折れているかもしれないが。思わず振り仰ぐ。
「お前ら仲間じゃなかったのか!?」
「我が主が手を組むには彼はあまりに小物すぎました。もう、要らないんですよ。すぐ鼠に嗅ぎつかれたみたいですし、潮時でした。余計なことを喋る前に消します。貴殿方と一緒にね!」
ゴーレムが振り上げた拳が建物にぶつかる。
「おっと」
その拍子に落ちた壁の欠片を、少年はバックステップで避ける。
「では、巻き込まれない内に退散します。もうお会いしないことを願っていますよ」
「待て、逃げるな!」
放った矢も虚しく、その姿は闇に消えた。伸びきった侯爵を、巨大な拳が襲う。俺は内ポケットの水晶を投げた。
「casnaim balla ionsai(防壁)!」
見えない壁が形成され、ゴーレムの手が阻まれる。
こんな攻撃、防ぐので精一杯。逃げるのが一番だ。ゴーレムは命令に忠実なのでどこまでも追ってくるだろうが、それでもまともに相手なんか出来るはずがない。
しかし恐れを知らない狂戦士がここにいた。メディシーナは止まった手の甲に飛び乗り、腕へと駆け上がる。愚鈍な人形が反応する前に肩に到達し、頸の後ろに剣を深々と刺した。狙いは悪くない。……相手が生物なら。
「馬鹿! ゴーレムの弱点はそっちじゃ」
次の瞬間、俺の口から絶叫が溢れた。
背中に止まった蚊を潰すように無造作に。ゴーレムは手を振り下ろした。
何も考えられない。棺桶に入った母の死に顔がフラッシュバックする。身体から力が抜けて、ただただ佇んでいた。色を失った視界の端でゴーレムが手を上げる。
起き上がる首筋に、よろめく人影。生きている。
攻撃を凌いだ際に痛めたのか剣を掴むのは片手のみだが、安堵が胸を満たす。
しぶとい害虫を滅しようとゴーレムは再び腕を振り上げた。今度はさせるか!
「cosnaim uisce me(水泡守護)!」
放った矢が放物線を描く。矢には水辺の生物たちの住処となり、水と親和性が高い柳の枝がくくりつけてある。
肩に着弾と同時に大きな水泡を形成する。土を練って作るゴーレムは、土とそれに含まれる水分のバランスによって成り立っている。過剰に水分を増やしたらどうなるか。振り上げた肩から先は、ぽろりと落ちた。接続部の粘性が弱まり、切れたのだ。
急に片腕を失ったゴーレムは体勢を崩し、大きく傾ぐ。その間にメディシーナは剣を抜き、飛び降りた。後は安全な場所へ避難することを願おう。
ゴーレムは落ちた腕を拾い、肩にくっつけた。そしてつけたての腕を器用に使い、身体を起す。少し腕が短くなったように見えるが、それだけだ。泥人形だからこそ出来る芸当に、頬が引きつる。効果があったかに思えたこの術も所詮その場しのぎと言うことか。
厄介な敵と認識したのか、濁った目が俺を映す。こちらへ大きく一歩を踏み出すゴーレムにボーガンを構えた。
「cosnaim uisce me(水泡守護)」
矢は低く弧を描き、膝から下が落ちる。予測していたのかゴーレムは片足で踏ん張った。水泡は先ほどより明らかに小さい。最初の攻撃で空気中の水分が消費され、威力が弱まったのだ。もう何度もは使えないだろう。
ゴーレムは足を拾い。
大きく振りかぶって投擲した。
眼前に迫る象級の土砂。
「c、cosnaim uisce me(水泡守護)!!」
柳の矢で威力を減退させても、意思を持つ泥塊の突進は止まらない。逃げようにも速度も体積も大きすぎる。大量の土砂が俺と壁を縫い付ける。視界と呼吸が塞がれる。必死でもがき、夜風に顔を出す。咳き込んで水混じりの泥を吐き出した。
満身創痍の俺を、五体満足のゴーレムが見下ろしていた。ゴーレムの真の恐ろしさはその単純さだ。例え手足がもげ形が保てなくなろうとも奴らは下された命令を忠実に遂行しようとする。
手足をばたつかせどうにか這い出たが、ゴーレムは既に手を振り下ろしていた。
死への恐怖に身体が凍る。
「どぅらあぁあああ!」
周囲の建物から飛び降りたのか、宙に舞い降りたメディシーナの剣が丸太のような手首を叩き落とす。軌道を変えられた拳が地に沈没した。
土の首が油が切れた歯車ように動き、メディシーナを睨み据える。鬱陶しい鼠は一匹ではないと気づいたらしい。次こそ潰さんと、ゴーレムが足を上げる。
「メディシーナ、こっちへ!」
次は俺が救う番だ。時間を稼いでくれたので準備は整っている。
メディシーナが高い手首から飛び降りたのを見計らい呪文を唱えた。
「casnaim balla ionsai(防壁)!」
三方向に配置した水晶から形成された障壁が、上方で交差し三角錐となる。術が作用したのを確認し、大きく肩を撫で下ろす。
「これで暫くはもつだろう」
攻撃を受けているのか時折揺れるが、障壁が砕ける様子はない。今のうちに怪我の治療をしようとメディシーナを伺うと、片腕が不自然に垂れ下がっていた。どうやら脱臼しているようだ。
「どうしたんだ、一体!?」
「拳を受けた時にちょっとな」
聞けば腕の力のみで自分の体重はあるゴーレムの拳を凌いだらしい。他にも見立てではあばら骨が数本折れている。この状態で戦ったのだから大したやつだ。
俺は医者ではないので簡単な治療しか出来ない。傷薬を塗り、気休め程度の痛み止を飲ませ関節を力付くで繋げたが、歯を食い縛っただけで、一言も声を上げなかった。
「調子は?」
「辛い、な」
弱音なんか吐か滅多でも吐かないメディシーナが言うのだから余程のことだ。
曲がって刀身に収まらない刀剣が戦いの凄まじさを物語っている。その刀剣を掲げ、メディシーナは遠足に向かう呑気さで呟いた。
「さて、行くか」
「はぁ!?」
まともに戦えるはずなんかないのに、翡翠の瞳は揺るぎない。
「リック、この戦いにケリがついたら村へ帰ろう」
「何言ってるんだ、こんな時に」
盛大な死亡旗を打ち立てた横顔はどこまでも真面目だった。
「こんな時だからだ。この状況は今のお前だ。傷つくのが怖くて村の連中との接触を避け、自分の殻に閉じ籠っている。だが一歩を踏み出さなければ状況は変わらんぞ。ゴーレムは暴れ侯爵は路上放置で自称アンリは野放し、主犯は判明せず陛下の命は今この時も脅かされている。キサマ、このままでいいのか」
「良くは……無いけど」
「ならば何故二の足を踏んでいる。私も傍にいてやる。行くぞ」
共に死地へ向かう覚悟。言葉は少ないけれど、なんと心強く響くのだろう。命をかけてくれるメディシーナのために俺も覚悟を決めなければ。
「秘策がある。ゴーレム相手に何秒もつ?」
「五十秒」
常時であればもっと長いだろうメディシーナの自己申告。だが、俺は口角をつり上げる。
「十分だ」
時が経ち、障壁にヒビが入り、次の一撃で粉々に砕けた。中の鼠は逃げも隠れもせず、悠然と向かっていく。
「でえらああああああああ!!」
奇声だか雄叫びだかを発しながら女戦士は走り出す。次々に降るゴーレムの手足を器用に掻い潜り、股の下をくぐった。
ゴーレムは這いつくばり、躍起になって鼠を潰そうとする。その巨体を存分に使い、退路を断ちつつ壁際に追い詰めた。
だがメディシーナは壁を駆け上がり、垂直方向に逃走を始めた。追撃を緩急をつけて躱し、ゴーレムが低く屈んだ拍子に宙に舞い、巨体に飛び移った。攻めに転じたメディシーナはゴーレムの頭を目指して泥山を登る。
ゴーレムを壊すには額の羊皮紙、「emeth(真理)」の一文字、「e」を消せば良い。自身も弱点を自覚しているだろう、ゴーレムは必死に振り払おうとする。獲物を確認しようと首を動かし、その時始めて彼女の武器が変わっていることに気づいた。
「cosnaim tine me(火炎守護)!」
矢に取り付けたのは盗賊相手に使ったナナカマド。勿論メディシーナは魔法使いの訓練を受けていない。俺の信仰で術は作用するだろうが、威力はだいぶ減る。
羊皮紙を燃やすならそれで足りる。
ゴーレムも負けてはいない。避けられない距離で頭を大きく反らし、ギザギザの口を開け火矢を飲み込んだ。メディシーナは気落ちすることなく次の矢をつがえる。脅威となった鼠に業を煮やしたのか、ゴーレムは突如。
身体ごと壁に打ち付けた。
砂塵が舞い上がる。叫び出したく喉を、駆け寄りたくなる足を抑える。五十秒は経っていない。
メディシーナは信じろと言った。だから俺は信じなければならない。
立ち込めていた砂埃が晴れ行く。徐々に見えていく大小二つのシルエット。メディシーナは壁に競り出した街灯にぶら下がり、難を逃れていた。
「行けっ、リック!」
返事に変えて声の限り叫ぶ。
「eitilaimis litir ″e″(飛翔せよ、文字e)!!」
魔法使いは広く深い知識を修める職業柄、本に触れる機会が多い。それも二つとない貴重な本ばかりだ。ところが我々の技術は東方と比べて遥かに劣り、紙の寿命が短い。紙が朽ちる前に書き写さなければ後世に知識を残せない。それらを解決するために生み出されたのがこの魔法だ。
通常、本を傷つけぬよう机上に陣を刻んで行うこの術。放った矢には入力の陣を刻んだコインもくくりつけてある。それをこともあろうに飲み込んで体内に配置したため、術が作用しやすくなったのだ。eの文字が浮き上がり、俺が足元に描いたばかりの出力の陣に移動を始めた。後に残ったのは「meth(死んだ)」の文字。
ゴーレムが大きく震えた。動きが停止し、瞳から意志の光が失われる。 人の形が保てなくなった泥塊は大小様々に分離し、次々に崩れ落ちる。さらに砂欠片が音を立てて飛び散った。
終わった。メディシーナが土砂に着地し、そのまま大の字に寝そべった。
「無事か!?」
「なんとかな」
遅れて来た実感に膝が折れ、俺も地べたに倒れる。 ひたすら疲れていた。星が目に染みる。
「リック」
「ん?」
「キサマはミミズ以上の働きをした。礼を言おう」
ろくに頭が働かず、憎まれ口が出てこない。
「こちらこそ」
何故だかとても暖かい気分だ。今なら人に優しくなれそうな気がする。
「ところでお前の中で今の俺の地位はどれくらい何だ?」
「壁」
何故だかとても虚しい気分だ。手始めにアンリをこっぴどく痛め付けることを心に決め、俺はまぶたを閉じた。