プロローグと言う名の痛い回想
「隊長、目標を捕捉しました」
コップの底を繰り抜いただけの粗末な望遠鏡を覗く小さな軍曹から報告がある。いや将軍だったっけ。どっちでもいい。かっこよさげなら。
「うむ」
俺は偉そうに組んでる腕をほどいた。
視線の先には井戸の水を組むナタリー嬢。色づいた小麦畑色の髪、どんぐりみたいな瞳、バラ色の頬が可愛らしく、隊員の中でも人気のある十歳だ。
皆はもう所定の位置についている。今日こそ我がリック隊の悲願、彼女のパンツの色は何色だ?作戦を成功させなければならない。
「では作戦決行! いっけえぇぇえ!」
「うおぉぉぉお!」
曹長だか伍長だかが雄たけびを上げ突撃いていく。ナタリー嬢はようやく異変に気付き、顔を上げた。が、遅い。俊足の曹長は既に彼女のスカートの裾を掴んでいる。
今日こそもらった!
隊員共々歓喜に浮かれたその時だった。
近くの大木から人影が舞い降りた。次の瞬間には曹長は地に伏し、その上で彼を踏みつける何者かが不敵な笑顔を浮かべていた。
「ほう、スケベ共。余程懲りないとみえる」
「大佐ぁー!」
「リック、曹長じゃなかった?」
「兵長よ」
「大尉な」
「彼は非業の死を遂げ大佐に昇格したのだ」
文句を言いたげな部下を無視し、宿敵を睨み付ける。
「おのれ、またしてもお前か! いつもいつも崇高な任務を邪魔しやがって!」
「何が崇高だ、腐ったリンゴ並みにくだらんな」
奴は腰の木刀を抜きつつ、鼻で笑いやがった。
「今日という今日は許さん。かかれ、野郎ども!」
「らじ」
応答の声は悲鳴に変わった。どこに隠れていたのか、淑女たちが駆け足で参上し、腕に下げた籠から小さな木片を投げた。
「伏兵? 手榴弾、だと?」
単なる木片じゃな痛っ、胡桃の殻痛っ。顔をピンポイントで狙って痛っ。手で覆ったけど、痛っ!
「落ち着いて態勢を立て直せ、奴を警戒しろ!」
しかしパニックに陥る部下たちに俺の声は届かず、木刀を振り回すたった一人の襲撃者に次々にぶちのめされていく。
しなやかな四肢から繰り出される軽やかな剣戟。風に舞う明るい栗色の髪は日光に透けて金に輝く。煌めく翡翠の双眸に自分に危機が迫っているというのに見惚れてしまった。
部下たちを粗方捩じ伏せた戦乙女は、獲物を追い詰める獅子の如く悠然と歩いて来る。
我に返った俺はせめてもの抵抗に突進するフリして足払いをかけるも、人間離れした高さに跳躍したやつは俺の頭上を飛び越え、何が何だか分らぬ間に後頭部に鉄槌が落ち、視界が暗転した。
久しぶりに懐かしい夢を見た。
欠伸混じりに大きく伸びをする。昨夜は馬に乗っていたので身体が固い。侍女が持ってきた水桶で顔を洗って髭を剃りながら、心は遠くにあった。
悪ガキ共と徒党を組んで悪戯しまくった日々。腹を空かして野菜畑に忍び込んだ日々。今は亡き母と二人慎ましやかに暮らした日々。
あの頃はまさか自分が公爵の隠し子だなんて思わなかった。朝昼晩の食事、ティータイムまでたらふく食べ、服のボタンまでメイドが止めるような生活を送るなんて夢にも見なかった。
過去は美化されると言うけれど。
ひもじいし貧しいし下らないことばかりだった過ぎ去りし日が、思い出す度、あんなにも輝いているのは何故だろう。あんなにも懐かしいのは何故だろう。
きっと彼女がいたからだ。